18 理性と衝動
「ランちゃん……、キミはまさか、龍人……?」
「あはは……、とうとう知られちゃいましたね……」
一番知られたくないことを、一番知られたくない人に、知られてしまった。
涙が勝手に溢れてくる。
そして、内から湧き上がる衝動も、どんどん強くなっていく。
「正確には、龍人と人間のハーフ……です」
ランの右腕は今、緑色の鱗で覆われ、鋭い爪が生えている。
何かがおかしい。
なぜ中途半端に体の一部分だけを、わざわざ変異させているのか。
「……あぁ、この手ですか」
視線に気付いたランが、力なく笑いながら答える。
「わたし、自分の中にある龍人の力をコントロール出来ないんです。でも、あの鉄仮面を被ってる間は心が落ち着いて、完全に抑え込める。体の変異も、衝動も」
「衝動、って……?」
「食人衝動、です」
龍の右腕を、左腕で強く掴む。
頭の中で暴れ狂う衝動を、必死になって抑え込む。
「だから早く、早く離れてください。じゃないとわたし、リノさんを襲っちゃう……」
「……嫌だ」
「え……? 今、なんて……」
「嫌だって言ったの。だってランちゃん、とっても辛そうにしてるもん。そんなランちゃんを放ってなんて、行けないよ」
一歩、近寄るリノ。
「ダメ、本当に、ダメなんです……!」
一歩、下がるラン。
リノが近付くたびに、ランは後ずさる。
やがて、壁に背中がぶつかった。
「来ないで……、わたし、リノさんを傷つけたくないの……!」
何度も首を振り、拒絶する。
それでも、リノは止まってくれない。
距離を詰めて、目の前までやって来て、そして。
「ランちゃん、一緒に帰ろう」
少女の小さな体を、そっと抱きしめた。
ふわりと漂う、リノの甘い香り。
体の柔らかさ、温もり。
それらを全身で感じ、ランは。
あぁ、おいしそう。
その肩口に、歯を立てて噛みついた。
「いっつ……!」
「……っ!! ふぅっ、ふぅぅっ……!!!」
肉に歯が喰い込み、血が滲みだす。
我を失った少女は、肩の肉を食い千切ろうと噛みついて首を振る。
「ラン、ちゃん……」
リノは痛みを堪えながら、ランの頭に手を伸ばし、
「大丈夫、大丈夫だよ。ランちゃんは、ランちゃんだから」
頭を、優しく撫でた。
ボサボサの髪を指で梳きながら、幼い子供をあやすように撫で付ける。
「ふーっ、ふーっ……!」
「落ち着いて、呼吸を整えて」
「ふっ、はっ、はぁっ……、リ、リノさん……」
やがて、ランの瞳に理性の光が戻った。
「わ、わたし、わたし、なんてことを……」
口を離した彼女が見たのは、リノの肩に出来た、痛々しい歯型状の傷。
ランはわなわなと震え、目尻に大粒の涙が浮かぶ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「こんなの全然平気だから。ランちゃんの苦しみに比べたら、全然だよ」
「でも、でも……」
「それに、この傷はランちゃんのせいじゃない。だって私、避けようと思えば嫌でも避けれちゃうんだもん」
「あ……、リノさんの【回避】……」
攻撃された、と認識した瞬間、体が自動的に回避行動を取る、常時発動型のパッシブスキル。
それが発動しなかった。
つまりリノは、ランの噛みつきを、『攻撃された』と認識していない。
「そ。だからこの傷は、ランちゃんのせいじゃない。ランちゃんが気に病むことは、なにも無いんだよ」
「どう、して……。どうして、わたしなんかのために、そこまで……」
「だってランちゃん、私の作ったご飯、とっても美味しそうに食べてくれるんだもん。鉄仮面に隠れた口元だけで、あんなに美味しそうだって分かるんだよ? 仮面を取って食べる顔も、見てみたいんだ」
ランの青い瞳から流れる涙を指で拭い、
「だから、笑って? せっかくランちゃんの素顔が見れたのに、悲しそうな顔ばっかりじゃ嫌だから」
ニコリと、笑いかける。
「リノ、さん……。そんな、そんな理由で……?」
目を丸くして、呆気に取られるラン。
そして。
「……ふふっ」
何故だか、可笑しくなってしまった。
「えへへ、やっと笑ってくれた。思ってた通り、すごく可愛い顔してるよ」
「へっ……? あの、可愛いなんて、わたし、そんな……」
「あ、もしかして照れてる? 顔真っ赤にしちゃって、ますます可愛い」
「もう、からかわないでください!」
真っ赤な顔で叫ぶランをからかう中で、リノはとある異変に気付く。
「あれ? 消えてる……。ランちゃん、鱗が、龍人の特徴が消えてるよ」
「う、うそ……、本当に……?」
慌てて自分の右腕を確認し、右の首筋をぺたぺたと触って確認する。
本当に、消えている。
右腕からも首筋からも、鱗が消えている。
抗いがたい食人衝動も、まるで鉄仮面を着けている時のように。
「どうして……? わたし、龍人の力を完全に抑え込めてる……」
「うーん、何が起きたんだ……? そもそもなんで、鉄仮面を被ってると大丈夫なの? 確かお母さんの形見、なんだよね」
「アレを被っていると、お母さんと一緒にいるような気分になって、とっても安心するんです。お母さんと一緒に暮らしていた頃は、自分の中の龍人が表に出ることも無くて……」
そこまで口にして、ランは思い当たった。
自分は今、母と同様の安らぎを、リノに対して抱いているのでは。
突然黙りこくって、顔を真っ赤にしてしまったランに、リノは首をかしげる。
「どうしたの? 何か分かった?」
「い、いえ、あの……。と、とりあえず、リノさんと一緒にいる時だけは、鉄仮面が無くても平気になったみたいです……」
「そっか、よくわかんないけど良かった。これでランちゃんの可愛い顔、いつでも見られるってことだもんね」
「だから、そういうこと……! もう、もうっ!」
怪我を作って帰れば、またアリエスに心配をかけてしまう。
収納してあった、ヒールと同等の効果を持つ薬品『ポーション』で、肩の傷の治療を済ませる。
少々値が張る品だが、やむを得ない。
途中、ランが非常に申し訳なさそうな顔をしていたが、頭を撫でられると途端に顔を赤くした。
「それじゃあ、ランちゃん。大事な鉄仮面、取り戻しに行こう」
「龍殺しの首飾りが先ですよ。元々の目的も忘れちゃダメです」
「忘れてないけどさ、ついランちゃんのことばっかり考えちゃって」
「……勘弁してください、心臓がもちませんよぉ」
ランは両手で顔を覆い、しゃがみ込んでしまう。
もう顔を隠さなくてもいいはずなのに。
不思議そうに見つめるリノ。
「おっと、これも忘れちゃダメだよね」
座敷牢の隅に畳んで置いてある、ランに買ってあげたフリルのワンピースを収納すると、リノはランの手を取る。
龍殺しの少女と、半人半龍の少女。
二人は牢を出て、気配を殺し歩き出した。