38-1:小屋でのくつろぎ 【月の日/ハヤテ】
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鳥人族の多くは、ここ、鳥人族の里と呼ばれる範囲に居住しているが、雪が降る季節にはより暖かい地域へ移り住む人もいるらしい。東大陸には鳥人族の「巣」と呼ばれる場所が数十箇所ある。気象異常や天災が生じた場合には他の巣へと集団で避難することがあるという。また、他の巣からここへ避難してくる場合もあるという。その身軽さは、翼を持つ鳥人族ならではだ。
僕は陶器のカップを口へ運んだ。冷めた液体にほんのりと渋い香りがする。リャムが入れてくれた紅茶。薄めに作ってくれたから僕でも飲める。こうやって窓辺に立ってちびちびと紅茶をすするなんて、こんな貴人ふうな時間の過ごし方、レイル島にいたときにはしたことがなかった。昨日、大公に目通りしたことで風流への理解が少し上がったのかもしれない。大公は風格漂う方だった。実際に言葉を交わしたカレも、意識下ではそのように感じていた。
緑いっぱいの景色を眺める。遠くのほうにご近所に当たる家がぽつりぽつりと見える。
定住という意識が薄いのか、鳥人族の家はそんなにこだわりのある造りではなく、基本的には丸太小屋のような家屋で暮らしている。僕たち四人が泊まらせてもらっている客用のこの家もそういった造りだ。質素なおもむきである。外壁、内壁、家具などには色は塗られてなく、木材の風合いが活きていて、鳥が落ち着く空間のような、そんな感じがする。当小屋は二部屋からなり、隣の寝室にはベッドが四つあるのみで、居室には、テーブル、椅子、簡易的な台所と食器類、最低限生活に必要な家具と道具だけが置かれている。豊かさをあたえるための美術品や装飾品の類いは、無用とばかりに鳥人族の里ではまったく目にしていない。広大な東大陸のほんの一部しか見ていないので断言はできないが、東大陸は人間社会より古風で素朴な暮らしぶりに思える。
明るい陽光の中で風に揺られる木の葉に目を向ける。エデンは、と思う。
古風で素朴な東大陸へと移ったエデンは、住みよい場所を見つけられただろうか。同族の仲間に出会っただろうか。本来住むべき領域へと戻ったことで、どんどん野生の勘を取り戻していくだろう。いいことだ。龍獣などの大型の動物は、人間社会では生きられない。また、半人種と人間もその性質上、共存はできない。本来きっちりと距離を置かなければならない関係というのはあるんだ。だからこそ、この世界は大きく東と西に分かれてるんだろう。
「カネって不思議だよな」
泡が弾けて消えるような現実的な声が耳に入ってきた。ケイが発した。テーブルの椅子に座っているケイは、自分の麻の財布を頭の高さにかざし、初めて見る物のようにしげしげと眺めている。
「不思議って?」僕は尋ねた。
「他人から奪ってでも欲しい奴がいりゃ、その辺の石ころと変わらない価値観の奴だっている。高額の紙幣だって、鳥人族からすれば、鼻かみ用の紙切れぐらいでしかない」
「うん」僕は相槌を打った。
東大陸では、少なくとも鳥人族のあいだでは、人間が使っている貨幣は流通していない。だから鳥人族にとってお金は価値あるものではない。
「考えてみりゃ、ただの紙だし金属だよな。なのに、これは価値あるものなんだってみんなが思い込めば本当にそうなる。ただの紙が人を動かす。妖術でもなんでもないのに不思議だよな」
「そんな不思議は隠居してから考えればいいんじゃ」ケイの斜め前に座っているリャムがいい放った。「カネや人生についての意義を考え始めたら、暇人の始まり始まりっていうけえね」
「そりゃよくいったもんだ。実際、今暇人だしな」
僕は思わずふっと息を漏らした。ケイとリャムもつられて小さく笑った。
「カネは便利だ。でも持ち歩かなくていいってのは、それはそれで楽でいいよな」
「何があるかわからんけえ、カネはいつも大事に取っておくんじゃの」
「わかってるよ」
ケイは財布を懐にしまった。麻でできた封筒大の財布は、ケイのお母さん、アズミさんがケイのために作った財布だ。ケイの名前が刺繍されていてケイ本人は少し恥ずかしいようだけど、大事に使っている。
「どれ。おれも茶でも飲むか」
「あ」ふと僕は窓の外の変化に気づいた。
「どうした、ハヤテ」
「お客さんだ」
トトトン、トン。小屋の戸が小気味よく叩かれた。こちらが応答すると同時に木材を鳴かせるようにして戸が開かれた。
「お前ら、よかったな」チコリナットが白い顔に大きな笑みを浮かべて入ってきた。
シトヘウムスさんも一緒だ。二人並ぶと身長の差が激しい。何かの記号のようにでこぼこだ。きっとかなり遠くにいても、この二人の組み合わせは認識できる。
「おいらたち、さっき鳥人族の里に戻ってきて聞いたんだ。王に会う許可を無事にもらえたってな。――あれ、ユリアは?」小さいチコリナットが尋ねる。
僕は窓を指差した。「散歩するって外に出ていったよ。一時間くらい前に」
「一人で?」
「一人で散歩したいって」
「ふうん」チコリナットは不思議そうに首をかしげた。
「昨日、大公さん家を後にしたくらいから馬姫様の様子がおかしかったからの」リャムがいう。
「昨日だけじゃない。ここ最近ずっとご機嫌斜めだろ」
空気に刺激が加わった感じがした。僕はケイを見た。
ケイはハッとした様子で表情を少し丸くした。「あ、悪い。えっと、用事は?」
「王宮へ発つ日に関して」シトヘウムスさんが石のように落ち着き払って切り出した。「リュデュストス様が決定を下した。四日後に決まった」
僕の背筋が自然と伸びた。ケイとリャムも同じだった。
「四日後に、私とチコリナットでお前たち四人を天王の宮殿まで連れていく。異論はないな」
「はい。ありがとうございます」
異論なんてない。早急な対応に感謝するのみだ。四日後は新年の第二日目に当たる。今年はもう、今日、明日、明後日を残すのみ。新年の第一日目は王宮は閉じている。第二日目から王宮の訪問が可能になり、つまり、四日後というのは最短の日程となる。
「その確認だった。邪魔をした」シトヘウムスさんが体を外へ向けた。
「もういくんかえ。茶を入れるから飲んでいったらどうかいね」リャムがいった。
「遠慮しておく。リュデュストス様が外出なさる。その前に話を詰めておかねばならぬ」
そういい、シトヘウムスさんは外へと出た。ふわりと空中に舞い上がって飛び去っていくのを僕は窓から眺めた。
「つれない御人じゃあ」
一人残ったチコリナットはとことこと歩を進め、テーブルで頬杖をついているリャムの隣にすとんと腰を下ろした。
チコリナットは肩から斜めに掛けていた小さな鞄を外し、近くの椅子の上に置いた。「おいらは茶をもらうよ」
「くはっ。こりゃこりゃ。チコ坊は可愛いのう」リャムがチコリナットの頭を猫でもなでるかのようにぐりぐりとなで始めた。
「なんだよチコ坊って」チコリナットは無抵抗に頭をなでさせる。
「愛称じゃ。チコリナット坊や。略してチコ坊じゃ」
「おいらは坊やじゃねえよ」チコリナットはリャムの手を振り払った。
テーブルを取り囲んで座った。チコリナットとケイはリャムが入れた紅茶をふうふうと冷ましている。僕はすでに一杯飲んでいるからおかわりは遠慮した。
「四日後。願ってもない最適の日だね。ユリアが本体の日だし」僕は改めて鳥人族の配慮について感謝する。
「新年早々に連れてってくれるなんて、ありがたいことだよな」ケイが感慨深げにいった。
「一日でも一刻でも早く人間になりたいっていってたからな」チコリナットが僕たち化体族の事情について言及した。「今のところそれが叶いそうじゃんか。順調だな」
僕はやや考えてから「おかげ様で」と返した。
「なあ。お前らって、おいらたち鳥人族でいやあ、第一部隊みたいなもんなんだろ? こうやって化体族を代表して旅に出てるんだもんな」
「そういう階級が化体族にもあるとするならば」ケイが答える。「ハヤテはまちがいなく第一部隊だけど、おれは第三、よくて第二くらいなもんだ。この遠征は何年も前から、ムゲンさんっていう第一部隊の隊長みたいな人とハヤテがいくって決まってたんだ。あー、正式には決まってなかったけど、決まってたようなもんだ。それだけみんな二人に期待してたんだ。おれは単なる数合わせ。ハヤテのおまけだ」
「その隊長みたいな奴はどうしたんだよ。なんでいないんだ?」
「遠征出発直前にけがを負ってしまったんだ。ムゲンさんが遠征に出られなくなったから、あいつが――ユリアが仲間に加わったんだ」
僕はケイの後につづいた。「ムゲンさんが遠征に出られなくなったことによって、計画が大きく変わったんだ。ムゲンさんの化体は翼竜だから、当初はその背に乗って王宮まで一気に飛んでいく予定だったんだよ」
「なるほど、翼竜か。見たっていう鳥人族はけっこういるぞ」
へえ、と僕とケイが同時に発した。
「目撃情報をよく聞くようになったのは、ここ二、三十年くらいだな」チコリナットは先が尖った指で二と三の形を作っていった。
「じゃあムゲンさんにちがいないね。今、四十二歳だから」
「ムゲンさんはけっこう島の外に出てるからな、目撃されててもおかしくない。もちろん人が集まる場所は避けてるっていってたけど。いろんな場所を好きに飛び回ることができるから羨ましいぜ」
「やっぱり羨ましいのか」チコリナットが何か熟考するかのように腕を組んだ。
「そりゃ羨ましいさ。飛べない奴らの永遠の夢だ」
「それなのに、そいつは人間になるっていってるのか?」
「え?」ケイは調子外れの高い声で聞き返した。
「翼竜になれる奴だよ。人間になれば飛べなくなってしまう。そいつはそれでも人間になりたいっていってるのか?」




