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36-1:鳥人族の使者 【月の日/ケイ(女)】

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 藍色の海にまたがってずうっと伸びている鉄の橋。水平線には、緑の草木と岩の質をところどころに感じさせる荒々しい稜線(りょうせん)が横いっぱいに並んでいる。あれが東大陸だ。


「くれぐれも鳥人族の諸賢(しょけん)に無礼のなきよう。また、このたびの恵まれた機会は我が偉大なるカゼル族長のご懇情(こんじょう)があってのこととゆめゆめ忘れぬように」セスヴィナ領を代表し、鎧をまとった右大臣が言葉にも鎧を着せたようにお堅い口上を述べた。


 ()()()()()()()()()は忙しい身であるので、ここ大陸の外れにはきていない。今朝、宮城(きゅうじょう)を発つときに、ほんの短い時間ではあったけど族長と面会した。神のご加護を。と、一言だけもらった。ノエルに似たその顔には、笑みの成分が一滴も混じっていなかった。


 海鳥が鳴き声を上げて海上を飛ぶ。


 向こうの大陸へとつづく橋の入口手前には、武器を装備した監視員二名が常駐している。彼らだけでなく、橋近くの塔の上にも見張りがいて、常にあらゆる方向へ目を光らせ、橋に近づく者がいないか、また、橋を渡ってくる者がいないか注視しているのだと、ここへくるまでのあいだにセスヴィナ領の一兵士から教えてもらった。


 この最果ての地まで同行してきたセスヴィナ領の人間は、記録係だ兵士だ、なんだかんだで八名。彼らと向かい合って別れの儀式なるものをおこなっている最中だ。


「皆様ならきっと鳥人族の協力を得られ、積年の願いを叶えられることでしょう」右大臣の傍らに立つマヤさんが優しく微笑んでいってくれた。


 ノエルと近しい関係にあった女中のマヤさん。自身もつらいだろうに、ノエルの葬儀中は悲しみに暮れることなく、常にまわりに目を向け、おれたち外部の者たちにさえ気遣いをしてくれていた。ノエルが信頼していたのもよくわかる。


 三日に渡って執りおこなわれたノエルの盛大な葬儀は、昨日の夕方前に幕を閉じた。その後、日が落ちてから、ハヤテが宮城に帰ってきた。結局ハヤテはノエルの葬儀には一度も顔を出さなかった。


 この数日のあいだ、ハヤテがどこで何をしていたのかは知らない。問いただす気はない。戻ってきてくれた。また一丸となって神の場所を目指せる。それだけで十分だ。


「セスヴィナ領の方々には本当にお世話になりました。このご恩は忘れません」ハヤテがおれたちを代表して礼の言葉を口にした。


 この機会に乗じてハヤテの顔をのぞく。潮風をとことん吸収したかのような引き締まった表情をしている。立ち直りの境地までは達していないだろうけど、ある程度心の整理はついたんだと思う。


 そして、単に気持ちを切り替えただけでなく、ハヤテは、重い何かを一枚まとったような、そんな感じがする。昨日、宮城に帰ってきたときからそうだった。一人でどこかへいっているあいだに何かあったんだろう。ただごとではない、何かが。


「それでは龍獣の帰還の儀へと移る」右大臣がしかつめらしくいった。


 龍獣の帰還の儀。つまりはエデンとお別れすることだ。セスヴィナ領の人間は、いちいちお堅い形で物事を進めることを好むようだ。


 ハヤテがエデンを連れて橋の前まで進み出た。首輪を外し、寄り添うように抱きしめてから、エデンに前進するよう指示した。


 監視員がエデンを追い立てるためにきりきりと弓を引き絞る。エデンはすべて理解していると背中で語るようにして真っすぐに駆けだし、一気に加速し、長い長い橋を全速力でひた走っていった。とんでもない速さだ。


「ようやくあの野獣の帝王も自由になれたのう」エデンが見えなくなった直後、腕を組んだリャムが感慨深げにいった。


「大半の自由を奪ってたのは、なんとか団だったけどな」


「うらたちがしてたのは保護じゃ。福耳団は、それはそれは我が子のように可愛がってたけえ」


「よくいうよ。みんな龍獣にはびびってたくせに」


 なんて、おれがいえた義理ではないけどな。とうとうあの象牙色の体に触れることはなかった。最後だし、と思ってなでようとしたけど結局おれはできなかった。ハヤテとユリアのほかに、こんな臆病な仲間もいたってことを忘れないでくれよな、エデン。


 ふとユリアに目がいった。悲しそうな顔をしている。ここにくるまでのあいだに何度も何度もエデンを抱きしめては別れを惜しんでいた。


 おれは声をかける。「寂しいけどさ。エデンのためにはこれでよかったんだよ」


 ユリアはこくりとうなずいた。「あたし、いつかエデンを探す旅に出るわ。必ず見つけて、もう一度一緒に冒険する」


「いい計画だな」




 別れの儀式が終わり、セスヴィナ領の面々がすっと後ろへ下がった。それと入れ替わるようにして、木陰で待っていた鳥人族(ちょうじんぞく)二人がおれたちの近くへ寄ってきた。


「やっと終わったか」鳥人族の一人が待ちくたびれた様子でいった。


 おれたちがここに着いたとき、鳥人族はすでに到着して待っていた。すでに互いに名を名乗っている。今しゃべったほうの名前はチコリナット。十歳ちょっとぐらいの少年の見た目で、白い。とにかく全身白い。こういうふうに突然白く生まれてくる個体は人間にも動物にも半人種にもいることは本で読んで知ってはいたけれど、この目で見るのは初めてだ。もう一人は二十歳から三十歳くらいの男性で、ふつうの、おれたちと変わらない肌の色をしている。


 さっそく出発することになった。二班に分かれる。おれとリャムがチコリナットの班になった。


「じゃあリュデュストス様のところまで連れていく。おいらと手をつないでくれ」


 横に並んだチコリナットの白くてやや尖っている手を握った。すると体が綿のように軽くなってふわりと浮いた。おれ、チコリナット、リャムは一直線上に並んだまま空へ向かって上昇していく。


「わっ、わっ、わっ」おれはつないでいる手に反対側の手を重ねた。しっかと力が入る。


「何動揺してんだよ」チコリナットは小バカにするような笑みをおれに向けた。


「急に舞い上がってびっくりしたんじゃろ」リャムが余裕しゃくしゃくにいう。


「そりゃびっくりしたよ。背中に乗るんだと思ってたし」


 そういっておれはチコリナットの背中を顧みた。「あれっ」と思わず口にした。「翼、動いてないぞ」


 背中から生えている大きな翼は、蝶が花にとまるときのようにピンと立って静止している。空中に浮かび上がっているというのに奇妙な光景だ。


「動かしたらお前らに当たるだろ」


「いや、なんで動かさないで飛べてるんだ? 鳥はふつう羽ばたくだろ。ばさばさと」


「知らないのか。おいらたち鳥人族は翼で飛ぶんじゃない。()で飛ぶんだ」


「ええっ!?」チコリナットが顔をしかめるくらいの大声がおれの喉から出た。「そんなの初耳だ」


「翼はお飾りだったんか」リャムもさすがに驚いた顔で質問した。


「飾りじゃねえよ。れっきとした体の一部だ。ふだんは動かして飛ぶことが多いぜ? そのほうが飛びやすくはあるからな。でも、おいらたちのように第一部隊の一員ともなれば、このように、動かさなくても飛べるってわけさ」


 チコリナットは最初に会ったときも第一部隊だということを誇らしげに名乗っていた。使者として迎えにきた二人はどうやら優秀な鳥人族のようだ。ハヤテとユリアを連れて空を浮いてるもう一人の鳥人族の翼も動いていない。


「つないだ手を通しておいらの気が送られる。だからお前らも飛べてるんだ。手を離したら真っ逆さまに落ちるから気をつけろよ」


 ……くれぐれも彼を怒らせてはいけないな。


「それじゃあ飛ばすぞ。西大陸にお別れしな」


 下ではマヤさんたちが手を振ってくれている。ここまで旅をともにしてきた馬たちはセスヴィナ領に引き取ってもらうことになった。ありがとう、とおれはみんなに向かって叫んだ。


 体がぶわっと前進した。海の上を飛翔する。海面に対して平行に体を寝かせ、両手両足を伸ばし、見えない空の道を滑るようにして進んでいく。不思議な感覚だ。風が味方になったようにその抵抗を感じないし、音も軽減される。まさに鳥になったような気分だ。


 リャムは楽しそうに声を上げている。「こいつは爽快じゃ。空を飛んだ人間なんて、うらが初めてじゃろうね」


「だろうな。おいらが人間の中で一番親しくしてたノエルでさえ、まだだったんだから」


 おれは白い顔に目を向けた。「ノエルと知り合いだったのか」


「西大陸の森で何度か会って話したことがあった。おいらは友達だと思ってるよ」


 そういえば、とおれは宮城での一場面を思い出した。セスヴィナ領の族長と初めて対面し、こちらの要求をぴしゃりと一蹴されたとき。ノエルが鳥人族のだれかと親交があるから自分がなんとかすると族長に盾突いたことがあった。あなたにそんな権利はないとして族長に退けられたわけだが、そのときにノエルはチコリナットっていう名前を挙げていたかもしれない。


「いつか空の旅に連れてってやるって約束したのに……」


 チコリナットの寂しげな口ぶりにしんとした。


 眼下には非常に険しい岩礁一帯が広がっている。おれたちはすいっと越えて東大陸へと突入した。鳥からすれば陸地の障害なんてまるで関係ない。


「起きてしまったことは仕方ねえよな」チコリナットは気を取り直すようにいった。「ノエルは新しい魂へと巣立ったんだ。お前ら、ちゃんと盛大に見送ってやったか」


「そりゃあのう。そりゃ規模の大きい立派な立派な葬儀だったけえ。三日間参列者がひっきりなしじゃ。ノエルさんがいかに領民から愛されてたがわかったけえ」


「そうか。おいらもノエルが好きだったよ。いい奴だった」


 おれは壮大な葬儀について回顧した。リャムがいうように、この三日間、本当に領民たちが心からノエルの死を悼んでいるのが伝わってきた。おれは、そんな領民たちの悲しみの顔を見るにつけて、ますますわからなくなっていた。こんなにも慕ってくれる人々がいるのに、女中のマヤさんのように心が通じた友達がいるのに、なぜ自ら命を。そんな気持ちがどんどん膨らんでいった。昨日、あの人から話を聞くまでは――。

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