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37-2:メルギール大公

「化体族のハヤテ一行。お待たせした」


 牛のようにツノが生えている少年に声をかけられ、おれたちは椅子から立ち上がった。


「大公と面会する手筈を整えた。執務室まで案内する。ついて参れ」少年は踵を返し、赤い床の通路の奥のほうへと歩きだした。


「ガキのくせにえらそうじゃの」


 少年の日焼けした背中はぴくりとも反応を示さず前へと進んでいく。リャムの軽口は聞こえなかったようだ。聞こえないふりをしているだけかもしれない。


「実際えらい人だろ、きっと」おれはリャムにいった。


 少年の種族も身分もわからないが、こうやって大公の部屋までの案内をまかせられてるんだ、えらい人にちがいない。もっとも、最初に見たときは建物内で迷ってしまった子供かとでも思った。彼は赤い通路の途中で一人ぽつんと立っていた。おれたちに近寄り、受付の判が押印された書類を確認するなり、通路脇に置いてある長椅子に座ってしばし待つよう指示を出してきた。十二歳ほどに見える幼い外見とは裏腹に、人に命令し慣れている感じがした。


「それにガキっていうけど、おれたちより年上って可能性は大いにあるぜ。チコリナットだってああ見えて百十歳なんだし」


「あの()()()()こそどう見てもガキじゃ。半人種はややこしいの」


 先を歩いていた少年が足を止めた。「ここだ」


 半人種という言葉を聞きつけておれたちに戒めでもあたえるのかと一瞬思ったけど、単に目的の場所に着いたから立ち止まっただけだった。少年の前には赤く塗られた扉がある。


「大公はこの奥に御座す。くれぐれも失礼のないようにな」


「はい」


 太陽ハヤテ、リャム、姫、つまりおれ以外、のいかにも失礼なことを仕出かしそうな奴らは返事をしなかった。


「そして。くれぐれも腰を抜かさぬようにな」ツノの生えた少年はにやりと笑んだ。


 なんだろう、もったい振って。大公はおどろおどろしい見た目でもしてるのか? でもそんな噂は聞いたことがない。


 少年は扉を引いた。ゆっくりと開く。中は明るい光が差し込む広い書斎だ。


 窓辺に立つ後ろ姿があった。赤いドレスに、栗色の長い髪、細い肩。女性であることがわかる。室内にはその人一人だけ。彼女が大公ってことだ。大公は女の人だったのか。メルギールという名前の印象から、男の人だと思ってた。たしかにちょっと意表を突かれたけど腰を抜かすほどでは――。


「え?」


 赤いドレスのその人が振り返った瞬間、皆が皆、驚きの息を吐いた。そこに座っていたのは、見覚えがある、ありすぎる女性。


「――母ちゃん!!」おれが声を出す前にリャムが叫んだ。


「え? 母さんのこと知ってるのか?」おれは舌がもつれそうになりながら訊いた。


「は? お前何いってるっちゃね」


「何って」女性に目を向ける。


 女性はにこりと微笑んだ。よく知る笑顔だ。ドレスなんて着てるのは見たことないけれど、まちがいない。顔立ちがまず一つとしてちがうという部分がなく、笑うときの筋肉の動かし方だとか呼吸の仕方だとか、うまく説明できない細かい部分まで、どう見てもおれの母さんだ。他人の空似なんかじゃない。


「な、ハヤテ」


 ハヤテは珍しく茫然としていた。何か二、三文字分ハヤテの口が動いたが、息だけで吐き出されたその声はおれの耳に届きそうで届かなかった。と、姫が速足で進み出、窓辺にたたずむ母さんのそばへいった。顔をなでられ、姫は興奮している様子だ。


 (ユリア)はおれの母さんとあんなふうに甘える仲ではないのに。状況が飲み込めない。


「姫はあんなに人懐っこかったかえ」


「いや。おかしいぞ。第一こんなところにいるはずがない。なんなんだこれ」


「ふふふ」混乱するおれをからかうようにして母さんが笑った。しかしその声は母さんとはまったくちがう種の女性の声だった。「これは失礼いたしました」


 あっ、とおれとリャムは身を乗り出した。


 ()()()()()()()()()()。化体族が0時になって変身したかのように姿が変わったのだ。背がやや縮まり恰幅がよくなり、母さんよりも老年の女性の見た目になった。肌の色が白い。瞳は緑色。失礼だけど絵で簡単に表せそうな単純かつ個性的な顔立ちで、つまり覚えやすい顔なのだが、その顔にはまったく覚えがないので、これはもう本当に初めて会う人なのだと確信し、おれはなぜか妙な安心感を覚えた。


 あるいは安心感はその女性からあたえてもらったのかもしれなかった。悪者なわけがないという絶対的な優しさというか人徳みたいなものが声にも相貌にも表れている。化体族の変身とはちがって着ている服までもが変化している。赤いドレスから赤い燕尾服になった。頭には赤い三角帽子が乗っている。


「ちょっとした妖術を使わせていただきました」燕尾服の女性は目を細めていった。


「妖術?」おれとリャムの声がそろった。


「あなた方が見ていたのは幻覚でございます。一番恋しい者の姿が見えたはずです」


 妖術はそんなこともできるのか。


「……リャム。『母ちゃん』って口走ってたな」


「う、うるさいけえ。お前が故郷の話をしてたからつられただけじゃ。お前だって母親が見えてたんじゃろ、人のことはいえん」


 一番恋しい者、か。おれはこの御殿にくるまでのあいだに巨人族を見て母さんを思い出していたから仕方ないとして……。そうか。ハヤテが幻を見つめながらなんてささやいていたのかわかった。三文字。「ノエル」だったんだ。胸が痛む。


「改めまして、ようこそ」燕尾服の女性は、つやつやで木目が美しい机の赤い椅子に腰を掛けた。「私が東大陸の大公、メルギールでございます」


 おれたちは名前を告げた。


「ハヤテ、ケイ、リャム、そしてお馬ちゃんがユリアでございますね」


 大公は金ぴかの万年筆で机上の紙にさらさらと書きつけている。丁寧な物腰で品のある人だ。大公と呼ばれるにふさわしい風格が漂っている。


「話はすでに届いております。王に会う許可が欲しいとのこと。王に会うのは神に会うため。神のゆるしを得て化体族から人間に戻るのが最終的な望み。ということでよろしいですか」


「そうだ」ハヤテが答えた。


「西大陸の大公の書状はお持ちですね」


「持っている」


 腰の低い大公に対してハヤテの礼を欠いたいい草。まるで身分が逆だな。


 大公は踊るように万年筆を持つ腕を動かし、紙の数箇所に判を押し、くるくると巻物にしておれたちの前に差し出した。


「どうぞ。これが王への書状となります。王宮に着いたら、すでにお持ちの西大陸の大公の書状と併せて、王へお渡しください」


 ハヤテが代表して受け取った。


「早いけえね。素っ裸にされて隅々まで調べ上げられるのを覚悟してたき」


「お望みでしたら、実行するのはやぶさかではございません」


「なかなか洒落っ気のある大公さんじゃ」リャムのカカカ笑いが出た。


「でも、本当にあっという間に許可をいただけてびっくりしました。仲間ながらふてぶてしい者ぞろいなので難航するかと……」


「えらそうじゃねえか、ケイ」ハヤテが睨んできた。


「ほっほっ。あなた方の御心に対して書状をあたえたまでです」


「さすがは大公さんじゃ。こちとら警戒されることはあっても、こんなに早く信用されることはないき。さすが見る目がちがう。懐が深いけえ」


「それほどのものではございません。実をいうと少々試させてもらってはいました。先ほどの術は、必ずしもだれかの姿が見えるわけではないのです。心がすさんでいるときは何も見えないこともありますし、お金や宝石が見えてしまう方もいらっしゃるんですよ。邪な考えがあれば、それが表出するということですね。あなた方は邪な幻覚に包まれませんでした。お馬ちゃんが目にしたのも大事になさっていた獣類のようですしね」


「エデンか」


 質問なのか独り言なのか自分の中でもはっきりしていないおれのつぶやきに、姫はこっくりと頭を下げた。


「ハヤテには少々おつらい幻となりましたか」


「別に。悪趣味ではあるけどな」


「ほっほっ。申しわけございませんでした。しかし、神に懺悔をするおつもりであれば、こんなものはほんのお遊びとお考えください。あなた方にはさらにおつらい試練が待ち受けていることでしょう」


「望むところだ」


 ハヤテの自信満々な受け答えに、おれとリャムは同調した。姫がおとなしい。姫は何かうら悲しげな様相だ。


「何かを得るには何かを失う。その覚悟はおありですね」大公が声の調子を少し低くしていった。


 何かを得るには何かを失う。ずしりと響いた。化体族にとっては抽象的な言葉ではない。実際問題として、そうなる。


 ハヤテは特に胸に応えるものがあるだろうな。太陽ハヤテか、月ハヤテか、どちらかの人格を――いうなればどちらかの命そのものを――失うようなものなのだから。おれにしたって、人間になった暁には女の体を失う。ユリアは馬の体を失う。わかっていたことだけど、格式高い大公からいわれると、その事実が二倍にも三倍にも重く感じられる。


 だからこそこちらとしても二重にも三重にも確固たる膜でくるみ込んだ答えを返す。おれたちは強くうなずいた。


 大公は目をつむり、数秒間じっと黙したのち、新しい光を宿した目を開いた。そして、いった。


「心しておゆきなさい」

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