17 再会と拒絶
王都北区画、高級住宅街。
夜の帳が降りた頃、黒いフードとマントに身を包んだ影が、とある屋敷の門を飛び越えた。
彼女は夜の闇に紛れ、誰にも見つかることなく木の陰へ。
「……さて、どうやって侵入しよう」
フードの奥から覗くブラウンの瞳。
リノはこれからラーガの屋敷に忍び込み、ライナを探し出して取り戻す。
ついでにこの屋敷の主の尻尾も掴む。
奴隷である以上、恐らくランはここにはいないだろう。
奴隷たちはどこかにある店舗の中に押し込められているはずだ。
ライナから離れてしまえば、リノはただの十六歳の少女でしかない。
まずは首飾りを取り戻し、力を得ることが先決。
木陰や庭の生垣を伝って、屋敷までは到達。
姿勢を低くしながら裏まで回り込み、勝手口を開けて忍び込んだ。
外から見て、明かりが漏れていた部屋に目星は付けてある。
まずは三階から。
誰も使っていない物置きのような小部屋に入ると、天井の板を外して屋根裏へ。
這いつくばって板の隙間から漏れる明かりを目指して進み、目標の部屋の上に到達。
息を殺して聞き耳を立てる。
「さすがですね、ラーガさん。よもや龍殺しの首飾りを手に入れてしまわれるとは」
「なぁに、たまたまですよ、ワバンさん」
早速の大当たり。
屋敷の主人と客人が談笑の真っ最中。
しかも、その内容は。
「それにしてもレイドルクさん、突然の出発でしたね。私も一言、挨拶がしたかったですよ」
「本当に。何もあそこまで急がなくとも」
「それで、首飾りは?」
「宝物庫に保管してあります。あんなもの、恐ろしくて恐ろしくて。破壊するわけにも参りませんからねぇ」
「ええ。破壊してしまえば魂が輪廻の輪に戻り、どこかで龍殺しのスキルを持った何者かが産まれてしまう。だからこそ、封印していたのですから」
明らかに、黒。
この二人は、いずれも龍人だ。
隙間に顔を押し付け、下を覗きこむ。
残念ながら、二人の顔は確認出来ず。
(ライナ、そんな理由で封印されてたんだ。何もない洞窟の奥で、何百年も一人っきりで)
考えただけで、気が狂いそうになる。
彼女の深い憎しみが、多少なりとも理解出来た気がした。
「では私はこれで」
「おや、ワバンさん。もうお帰りですか」
「ええ。明日の店の準備もしなければなりませんしね。帰るついでに、一人喰らっていきますか」
何でもないことのように言い放ち、客の男が部屋を出た。
放っておけば誰かが喰い殺される。
だが、今のリノは止める力を持たない。
(……私とライナがやらなきゃ、こうやってどんどん知らない誰かが殺されていくんだ)
頭では分かっていた。
分かっているつもりだった。
——甘かった。
(悔しい……。なんにも出来ないの、悔しいよ)
今のリノに出来るのは、こうして屋根裏に息を潜めることだけ。
無力感に、拳を握り締める。
「さぁて、私も行きますかな。そろそろ娘にエサをやらないと」
家主の男も席を立つ。
彼からはもうすでに、ライナの首飾りの情報を手に入れた。
娘に対して『エサ』という表現は気になるが、ライナの奪還が先決だ。
リノの方針は変わらない。
彼の口から飛び出した言葉を聞くまでは。
「それにしても困った娘だ。あんな薄汚れた鉄仮面を、いつまでも大事そうに……」
鉄仮面。
そのワードに、リノの体が飛び跳ねる。
いる、ランもこの屋敷にいる。
そしてあの男は、今から彼女のところへ向かおうとしている。
気配を殺して後をつけていくと、ラーガは裏口から屋敷の外へと出た。
敷地の隅、地面に作られた隠し扉を引き上げ、地下へと続く階段を下っていく。
後を追って階段を下り、息を殺して物陰に身を潜める。
暗く、カビ臭く、じめじめとした最悪の環境。
男は座敷牢の前で立ち止まり、皿の上に乗せた何かを差し出した。
「エサの時間ですよ、我が愛娘」
「いりません、そんなもの! わたしは、わたしは……!」
聞こえてきたのは、間違いなくランの声。
だが、こんな声は初めて聞く。
怒気に満ちた彼女の声は。
「何を今さら。あなたは今までずっと、それを食べてきたじゃないですか」
「……その通りです。それを食べなきゃ、生きてこられませんでしたから。でも、わたしはもう、そんなもの食べたくない!」
「つくづくおかしなことを。……その鉄仮面が原因でしょうかねぇ」
ラーガはそう呟くと、座敷牢のカギを開けた。
牢の中に踏み込んで、ランの被った鉄仮面を無理やりに奪い取る。
「やめてっ! 知ってるでしょ! それは大切な、お母さんの形見なの……!」
「あぁ下らない下らない」
乱雑に牢が閉められ、カギがかけられて。
泣き叫ぶランの声が響く中、鉄仮面を抱えて立ち去るラーガ。
リノは怒りを抑え、息を殺して彼が立ち去るのを待つ。
足音が完全に聞こえなくなった頃、素早く身をひるがえして座敷牢の前へ。
「ランちゃん、助けにきたよ」
「……え? リノ、さん?」
聞こえるはずのない、一番聞きたかった声。
一番聞きたかった、でも一番聞きたくなかった声。
知られてしまう、隠してきた秘密を、リノに知られてしまう。
もしも彼女に殺意を込めた目で見られたら。
考えるだけで、体の震えが止まらない。
「カギは……ここだね。待ってて、すぐに開けるから」
「ダメっ!!」
脇の壁にかけてあったカギを取り、牢を開けようとした瞬間。
鋭い静止の声で、リノは手を止めた。
「ランちゃん……? どうしたの?」
彼女は最初、うずくまって泣いていた。
リノが声をかけても、体勢を変えなかった。
ずっとうずくまって、顔を隠したまま。
「もしかして、顔を見られたくないの? だったら大丈夫。ここ暗くてよく見えないし。それに、たとえランちゃんがどんな顔をしてても、私は平気だから」
構わずカギを開け、狭い入口から座敷牢の中へ。
ランの鉄仮面の下に隠された髪を、リノは初めて目にした。
彼女の髪は、ボサボサに伸びた金髪。
手入れをすればサラサラになるだろうか。
「ダメ、来ないでください。違うんです、ダメなんです! お願い、離れて……」
「大丈夫だよ、一緒に帰ろう」
身を屈めたまま、ランへと近づく。
その途上、放置されていた皿に手が当たった。
衝撃で揺れた皿の上から、何かがゴロリと転がり出る。
ハム、だろうか。
暗くてよく見えない。
収納していたカンテラを取り出し、明かりを灯すと。
あったのは、人間の左腕。
肘の部分で断ち切られた腕が、無造作に転がっている。
「こ、これ……、人の腕……? ランちゃん、今までこんなものを食べて……?」
「見て、しまったんですね……。リノさんにだけは、見られたくなかった……」
ゆっくりと顔を上げて、ランはこちらを向く。
彼女の顔に、傷は無かった。
ランタンの明かりが照らす、白い肌、青い瞳。
泣き腫らしたのだろう、涙の跡が痛々しい。
ライナの見立ては間違っていなかった。
彼女は申し分のない美少女だ。
——そして何よりも目を引くのは。
ランの顔の右側、肩からあごにかけて。
肌を覆っている、緑色の鱗。




