20 憎しみと殺意
奴隷商ラーガ。
ランから母を奪い、監禁して奴隷同然の生活を送らせ、膨大な数の人を喰らってきた。
生かしておく理由など何もない。
「けほ、けほっ。あの、ごめんなさい。わたしのせいで、龍殺しさんとケンカを……」
「謝るのはこっちだよ。ランちゃんは何も悪くないから」
それでも、あの男はこの娘の父親だ。
だから、これだけは確かめておかなければならない。
「ランちゃん、よく聞いて。これから私は——私とライナは、ラーガを殺す」
リノの発した言葉に、ランの表情が強張った。
「はい、分かっています」
「でも、あんな男でも、ランちゃんとは血を分けた肉親だから」
たとえ外道でも、最後に残った肉親。
だからこそ、彼女の意思だけは確かめておかなければ。
「最後に確認させて。……いい、んだよね」
ランは目を閉じ、じっくりと自分の心の声に耳を傾け、思いを巡らせる。
そして、改めて認識した。
あの男に、情なんてものは一欠片も感じていない。
抱いている感情は、母を奪われた憎しみと——どす黒い殺意のみ。
「……殺してください。あの男を、殺してください」
「分かった。もう躊躇しない」
冷たい殺意の炎が、リノの瞳に灯った。
▽▽
ラーガは自室でワイングラスを傾け、勝利の美酒に酔っていた。
懸念材料だった龍殺しを手中に収め、脱走を許してしまった娘も戻ってきたのだ。
庭が火事になっていようが、今の彼には些細なことだった。
「あの娘はいなくなってしまっては困るのですよ、貴重な実験材料として」
初めて存在が確認されたと言われている、龍人と人間のハーフ。
ランの存在が明るみに出るまで、子を成すことは出来ないと言われていたほどの希少な事例。
彼女のデータを記録し、他の龍人に報告することで、彼は龍人内のコミュニティーでの地位を飛躍的に伸ばしていった。
ランを監禁して観察を続けた結果、様々なことが判明した。
龍人とは違い、人と同じ早さで年をとる。
食人衝動や身体の変異を、自らの意思でコントロール出来ない。
食人を好まない——のは、ランという人格の個性だろう。
「まったく、役に立ってくれますよ。自慢の娘です」
ただ一つ、鉄仮面を着けている時だけは人間となんら変わらない。
データ取りのために奪い取るたび泣き叫び、自ら命を断とうとしたこともあった。
「……こんな薄汚い鉄仮面、なんだと言うのでしょう」
テーブルの上に置かれた鉄仮面。
確かあの女の形見、だったか。
もうあまり覚えていない、至極どうでもいいことだ。
「いっそ処分しましょうか。それで諦めも付くでしょう」
それがいいだろう。
にこやかな表情のままワイングラスを傾け、ふと窓に目が行くと。
殺意の籠った瞳で曲刀を振りかぶる、少女の姿が映っていた。
「なん……っ!」
咄嗟に身を屈める。
刹那、頭上を横薙ぎの刃が過ぎ去った。
あと一秒でも遅ければ、首が飛んでいた。
「気付かれた……」
『詰めが甘いねぇ。椅子の陰から心臓を一突き、それで終わりだったのに』
「仕方ないでしょ、暗殺なんてド素人なんだから」
常ににこやかな表情を浮かべていたラーガの顔に、始めて焦りの色が浮かぶ。
無理もないだろう。
目の前に突然現れた龍殺しの少女が、紅い首飾りを身に着けているのだから。
「どうしてここが、分かったのですか……。娘は馬車で運んだ、目撃証言は得られなかったはずなのに……!」
「残念だったね。ライナと私は同調してるから、居場所はなんとなく分かるんだ」
「そんな、ことが……、レイドルクさんは何も——、い、いや、まさか」
否、思い当たる節はあった。
首飾りを手に入れたと話題に出した途端、レイドルクはこの屋敷を立ち去った。
思えばあまりにも唐突で、不自然な行動。
「まさか、レイドルクさんは、このことを知っていて……?」
見捨てられた。
そう結論づけるしか、なかった。
「何故、何故ですかレイドルクさん! 私は、今までどれほどの貢献を、あの娘のデータで……」
「うるさいからさ、続きはあの世でしてくれる?」
この男に対し、リノは一欠片の哀れみも抱かなかった。
ライナが言っていた『覚悟』については、まだ実感出来ていない。
それでも、この男は。
この男だけは絶対に生かしておいてはダメだ。
「ランちゃん、降りてきていいよ」
リノの声掛けで、天井裏に開けた穴からランが飛び下りた。
鉄仮面を拾い上げて、彼女に投げ渡す。
少女は少しあたふたしながらも、なんとかキャッチして、
「お母さんの鉄仮面……。良かった……」
大切な宝物を、ギュッと抱きしめた。
ランの笑顔に微笑みを浮かべると、リノは腰を抜かした外道を睨み、殺意を込めて睨む。
「ここから先は、キミには見せたくない。それを被ったら、屋根裏に戻って耳を塞いでて」
「……いいえ、最後まで見届けます。これは、わたしの問題でもあるから」
鉄仮面を抱えたまま、毅然として答える。
彼女の決意は固い。
その眼差しから、覚悟は伝わった。
「……わかった。強いんだね」
一歩、また一歩と、ラーガに歩み寄る。
彼は少しずつ後ずさり、とうとう窓際まで追い込まれた。
「だ、誰か! 誰かいないのか! 侵入者だ、なんとかせんか!」
「使用人なら全員、庭園の火事で大騒ぎしてるよ。誰もあんたのことなんか気にしてない」
「あの火事も、お前が……!」
窓の外、燃え盛る庭園とリノを見比べ、奥歯を噛み締める。
「そろそろ観念したら?」
「観念……? するはずがないでしょう。私は絶対に、死にたくありませんからね!」
彼は身を翻し、そして、
バリィィィィィィン!!
窓を突き破り、三階の高さから身を躍らせた。
「自殺!?」
『んな訳ないだろ、こんな高さで龍人は死なない! 逃げたんだ、見失う前に追いかけるよ!』
「よし! ランちゃん、こっち来て!」
鉄仮面を抱えたままのランを手招きし、小走りで駆け寄った彼女の小さな体を、お姫様だっこで抱え上げる。
「わひゃっ!」
「しっかり掴まっててね。行くよ!」
窓に身を乗り出し、飛び下りる。
ランの体を浮遊感が襲い、リノに抱き上げられる喜びはどこかに吹き飛んだ。
「ひやああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
「鉄仮面、落とさないでね!」
十メートル以上の高さから飛び下り、軽やかに着地。
涙目のランを下ろし、すぐにラーガの姿を探す。
「アイツ、どこに逃げたんだろ……」
「逃げた? 違いますねぇ」
意外にもラーガは、すぐに見つかった。
着地地点から動かず、にこやかな笑みを浮かべて佇んでいる。
彼はおもむろに、黒いジャケットを脱ぎ捨てた。
「あそこじゃあ変化するには狭かったのでね。だから外に出た、ただそれだけのことです」
ラーガの身体が、膨張を始める。
全身が緑色の鱗に覆われ、顔面が蛇のような形に変形していく。
巨大化を続ける体は細長く伸び続け、ついには長さ四十メートル、太さ五メートル以上にまで到達。
「この姿になるのは、何十年ぶりでしょうかねぇ」
夜の王都に、蛇龍がその姿を晒した。