16 覚悟と決意
住み慣れた我が家が、空き巣に入られたかのように荒らされている。
留守番をしていたはずの、ランの姿がどこにも見当たらない。
信じがたい光景に、リノは玄関先で立ち尽くしていた。
「アリエスちゃん、これ……」
「単なる空き巣……ってわけじゃなさそう」
開け放たれた戸棚から金貨が入った革袋を取り出し、中身の無事を確認するアリエス。
侵入者の目的が金品ではない証拠だ。
「じゃあ、目的はやっぱり、ランちゃん?」
「だと、思う。でも、ランを連れていくだけなら、どうして家探しなんて……」
アリエスがそこまで口にした時、嫌な考えがリノの頭を過ぎった。
すぐに自室へと走り、ベッド脇の棚の上を確認する。
「無い……」
もしかしたら、床に落ちているのでは。
一縷の望みに賭けて探すが、どこにもない。
ライナの魂が封印されている紅い首飾りが、無くなっている。
「リノ、どうしたの」
「ないの。ライナの首飾りが、どこにもないの……」
後を追ってきたアリエスに、呆然と返す。
「リノの首飾りが、無くなった。つまり、ランを連れていった奴隷商、首飾りのことを知っている……?」
「どうしよう、私のせいだ……。私がライナを置いていったから、ランちゃんを連れていかなかったから……」
「リノ、落ち込むのは後。これは明らかに違法行為。冒険者の資格を持つランを奴隷として連れ戻すなんて、絶対に許されない」
無表情の中に感じる、隠しきれない怒り。
ランには伝わっていなかったが、アリエスはアリエスなりにランを大切に思っていた。
彼女を無理やり連れ戻すなど、許せない。
「探しにいこう。あれだけ目立つ子だもん、目撃情報くらいあるはず」
「……そうだね。一緒に取り返そう、ランちゃんを」
まずは聞き込みから。
片付けは後回しにして、リノとアリエスは家を出る。
しかし、リノには気がかりが一つ。
(私の力、元に戻ってる……?)
腰に下げた剣が、異様に重い。
教会にいた時は、いつも通りだったはずなのに。
二手に分かれて、まずは近隣の住民から聞き込みをする。
ところが、馬車が家の前に停まっていた、程度の情報しか得られず。
馬車など王都中を走り回るありふれたもの、手がかりはそこで途絶えてしまう。
こうなればもう、闇雲に探すしかない。
捜索範囲を広げつつ、リノは東区画から教会のある北区画へとやってきた。
「はぁ……っ、はぁ……」
走り通しで息が上がる。
腰に下げた剣の重みが、のしかかる。
(結局私、何も変わってない……。ライナがいないと、元の弱い私のままだ……)
駆け足が緩み、次第に歩きに変わり、その足も止まって。
息を整えてから、ゆっくりと歩き出す。
そろそろ教会付近。
一応ポートの耳にも入れておこうか。
考えつつ進み、街並みの向こうに大聖堂の塔が見えた瞬間。
「……あれ?」
体が、軽くなった。
▽▽
屋敷の地下、陽の当たらない座敷牢。
長年住み続けた、最悪な思い出しかない空間に、戻ってきてしまった。
結局元通り、奴隷のような生活に戻ってしまった。
鉄仮面を外し、ボサボサに伸びた金髪を晒すラン。
リノには二つ、ウソをついていた。
一つは、顔に傷跡なんて無いこと。
もう一つは、正確には奴隷ではなく、父親——そう呼ぶのもはばかられるあの男に軟禁され、奴隷同然に扱われていたこと。
そして、ウソではなく、秘密にしていたことも一つ。
「リノさんが龍殺し、龍人の殺戮者……。だったらわたし、あの人と一緒には……」
蒼い瞳から、大粒の涙がこぼれる。
これからの生活で、フリルのワンピースは血にまみれ、汚れ、破れてしまうだろう。
そうならないように。
短いながらもかけがえのない、大切な日々の思い出を汚さないように。
ランは服を脱いで丁寧に畳み、ボロきれのような灰色の奴隷服を身に着けた。
「はっはっは、やりましたよ。レイドルクさん」
「おやおや、ラーガさん。随分とご機嫌ですな」
客人の部屋にて、ラーガは上機嫌に笑う。
「そうでしょうとも。逃げ出していた件の奴隷をつい先ほど、連れ戻したところですからな」
「それはそれは。何よりです」
「更にですよ、龍殺しの封じられた首飾り。これも手に入れました」
「……龍殺しの、首飾りを?」
紅茶に手を伸ばしたレイドルクの腕が、ピタリと止まる。
しかし表情は崩さず、ラーガの顔をにこやかに見つめるだけに留めた。
「ええ。前にもお話した通り、その奴隷は龍殺しの少女と一緒にいましてな。彼女が留守の間に連れ帰り、不用心にも置き去りにされていた首飾りを手中に収めたのです」
「なんとなんと、お手柄です。……で、その首飾り。今、持っているのですか」
「いえ、宝物庫の中に放り込んであります。あのような恐ろしいもの、とても持ち歩けませんから」
「そうでしたか、それは何よりだ」
カップの中の紅茶を手早く飲み干すと、レイドルクは席を立った。
コートを羽織り、立て掛けたステッキを手に取ってクルクルと回す。
「ではラーガさん、私はこれにて失礼します」
「おや? 随分と急ですね。もっとゆっくりしていらしても」
「何かと多忙なものでして。龍殺しの件も、知り合いの方々にお知らせせねばなりませぬし。では、これにて失礼」
ラーガに対し、シルクハットを取って一礼。
そうして彼は、この屋敷を立ち去った。
豪華な門をくぐり抜けると、最後に振り返り、哀れみの視線を向ける。
「……さようなら、ラーガさん。おそらくもう二度と、会うことはないでしょうな」
それは、虎の尾を踏んでしまった者への哀れみ。
下手を打たず、大人しく闇に潜んでいれば、もっと生きていられたものを。
もっとも、哀れみはあっても同情や感慨は欠片も感じない。
ラーガのことも、すぐに忘れるだろう。
「さぁて、龍殺しの復活。皆さまにお知らせしないと。特に、因縁深い彼にはね」
▽▽
体が軽い。
まるで、ライナの首飾りを身に着けている時のように。
「教会にいた時のアレ……、やっぱり気のせいじゃなかったんだ!」
大聖堂へと走る。
息が続く。
どこまでも走っていけそうな感覚。
しかしまだ、ライナと一緒の時より弱い。
大聖堂の前を通り過ぎ、豪邸が並ぶ高級住宅街へ。
体がどんどん軽くなっていく。
ライナが近い、感覚で感じ取れる。
「この先……!」
角を曲がり、走る。
燕尾服を着た、シルクハットの紳士とすれ違った。
チラリとこちらに向けられた視線には気付かずに。
「……ここだ」
辿り着いた豪邸。
屋敷の中から、はっきりとライナを感じる。
「間違いない。ライナはここにいる」
ライナまで持ち去った以上、十中八九、相手は龍人。
首飾りを取り戻せば、また血の雨が降るだろう。
まだはっきりと、覚悟は出来ていない。
それでも、ランを見捨てる訳にはいかないから。
腰の剣をそっと撫でながら、リノは決意を固めた。




