13 月下の殺戮者
あの日。
バルトが路地裏で奴隷商の男と出会った時。
ゆっくりと歩み寄るラーガを前に、バルトは覆面を脱ぎ捨てて必死に主張した。
「お、俺はバルトだぞ! 龍殺しの勇者だ! お、お前なんかが勝てる相手じゃ……」
「ほう、龍殺し。これはこれは、随分と情けない勇者がいたものですねぇ」
彼の股間から垂れる液体が地面を濡らす様を見やり、ラーガは冷笑する。
が、すぐにその表情は憤怒の形相へと変わり、殺意を込めた目で睨みつけた。
「……ですが、確かにあなたはバルト・フォン・マンゴーシュ。間違いなく、巷で噂の龍殺しだ。つまり、私たち龍人の同胞を殺した男。ますます生かしてはおけませんねぇ」
「ひ……っ!」
殺される。
間違いなく殺される。
心の底から恐怖に染まった彼は、プライドをかなぐり捨てて白状した。
邪龍を討ったのは自分ではない、リノという荷物持ちの少女だと。
「なるほど、リノ、ですか。ふっふっふ、やはりそうでしたか。ですが、貴方を助ける理由にはなりません。丁度、浮浪者の骨ばった肉も食い飽きていたところですしね」
「リ、リノを、アイツを殺すんならよ……、俺も、俺も協力するから、仲間になるから、だから、殺さないでくれぇ……っ」
「……仲間になる。それはつまり、あなたも龍人になる、そういうことでしょうか」
「なっ、なるっ、なるから命だけはぁ……」
「いいでしょう。同胞が増えるのは喜ばしいことだ」
ラーガは自身の親指の腹を噛み切った。
血の滴る指をバルトの胸部、心臓の前に突きつけ、一気に押し込む。
「あ、あががっあがぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
バルトの体内に流れ込む、龍人の血。
ラーガの血が大量に体中を駆け巡り、勇者だった男の体を作り変えていき、そして——。
「どうですか? 気分は」
引き抜いた指の先をベロリと舐め、にこやかに問いかける。
「あぁ、最高だぁ……!」
体に満ちる新たな力に、歓喜の笑みを浮かべるバルト。
こうして彼は、龍人となった。
▽▽
龍人専門の殺し屋。
そう言い放ったリノ——ライナの目は、鋭く冷たい、抜き身の刃の如く。
『ライナ、あなたは……』
「さ、いくよ」
月光を背負ったその姿がぶれ、次の瞬間にはバルトの懐へ。
「なに……っ」
ガギキィッ!!
剣を受け止めたバルトは驚愕する。
先ほどまでのリノとはまるで別人。
その一撃は鋭く、速く、何よりも強い殺意が込められている。
「お前、本当にあの荷物持ちか……っ」
「さあ、どうだろうね」
ニヤリと、笑みを浮かべる。
龍人を殺せることへの喜びに満ちた獰猛な笑みを。
バルトの背筋を、ゾクリと悪寒が走った。
「なめ、るなぁぁぁッ!!!」
その叫びは、自らを奮い立たせるために、得体の知れない恐怖を打ち消すために。
ユニークスキル【筋力操作】を限界まで発動させ、常時筋力をアップするパッシブスキル【パワーブースト】も上乗せして、バルトの腕の筋肉が異常なまでに膨張する。
力に任せてライナの剣を押し返し、
「うおぉぉぉぉぉっ!!」
雄たけびと共に、怒涛の連撃を見舞う。
先ほどリノに見せた時の、更に上を行く速さ。
剣はもちろん、それを振るう手すら残像を残すほどの剣速に、空気が唸りを上げる。
『ラ、ライナ! これ大丈夫なの!?』
「へっちゃらさ。あたしを誰だと思ってんだ」
しかし、当たらない。
斬撃で生じる衝撃波すら、掠りもしない。
鋭い風切りの音だけが、夜の王都に虚しく響く。
「こいつ、なんで当たらねえんだ……っ! 急に動きが……!」
薙ぎ、斬り上げ、フェイントを混ぜての突き。
そのことごとくをひらりひらりとかわされて、バルトは冷静さを失っていく。
「こっの……! いい加減くたばりやがれェェェッ!!」
怒りに任せて繰り出された、大振りの一撃。
回避すれば相手は致命的な隙を晒すにも関わらず、ライナは避けようとせず、細身の刀身で受け止めにかかる。
勝った。
そう確信したバルトはほくそ笑むが。
ズバァッ!
炎を纏った刃が、ダマスカスブレードの分厚い刀身を両断した。
切断面は熱で溶け、嫌な臭いを発しながら煙を上げる。
「魔法剣・フレイムエッジ」
「あ、あり得ねぇ……、魔法剣、だと……!?」
炎・水・風・土。
四属性の魔力を剣に宿す魔法剣。
バルトはリノのユニークスキルが【収納】だと知っている。
絶対にあり得ないはずの光景。
混乱と怒りが渦巻く中、バルトは折れた剣でなおも斬りかかる。
「無駄だって。ゲイルエッジ」
ヒュパッ!
軽やかな音がした直後。
バルトは突然に剣の重みを感じなくなる。
直後、右の手に走る激痛。
「うっ、があああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
右手首から先が、無い。
彼の右手は剣を握ったまま、斬り離されて宙を舞っていた。
滝のように血を噴き出す右腕を抑え、バルトは膝を付き悶絶する。
「ははっ、いいザマだ。こないだの龍は言語能力を失ってたからね。やっぱり悲鳴や苦悶の声を上げる方がグッとくる」
「お、お前、何を笑ってやがる……」
満月を背にギラギラとした笑みを浮かべるライナ。
バルトの表情に恐怖の色が宿る。
「でも、随分よわっちいねぇ。半分も力を出しちゃいないのにこのザマか」
「よわっちい……? 俺が、荷物持ちよりも弱い……? 認められるか、認められるかよォッ!!」
だが、恐怖は怒りが塗りつぶした。
再び立ち上がり、残った左腕の鉤爪を振りかざす。
「おっと」
体を傾け、軽々と交わしたライナ。
すれ違いざまに剣を振るい、左腕を肘から切断。
「うぐぉぉぉっ……!」
両腕を失ったバルトは、無様に屋根の上に倒れ込んだ。
「まだそんな元気があったのか。でもま、今のが最後っぺだろ」
「畜生、認められねえ……。絶対に、認めてたまるか……」
「訳わかんないこと言っちゃってるけど、誰も興味ないから。あたしが聞きたいのは、もっと別のことだ」
戦闘は終わり、拷問が始まる。
バルトを龍人に変えた何者かの存在を聞き出すために。
まずは逃げられないよう、その足首を目がけ、曲刀が振り下ろされたその時。
『ちょっと待って!』
脳内に響いたリノの声。
ライナは寸前で刃を止め、面倒そうに対話に応じる。
「なんだ、リノ。まさか殺すなとでも言うんじゃないよね? こいつは人喰いの化け物。生かしておけば、また誰かが死ぬんだ」
『分かってるよ。ただ、どうしても聞きたいことがあるの』
「……いいさ。どうせもう、コイツは戦闘不能だ」
ライナはペンダントに引っ込み、主導権はリノへ。
怪物に成り果て、両腕を失って這いつくばる勇者。
彼を見下ろしながら、彼女はこの戦いの間ずっと抱いていた疑問を投げかける。
「ねえ、バルト。邪龍から逃げ出すような臆病者のあんたが、死にそうになってる今、なんで逃げないのさ。なんで私なんかを殺そうと、ムキになってるのさ」
「……龍人になってからよ、すっげぇ気分が良いんだよ。元から貴族のお坊ちゃんなんてガラじゃねぇんだ。英雄なんてのも、なってみたらつまんねぇモンだったしな。欲望のままに人を殺し、食らう。最高の日々だったぜ? でもよ、人を食っても殺しても犯しても、どうしても頭に引っ掛かる事柄があってよ、心から楽しめねぇんだ。それが荷物持ち、お前だよ」
憎しみを込めてリノを睨み、恨み言は続く。
「お前を殺さねえ限り、俺は何をしても楽しくねぇんだよ。俺ぁずっと、お前を見下していたいんだ。お前は、お前だけは俺より下じゃなくちゃいけねぇんだ。なのによ、なんでお前そんなに強くなってんだよ。お前が俺より強かったら、俺は誰を見下せばいいんだよ。なぁオイ、答えろよ荷物持ち」
「……なんだそれ、下らない」
「あんだと? 今なんて言った、テメェ」
「下らないって言ったんだよ。なんだそれ、自分勝手に人を見下しといて、思ってたのと違ったって。下らなすぎて怒る気にもならない」
「……っざけんじゃねぇ!! テメェのせいで俺は、俺は……!」
『もういいかい? リノ』
「もういい。後は好きにして」
最後に心底から軽蔑した視線を向けると、リノはライナと入れ替わる。
目の前のリノが冷たい表情から一転、満面の笑みを浮かべ、バルトは底知れぬ恐怖を抱いた。
「さぁて、あたしからも最期に質問だ。あんたを龍人に変えた奴がこの街のどこかにいるはず。その名前と職業、出来れば住所なんかも教えてくれると助かるなぁ」
そして、リノは後悔することとなる。
ライナに主導権を渡してしまったことを。
彼女の中に潜む憎悪、その闇の片鱗を目の当たりにして。