40-2:よからぬ報告
「チコリナット」
翼を広げ、空を切り裂くように飛んでいるチコリナット。あっという間に僕とリャムの近くに着地した。
「大変なことが起こった。ケイとユリアが……」
僕はすくっと立ち上がった。チコリナットの表情、声色。ただならぬ様子だ。
チコリナットは乱れている息を一度飲み込んだ。「おいら、あいつらとちょっと遠くまで出かけてたんだ。そしたら、途中の山際で、人間に、人間にしか見えない奴らに襲われた。そいつらは空に浮いてるおいらたちめがけて矢を撃ってきたんだ」
「矢……」僕の背中がずきりと疼いた。
「なるほど。人間の仕業にちがいないき」リャムが腰を上げた。
「それで、二人は?」
「おいらの手から離れて地上に落下した」
落下という言葉は僕の血の気を引かせた。
「ケイは葉っぱが茂る木の中に落ちた。ユリアは巨大なキノコの上に落ちたように見えた。けがの有無や程度は読めない。ユリアに関してもう一つ心配なのは、落下の間際に、ユリアの腕かどこかに矢が刺さったような感じがしたことだ」
風がざわざわと揺れた。
「人間らしき奴ら三人が何度も矢を放ってくるんで、おいら一人じゃどうにもできないと思った。それで、ケイとユリアの無事を確かめないまま、助けを呼ぶために逃げてきたんだ。二人を置き去りにしてしまって……すまねえっ!」チコリナットは深く頭を下げた。
僕は彼のそばへいき、その肩に手を置いた。「賢明な判断だよ。知らせてくれてありがとう」
「ハヤテ……」チコリナットが顔を上げた。目が潤んでいる。
「狙いはチコ坊だったんじゃ。珍しい動物や半人種を手に入れようとしてるんじゃろ。見た目が人間でしかない二人はよくも悪くも放置されてるじゃろうね。そいつらに人さらいの趣向がなければの話じゃが」
僕は唇を固く結んだ。いずれにしても深刻な事態だ。
「現場に向かいたい。チコリナット、案内してくれるかい」
「もちろんだ」
「当然うらもいくけえ。人手は多いほうがええ」
「よしっ。お前たち二人を運ぶ。おいらの手を握ってくれ」
「待ちなさい、チコリナット」
さっと風が吹き抜けるような感じだった。過剰な力みはないながらも自然と人を圧するような底の強さを含んだ声が横からした。
「シトヘウムス」チコリナットは一瞬たじろいだ。
林の中からシトヘウムスさんが歩み出てきた。常に難しいことを考えていそうな理知的な顔が、さらに悩ましげにひずんでいるように見える。
「お前があわてて飛んでいるのが見えて追ってきた。話は聞かせてもらった。リュデュストス様は不在。私が判断を下す」
僕とリャムへ向けて伸ばしていたチコリナットの手の力がゆるんだ。ふだんは対等に接してるといえど、こういう場面での彼らの力関係ははっきりしているんだ。
「今回の件は底知れず危険。お前の力では不十分だ」
チコリナットが「そんな」と焦った直後に、底の強い声で「よって」と付加された。
「私も同行する」シトヘウムスさんが表明した。「人手は多いほうがいいのだろう」
僕は思わず弾みのある息を漏らした。「ありがとうございます」
「おお。隊長さんも一緒なら心強いけえ」
「おいらはいっちゃだめだっていわれるのかと思った」
「揉め事が起きた場所はどこだ」
「……北西グレクサングル領の、シャルゲル地区」
僕からすれば耳に馴染みのない地名だ。
「どこに向かおうとしていた」シトヘウムスさんの目元が険しくなった。
チコリナットはうつむいた。「レイル島」
「レイル島!?」リャムが驚きの声を上げた。
表にこそ出なかったが僕も驚いた。その名前が出てくるとは思わなかった。
「レイル島の近くまでいこうとしてた。見るだけのつもりだった。シロハゴロモの花が咲いてるだろうし、気分転換にいいかなって、おいらが二人を誘ったんだ」チコリナットは申しわけなさそうにいった。
チコリナットの提案にしても、ケイとユリアに乗り気がなければ実行には至ってなかった。二人の心のどこかに、故郷に帰りたいという願望が少なからずあったということだろう。
「ハヤテに心配かけたくないと思って、何もいわずに出かけた。なのに、もっと心配をかけることになってしまって……反省してる」
「ともかく」シトヘウムスさんが裁断した。「後でリュデュストス様からお咎めを受ける覚悟だけしておきなさい」
チコリナットはさらにうな垂れた。
シトヘウムスさんの体が僕とリャムのほうに向いた。「丸腰で急くのは得策ではない。我々は準備をしっかり整える必要がある。お前たちはいつものように武器と防具を装備せよ」
「はい」
稽古のために剣も革鎧も外していた。稽古を終えた今となっては無防備そのものだ。
五分後に小屋の前で落ち合うことにし、いったんシトヘウムスさんとチコリナットと別れた。
小屋へと戻った。僕とリャムはそれぞれ準備にかかる。僕はベッドの近くに置いていた茶色い革鎧を手に取った。
「兄貴。念のため伝えておきますが、福耳団の仕業ではないですけえ」薄い布を隔てた隣の部屋できびきびと動いているリャムがいってきた。
僕は革鎧に首を通す。「わかってるよリャム」
「矢についてのうらの見解なんですが」
「うん」
「チコ坊たちを襲った人間らしき三人は半人種や動物を狩るのが目的と判断して、そういう場合は相手の動きをまず封じる手段に出ます。眠らせたり麻痺させたりなど。チコ坊たちを狙った矢は、高い確率で毒矢ではないかと予想します」
「……なるほど」鎧の脇腹部分の帯革を締めた。
「毒矢であれば、おそらく闇の経路で入手した毒剤を使ってるはずですけえ。うらたち福耳団のように公に毒矢の使用が認められるなんてのはごくまれです。裏で取引されてるのなんて様々なんで、粗悪品もあれば強すぎるのもありますし、一言に毒矢といっても一概にこうだとは断言できません。そいつらが適正に毒矢を扱えるのかは不明ですし、場合によっては――」
よどみなく話していたリャムがぷつりと言葉を切ったので、僕は反対の脇腹の帯革を調節していた手を止めた。
「場合によっては? リャム」
リャムがマントを羽織る音がした。黒地に大きな福耳の絵が描かれているマント。福耳団の象徴である。
「場合によっては、毒の種類や量によっては、命の危険性がないとはいいきれないですけえ」




