15 傷痕と後悔
目を覚ますと、見慣れた天井だった。
少しだけ汚れた、借家の天井。
何かの顔に見えそうな木目をじっと見つめると、リノは体を起こした。
「……私、どうしたんだっけ」
ぼんやりとした頭で、包帯の巻かれた腕を見ながら考える。
あれから。
体のあちこちに付いた傷を、アリエスが応急処置してくれた。
その後、体よりも心の疲労が強く、すぐに眠りについた。
「……そっか」
現状を整理したリノは、チラリと、ベッドの脇にある紅い首飾りを見る。
『や、おはよう。よく眠れたかな?』
「うん、眠れたよ……」
『やー、それは何よりだ。でさ、どうだい? これからお姉さんと一緒にデートでも……』
「ごめん、今日は一人にさせて」
ピシャリと、言葉を遮る。
それっきり会話を交わすことはなく、着替えを終えたリノは紅い首飾りを置いて部屋を出た。
『……ま、仕方ないね。考える時間も、覚悟を決める時間も必要だ。——お互いに、さ』
▽▽
アルム教。
大陸全土で信仰されている、一神教。
十歳の誕生日に得られるユニーク・パッシブの両スキルは、全能神アルムが授けてくれると信じられている。
教会も大陸全土に散らばっており、このナボリア王国にも各々の街や村に一つずつ建てられている。
この国で一番大きな教会が、王都の大聖堂。
白い壁に彫られた精密な彫刻、鮮やかなステンドグラスが彩る礼拝堂の中。
ポートは朝の礼拝を済ませ、清掃に取りかかろうとしていた。
「……あれ?」
そんな折、礼拝堂へと入ってくる二人の少女。
顔見知りの登場に、ポートは手にしたはたきを一旦置いて応対に入る。
「アリエスさん、リノさん。ようこそいらっしゃいました。パーティーが解散した、あの日以来ですね」
「ポートさん、久しぶり」
快活なリノではなく、無愛想なアリエスが率先して挨拶する。
わずかな違和感に、リノの方へと目をやりながら問い掛け、
「今日は何の用事——リノさん、怪我をされているのですか……?」
腕に巻かれた包帯に、目を丸くする。
邪龍討伐の旅の中、かすり傷すら負わなかったリノ。
邪龍を無傷で倒した瞬間も、彼はその目で見ていた。
そんな彼女に怪我を負わせるなど、一体何の仕業なのか。
「そう、今日はそのために来た」
「分かりました、すぐに回復魔法をかけましょう。リノさん、包帯を取って下さい」
「……はい」
明らかに、元気が無い。
リノは口数も少なく、沈んだ顔で包帯を解く。
よく見れば、精霊が宿っているらしい紅い首飾りも外している。
「解けました……」
「うん、傷そのものは浅いけど、数が多いね。でも、この程度ならすぐに治せるよ」
ポートは両手をかざし、
「ヒール」
下級の回復魔法を使用。
小さな傷はみるみるうちに消えていき、元通りの白い肌が戻ってきた。
「……これでよし。全身の傷を治せた、と思います。僕が確かめるわけにはいきませんけどね」
「それはもちろん。確かめるのは私」
「ありがとうございました……」
アリエスが無表情で繰り出したセクハラ発言にも上の空。
これはどういう訳か、とポートはアリエスに目配せするが、彼女も首を横に振るばかり。
「……そうだ、アリエスさんのところにも行ってるよね。バルトさんが行方不明になったって話」
「——っ!!」
バルト。
ポートがその名を口にした途端、リノの肩がビクっと震えた。
「……リノ? どうかした?」
「あっ……、な、何でもないよ。それで、バルトが行方不明って話? 知ってる知ってる」
突然、口数が増えた。
曖昧な笑みを浮かべながら、どこか空回りした印象すら受ける。
「何でもないならいいんだけど……。それで、まだ見つかっていないの?」
「そうなんだよ。オルゴさんのクランが捜索に力を入れてるらしいけど、やっぱりどのダンジョンにも痕跡は無いって」
絶対に見つからない、見つかるはずがない。
それはリノが一番よく知っている。
なぜならバルトは、もうこの世にいないのだから。
▽▽
大聖堂に行く。
そう聞かされたランは、同行をやんわりと断った。
なにせこの鉄仮面、注目を浴び過ぎる。
引っ込み思案の彼女としては、不必要な外出はなるべく避けたかった。
「……暇、ですねぇ」
一人の時にも、彼女は鉄仮面を絶対に取らない。
入浴の時、髪を洗うわずかな時間を除いて、ずっと被っている。
「やっぱり付いていけば、よかったでしょうか……」
ソファでゴロゴロと過ごす怠惰な時間の中、付いていかなかったことを後悔する。
いっそ注目を浴びる覚悟で、ギルドに行って依頼でも漁って来ようか、そんな考えが頭を過ぎった時。
コンコン。
玄関のドアが、ノックされた。
「誰だろ……。はーい」
リノとアリエスは出て行ったばかり。
借家の主の集金だろうか。
何の気なしに扉を開けたラン。
その表情が、来訪者の顔を見た途端、鉄仮面の下で凍りついた。
「やあ。探しましたよ、我が愛娘」
「な、んで……」
目の前にいるのは、紳士然とした小太りの男。
奴隷商ラーガ。
にこやかな表情の裏に隠された、氷のように冷たい本性をランは知っている。
「あなたがここにいるのは知っていましたからね。こうして一人になる瞬間を待っていたのですが、まさかこんなに早くチャンスが訪れるとは」
「わ、わたしは、わたしは冒険者になりました! もう奴隷には戻りません!」
「奴隷? おかしなことを言いますねぇ。あなたは我が娘、奴隷ではないでしょう」
「そんな……、奴隷同然に扱っておいて何を……」
連れ戻される。
このままでは、連れ戻される。
力で抗おうにも、この男との力の差は絶望的。
「さあ、父と一緒に我が家へ戻りましょう。恐ろしい龍殺しが戻ってくる前に」
「龍殺し……?」
「あぁ、そうそう。龍殺しといえば、何故か彼女、家を出る時首飾りをしていなかったんでしたよね」
ラーガが片手を上げると、彼が従えた従者が一人、屋内へと踏みいる。
戸棚を荒らし、二階へと上がってすぐに。
「ありました、ラーガ様」
ライナが宿った首飾りを手に戻ってきた。
「おぉ、これこれ。これだよ、お手柄だ。これでもう何も怖くない」
紅い首飾りを受け取ると、彼は大事そうに上着のポケットへと仕舞い込む。
「それは、リノさんの首飾り……? どうしてそんなものを……」
「何も知らされていないのですか。その首飾りには、古のドラゴンスレイヤーの魂が封じられているのですよ。我々を殺すしか能が無い、獰猛な女がね」
「う、そ……。リノさんが、龍殺し……?」
「そう。龍人とみるや見境なく殺しにかかる、野蛮な女なのですよ」
「そんな……、そんなのって……」
その事実は、ランを絶望させるに十分な物だった。
それがもし本当なら、もうリノと一緒にはいられない。
「これで分かったでしょう? さ、帰りましょう。ここはあなたがいるべき場所じゃない」
茫然自失、立ち尽くすラン。
鉄仮面の下で、流す涙。
それは誰にも見られることはなく。
ラーガは無理やりに彼女の手を引き、家の前に停めた馬車の中へと押し込んだ。