19 人間と龍人
ランの母は、強くて優しい自慢の母だった。
冒険者としての腕前は中の下だったが、女手一つでランを育て上げてきた。
トレードマークのフルフェイス型鉄仮面を着けて、受ける依頼は簡単なものだったが、その日のうちに達成する。
夜には必ず帰ってきて、暖かい料理をランのために作ってくれた。
「でも、お父さんについてだけは、何も話してくれなかった。それでも良かったんです、あの頃はとっても幸せだったから」
屋敷の敷地内、茂みの中に隠れながら彼女を待つ間、ランは自分から身の上話をしてくれた。
「けれど、そんな日々は突然終わりを迎えました」
奴隷商ラーガ。
自分に娘がいることを知った彼は、ランを引き取りに来た。
ランの母が彼とどのようにして子を成したのか、ランは何も教えられていない。
推測するしか出来ないが、恋愛の末に、という可能性だけはあり得ないだろう。
「あの男は、自分を父だと名乗って、わたしを連れて行こうとしました」
そこから先の詳細を、ランは話せない。
正確には、よく覚えていないのだ。
ぼんやりと覚えているのは、異形の姿となったラーガ。
血だまりの中に転がる鉄仮面。
それを抱きながら泣きじゃくる自分。
そして、鱗に覆われた自分の右腕。
「もういいよ、ランちゃん。もう話さなくていいから」
「はい、はい……っ」
震える小さな体を抱き寄せる。
胸に湧き上がるのは、ラーガという男への怒り。
彼女の母を奪い、奴隷同然の生活を強いて。
日常的に人を喰らっていることを差し引いても、万死に値する。
ランを抱き締めながら、リノは夜空を見上げて待ち人の姿を探す。
星空の中に、箒に乗って飛ぶ黒い影が見えた。
「来たっ」
カンテラに火を灯し、上空に向けて大きく振って合図を送る。
リノはあらかじめ、アリエスと作戦を示し合わせていた。
何らかの理由で屋敷への侵入が困難になった時、上空を巡回しているアリエスが援護をする、と。
ランが屋敷にいたことは想定外。
彼女を連れたままでは隠密行動は困難だ。
アリエスに連れて行って貰おうにも、ランの言葉が正しければリノと離れるのは危険。
よって、彼女に救援を要請したのだ。
「さぁて、アリエスちゃんはどんな援護をしてくれるのかな……」
箒に乗せて貰って、宝物庫の窓までひとっ飛びとかだろうか。
そんな呑気な想像を巡らせていると。
「……あれ? ランちゃん、あれって流れ星?」
「いえ、あれはファイアボールですね。それも六発くらい」
「………………」
アリエスが放った無数のファイアボールが天空から降り注ぎ、庭園に着弾。
盛大な火柱を上げて、燃え盛る。
「火事だああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「なんで突然庭園が燃え始めるんだ!!」
「火の勢いが強すぎる! 使用人をもっと集めろ!」
「消火が、消火の手が追いつかないぃぃぃっ!!」
「えぇ……」
アリエスは見つからないうちに、闇夜に紛れてそそくさと飛び去っていった。
あまりのことに二人は呆然としながら彼女を見送る。
屋敷から次々と飛び出してくる、大勢の使用人たち。
彼らが消火活動に追われることで、確かに屋敷内の警備は手薄になったのだが。
「い、行こうか、ランちゃん。ひとまず宝物庫」
「そ、そうですね。早く行きましょう」
阿鼻叫喚の様相を呈す庭園から、二人はこっそりと立ち去った。
幸いにも屋敷の構造は、ランがしっかりと把握していた。
何度か屋敷内へと連れていかれ、おぞましい家族ごっこをやらされたらしい。
「ここです、宝物庫」
案内されたのは、二階の右隅にある扉の前。
使用人たちは庭園の火事によって出払っており、ここまでは簡単に来られた。
「……感じる。確かにこの中から、ライナの存在を感じるよ」
体に漲る力も、ライナを身に着けている時とほぼ同じ。
当然二人は、宝物庫のカギなど持っていない。
となれば、手段は一つ。
「ランちゃん、下がってて」
腰を低く落とし、右拳を弓なりに引き絞る。
そして腰を入れ、扉目がけて拳を叩きつけた。
ドガアアァァッ!!
リノの正拳突きによって、扉は吹き飛び、二人は無事、宝物庫に侵入する。
金貨が大量に入った革袋や、宝石、貴金属が大量に収まった宝箱。
その中にあってひときわ目を引く、台座の上の紅い宝石の首飾り。
「見つけた……」
ようやく再会できた。
ホッと胸を撫で下ろし、首飾りを手に取る。
「無事、だよね……。ライナ、ごめんね。もう一人にしたりしないから——」
チェーンを首にかけた瞬間、リノの顔つきが変わった。
背後にいたランへと襲いかかり、その細い首を掴んで締め上げる。
「かはっ……、リノ、さ……?」
『ライナ!? 何してるの、止めて!!』
首飾りを身に着けた瞬間、リノの意識は体から弾き出された。
宝石の中でリノは叫ぶ。
しかしライナの腕の力は、殺意は微塵も揺るがない。
「止めないさ。こいつは龍人だ」
『この……っ!』
今度はリノが、ライナの意識を弾き出す。
主導権を取り戻すと、すぐさまランの首から手を離した。
「げほっ、げほっ……!!」
「ランちゃん、大丈夫!? ちょっとライナ、あんた何てことを!!」
『リノこそ、分かってんのか? そいつは龍人、殺さなければ人を喰うよ』
「知ってたの……?」
『知ってたというよりは、ここまで連れて来られる間にね、色々聞いちまった』
首を抑えて涙を貯め、苦しげに咽るラン。
彼女のそんな姿を前にしても、ライナの言動はぶれない。
『さ、早く代わるんだ。リノには絶対に出来ないだろ?』
「出来ない、っていうか、やらせない。ランちゃんは龍人じゃない、人間だ」
『半分は、だろ。もう半分は人喰いの化けもんだ』
「だけど、ランちゃんは人を食べたりなんてしない! これまでも、生きた人間は一人も食べていない!」
『だからこれからも喰わない。そんな保証があるってのか?』
「それは……」
地下牢でランが見せた、抗いがたい龍人の本能。
肩に受けた傷の名残が、ライナへの返事にNOと即答させない。
「……でも、それでも私は信じるよ。ランちゃんは大丈夫。だって、あんなに良い子なんだもん」
『それで、もしあの子が人を喰ったら? 死んだ人は蘇らない。リノはどう責任を取るの?』
「……取るよ。その時は、私がこの手で——」
もしも、ランが本能に負けてしまったら。
その時は、この手で殺す。
でもそんな時は絶対に来ないと、心から、そう信じている。
「だから、ちょっとだけ待ってよ。お願い」
『……なるほど。そこまでの覚悟があるならしょうがない。お姉さんひとまず折れてやるよ』
ようやく聞けた、呆れつつも優しげな、いつものライナの声。
リノは小さく息を吐いた。
「ライナ、ありがとう」
『よせやい。……で、そこまで言うのなら、もうひとつの覚悟も当然決まってるんだよね』
「うん、覚悟は決めたよ。あんたを利用する覚悟を」
『……利用?』
「……私さ、強くなった気になってた。でもそれは勘違いで、ライナがいないと元の弱い私のまま。なんにも出来ない私は、いなくなってなんかいなかった。私が冒険者として名を上げるには、ライナの力が必要なの」
そこで言葉を切り、頭の中で伝えるべきことを整理する。
「私はこれからも、ライナの力を利用する。利用しつくしてやる。だからライナも、遠慮なく私を利用しちゃって。あんたの復讐に私を巻き込んで、思う存分使っちゃえ」
『……ははっ、あはははっ! いいね、気に入った! お望み通り、リノを利用してやるよ。だからリノも、思う存分あたしを利用しな』
「交渉成立、だね。じゃあライナ、早速私を利用していいよ」
『おうさ、じゃあ早速。——ラーガの野郎に地獄を拝ませてやる』




