39-2:空をぶっ飛び回る
無難に考えていかないほうがいい、というのが正直なところだ。気分転換にはなるだろうけど、何か不都合があったときのことを考えればあまり突飛な行動に出ないほうが得策だとは思う。でもこんなこぢんまりとした理屈でユリアを説き伏せるのは無理だ。ユリアはいくと決めたからにはいく。ユリアを一人にするわけにはいかない。
「あんたはいつも決断に時間がかかるわね」
慎重っていってくれよ。……慎重とは無縁なユリアはどんな冒険を冒すかわかったもんじゃない。やっぱり歯止めとしてだれかがついてないとだめだよな。
「チコリナット。遠くから眺めるだけだよな?」
「おう」
「絶対に上陸はしないよな?」
「しねえよ。ややこしくなるもん」
上陸はチコリナットにとっても不利益ってことだな。それならまず実行しないだろう。
「向かってる最中に雲行きが怪しくなったらすぐ引き返すよな?」
「もー、しつこい! 早く決めなさいよっ」
おれは口をゆがめて耳をふさいだ。「わかった、いくよ。いきます」
「よっし。そうこなくっちゃな」チコリナットがうれしそうに拳を握りしめた。「何かあればすぐ引き返す。面倒が起きてリュデュストス様に叱られたくねえから」
わんぱくが板についているだけにその辺の判断は信用して大丈夫だろう。
「そうと決まればさっそくぶっ飛び回るわよ」
「ハヤテに知らせなくていいのか」チコリナットが小屋の方向に顔を向けた。
「いいわよ。いちいち知らせなくても」
意外な反応におれはユリアの表情を確認せざるを得なかった。
ユリアは取り澄ましたような顔を作った。「あんたがいったんでしょ。兄離れしろって」
「あ、ああ。いったけど。なんかちがう気が」
「知らせればお兄ちゃんは心配するだろうし、はちまき男は自分も連れてけっていい出しそうだわ。黙ってたほうがいいわよ」
「うん……」おれも小屋の方向に目を向けた。
――ユリアのためを思うんだったら、お前はもっと厳しさも覚えなきゃだめだろ――
正直、今はハヤテと顔を合わせづらい。
チコリナットに確認する。「今日中に帰ってこられるよな?」
「もちろん」
「よし、わかった。このまま出発しよう」
「鷲だわ!」
おれたちから家一軒分くらい離れた横を、頭部の白い鷲が飛んでいる。鷲は注目されてるのに気づいたのか、すいっと方向転換して離れた。
「かっこいいわね。またね!」
ユリアはさっきから鳥やら地上の生き物やらを発見してはうれしそうに声を上げている。空の旅に出て元気になったようだ。高い場所が得意ではないおれでさえ気持ちよく感じてるんだ。怖いもの知らずのユリアはさぞかし爽快な気分だろう。
「たしかにこれ以上はない気分転換だな」おれは右手をつないだ先にいるチコリナットに話しかけた。
「だろ。もんもんとしたときは飛ぶのが一番だ」
風に乗り、風を切り、大空を飛翔する。力まずとも体がすいすい前へ進んでいく。チコリナットの気によって飛べているわけだけど、体が水に浮いてるみたいに地上ではあり得ない形で安定してるから、おれ自身が空中に浮かぶ能力があるような錯覚になる。そして動いているのはおれたちではなく景色のほうだという錯覚さえ起きる。そういった錯覚が高所にいる恐怖を鈍らせているのかもしれない。
「空から見るレイル島ってどんなんかしらね。本当に地図と同じ形をしてるのかしら」
ただ飛び回りたいだけだっていってたけど、なんだかんだでユリアはレイル島にいくのを楽しみにしてるようだな。仕方ない。とことん付き合ってやろう。
「チコリナット。回転することってできるか」
「回転?」
「横にぐるっと、寝転がるように、一回転できる?」
「もちろんだ。何回転でもできるぞ。しっかりつかまってろよ」
おれのお遊びの提案を飲み、チコリナットは速度を上げてぐるりと体を横に回転させた。チコリナットの両手の先にいるおれとユリアは空中で浮かんだり沈んだり、まさに振り回され、空と大地が入れ替わるその光景におれは子供の頃親しんだどんな遊具よりも恐怖と興奮を混ぜ合わせた鋭いわくわく感を湧き上がらせた。
きゃははとユリアの笑い声が響く。大きい笑顔になってる。目は三日月型で、口は思いっきり歯が見えるくらい開いてる。本当にいい笑顔をするよな。腹が立つけど、やっぱり可愛いや。
チコリナットは前方にも回転しておれたちを楽しませてくれた。
「海に出たら水面ぎりぎりを飛んでやるよ。水面を歩くのもいいな」
「クジラに会えるかしら」
「運がよければ会えるぞ」
ユリアは「やった」とクジラに会えるのが確定したかのように喜び、クジラクジラと歌を歌い始めた。おれとチコリナットは目を合わせて微笑んだ。
「鳥人族は陸も空も海も遊び場になっていいな」おれはチコリナットとつないでないほうの手を大きくぐるっと回し、至るところが遊び場だよなと手振りで語った。
「海の中では遊べねえぞ。息がつづかない」
「はは。それはおれたちと同じだ」
「海の上も、実際には鳥人族はあまり遊び場にはしねえぞ。海は人間が現れる場所でもあるってんで、海に近づかない奴もいる」
「ああ、なるほど」
「でもおいらからすりゃ、海は人間と鉢合わせしにくい場所だ。人間は沖では必ず船に乗るだろ。船は遠くからでも目につく。だから近づかずに済む。海は人間の存在を見つけやすいし、避けやすいよ」
「ああ、たしかにな」
「ねえ、あの白いの何?」
ユリアが指を伸ばしたのでそっちの方向に視線を移した。山間に、真っ白ではないけど色としては一番白に近くて丸っこい形をしている何かが見えた。大型動物くらいには大きい。まったく動かないから動物ではないようだ。
「キノコの一種だ」チコリナットが答えた。
「キノコなの? 巨大ね」ユリアが驚きをにじませていった。
「同じ場所から大きなキノコがたくさん生えてるんだ。それが重なって重なって一つの巨大なキノコになってるんだ」
「あ!」おれはピンときた。「大福キノコっていわれてる?」
「そうだ」
「昔本で読んだよ。へえー。本当にあるんだな」
「一応食べられるらしいぜ。巨人族が食うんだってさ」
「そうか。あれだけ大きけりゃ、巨人族も満足だな」
「あれはまだ小さなほうだ」
「あれで?」
「もう少し西にいけばもっと大きな大福キノコがいっぱい生えてるぞ。いってみるか?」
「いくわ!」
ユリアが毎度のごとく興味を示したが、おれは乗り気がしない。
「帰りが遅くなる。真っすぐいこうぜ」
チコリナットがおどけるように肩をすくめた。「ほんの十分二十分三十分程度の差だよ」
「どんどん増えてるぞ」
「少しの寄り道くらいいいじゃない。せっかくなんだから楽しんで出かけるべきだわ」
毎度のごとくユリアに丸め込まれて向かうことになった。まあ、とことん付き合ってやるつもりだったし、仕方ない。
徐々に大福キノコを見かける頻度が高くなってきた。持ち帰って食べてみようかなんて冗談っぽく話していたおれたちはふと会話を止めた。山のふもとのあたりから一筋の煙がのぼっていることに気づいたからだった。
「火事か?」チコリナットの声が険しさを帯びた。「いってみよう」




