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3-3:ハヤテとケイの決意

 ムゲンさんは一拍置いてからいった。「ハヤテは生まれつき運動能力が高く勘がよかった。負けず嫌いな性格だからがむしゃらに努力するしな。そして()()鍛えることができる」


「すべての条件がそろっている感じですね」


 おれは斜め後ろに顔を向けて神ノ峰を一瞥し、それも当然か、と心の中でつぶやいた。


「ケイ。お前もすぐに強くなる」


「……え?」


「遠征のあいだに心も体ももっと強くなるさ」


「そうかなあ」


「島を離れて知らない土地へ足を踏み入れれば必ず成長する。嫌でもな」


 嫌でも、か。ムゲンさんの発言となると重みがある。


 ムゲンさんは西大陸にも東大陸にも何度も出かけたことがある。旅からは多くを学べるとムゲンさんは語っていて、それは事実にちがいないが、その分大変な体験もしている。命を狙われそうになったのは一度や二度ではないらしい。それでもまた旅に出たくなるのは性分だな、といつだったかムゲンさんが微苦笑を浮かべながらいってた姿が目に焼きついている。かっこいい大人だなと思った。ムゲンさんはハンサムと呼ばれるような見た目ではないけれど、まわりの大人よりも――どんなに顔が整ってる青年よりも――断然かっこいい。男が惚れる男だ。




 ハヤテが姫とともに戻ってきた。午後は素振りから始まり、それから午前と同じように打ち合いをした。十分に汗をかいたのち、原っぱに座り込んで先日ムゲンさんが大公の御殿を訪れたときの話などを聞き、お開きとなった。ムゲンさんが先に帰った後も、おれたちは師匠との久々の稽古で高揚した気分を抑えきれず、すぐにはその場を離れられなかった。それぞれ自主練習をし、日が沈んだのをきっかけに引き上げた。


 ハヤテと姫と並んで歩く。ハヤテはズボンのポケットから懐中時計を取り出して文字盤を見た。時刻を尋ねた。夕飯に最適な時刻になっていた。


「今日のご飯は何かなあ」腹が減っていたのでなんの気無しに口をついていた。


 ハヤテは懐中時計を真上に放り投げ、手のひらの位置を変えないまま受け止めて「シチュー」といった。「昨日の残りもんだ」


 おれは拳を握りしめた。「やった。おばさんのシチューは絶品だからな」


〝太陽の日〟にはハヤテの家で夕飯を食べるのが習慣になっている。その代わりに昼はうちの母さんがハヤテの分の昼飯を作る。


 一人で食事なんて寂しいだろうから一緒にいてあげなさい。両親からそういわれている。ハヤテへの思いやりが第一にあるのはちがいないが、自分たち夫婦の時間を持ちたいという思惑もあるんだろう。子としては気色悪いが目をつぶってあげなきゃならない。両親がいちゃつけるのも〝太陽の日〟だけなのだから。


 ハヤテの家に着いた。


 家の脇に建てられている小屋の中に姫を入れた。隅っこで一匹の豚が眠っている。挨拶しようと思ったが、気持ちよさそうに寝ているので起こさないことにした。ハヤテは姫に「後でまたくる」と声をかけて小屋を出た。


 外は明かり一つない。この家から最も近いお爺さんの家までも三分くらい歩かなければならない。よって、ほかのお宅の声なんて聞こえないから、静かなもんだ。


 ハヤテが家の玄関を開けた。


「親父ー。いるか親父ー」


 返答はない。屋内は暗くてしんとしている。


「まだ帰ってきてねえな。どこをほっつき歩いてんだか」ハヤテは独りごちた。「まあいい。そのうち戻ってくるだろ」


 当人はすたすたと家の奥へ進んでいった。


 おれは「お邪魔します」とだれにいうともなくいって玄関の戸を閉めた。


 ハヤテが台所のランプに火を灯した。おれはその後ろを通って居間に抜けた。居間のランプはおれがつけた。慣れたもんだ。


「鍋を温めるから適当に座っとけ」


「了解」


 四人掛けテーブルの水色のランチョンマットが敷かれている席に腰掛けた。ふだんはユリアが座る場所だ。ユリアはピンクや白といった女の子らしい色を好まないので、こういう色のランチョンマットを使っている。あの子はどうも男勝りなところがあって、とサユリおばさんがうちの母さんにぼやいていたことがあった。だんだんと女性らしくなるわよ、と母さんが宥めたが、サユリおばさんは、どうだか、と否定的だった。おれはどちらかといえばサユリおばさん側の考えだ。


 ほかほかのシチューが盛られた皿をハヤテが持ってきてくれた。スプーンも添えてある。「冷めないうちに食え」とテーブルの上に置き、ハヤテは台所へ下がっていった。


 おれはだれも見ていない中で表情を変えた。眉を上げ、閉じた口内に空気をちょっと溜める。どういう心情の表れかというと、「ずるい奴」という意味だ。態度がデカくて口が悪いくせにこういうことをさらりとやってのける。ずるい、ニクい奴だ。


 パンを切っているハヤテの横顔を盗み見た。やはり認めざるを得ない。


 あいつはかっこいい。


 そして、すごい。


 容姿も、背丈も、腕力も、剣も、弓も、足の速さも、声の大きさでさえも、おれより上回っている。歳は同じだけど身体におけるほとんどの能力が一歩も二歩もおれより、というか、同年代のだれより先を進んでいる。


 おれがハヤテに勝てるものなんて、すぐに思いつくのは雑学の量くらいか。父さんの影響で小さい頃から本を読んでいるからだ。あと、おしゃべりの量。あまりかっこいい勝ち方じゃない気がするのはなぜだろう。


 ハヤテのようになれたら、っていつも思ってた。実際ちょっと真似してみた時期もあった。なれなかった。真似してできるものじゃない。なろうと思うこと自体おこがましかった。ハヤテは生まれつき、いや、生まれる前からおれたちとはちがう存在なのだから。


 ハヤテがパンを載せた皿と自身のシチュー皿を両手に持ってこっちへ移動してきた。目が合った。


「何じろじろ見てんだよ」ハヤテが怪訝そうな顔で訊く。


「お前はかっこいいなって」おれはちょっとふざけた口調でいった。


「気色わりぃんだよ」


 ハヤテは皿をテーブルに置き、腕を勢いよく伸ばしておれの胸を触った。


()()が膨らんでるときの意見なら、少しはマシだったけどな」


 そういい、ハヤテは手を離して正面の席に腰を下ろした。


「実際いったらどうせ気色悪いって返すだろ」


「だな」


「実際にいうことはできないけどさ。()()()()()()()()()()()()()()()()


「だな」


 ハヤテがシチューを食べ始めた。おれも手に持ったまま止まっていたスプーンを口へ運んだ。


 可愛い女の子から「かっこいい」って面と向かって褒められたらこいつはどんな反応するんだろう。そこら辺はまだよくわからないんだよな。


 物心ついたときから友達をやっているおれにはわかる。ハヤテは恋をしたことがない。特定の異性と仲よくしているのを見たことがない。奥手とか女嫌いとかいうわけではない。用事がある場合はどんな女の子とも別にふつうに接している。じゃあ、単に女に興味がないのかというと、どうやらそうでもないみたいなのだ。


 うちの父さんはたくさんある書物のいくつかにマルコスさんの船員から譲ってもらった春画をはさんでいる。たいてい、なんちゃらの現象理論だとか精神哲学だとか母さんもおれもまず手をつけないような本のあいだに隠す。ある日おれは何枚かの春画をこっそりと持ち出してハヤテに見せた。ハヤテは「でかした」と喜んでいた。同年代の男と同様に女性の裸体に目の色を変えていた。この出来事を受けて、ハヤテは女に興味はあるけれども恋には関心がないんだと、おれは勝手に結論づけた。


 ハヤテは島内で特別な存在だから男女問わず近寄りがたい印象を持たれている。そこにあるのは畏敬の念であって、ハヤテに悪い印象を持っている島民なんていない。本人がその気になればどんな女の子とだって仲よくなれるだろう。いっそ恋人でも作ってくれればこちとら苦しい思いをしなくていいのに。なんていうのは単なるおれのわがままか。




 おばさんのシチューは相変わらずうまくてあっという間に平らげた。おれはスプーンを皿の上に置いた。


「ムゲンさん、大事に至らなければいいな」


「ムゲンの兄貴も歳だからな」おれよりも早くに完食していたハヤテは椅子の背もたれに背中をあずけながらいった。


「四十二歳だっけか。おれらの父さんたちとそう変わらないって考えると、あの身体能力は本当にすごいよな」


 おれはムゲンさんを心から尊敬している。ハヤテだって絶対そうだ。ムゲンさんと接してきた時間が長い分だけ、おれ以上にその思いが強いように感じる。ムゲンさんもムゲンさんで島の子供たちに平等に接してはいるものの、ハヤテに対しては特別な思い入れがあるような気がする。非凡な者同士、二人は心の奥底でつながっているように思える。


 水色のランチョンマットの角をいじる。ユリアは、ムゲンさんと会えないから、いつもおれたちの話を聞いては自分も師事したかったと羨ましがっていたな。


「ケイ」ハヤテが話しかけてきた。「俺は兄貴が無理だとしてもいくぜ」


 瞬時になんの話かつかんだが、いったん離してみた。そしてまた引き戻した。どう考えても遠征についてだ。


「そうか……」


ハヤテの目には一縷の迷いもない。


「たしかにお前は今やムゲンさん並に強い。だからこそ領長もお前に大きな期待をして、お前が中心となるパーティーを組んだんだと思う」


「だろうな」と、ハヤテは肯定した。


「けどそれは、ムゲンさんがいてくれてこそのパーティーだ。おれだけじゃ、情けないけどハヤテの助けにはなれない」


「当然だ。元よりお前の助けなんか必要にしちゃいねえ」


「そうですか……」


 にゃーん。


 そのとき、会話に割って入るかのように外から猫の鳴き声がした。


「帰ってきたか」


 ハヤテは立ち上がって玄関へ進み、戸を開けた。一匹の黒猫が家の中に入ってきた。おれは猫に向かってぺこりとお辞儀をした。みゃあ、と愛くるしい鳴き声が返ってきた。


 ハヤテは猫飯と水の入った容器を台所の床に置き、テーブルへと戻ってきた。おれは話のつづきを追った。


「でも、ムゲンさんがいなかったら移動の手段がないだろ」


「そんなもんどうにでもなる」ハヤテは片腕を背もたれの後ろに回した体勢でいった。「本気になりゃあな」


「本気……」


「ケイ。あの老いぼれ領長もバカじゃねえ。役立たずな奴を同行させるなんてことはしねえ。俺や兄貴とは雲泥の差があるとはいえ、お前の腕は悪くはねえんだ」


 おれは心がふわりと浮き立った。ハヤテに褒められるのは素直にうれしい。


「だがはっきりした。お前はだめだ」


「えっ」と目を見開いた。胸がずしりと重くなった。


「ムゲンの兄貴一人が欠けそうになったからってびびってるようじゃ、どの道しっぽを巻いて逃げ出す。お前には気持ちの『気』が足りねえんだ。本気とか気合いとか勇気とかがよ」


 おれは唇を噛んで視線を下へ向けた。反論できないのが悔しい。


「自信がないなら家で寝てろ。俺一人でも神のもとへ辿り着いてみせる」


 俺一人で、だと。――また一人だけ先に進むつもりか。


「いくさ」半ば無意識に口を開いていた。「お前がいくんならおれもいく」


 ハヤテは真顔でおれを見据えていたが、にゃあ、と台所から聞こえてふっと声だけで一笑した。「まあ、最終的には領長のババアが、明日はジジイか。が、どういう判断をするかだな」


 おれはうなずいた。


 さて。ハヤテの家族が帰ってきたことだし、おれはそろそろおいとまするか。


「ごちそうさま。そろそろ帰るよ」


 ハヤテも小屋に用があるというのでおれたちは一緒に外に出た。一仕事するんだろう。草はそこらじゅうに生えているので馬や豚の食べ物は放し飼いにしててもなんとかなる。ただ、手入れや小屋の掃除なんかは人の手が必要だ。太陽の日は、ハヤテが一人でやることになる。


 ハヤテは小屋の前で見送ってくれた。


「明日は乳放り出したまま出てくんなよ」


 おれの頬が上がった。「もちろん。げんこつはもうごめんだからな。じゃあまた明日」


 そう告げて別れた。


 歩きだしてから尿意に気づいた。ハヤテの家からある程度離れた物陰でおれは立ち小便をし、帰途に就いた。

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