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41-2:不穏な影の忍び寄り

「ごちゃごちゃと考えてるようだ」


 男性から思いがけない指摘をされておれは一瞬たじろいだ。ゆったりとした余裕のある口調だった。


「あの。おれ……私は、人間に見えないですか?」我ながらまどろっこしい語り口だ。「つまり、私は人間ではなくて……」


 男性は顔色一つ変えずに泰然とおれを正視している。それがどうしたとでもいいたげに。


 えらくとんちんかんなことをいってるようで恥ずかしくなった。「えっと。水を……飲みたいなと……」


 我ながら話が飛躍しすぎた。男性は横に流れてる川が川だったか確認するかのようにじっくりと視線を向けた。


「あ、どうも……」


 とことこ進み出ながらおれは頭を掻いた。どうもも何も川の水なんだし勝手に飲めばいいんだよな。自分の第一声がぎこちなかったのが尾を引いている。


 わずかに段になっている急流のところに両手を持っていき、透き通った水を溜め、口へ運んだ。冷たくてうまい。思いのほかうまく感じたもんだから「うまい」と声に出していた。さらに手に水を溜めて飲む。


 男性がふっと蝋燭の火でも消すように息を吐き、ふふふと穏やかに笑った。


 笑われてしまった。でも、おかげで完全に壁があるわけじゃないとわかった。再び話しかける隙ができた。


 おれは手の甲で口を拭った。「考えるのは……よくないことですか」


 ユリアにもいわれたことがある。考えすぎ、決断に時間がかかる、等。


「いいや」男性はしんなりと否定した。


 その顔を意識的に見る。緑色の瞳をしている。隣でたたずむ犬と一緒の、思慮深そうな目だ。


「家は大事だ」


「家?」


「ごちゃごちゃした家はよくない」


「……なるほど」


「命取りにもなり得る」


 たとえば、戦の最中にごちゃごちゃ考えてたら、命を落とす危険性もあるってことかな。だとすれば。


「そうですね」


 話してて思うのは、なんかこう、自分の中の信念というものを持ってそうな人だ。


「頭がうるさいなら、心に集中すればいい」男性は一語一語噛みしめるようにして丁寧にいった。「それもだめなら、体を動かすだけ」


「……剣術か何かの教訓ですか?」おれは腰につけてる剣を触って微妙に位置を直した。


 武芸に通ずるような言葉を発したのは、おれの剣を目にしたから、だろうか。


「単なる処世訓もどきさ」


 おれは鼻で深く呼吸をし、そして顎を引いた。「心に、とどめておきます」


 横から風が吹いた。犬のふさふさの耳が揺れ動いた。犬は風などまったく気にしていないような、あるいはヒトが感じ取れない風のなんたるかを肌で感じ取ることに集中しているような、どちらともとれる風情でじっとしている。おとなしい犬だ。おとなしいというより、達観した人が醸し出すような静寂さがある。男性が飼い主だと断定して。飼い主の雰囲気とよく似ている。


「不穏な影の忍び寄りを感じる」不意に男性が遠くを見つめていった。「せいぜい用心を」


 おれは男性の目線に合わせて後ろを振り返った。緑豊かで平穏な景色が広がっている。特に空模様に変化があったわけじゃなし、本人がいう不穏な影というのは目に見えるものを指しているのではなさそうだ。


 もしかしてさっきの迷彩服三人組のことを暗に示しているのだろうか。あり得る。この男性なら、直感的に善からぬものを感じとれる能力があったとしても不思議ではない。


 もし、例の三人組がこの男性と出くわしたら。この男性が手を光らせることを知ったら。人間っぽくない珍しい半人種として、()()をしようとするかもしれない。注意喚起の意味も含めて、さっきおれたちを奇襲した奴らについて伝えておいたほうがいいな。


「あの」おれは視線を元に戻した。「あれ?」


 いない。


 端のほうで草がすれる音がした。犬が草むらへと消える寸前のところだった。犬はおれを横目に見ながらすっと緑の深くに吸い込まれるようにして消えていった。視界の静寂が訪れた。


 別れの挨拶なく急にいなくなった。彼らが離れたことに気づかなかった。水の流れる音が充満してるとはいえ、まったく足音が聞こえないってことはあるのか。


 ひやりと冷涼な風が吹き抜けた。おれは風に動かされるようにして足を前へ出した。きた道を戻る。なんだか、不思議な時間だった。容易には立ち入れない雰囲気をまとっている人だった。悪い人ではなかった。この辺に住んでるのかな。道とか宿の情報とか訊ければよかったんだけどな。


 ユリアはぐたりと横になったままの状態だ。まだ目を覚ます気配はない。空一面を覆う雲はずっしりとそこに居座ってるようで絶えず流れている。不穏な影が忍び寄っているんだとしたら、おれはもっと遠くへ移り動かなきゃならない。


 まだ体力は余っている。この先にもっと身を隠すに適した場所があるかもしれない。何もない僻地でじっとしているよりは、希望を持って行動したほうがいい。




 空が薄暗さを帯びてきた。てくてく歩いてはみたものの山々の息吹が聞こえてきそうな雄大な風物がつづくばかりだ。宿どころか、小屋一つ建物一つ見つからない。人にも会わない。今夜は寂しい野宿を覚悟しなければ。


 林間の程よく痩せた平地にユリアをそっとおろした。茶色のベッドならぬ落ち葉が散乱する地面に寝かせた。おれはその横にごろんと寝転がった。腰、首、腕、が痛い。ユリアをかついでの移動だからさすがに疲れた。時間からいってももう移動するのは難しい。ここで一晩過ごすことになりそうだ。まあ悪くはないところだ。間近に遮る物がないから月明かりがあれば夜目には苦労しないと思う。完全に吹きさらしなわけではなくぐるりには広葉樹が繁茂しているから、いざというときに身を隠すことができる。少し歩けば川だってある。不便さをあげつらえば切りがない中、上出来だ。


 仰向けの状態で手を動かす。胸、腹、太ももの外側を軽く叩く。やっぱりないよな。


 財布をなくした。いつもは懐に忍ばせている財布。空を飛ぶ前にベルトのあいだにはさんでいた。それが、迷彩服三人組に襲われたあたりで落ちてしまったようだ。財布がなくなっていることに気づいたのは、襲撃された場所を離れて少し経ってからだった。探そうにも三人組の近くまで戻るわけにはいかず、あきらめるより仕方なかった。どうせ東大陸ではカネは使えない。カネ自体の損失は大したことない。ただ、財布そのものについては負い目を感じる。母さんがおれのために作ってくれた財布だから。けっこう手間ひまかけて作ってくれたのは知っている。おれの名前まで刺繍して。そんな財布を持ってる野郎なんてレイル島にはいないから恥ずかしいってのに。恥ずかしいから、落としたくなんてなかった。


 喉の奥が引っ張られるようにじんと痛んだ。痛くて目の奥がじわりとしてきた。弱っちいな。今ユリアが目を覚ましたらからかわれてしまうぞ。


 口を開け、喉を冷やすようにして空気を大きく吸い込み、吐いた。いくらか痛みがなくなった。


 きっと、レイル島に帰るにはまだ早いっていうことだったんだな。道半ばで軽はずみな行動に出る愚かさ。こうやって痛い目を見て思い知るなんて、自分の未熟さに呆れてしまう。


 ユリアは寝息すら立てずに静かに胴部を上下させている。


「ユリア。大丈夫だよな。目を覚ましてくれるよな」


 声をかけるたびに貝のように閉じた目が開いてくれればと期待してはいるが、今回も開かず。喜怒哀楽のどれにも属さない、感情と力が抜けきったような顔は、表情豊かなユリアには似つかわしくない。


「お前にもしものことがあったら、おれは……」


 口にまかせるままにいい出してみたものの、つづきの言葉が喉元から上がってこなかった。その代わりに、月ハヤテの心配している顔が頭に浮かんだ。


 ハヤテには多大な心配をかけてしまってることだろう。妹の消息が不明なんて気が気じゃないはずだ。ユリアにもし何かあったら、ハヤテに合わせる顔がない。当然だけど、肉親ってやっぱり他人とはちがう。おれがどんなにハヤテと親しくなろうが、あるいはユリアと親しくなろうが、ハヤテとユリアは友情とはちがう種の、おれとのあいだにあるのとはちがう種の特別な情でつながってるんだ。そして、ユリアはさらにちがった情を、太陽ハヤテに対して抱いていると思う。なんかそういう特別な情ってものに、おれはときどきやるせない気持ちになるんだ。


 がさっと音がした。


 おれは上半身を起こした。


 がさがさと林の中を移動する生き物の音、気配、が前方に広がる広葉樹の茂みの奥から発生している。向こう側に何かいる。動物か、半人種か、人間か、わからないが、明らかに何かいる。


 動きが止まった。こっちの存在には気づいてるんだろうか。おれは唾を飲んだ。茂みの向こうにいる主の正体を確かめたいけれど、動いたら落ち葉を踏みしだく音がしてしまう。こっちの存在を目立たせてはいけない。


 またがさがさと音がした。音とともに正面の茂みの一部の枝葉が揺れだした。待て。こっちにこようとしてるのか。


 おれは立ち上がった。剣の柄に手をかける。枝葉の揺れが激しくなった。その木々の惑乱したようなざわめきにおれの胸も地滑り的にさんざめく。自分の呼吸が速くなっている。


 いっそう茂みががさついた。緑の塊に穴を開けるようにして、主の顔がぬうっと現れた。――剣を抜こうとしていたおれの右手がするりと落ちた。主はおれを見ながら茂みから抜け出した。おれの全身に、火のついた氷が転がるような感覚が駆け巡った。熱いも寒いも同時に体感した。


「あ。あ」


 ほとんど声になってない自分のうめきが聞こえる。


 おれには妥当な心構えがあった。警戒をまとった心構えだ。しかし今、その心構えを軽く飛び越える現実が、容赦なくおれたちの前に立ちはだかっている。現実として起こり得る中での最悪の事態といってもいい。


 大きな体。引き締まった四本の脚。尖った耳。厚いたてがみ。鼻の脇には鞭のごとき長いひげ。野獣の帝王と呼ばれる龍獣が、いくつかの緑の葉を体につけ、射すくめるような眼光でおれを睨まえている。

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