01 勇者は逃げ出した
龍。
ドラゴンとも呼ばれるこの魔物は、他の魔物とは一線を画している。
それは強さだけの話ではない。
百年に一度ほどのペースで突然現れ、人を喰らい、暴虐の限りを尽くし、後に英雄と呼ばれる者に討ち果たされる。
突然湧き出るその時まで、不思議なことにどの場所にも影も形も見当たらない。
邪龍ベルセロス。
数年前、突如としてベルス山の大迷宮に現れたこの龍は、近隣の村々を襲い、村人を喰らい、家々を焼き尽くした。
暴虐を重ねる巨龍を討伐するため、腕に覚えのある冒険者たちが、大迷宮へと挑み続けた。
ある者は、龍が住処に溜め込んだ財宝を得て、巨万の富を得るために。
ある者は、邪龍を征した名誉を得るために。
ある者は義憤に駆られ、またある者は復讐のため。
しかしいずれも生きては帰らず、もしくは心を折られて引き返し、邪龍は依然、野放しのまま。
そして今、新たな冒険者のパーティーが大迷宮へと挑んでいった。
▽▽
迷宮の通路を覆い隠すほどの巨体を誇るロックゴーレムが、大斧の一撃で粉砕される。
宙を舞うレッサーデビルが、火炎魔法によって焼きつくされる。
そして、二体のワーウルフが豪快な剣の一振りで纏めて薙ぎ倒される。
パーティーメンバーの活躍を、リノはいつものように最後列で見守っていた。
「凄い……。戦闘のたびに思うけど、みんな本当に強いですよね、ポートさん」
リノが視線を向けたのは、自分の一歩前で戦局を見守る補助術師、ポート。
回復魔法と補助魔法でパーティーを救うことが彼の使命だが、今回は彼が出るまでもなかったようだ。
「みんな、本気だからね。本気で邪龍ベルセロスを討とうとしてる。もちろん、僕も含めてね」
眼鏡の奥でにこやかに微笑みながら、戦いを終えた仲間のもとへ。
「おっしゃ、一丁上がりっ! 噂の邪龍が潜む大迷宮、どんなもんかと構えてみりゃあ、この程度かよ!」
倒れ伏したワーウルフの頭部に剣を突き立て、獰猛に笑う金髪の剣士。
彼がこのパーティーのリーダー、バルト。
国王から『勇者』を名乗る栄誉を賜った、実力だけは確かな男だ。
「魔物とは言え死者……、礼を尽くせ……」
身の丈ほどの大斧を背中に背負った、身長二メートル強の巨漢がバルトの所業を咎める。
彼の名はオルゴ、パーティーの前衛を務める凄腕のベテラン冒険者。
「なんだぁ? おい、オルゴさんよぉ! 俺が誰だかきちんと理解して、その上で口利いてんだろうなぁ、あぁ?」
「無論、だ……。その上で言っている……」
「ほぉん、良い度胸じゃあねぇか! 伯爵家の三男であるこの俺に向かってよぉお?」
「まあまあ、二人とも。ここは敵地、ひとまず気を鎮めて、ね?」
二人の間にポートが割り込み、仲裁を試みる。
パーティーの補助役である彼は、人間関係の調整も受け持っている。
伯爵家の三男坊であるバルトに武勲を立てさせるため、国中から指折りの人材が集められ、このパーティーは結成された。
しかし、金と権力を笠に着た粗暴な男に、人望などあるはずもなく。
バルトを除いたメンバーは、彼という憎まれ役の存在によって結束していた。
「はぁ、くっだらない……」
ため息混じりに吐き捨てながら、魔女帽を被った白いショートカットの少女が箒を片手にリノの側へ。
彼女の下らない、が指しているのは、バルトの人間的な器の小ささである。
「お疲れ様、アリエスちゃん! 今日も火炎魔法、キレッキレだったよ!」
「いつもと変わらないと思うけど……、ありがと」
アリエスは、あまり感情を表に出さないタイプだ。
リノに褒められても、ほんの少しだけ表情を緩めるだけ。
しかし、彼女の幼馴染であるリノには手に取るように分かる。
アリエスは今、とっても喜んでいると。
「アリエスちゃんもみんなも強すぎて、私なんかがここにいていいのかなって、時々思うよ」
「……リノだって、ちゃんと皆の役に立ってる」
無表情なアリエスの赤い瞳が、少しだけ悲しげな色を浮かべた。
そのわずかな違いは、リノだけが見分けられる。
「リノがいるから、みんな安心して旅が出来る。戦いに専念出来る。リノがいてこその、このパーティだから」
リュックを背負った赤茶髪の少女、リノ・ブルームウィンド。
このパーティーにおける彼女の役目は荷物持ち。
ユニークスキル【収納】により、リノの背負うリュックには容量を無視してなんでも入る。
さらにパッシブスキル【回避】の常時発動によって、彼女は非常に身軽。
戦闘中の流れ弾に当たることは一度もなく、ここまでの旅でかすり傷一つ負っていない。
腕力は常人以下、剣すら満足に持てないものの、この二つのスキルと、おまけに料理の腕前によって、リノはパーティーメンバーからある程度の信頼を得ていた。
「そうかなぁ……。だって、剣も満足に振れない私だよ?」
「戦いだけが役目じゃない。自信持って」
アリエスの分かりにくい笑顔に、リノは勇気付けられる。
そうだ、最後までみんなと一緒に来られたんだ。
私もこのパーティーの一員、もっと自信を持たないと、励ましてくれたアリエスにも失礼だよね、と失いかけていた自信を取り戻したところで。
「オイ、荷物持ちィ! いつまで無駄に喋ってんだ、あぁ? とっとと先行くぞ!」
「は、はいっ!」
「チッ、役立たずの荷物持ちのくせによぉ……! おらっ、どけや木偶の坊!」
その自信は、粉々に崩れ去った。
ポートの仲裁により何とか引き下がったバルトは、オルゴに蹴りを入れて一行の先頭を歩き始める。
「リノ、あんなゴミが何ほざこうが、気にしなくていいから」
「……ありがと、アリエスちゃん」
バルトの吐く戯言よりも、大好きな幼馴染の言葉の方がずっと心に届くはず。
それなのに、彼の暴言が心に刺さるのは、リノ自身がそうだと思っているから。
もっとみんなの役に立ちたい、隣に並んで戦いたいと、心が叫んでいるからに他ならない。
▽▽
バルト率いるパーティーは快進撃を続け、ついに大迷宮の奥深く、邪龍の住処へと辿り着こうとしていた。
一行が迷宮に突入してから、すでに一週間以上が経過。
各人疲労の色は見え隠れするものの、戦闘に支障が出るほどではない。
リノの【収納】による潤沢な物資と、料理の腕前の賜物である。
大迷宮の最後の階段を降りた先、大迷宮の終点。
そこは広大な地下空間。
その広さは向かいの壁が見えないほど。
地面は起伏に富み、ところどころに岩が突き出ている。
見上げれば天井すら見えず、ただ大穴が開き、その先に闇が広がっているだけだ。
恐らく邪龍はこの穴から迷宮外に飛び出し、近隣の村々を襲ったのだろう。
「おい、木偶の坊! お前先に行け!」
「む、言われずとも……。みなの盾となる、それが俺の役目」
バルトがオルゴの尻を蹴ろうとして、その前にオルゴが進み出た。
バルトの蹴りは空振りに終わり、彼はバランスを崩して転びかける。
「チッ、マジでいけ好かねえ野郎だぜ」
「まあまあ」
オルゴの態度にバルトが怒り、ポートがそれを宥める。
いつも通りの光景ではあるが、見ていて気持ちの良いものでもない。
パーティーの陣形は、オルゴが先頭。
その背後にバルトが続き、ポート、アリエス、最後尾にリノ。
注意深く周囲を見回しながら、フロアの中心まで来た時。
ブワサッ、ブァサッ!
大質量の何かが羽ばたく音が上空から迫り、鳥肌が立つほどの殺気が全身を貫く。
「みんな、構えて!」
「俺に指図すんな!!」
ポートの掛け声で、四人は一斉に武器をかまえる。
やがて上方の暗闇から、全身を漆黒の鱗に覆われた巨竜が姿を現した。
五十メートルに迫る巨体、強靭な四肢、一対の巨大な翼。
血のように紅い瞳、鋭い牙が並んだ口からは炎が混じった吐息が零れる。
「これが、ドラゴン……、邪龍、ベルセロス……!」
その辺の魔物とは格が違う。
陣形の最後尾にいながらも、リノは恐怖心で足が竦み、絞り出した声も震えていた。
「ビビってんのかぁ、荷物持ちィ! 俺は違うぜ、勇者だからな。ビビったりしねぇ!」
「待ってください、バルトさん! 無謀です!」
ポートの静止も聞かず、勇者は先陣を切り、巨竜に斬り込む。
ユニークスキル【筋力操作】により、極限まで高めた腕力で敵を豪快に斬り捨てる。
それが彼の必勝戦法。
「無謀なもんかァ、食らえッ!」
高く跳び上がり、急所であろう首を狙って振り抜く剛剣。
肉厚に造られたダマスカス鋼の刃が、
「なんっ……」
龍の甲殻の前にあっさりと砕け散った。
邪龍は痒そうに身じろぎすると、双眸に無謀な勇者の姿を捉え、その口を開いた。
喉奥に魔法陣が展開され、バルトの顔が引きつる。
次の瞬間、アリエスの数倍の威力を秘めた火炎魔法がバルトの全身を包んだ。
「あぎゃあああぁぁぁぁぁっ!!」
「いけない……、スプラッシュ!」
すぐさまアリエスが放った水魔法によって、バルトの体が水球に覆われ、炎は鎮火。
地面に落下すると同時に水が弾け、追い打ちをかけるために龍の足が振り上げられる。
「ひっ、ひいいぃぃぃぃぃぃぃっ!」
彼は、確かに勇者の称号を持っている。
勇者とは勇気ある者、勇敢なる者を指す称号。
しかし彼の場合、勇者の勇は、勇気ではなく蛮勇の勇だったらしい。
「無理だ、勝てっこねぇ、こんな化け物に勝てっこねぇよぉぉぉっ!!」
叩きつけられる足の攻撃範囲から、腰を抜かしながらも命からがら逃れたバルト。
たった一度の攻防で心を折られた彼は、情けない声を上げながら、仲間を見捨ててその場から逃げ出した。
心を折られた勇者を前に、邪龍は追撃を仕掛けず、無様な逃亡劇を嘲笑うかのように口元を歪める。
「に、逃げちゃった、バルトさん……」
「む……、見下げ果てた男だ……」
何度も躓きながら階段を駆け上がっていく勇者の後ろ姿を、リノは呆然と見送る。
人格的には何も褒められるところの無い男だが、まさか敵前逃亡を図るとは。
前衛のアタッカーを失った時点で、ベルセロス討伐の望みは断たれた。
しかし、人食いの邪龍はこれ以上の逃亡者を許さない。
すぐさま残りの四人をターゲットに定め、喉奥から火炎魔法を吐き出した。
ゴアアアァァァァァッ!
迫り来る大火炎を前に、オルゴは隊列の先頭で大斧を構え、オーラを漲らせた。
同時に、アリエスが両足を揃えて箒に腰掛け、空中へと舞い上がる。
そしてリノは、直ちに岩陰に隠れた。
「魔防結界……!」
固有スキル【防壁】。
体内に流れる生命エネルギーを糧として、防御結界を張り出す。
魔防結界はその名の通り、魔力を遮断する結界。
オルゴの防壁が、灼熱の火炎を受け止め、押しとどめる。
「ポート、今のうちだ……!」
「了解です、ヘヴィウェイト!」
続いて、ポートが補助魔法を使用する。
この魔法は直接のダメージこそ与えられないものの、敵の体重を数倍に重くする。
上から押さえつけられるような加重圧に、邪龍の口が閉じられた。
「最後、エクスプロージョン」
アリエスが放つ、大爆発を巻き起こす上級火炎魔法。
爆心地は邪龍の顔面。
ダメージこそ与えられなかったものの、敵は大きく怯み、体勢を崩す。
「今です、バルトさん! ってああ、居ないんだ、逃げたんだった……」
生じた隙を逃さず、眼球に剣を突き立てることが出来れば、大ダメージを与えられただろう。
前衛のアタッカーがいないパーティーは、どうしても決定力に欠ける。
情けないパーティーリーダーに、ポートは思わず天を仰いだ。
『グルルァアアァァァッ!!!』
眼前での爆発が、龍の怒りを買った。
巨大な尻尾が薙ぎ払われる。
オルゴはポートを庇い、巨大な斧で何とか受け止めた。
更に空中を飛びまわるアリエスに向けて、何度も放たれる火炎魔法。
リノは岩陰から戦局を覗きながら、最悪の事態——全滅の二文字を思い浮かべる。
このままじゃ、みんなやられてしまう。
龍はみんなを逃がすつもりがない、前衛のアタッカーがいなければ龍は倒せない。
決意を固めたリノは、岩から顔を出し、全員に呼びかける。
「……みんな! 今から私、バルトさん連れ戻してくる!」