22 涙と笑顔
振り下ろされた巨岩の一刀。
強烈な一撃が岩の装甲を粉砕し、その下に守られた蛇龍の胴体を骨ごと叩き潰した。
「ひぎあアアァァァァァァァァァァァッ!!」
ラーガは血反吐を吐き散らしながら、苦悶の叫びを上げる。
激痛により集中が途切れ、練り上げた魔力は霧散。
残る装甲も砂となって消滅する。
ズゥゥゥン……!
砂煙を上げ、蛇龍は地響きと共にその巨体を横たえた。
「ごぼっ……! 私が、この私が、敵の力を見誤ったのか……。死ぬのか、この私が……」
「あぁそうさ。お前はこれから死ぬ。……だがその前に、一つ聞いておかなきゃいけないことがある。ついさっき、気になる名前を口にしていたね」
「死ぬ……。嫌だ、嫌だぁ、死にたくない、死ぬのは嫌だぁぁ……っ」
うわ言のように呟くラーガ。
骨が折れた体で無理に起き上がり、恐怖に歪んだ表情でライナを見つめる。
「死にたくない……、死にたくないぃぃぃィィィィィイッ!!!」
死の恐怖が激痛を凌駕し、その巨体が突進を仕掛けてきた。
往生際の悪さ、見苦しさに、ライナは嫌悪感を露わにし、剣を構える。
「何言ってやがんだ、この外道。そう言うお前は今まで一体何人の命を——」
ドゴォォッ!!
曲刀が振るわれるよりも先、突進がライナに到達するよりも先に。
ラーガの横っ面が殴り飛ばされた。
「いい加減に、してください……!」
巨体を吹き飛ばしたのは、龍人形態になったランの拳。
緑の鱗に覆われた龍の右腕に殴られ、ラーガは庭園をゴロゴロと転がっていく。
「ヒュー。あの子、やるねぇ」
『ランちゃん……』
内気な少女の秘めた思わぬ力に口笛を吹くライナ。
一方のリノは、彼女の泣き出しそうな瞳に、何も言葉が出なかった。
「あがっ、嫌だ、死ぬの、嫌だぁ……。殺さ、ないでぇ……」
蛇龍の巨体が縮み、奴隷商ラーガの姿へと戻っていく。
背骨を折られて芋虫のように這いつくばる惨めな男に、鉄仮面を抱えた少女が歩み寄り、拳を、声を震わせた。
「お母さんを殺しておいて、大勢の人を食べておいて、どういうことですか……。あなたは、何を言っているんですか!」
ランの青い瞳から、涙がこぼれ出る。
こんな男に幸せを奪われた怒り、長年自分を苦しめてきた男のあまりの情けなさに対する憤り。
そして、この男の血を継いでいる自分への嫌悪感。
様々な感情が入り混じった涙が、とめどなく溢れて止まらない。
「ランちゃん、もういいんだよ。後は私たちに任せて」
少女の頭を、リノが抱きしめる。
リノの温もりに包まれた瞬間、彼女の龍人化は波が引くように解けていった。
「……助けてくれて、ありがとね」
「わたしこそ、わたしこそですよぉ……っ」
鉄仮面をそっと、彼女の頭に被せる。
ぐしゃぐしゃになった泣き顔は、見られたくないだろうから。
そして、これから起こることを、彼女には見せたくないから。
ランに向けて優しげに微笑むリノ。
しかし地面に倒れてうめく外道へ目をやった時には、既に彼女は龍殺しの修羅へと変わっていた。
「さぁて、楽しいインタビューの時間だ。あんた、屋敷の中で確かに言ったよねぇ」
「ひっ、言っ、言ったって、何をぉぉっ……」
「レイドルク」
ライナがその名を口にした瞬間。
恐怖に慄くラーガの表情が、更なる恐怖で歪みに歪む。
「個人的に、とっても因縁の深い名前でねぇ。戦ってる最中も、正直そのことばっかり考えてたくらいなんだ。さ、吐いてもらうよ」
「い、言えない……っ! 言えないんだぁ、それだけは、絶対にぃ……」
「あれぇ? ここにいないレイドルクと、ここにいるあたし。どっちか怖いのかなぁ」
ラーガの太ももに切っ先を突き刺し、ぐりぐりと抉る。
ランは目を逸らし、鉄仮面の上から耳を塞いだ。
「いぎぃぃぃぃぃぃっ!! ほ、本当に言えないんだぁっ!!」
「強情……ってわけでもなさそうだ。何か理由があるね、こりゃ」
我が身かわいさに命乞いをし、たった今失禁までしてみせたこの男。
仲間のために体を張って口を閉ざす、などという立派な心構えがあるとはとても思えない。
それはそれとして拷問を続けたいところだが。
『ライナ、必要ない拷問はやめてね』
「わかってるよ……」
宿主の機嫌をまた損ねては面倒だ。
足から雑に切っ先を引き抜いて、どうしたものかと思案する。
「……おそらくは口封じの呪法。万一口を割ったら、苦しみもがいた挙句に命を落とす呪いだ。ま、そんなところでしょ? ね?」
「そ、そうなんだぁ、だから言えないんだぁっ! だから、それ以外なら何でもする! 金も好きなだけやる! もう二度と人は喰わない、約束するから、だからぁ、命だけはぁ……!」
「……ってことだけど。どうする? お優しい宿主サマ」
『決まってるよ、そんなの』
「だよねー。やっぱあたしたち、気が合うね」
脳内会議を終えた二人。
ライナは月光を背負い、これ以上なく冷たい瞳でラーガを見下ろして、処遇を言い渡す。
「優しい優しいリノちゃんからのお達しだよ。感謝して聞くといい」
「は、はいっ、感謝して聞きますっ!」
「無理に口を割らせて、苦しんで死んでしまうのは可哀想。だから」
「だ、だから……?」
「楽に死ねるよう、一思いに殺っちゃって。——だってさ」
「ひっ、嫌あああぁぁっ!!?」
ヒュパッ!
涙と鼻水を撒き散らしながら、恐怖に歪んだ表情のまま、奴隷商ラーガは首を刎ねられた。
ゴロリと転がる彼の頭部はすぐに腐敗が始まり、小太りの体もろとも骨も残さず塵となって消滅する。
「はぁ、アイツの情報は聞けず終いか。でも……」
狡猾なレイドルクのことだ。
大した情報は残していないとは予想がつく。
もしかしたら既に、この王都を遠く離れているかもしれない。
「さ、あたしの仕事はこれで終わり。……と、言いたいところだけど」
生垣の影を、ギロリと睨む。
こちらの様子をずっと観察していた、ラーガの側近を務めていた使用人が、視線に射抜かれて竦み上がった。
「ひっ……!」
「あんたも龍人みたいだねぇ。さぁてリノ、鬱憤晴らし、してもいいかな?」
『情報集めなら仕方ない。許可します』
「あいあいさー」
目を細め、唇をぺロリと舐めるライナ。
恐怖に歪んだ絶叫が、響き渡った。
数分後、武器屋店主ワバンの情報、レイドルクが王都を去ったことを吐いたところで、彼はようやく楽になれた。
ライナは血糊の付いた剣を振り払い、鞘に納める。
「あとはあんたの仕事だよ、相棒」
『だね。ランちゃんのことは、ライナには任せられないもん』
二人の心が入れ替わり、リノは自分の体に戻る。
そろそろ屋敷の前に、騒ぎを聞きつけた野次馬が詰めかけてきても良い頃だ。
背を向けて耳を塞いでいたラン。
その小さな背中を背後から抱き締め、鉄仮面をそっと取り外した。
「あ……、リノさん、ですよね……?」
「うん、ちゃんと私だよ」
「もう、全部終わったんですか?」
「そうだよ、悪い夢は全部終わったから、もう大丈夫。だからランちゃん」
少女の痩せ細った体を、お姫様だっこでふわりと抱え上げる。
「帰ろう。私たちの家に」
「……はいっ」
目尻に涙を溜めながらも、満面の笑顔で頷く。
鉄仮面に隠されてきた、本当の笑顔。
それを引き出せた喜びから、リノも自然と笑みを浮かべた。
人の目を避けて屋敷の裏側の塀を飛び越え、リノは夜闇に紛れて走る。
腕の中の小さな少女と共に、帰るべき場所へ。