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35-1:バケモノ 【太陽の日/ハヤテ】

- 35 -



「やあ、早いね。あんた以外のお客さんはまーだぐっすり寝てるよ。この調子だと昼近くまで起きないかもしれんな。あんたはよく眠れたかい? そうか。ならよかった。結局夜明けまで騒いでしまって悪かったな。ようやく酔いが醒めてきたとこだ。もう少ししたら妻と交代だ。そしたら泥のように眠るよ。何もおかまいできなくてすまなかったな。あんたとも会話してみたかったな。あんたは旅をしてるんだろ? やっぱりな。そうだと思ったんだよ。なんかこう、旅に出る男ってのは顔つきがちがうんだよな。あ、急ぐ? 引き止めてしまって悪かったな。そんなら気をつけてな」


 こぢんまりとした宿屋を後にした。予想していたとおり、酒くささの残る宿主は俺のしゃべり方にまったく違和感を抱いてなかった。()()とは対面している。そのとき宿主は完全に出来上がっていた。だからほとんど記憶に残ってないだろうと当たりはついていた。


 昨夜、酒場を出、明かりのついている一帯を歩いていたヤツは、騒がしい宿屋に通り合わせた。宿主も客も一緒くたになって酒盛りをしていた。その熱気のおかげでヤツは遅い時間にもかかわらず宿泊の交渉に踏み込む気が生まれた。交渉したらすんなりと寝床を確保することができた。宴会に加わるよう促されたが、ヤツは体調が悪いと嘘を吐いてさっさと寝に就いた。野宿になってもおかしくなかった日だった。まあヤツにしてはツイていた。


 客の馬をつなぐ場所からレンを連れ出す。柔い日差しが心地いいんだろう、前方には希望しかないといわんばかりに意欲的にかつ穏やかに四本の脚を進める。


 深い池に水滴が落ちたような鳥の鳴き声が聞こえる。


 鳥人族が指定してきた合流日時は、明日の正午。機に乗じるなら今日中に宮城に帰っておかなければならないだろう。その気があるなら今すぐにでも帰途に就くべきだ。だが俺はセスヴィナ領がある南ではなく反対の北へ向かう。


 ここまできたらエデンレイル領に寄るしかない。何かが待ち受けているかもしれない。例の姉弟に出くわしたことがそう思わせるきっかけとなった。剣を作った男の孫たちとの出会いは単なる偶然とは思いがたい。いくしかない。


 お金をください、なんでもします。


 道のべで小便でもしようと下馬して歩いていたところ、突然後ろから話しかけられた。男のガキ。十歳から十二歳ぐらいのあいだの歳だろう。二日前に会った鳥人族のチビと同じくらいの背丈だ。痩せっぽちで表情に乏しく、なんでもするという割には覇気が感じられない。


 ガキに頼むことなんざねえ、と一蹴した。小便をし、レンを引いて先を急ごうとするもガキは無表情でついてくる。ついてくんなといってもついてくる。俺は舌打ちをした。何かあたえてやらなきゃ離れる気はないらしい。ならばエデンレイル領まで案内しろと命令した。エデンレイル領が目と鼻の先なのはわかってはいた。ガキにできることはこの程度だろう。ガキは了承なのか礼なのかこくりと頭を下げた。


 エデンレイル領のどこへいきたいのですか。ガキの質問。見晴らしのきく場所だ。そう答えた。顔色の悪いガキは五秒ほど沈黙してからうなずいた。そしていった。よい場所があります。ただしその周辺には()()()()が住んでいます、と。どんなバケモノなんだと訊いたがガキは答えなかった。どう説明していいかわからないという感じだった。そいつは人間なのかと問うたら人間ですと返してきた。


 バケモノと評される人間。エデンレイル領にはけっこうなもんが待ち受けているようだ。




 ときが止まって見えた。


 丘の上からエデンレイル領の集落の跡を眺める。緑に侵された廃墟。たいていが元の形をとどめていないあばら屋だが、伸びすぎた木の枝に守られるようにして家屋の(てい)を成しているのもある。黒い涙を流したような教会らしき建物も見受けられる。街がたしかにあったのはわかった。一面にむなしさが漂っている。人が築き上げた空間に人が一人もいないとなると、風景は絵画と等しくなり、時間そのものを失ったような寂寥感に包まれる。


 静けさのあまり、斜め後ろに葱坊主(ねぎぼうず)のようなガキが突っ立っていることを忘れそうになった。異様に無口なガキだ。ここへくるまでにこの辺のことについていくつか簡単な質問をしたが、いずれも首をかしげるかそれ以上広がりようのない最終的な答えを一言つぶやくだけだった。ガキから俺へ何かを尋ねてくることはなかった。こいつには会話をする意思あるいは能力がない。こっちとしてもこいつとしゃべる義務はない。必然的にどちらも口を閉ざす。一時間ほど行動をともにしているが互いのことは何一つ知らない。


 あ、とガキが久しぶりに声を出した。バケモノです、とその内容に似合わず抑揚なくいう。


 ガキの暗い目は俺とはちがう方向に向けられていた。廃墟からずっと横へ視線をずらす。川が流れる渓谷の上に一軒の小屋が見え、その小屋に今まさに入らんとする人間の姿を認めた。動いているものはそれしかない。そいつがガキのいうバケモノなのは疑いようがない。


 すっと吸い込まれるように小屋の中へ消えた。距離があるため顔こそ確認できなかったが、それほど体の大きくない、中年から老年にかけての男のようだった。一瞬のうちに俺が捉えたのは、不潔さを感じる野卑な身なり、だらりとした締まりのない姿勢、ふつうではない何か奇妙で不気味な雰囲気。……見る者に一瞬で不快感をあたえやがった。バケモノと呼ばれる素質はある。


 ガキに駄賃を渡して帰し、俺は丘を下った。小屋を目指す。そいつと会って()()()()()かはわからない。だが()()()()()()ことだけはわかっている。




 川の音が絶え間なく時間という時間を埋める。


 たとえ翼竜が川に飛び込んだとしてもここまで水飛沫(しぶき)は届かない。そんな高台の詰めに問題の小屋は存在していた。建てられてからそれほど年数は経っていないだろう。見るからに住居用だ。本をひっくり返したような茅葺き屋根、まだらに土が塗られている外壁、木でできた突き出し窓。庭には丸太の椅子と焚き火の跡。周辺は程よく緑に囲まれ、人間はおろか動物すらも見かけない。孤独に暮らすにはうってつけの場所だ。


 小屋の近くの木に馬のレンをつないだ。入口へ回る。何人(なんぴと)も歓迎するかのように扉は開けっ放しになっている。中は暗くてよく見えない。


 厄介そうな事物にわざわざ首を突っ込むな。引き返せ。ケイやムゲンの兄貴なんかはそう俺に忠告するはずだ。俺が安全な道を選ぶのを望んでいる。別にそれに逆らうつもりはないが、故郷にバケモノが住んでいるとなれば見過ごすことはできない。


 俺は小屋の中へ足を踏み入れた。


 酒と獣を混ぜたような悪臭でむっとする。土間は固く湿っている。家具のない陰気くさい空間の中、()()()は中央の丸い柱の近くで、俺に背を向ける形で座っていた。


 (むしろ)の上であぐらをかいている。酒だろう、手には液体の入った猪口(ちょこ)。衣服はぼろぼろ。近くで見るとそいつの体は細く、背丈は小さかった。肌が透けて見える薄い頭髪は汚らしく肩まで伸びている。突き出し窓から入る光がそいつの頭の垢やほこりや服の汚れを照らし出し、不衛生さを明るみにしていた。


 ()()には当然気づいてるはずだが、こっちに意識を向けようとはしない。無視を決め込んでやがる。あるいは(ろう)者か。


「だれだ」俺は訊いた。


 そいつはおもむろに振り返った。俺は微かに胸を揺り動かされた。片方の目が俺を見据えるも、もう一方の目はその顔から逃げようとしているかのごとく外側に向いている。斜視か。


「おっもしろー。人んちに勝手に上がり込んでだれだだってー」


 ひどく調子外れな口ぶりだった。幼児に芝居でも見せてるような。ふざけてるのか。頭がイカれてるのか。


「ここの住人か」


「そだよー」


「ここはエデンレイル領。化体族の先祖が暮らしていた場所だ」


「教えてくれてどうもー。知ってたけどね」


 会話は通じる。が、癇に障る野郎だ。細い顎に無精ひげ。高くも低くもない鼻に厚くも薄くもない唇。斜視以外は取り立てて特徴のないツラだ。齢は推定しがたいが、まあ五十歳前後が妥当な線だろう。


「まだエデンレイル領として存在している。とすればこの領土は、エデンレイル領――現レイル島――の長の支配下にあるということだ。よそ者が勝手に住むのは不当だ」


 そいつは何もいわず猪口を口に持っていった。音を立てて中身をすする。どことなく人を食ったような不快な響きが含まれている。藪睨みの目同様、こいつの()()がどこにあるのかはおぼろげだ。


 この小屋はてめえが建てたのか。訊こうとしたそのとき、外からせわしない足音が聞こえた。俺は答えなんかどうでもよかった質問よりもそっちに関心が移った。靴を履いた人間が一人、駆け寄ってくる。たとえば偶然に小屋を発見した通りがかりの者ならばこんなに無防備に近づきはしない。小屋には馴染みがあり、その小屋に見慣れぬ馬が止まっているのを発見したから急いで中を確認しようとしている、そういう足取りだ。つまり、間もなくやってくるのは()()()()()の人間だ。


 開いた入口の前でその人間は足を止めた。顔をしかめた中年の男。息を切らして俺に視線を注ぐ。


「あっ! てめえは」相手が叫んだ。「昨日のっ!」


 骸骨のように落ち窪んだ目。農夫のような出で立ち。昨日ヤツから剣を盗もうとした野郎か。こんなところで再会するとはな。


「なんだてめえ、ガキ。もしかして追いかけてきやがったのか」


「小物を追うほど暇じゃねえよ」


「ああん? 昨日は腰が低かったくせに、丁寧なのは人に頼み事をするときだけか。――と、失礼しましたクロサソリさん。薪を拾ってきました」奥目の男はかしこまり、抱えていた木の枝の束を付近にばらばらと置いた。


 手下か。クロサソリといっていた。黒い(さそり)で黒蠍、という通称か。確かめずともそうであると確信した。理由はないが。


「彼のこと知ってんのー?」バケモノそして黒蠍と呼ばれる男は、奥目の男に問いかけた。


 手下に対してもおちゃらけた話し方をしやがる。


「はい。このガキです。このガキが、先ほど話しました、昨日素っ裸でのしかかってきたというガキです」


「なーんだ。じゃあ化体族じゃないんだあ」


「え、化体族?」手下は素っ頓狂な声を出した。「って、一日ごとに姿形を変えるっていう、あの……名前忘れましたけど、どっかの島の、ですか?」


「それ以外に化体族が存在すんのー?」


「い、いえ。いいえ。こいつは昨日のまんまです。だから化体族ではないです、はい」


「領土がどうのこうの主張するからてっきり当事者なのかと思ったー。君、なんで化体族の味方してんのー?」


 昨日と見た目が変わらぬ俺が化体族であるとわからせるにはいくつか説明しなければならない。面倒だ。


「味方してるわけじゃねえ。当然のことを述べてるだけだ」


「ふうん。ただのいい子ちゃんかあ。なのに悪ぶった口調使っちゃって、かーわいい」


 俺の片方のまぶたがぴくりと動いた。「いちいち腹の立つ野郎だ」


 黒蠍はきしきしと笑う。「百年もほったらかしの場所なのに今さらだれの支配も何もないんじゃないのー」


「もうすぐ化体族は人間に戻る。多くのレイル島民がこの地に帰ってくる」


「はあ?」と手下が顔をゆがませた。百年懺悔のことに思い至ってないか、もしくは元から百年懺悔について知らないかだ。


「そいつは困っちゃうなあ。僕、一人で静かに暮らしたいのにー。んー、そしたら殺すかなー」


 さらりと抜かすから聞き流しそうになった。俺は黒蠍を睨んだ。俺から見えるのは目玉が端に寄っているほうの横顔。だから奴が何を見ているのかはわからない。


「安住を脅かす奴らとは戦うしかないよねー。勝つために殺そっと」


 そういいきり、猪口を持ち上げ、不快な音を立てて酒らしき液体を飲み干した。入口に立つ奥目の男がごくりと喉を鳴らした。この手下は黒蠍に対して恐怖心を抱いている。

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