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38-3:不機嫌

 僕は声をかける。「ユリア。王宮へ向かう日が決まったよ。四日後に、シトヘウムスさんとチコリナットが天王のところへ連れてってくれるって」


 ユリアは小さくうなずいた。


「元気ないな。何かあったのか」チコリナットがユリアを心配する。


「別に何もないわ」ユリアの声は明らかに元気がなかった。


「具合が悪いのか? おいら、いい薬草を持ってるぞ」


「必要ないわ」


「茶があるけえ」リャムが声をかける。「あったかい茶を飲んだらどうじゃ」


「いらない」


「まあまあ。晴れて王宮へいけることを祝ってみんなで乾杯と――」


「いらないってば。化体族でもなんでもない部外者のくせにうるさいのよ」


「ユリア」


「なんだよ、そのいい方」


「あー、いいですけえ兄貴。ケイも。大丈夫じゃ。茶を飲みたくない気分のときもあるけえね」


 場慣れしている。人によっては揉め事につながりかねない雰囲気だったのに、リャムはうまく流した。


 僕は入口に立ったままのユリアに目を向けた。「ユリアは疲れてるみたいだね。ユリア、今日は何もすることがないから休んでていいよ」


 うん、とかろうじて聞こえる程度の返事が返ってきた。ユリアはとぼとぼと歩き、隣の寝室へと消えた。


「そういや、昨日ユリアはメルギール様のところまで走ったんだったな。そりゃ疲れるよな」チコリナットがいった。


「いや。昨日どれだけ疲れようが今日の肉体には影響がないんだけどな」ケイがややつっけんどんに説明した。


 寝室との仕切りはなんせ薄い布なんで、こちらの会話はユリアに筒抜けだ。


「そういうものなのか」チコリナットが感心したように首を上下させた。


「うん。でも、旅は肉体的な疲れだけでなく精神的な疲れも出てしまうものなんだ。知らない場所で不意の事態に襲われることもあるから、どうしても気が張ってしまうしね」


「ああ、なるほどな」チコリナットは今度は僕に白い顔を向けてこくこくとうなずいた。


 会話が途切れた。


 チコリナットは残っていた紅茶を飲み干し、空になったカップをテーブルの中央に置いた。「そんじゃおいらはそろそろいくよ。用があればいつでも声をかけてくれ」


「ありがとう、チコリナット」


 チコリナットは隣の椅子に置いていた小さな鞄を手に取った。「あ、そうだそうだ。これをお前たちに見せたかったんだ」


 鞄の中から彼が取り出したのは、四角くて青い、書物のようだった。


「本?」


「そうだ」


 差し出された本を僕が受け取った。青色の厚い表紙には、題名であろう、文字のような絵のような墨字が綴られている。


「僕は鳥人族の文字は読めないよ」


「見てほしいのは表紙の裏だ」


 僕は表紙をめくった。


 スコン――、と斧で薪を割ったような音がした。テーブルの上に本が落ちた音だった。


「おっと。気をつけろよ」


「ごめん……」僕の目は、本でもだれでもない一点を見つめて動かなかった。


 ある種の衝撃があったのだ。表紙をめくり、紙に貼りついていた()()を目にした瞬間、僕の両手は力がなくなってしまったようで、気づけば本が僕の手を離れて落下していたのだった。まだ両手が本を持つ形になっていたことに気づいて、僕は心の中で苦笑いをし、手を下げた。


 ケイが本を拾い上げた。表紙をめくる。「お。紫の花の、押し花か?」


 リャムが横からのぞき込む。「なんじゃチコ坊。押し花を見せたいって、乙女みたいなやっちゃのう」


「その花、ノエルからもらったんだ」


 しんとした。小屋の中の時間が止まったかのようだった。


「ノエルの大好きな花だったんだ。セスヴィナ領の森によく咲いてる。おいらもその花が大好きなんだ」


「……そうだったのか。きれいな花だな」ケイは本を閉じ、チコリナットに返した。


「だろ。ノエルの形見だ。大事にするよ」


 今度こそ会話が終わった。チコリナットは帰っていった。


 チコリナットと入れ替わるようにして寝室からユリアが出てきた。彼女は僕たちが集っているテーブルの前を足早に通り過ぎた。


「ユリア?」


「外に出てくる」


 また? 散歩してきたばかりなのに。


「待ってユリア」


 僕の呼びかけに彼女は玄関の戸の前で立ち止まった。


「僕も一緒にいこうか?」


「放っておけよ」


 ケイの素っ気ない意見が僕の背中に貼りついた。


「いい。一人でいく」ユリアは僕の顔を見ようとはしない。


 ケイ、僕、ユリアと、一方向に異なる空気が流れる。


 だだをこねるのは珍しいことではないけれど、それにしてもこうも活気が感じられないとなると、放ってはおけない。


「具合が悪いんであればチコリナットから薬草をもらってくるよ」


「大丈夫だって。気分的なものなんだから。――ユリア。お前、天王や神様と会うときには機嫌直しといてくれよな。そんな態度だったらうまくいくものもいかなくなる」


「ケイ」


 穏やかでない雰囲気が小屋を包む。ユリアはいい返す素振りもなく黙っている。これこそ調子が悪い証拠だ。


「ユリア」


「放っとけって」


「もし何か気に病むことがあったらいって。僕にできることがあればするよ」


「ハヤテ。お前もお前だ。甘やかすな」


 僕は吸い込まれるようにしてケイに視線を向けた。


 ケイの眉頭に不穏な影が浮かんでいる。「お前が心優しい奴なのはよく知ってる。でも優しいだけじゃユリアはいつまで経ってもお前に甘えるだけだ。ユリアのためを思うんだったら、お前はもっと厳しさも覚えなきゃだめだろ」


「お兄ちゃんを責めないでよ」ユリアの声にいくらか覇気が戻った。


 しかし、現状での反論は望ましくない。


「だったらハヤテに迷惑かけないように成長しろよ」ケイの語気がいよいよ荒くなった。「お前がすねたり自分勝手を起こしたりしてまわりを引っかき回すから、兄であるハヤテに責任がいくんだ。不機嫌になればハヤテにかまわれるってことに味を占めるな」


 厳しい言葉だった。


 僕は直接批判されたわけではない。しかし、その僕の胸をも突く鋭利さがあった。ユリアにはもっと痛切に刺さったことだろう。


「あー……、いいよ。おれが外に出る」


 ケイが椅子から立ち上がるのと同時に、ユリアが戸を開けて飛び出していった。


「ユリア」ケイはため息混じりにいって、外へと駆けだした。


 僕も追おうとした。が、体を前に出そうとした瞬間に肩に手を置かれた。振り返る。リャムが物柔らかに微笑んでいた。


「ケイにまかせときましょ」


 僕は一度リャムから視線を外し、ぼんやりと何かを見、そしてリャムに視線を戻してからうなずいた。


 リャムは唯一客観的に事の次第を見ていた。こういう状況下では、客観的な人の意見ほど判断材料にすべきだ。リャムのいうとおりにしない手はないと、僕は自然とそう思った。


 窓から外の景色を見た。二人の姿はもう見えなくなっていた。

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