39-3:襲撃
煙に近づいていく。火が見えた。火事ではない、とおれが判断したのと同時にチコリナットが空中で立ち止まった。おれと同じ判断をしたんだろう。
「焚き火かな」おれの推測。
「うん」横のチコリナットとさらに横にいるユリアが少し先を見下ろして声をそろえた。
むき出しになってる地面の一画で焚き火くらいの規模の炎が燃えている。火のまわりは小石で囲んであって薪がくべられてあって、どう見ても何か目的があって火を焚いているようにしか見えない。従って火事ではない。
「だれもいないみたいね」
「そうだな」
「こんな場所で火をつけっ放しにしとくなんて危ねえな」チコリナットはちょっと怒っている。「消していこうぜ。火事になったら大変だ」
すうっと斜め下へ下降し始めた。ん、とおれは声には出なかったけど喉の奥を揺らした。焚き火からある程度離れた木の陰にて一瞬何かが見えた気がした。
「なんか今あの辺が動いた」おれは左手で指差した。「焚き火の犯人かな」
チコリナットが再度空中で立ち止まった。注意深く見るも眼下の風景に特に動きはなく、焚き火以外はしんとしたものである。
「気のせいだったかな」
「動物かもしれねえな。この辺にはたまに――」
突如、注目してた木を含めたいくつかの樹木の下から数人が飛び出した。迷彩服を着た人間っぽい三人。全員の手に弓。こっちへ向かって差し上げている!
「矢だ!!」
おれが叫ぶのと同時に矢が放たれた。物凄い勢いで飛んでくるそれは、まるでそれ自身が意志を持っているかのように正しい軌道でおれたち突っ込んでくるように見えた。おれは無我夢中でよけ、チコリナットも機敏に対応し、矢からは逃れたが、しかし運動の方向のちがいでチコリナットとつないでいた手が離れた。
魔法がぷつっと切れたように、あるいは大地が沈んでいるわけを思い出したかのようにおれの体は浮いていられなくなった。大地が引っ張る。伸ばした右手は空気だけをつかむ。チコリナットの白い手が急速に離れていく。
「ケイ! ユリア!」
ユリアもか――。
ザザザザと背中に枝と葉の感触が走る。樹木を伝って滑り落ちていく。おれは両腕で顔を覆って防御した。体が一本の枝の上で止まった。が、すぐにぐらりと崩れて再び空中を降下。どしゃりと地面に落ちた。
手で地面の土を触る。落下劇は終わったか。けっこうな高さから落ちはしたが、いったん木の枝に引っかかったことで最終的な落下衝撃は軽減された。
それでも体が痛い。起き上がるまで少し時間がかかりそうだ。ユリアも落ちたようだけど無事か。
「――だな」
ハッとした。男の声。
複数の足音が響く。こっちへ近づいてくる。矢を撃った奴らだ。
「肝心の翼の生えた奴は取り逃がしか」機嫌の悪そうな声だ。
隠れたほうがいいのか。いや、今動いたところで隠れるのは無理だ。下手に動かないほうがいい。
「あーあ。惜しみなく毒矢をぶっ放したってのによう」
毒矢!?
胸が騒いだ。
おれはうつぶせになった。腰につけてる剣が奴らから見えないようにする。そして目を閉じる。気絶しているふりをしてここはやり過ごすしかない。
草を踏み散らす音を立てながら近づいてきた複数の気配は、おれを囲むようにして立ち止まった。やっぱり三人のようだ。
「人間っぽいですね」
「人間の女かよう。へへへ。どうするよう」
「バカ野郎。ここは東大陸だ。どう考えたって半人種だろ。見た目人間そっくりの半人種だっていやがるんだ」
「そうだったよう。鳥人族と一緒に飛んでたんだ。こいつぁ半人種だよう」
「放っておけ。もう一匹、確認するぞ。あっちのほうに落ちたな」
ユリアのことか。
遠ざかる気配があったので目を開けた。三人とも迷彩服で、弓と矢筒を所持、頭には頑丈そうな緑色の帽子を被っている。おれは奴らを観察しながら起き上がった。足音を立てずに後を追う。三人ともそれなりに体格がいい。先頭を歩いてる奴は腰まである長い髪を三つ編みにしている。
空を見上げる。チコリナットの姿はない。うまく逃げられたんならそれでいい。矢の餌食にならなくてよかった。
「いたぞ」
三人は足を止めた。おれは木の幹から顔だけをこそっと出してのぞく。あいつらの後ろ姿や草木が壁となってユリアを確認することができない。
「お嬢さんよう、巨大キノコに救われたんだよう」
奴らがユリアに何かするようであれば飛び出す。
「この女も人間そっくりですね」
「チッ。しょうがねえ。こっちも捨て置け」
ユリアの反応がない。意識を失ってるのか。
「いくぞ。もっと人間くさくねえ珍しい半人種を狩るんだ」三つ編みの男がほかの二人に指図した。
「了解」
三人は奥のほうへと歩きだした。とりあえずややこしい事態にはならなくて安心した。
ふと、三つ編みの男の頭が振り返るような動きを見せた。おれはぎくりとして顔を引っ込めた。
こっちを見たのか? 見つかったか? おれは体で木の幹を強く押す。なるべく一体化したい気持ちがあるのかもしれない。
「火を消していくぞ。火事になったら面倒だ」
三人はこっちとは別の方向へ進んでいった。おれはほっと息を吐いた。
会話から察するにあいつらは西大陸からきた人間でまちがいない。半人種を狩るとのたまっていた。タチの悪い奴らだ。
奴らの気配が消えた。奴らが集ってた場所へと駆け寄った。いた。ユリア。白い巨大なキノコに体を沈めて仰向けに倒れている。眠っているような顔だ。
呼吸はしている。気を失っているだけだ。
「ユリア」
声をかけたが反応はない。
「ユリア。大丈夫か」
ユリアの肩を叩いた。起きない。おれはユリアの肩をつかんで強く揺さぶった。
「ユリア。ユリア」
だめだ。目を覚ます兆候がない。一抹の不安がよぎる。
おれは立つ位置をずらした。「あっ」
大福キノコを形成している無数の傘の一部が赤く染まっているのに気づいた。出どころはユリアの右腕だ。肘の上部に人差し指ほどの長さの傷があり、血が出ている。この数分のあいだにこんなに切れ味のいい外傷ができるとは、原因として考えられるのは一つ。矢がかすったんだ。
――惜しみなく毒矢をぶっ放したってのによう――
毒矢。さっきの奴らはたしかに毒矢といっていた。
ハーメット領付近で福耳団に襲われたときのことがよみがえる。あのときも毒矢だった。毒矢が命中したハヤテは意識を失った。しばらく目を覚まさなかった。
遠くで男たちの笑い声がした。さっきの奴らだ。半人種を狩っている奴ら。もしおれたちが化体族だって知ったら……。
おれはがらんとした空を仰ぎ、そして視線を落下させた。ユリアは大きなベッドで熟睡してるようにも見える。だが事態はそんな安穏としたものじゃない。自分の判断の甘さを思い知った。安気に遠くへ遊びにいくなんて。これ以上はぬるい判断をしている場合じゃない。おれは拳を握りしめた。




