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龍は微睡み、泡沫を夢見る  作者: 白珠
気の毒とは思うが、所詮は他人事
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 最近、視界の端によく引っかかる男がいる。

 その男の名前も素性も、知ろうとする前に知識の中にあった。

 イルファーンは文官なので、彼の中隊に予算を認可したことがあったし、そうでなくともマルータ国随一と言われる剣士のことは噂で聞いたことがあるからだ。


 曰く、スラム出身の身分卑しい男。腕だけはいいが、人品卑しい。

 曰く、敵に容赦なく、味方にも容赦ない狂戦士。

 曰く、貴族の熟女たちからたびたび閨に呼ばれていて、つまりはまあ、アレがものすごいらしい……などなど。


 要するに良くない噂が多い男なのだが、彼が歴戦の騎士であることは間違いなく、周囲から一目置かれ、同時に一線を引かれた存在でもあった。

 イルファーンは二等書記官、つまりは単なる下っ端文官で、有名な騎士である彼と特に知己というわけではない。

 それなのに度々知覚範囲に彼の存在を察知してしまうのは、単純に行動範囲が近いせいもあるのだろう。

 ほかにもそいう相手は大勢いるのだろうが、どうにも彼の存在感が特出しているので気になって仕方がない。

 彼は周囲から頭一つ飛び出るほどに長身で、このあたりの人種よりも肌の色が濃い。

 目立ってしまうのは、髪や肌の色同様に顔立ちや体格もまた民族の違いを感じさせるものだからだ。

 もちろんそれだけではなく、ごく一般的な、魔術的素養のないですら感じ取ってしまうほどの強烈な火の気配を、常時馬鹿のように振りまいているせいでもある。

 要するにイルファーンには熱すぎる熱源から顔をそむけたくなる意味で、彼がいる場所を無意識に察知し避けようとしてしまうのだ。

 今もまた、渡り廊下からギリギリ見える茂みの脇で、もはや見慣れてしまったシルエットが立ち尽くしているのに気づいた。

 立ち止まりはしない。

 しかし無意識のうちに眉間に力を入れて、ちらりと氷雨の降りしきる河川敷を見下ろす。

 意味もなく身体が数歩脇による。もちろん、騎士アサドから遠ざかる方向で。

 彼が風邪をひくとか、まったくもって想像もできないしそんな心配はしない。比較的虚弱体質のイルファーンなら一発で寝込みそうな状況だが、あの熱量を発散し続けている彼には病気も寄ってこないだろう。

 何をしているのか、と気になっても二度見はしない。

 少しでも余計な行動を、そうたとえ目線一つでもよこせば気づかれてしまう気がする。

 いやいや、遠目で視線が合ったからといって一介の文官に何かをするようなことはないだろうが、イルファーンがそういう行動をとってしまうのは、あくまでも無意識に、なのだ。

 冷気が吹き込む渡り廊下ら暖房のきいた官舎に入りながら、これまた無意識に、「またかぁ」と少し口角を上げた。


 彼、ムスタ・アサド一等騎士がイルファーンの知覚に引っかかるとき、彼は常に今にも人を殺しそうな顔をしている。

 ある時は巣から落ちた小鳥の雛を片手に。

 ある時は迷子の子供を誘拐犯さながら小脇に抱えて。(もちろん子供は号泣)

ある時は拾った果実を差し出したままの姿勢で凍り付いて。(落とし主の老婆は今にも泡を吹きそうな顔をしていた)

そして今、冷たい雨が降り続く中、籠に入れられた捨て猫たちを見下ろす表情は、おそらくは単に困惑しているだけなのだろうが、傍目には視線を逸らしたくなるほど「怖い」。


イルファーンは一定の足取りで廊下を進みながら、軽く窓の外を見やった。

探すまでもなく、大量のソレがびっしりとガラスに張り付いてこちらを見ている。

彼らは常にイルファーンの目となるものであり、時に不要なものまで詳細に教えてくれる。生まれた時からそばにいるモノなので今更なのだが、特にあの男についての情報は教えてくれなくてもいいのに、と思わずにはいられない。

目が合った瞬間、ざわりと歓喜の波動が伝わってくる。

一生懸命手を振られて、小さく嘆息した。

「なんだぁ、イルファーン。溜息か? 幸せが逃げていくぞ」

隣を歩いていた同僚のイサカがあくび交じりに言う。

「雨やだなぁ。傘持ってきてないよ俺」

「すぐやむんじゃないか?」

「だったらいいけど」

 イルファーンは「がっかり」とインクでくっきり書かれたような表情をするソレたちから視線を外し、何事もなかったかのように足を進めた。

 書類を持っていないほうの手で、軽く指を編む。

 さざ波のような波動が、風となって広がっていく。

 そしてそれは、冷たい雨をもたらしていた雨雲をほんの少し早く、東へと流していった。

 もちろんそれは、帰宅時刻までに雨がやんでほしいからだ。

 決して、あの顔が怖い騎士と子猫たちの為ではない。

「おいイルファーン、そういえばお前、経理部のサンドラちゃんとはどうなってんだ?」

 悪い男ではないのだろうが、損してるよなぁと件の騎士殿について思いを巡らせていると、こちらも悪い男ではないのだが、どうにもデリカシーに欠ける同僚が声のトーンを抑える気もない様子で尋ねてくる。

 イルファーンはむっつりと顔をしかめ、文官にしては長身の男を睨み上げた。

「……あ?」

「わ、悪い悪い。仕事終わったら飲みに行こうぜ」

「金欠」

「また本か? 給料日からそんなたってないのにいくら使ったんだよ」

「知識は裏切らない」

「うわぁ、聞くのが怖えぇぇ」

 そんなだから女に振られるんだ、と言いた気な同僚からふい、と顔を背け、イルファーンは足早に自席に戻った。

 ちらり、と窓の外を見ると、雨がやんでいる。

 ゆっくりと雲の切れ間から青い空がのぞき、温かい早春の日差しが差し込んでくる。

 なおも話しかけてくるイサカにおざなりな返答をしながら、イルファーンは山と積まれた書類手を伸ばした。

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