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34-2:シオンという名の女性

 酒場までの道すがら、シオンさんは理髪店で働き、時間があれば大聖堂に足を運んで祈りを捧げていることを知る。話していてとても理知的で芯のしっかりとした大人だと感じた。何物にもおもねらない人のように見えた。この人になら化体族であることを伝えても大丈夫だと思いはしたが、シオンさんが僕に質問してくることはほとんどなく、僕の素性について話が及ぶことはなかった。


 目的の店は閑散とした通り沿いにあった。着いたときには日が落ちていた。


「おっ。なんだい姉貴。若い男なんか連れて」


 店に入るなりカウンターに立つ男性が陽気に声を投げてきた。鳥の巣のような髪に派手な黄色い服。存在感が強い。弟のレオンです、とシオンさんから紹介された。


「こちらはハヤテ。旅をしてる。あんた。料理と酒を振る舞ってやってよ」


 丁寧な物腰のシオンさんも弟さんに対しては砕けた口調になるようだ。


「旅人かー。俺はそういう男、好きだぜ。さ、座った座った」


 カウンターの席に案内された。慣れた様子でシオンさんは席に座った。僕はその横に腰掛けた。


 テーブルの席もあってけっこう広い。壁には彩りあふれる絵や旗が飾られている。明るい印象のお店だ。


「君はどこの出身なんだい」酒の入ったグラスを僕の前に置くなりレオンさんが尋ねてきた。


 その話題、やっぱりきたか。店内に数人のお客さんがいるからまともには答えづらい。


「どこだっていいじゃないか。やぼなこと訊くもんじゃないよ」適切な返答を探しているあいだにシオンさんが弟に注意喚起した。


「やぼかなあ。ま、いいや。いつから旅をしてるんだい。これは訊いていいよな」


「二十日くらい前からです」僕は答えた。


「どこら辺を旅してきたんだい」


「カルターポ領やハーメット領やミュズチャ領に立ち寄りました」


「最終目的地はどこだい」店主のレオンさんから次々に質問が飛び出す。


 最終目的地は、神のところ。なのだが。そう明かしてしまえば、いずれ僕が化体族だという事実までいき着いてしまう。


「縦断してるようだからセスヴィナ領かな」レオンさんが当たりをつけた。


「セスヴィナ領にはもういってきました」


「えっ。入れたの? あの領は一般人が立ち入るのは難しいって聞くぜ」


 そうだった。正直にいわなくてもよかったか。


「君って実はいいところの御子息かい? これはお忍びの旅?」


「僕はごくふつうの旅人です。僕の仲間の知人がセスヴィナ領にいまして、その知人のつてで中へ入ることができました」


 ということにしておこう。


「旅のお仲間がいらっしゃるんですね。その方たちは今どちらに?」隣で聞いていたシオンさんがワインの入った細いグラスを持ちながら尋ねてきた。


「仲間は今セスヴィナ領にいます」


「何人で旅をしているのです?」


「僕を含めて四人です。妹と、幼馴染と、あと旅先で出会った仲間が一人」


 テーブル席のお客さんから注文が入った。よくわからない長い名前の酒だった。はいよ、とレオンさんが元気よく言承けする。


「セスヴィナ領は今大変らしいぜ」酒を作りながらレオンさんがしゃべる。「領長の娘がつい最近亡くなったそうだ」


「本当かい」


「ああ。うちの常連客から聞いたんだ。その人は腕のいい医者でさ、セスヴィナ領のお偉方の体を診てやるために定期的にあちらさんへ出向いてるんだ。二日前にも中心街を訪れたんだけど、街全体が陰気に包まれてて驚いたそうだ。領長の娘が死んだって知ってさらにびっくり。自殺だとよ。若くて美人で領民から人気があったっぽいのに、わかんねえもんだよな。本当にべっぴんさんだったって話だぜ。そんなに美人なら一度御目にかかりたかったな。君、見かけたことは――…………ハヤテ?」


 呼ばれて顔を上げた。


「……なんだか、血の気が引いたような、凍りついたような感じだったが……大丈夫か」


 レオンさんの顔つきが酒場には似つかわしくないまでに深刻になった。僕の鏡となっているんだろう。


「お見かけしたことがあるのですね」


 悠揚迫らぬシオンさんの問いかけに、僕の首がこくりと沈んだ。


「セスヴィナに滞在しているあいだに、何度か……」


「そうか。そりゃ気がふさがるよな。軽々しく口にして悪かった」


「いえ、大丈夫です」


 グラスの酒を一息に飲み干した。しっかりしろ。


「よけりゃもう一杯注ぐよ」


「お願いします」


 セスヴィナ領の話題は終了した。ほかのお客さんの笑い声が遠く響く。


 食事をご馳走してもらった。僕が咀嚼で口を動かしているあいだ、シオンさんは隣で煙草をくゆらせていた。


「それにしても二人はどこで知り合ったんだ」僕の食べ終えた皿を片付けながらレオンさんが疑問を表した。


「大聖堂近辺。彼の剣が気になって話しかけたんだ」


「ひゅーっ。やるじゃねえか姉貴」


「ばかだねあんた。着目するのはそこじゃないだろ」


「うちの姉貴、身内がいうのもなんだけど若い頃は可愛くってさあ、いい寄る男も少なくなかったんだぜ」


 わかる。今でもおきれいだ。顔のつくりそのものよりは独特の雰囲気が人を引きつけるんだと思う。


「でもモテる割には結婚しなくてさあ。交際相手すらずっといないみたいなんだ。ハヤテ。だれかいい男がいたら紹介し――」


「あんた。彼が腰につけてる剣。なんだかわかるかい」


 弟の口舌を姉がすぱっと遮った。


 レオンさんは鼻の下を伸ばして僕の剣をのぞき込んだ。一度は小首をかしげるも「えっ。まさか」とすぐに背筋を正した。


「そう。おじいさんが作った剣だよ」


 レオンさんと一緒に僕は驚きの声を出した。


「ん? ハヤテ本人も今知ったみたいだぜ。姉貴はなんでじいちゃんのってわかったんだよ」


「この緑が目についたんだ」シオンさんは象嵌されている翡翠の石を指し示した。「きれいな緑だから、覚えてたんだ」


「ふうん。姉貴は宝石なんか興味ないと思ってた」


「間近で見せてもらって確信したよ。形状、材質、細工、まちがいない」


 僕は自分の剣を剣帯から外してカウンターの上に置いた。


 レオンさんはほえーと声を出して興味深く眺める。「いつもじいちゃんの背中を見てた姉貴ならではだな。俺だったら判別は無理」


「剣の職人さん、なんですか」僕は訊いた。


「そうなんだよ。うちの母方の祖父な。ロキサーヌ領どころか都にも名を馳せる名匠だったんだぜ。機能も美しさも兼ね備えた剣を作るってんで評価されてたんだ。もうこの世を去ってる。ええっと、死んでから何年経つんだっけな」


「二十五年」


「ああ。さすが姉貴。そうだな。俺が十三、四ぐらいのときだったから二十五年は経ってるな。おっと、これじゃ姉貴の歳がバレちまう。ごめん姉貴」


 シオンさんはどうでもいいといった感じで薄く笑った。四十歳は過ぎてる計算になる。お若い。


「手に取って見ても?」シオンさんが僕に断りを入れた。


「はい。もちろんです」


 シオンさんは両手でそっと剣を持ち上げた。剣を見つめるその眼差しは真剣であり、やはり鋭い。


「姉貴と俺はじいちゃんっ子だった。じいちゃんも俺たちを可愛がってくれてた。死ぬ間際に俺たちに一本ずつ剣をあたえてくれたんだ。形見だな。ま、あれだ。俺のほうは十年ほど前にここの開店資金に充てちまったんだけどな。高く売れるもんでさ」レオンさんは苦笑混じりに鼻の頭を掻いた。


「まったくあんたは」


「感謝してるんだよ。俺は今ここで大好きな仕事ができている。嫁さんと子供を養えている。じいちゃんのおかげだ。そういう姉貴こそもらった剣はどうなったんだよ」


「大事に持ってるよ」


「どんな剣だったかなあ。何十年も目にしてないから忘れちまった。今度見せてくれよ。ところでハヤテはその剣をどうやって手に入れたんだ」


「剣術の師匠からいただきました」


 おそらくは西大陸とレイル島をつなぐ商人であるマルコスさん経由で入手したはずだ。


「剣術の先生みたいな人の手に渡ってたんなら孫としても誇らしいよ。またそういう人から譲り受けたってんなら、ハヤテも剣術に長けてるんだろうな」


「剣は人を選ぶっていうからね。ありがとう」


 僕はシオンさんから剣を受け取った。腰の剣帯に装備し直した。


 カランカランとお店のドアが開いた。四人の中年男性が入ってきた。いらっしゃい、とレオンさんが迎え出る。


「おっ! 姉さんじゃねえか。久しぶり!」中年男性の一人が声を上げた。


 シオンさんの知り合いのようだ。


「ちょっとごめんなさいね」


 僕にいい、シオンさんは立ち上がって男性たちのほうへ近づいていった。店主のレオンさんも席を作りにカウンターを離れていった。


 カウンター席に一人になった。そっと腰元の剣に触れる。たまたま訪れた地で作り手の子孫に巡り会うとは。ムゲンさんが導いてくれたのかもしれない。


 レオンさんが戻ってきた。


「姉貴からじいちゃんの話題が出るとは思わなかったよ」


 内緒話をするかのように声が抑えられている。


「姉貴さ、じいちゃんのことを尊敬するあまりか、今までじいちゃんの話は避けてる感じがあったんだ。何か今日はいつもとちがうよなーってのは君を連れてきたときから思ってた。姉貴が初対面の人間と、しかも男と、ここにくるなんてなかったからさ。もちろんじいちゃんの剣を持ってる人に出会えてうれしかったのはあるだろうけど、まあ君と話してみて君だから姉貴も心をゆるしたってのはあると思うよ。君と姉貴ってどことなく似てるよ」


「そうですか?」


 入口付近でまだ男性たちと立ち話をしているシオンさんに視線を移した。まわりは盛り上がっていても一人静やかな笑みを浮かべて落ち着いている。冷めているわけではない。他人に流されない芯の強さがあるんだろう。かっこいい。似ているといわれて悪い気なんてしない。


「君の性格すべてを把握はしてないけどさ、でも俺はなんか君が好きだな。おっと、変な意味じゃないぜ」


「ありがとうございます」


 たてつづけにお客さんが来店し、店の中はたちまちにぎやかになった。


 上機嫌に酔っ払う人々。客同士、出身や職業など探ることなく楽しい時間を共有する。僕にとっては気が楽であり、また、完全にとはいかないが気をまぎらすことができて居心地のいい空間だった。


 気づけば0時まであと一時間弱になっていた。すっかり長居してしまった。


「僕はそろそろおいとまします」隣で煙草を吸うシオンさんと、お客さんが減ってくつろぎの一服をしているレオンさん、両方に向けて僕はいった。


「今夜はどこに泊まるんだ」酒を飲まされてレオンさんは赤ら顔だ。


「適当に見つけます」


「決まってないのか。うちにくるかい」


「いえ、そんな。迷惑になりますので」


「かまわんよ。空いてる部屋があるんだ」


 じっくりと顔を突き合わせてしまったから、明日になれば表情や口調がちがうことに気づくだろう。カレが僕に似せたしゃべり方をするとは思えないし、やはり事前に手を打っておかなければならない。今さら化体族だと名乗ることはできない。


「お気持ちだけいただきます」


「こんな時間だ。宿屋が見つからないかもしれないぜ」


「野宿は慣れています」


「でもなあ。姉貴」


 シオンさんは煙草を灰皿に押しつけた。「せっかくの一人旅なんだから自由にさせてやりな」


「ああ、そうか。いつも仲間と行動してるんだもんな。たまには一人になりたいか」


「干渉しないのも客商売のうちだよ」


「わかった。名残惜しいがここでお別れだ。ハヤテ、気をつけてな」


 お礼を告げ、いつかまたくることを約束し、酒場を後にした。


 レンの手綱を引いて夜道を歩きだしたときだった。


「ハヤテ」


 シオンさんが追いかけてきた。


「これから私が質問をしますが返答しなくてけっこうです。そしてまったくの的外れだったらごめんなさい。――あなたは、大事な人を失ったのではないですか」


 それは不意打ちといえば不意打ちだった。僕は返答できなかった。


「あなたは今、悲しい眼をしているように見えます。昔の私と重なります。祖父が亡くなったとき、私は悲嘆に暮れました。優しくて偉大で最も敬愛していた人との永遠の別れ。ただただ無念としかいいようがなく、弟に心配をかけるほど泣き腫らしました。当時は立ち直れる日がくるのだろうかと思案しましたが、人の心とはしぶとくできているものですね、くるものです」


 僕は黙ってシオンさんの言葉に耳を傾ける。


「悲しみはときが解決してくれるのです。新しい出会いが人の心を救ってくれるのです。何かを失えば何かが運ばれてくる。そうやって私のもとに流れてきた巡り合わせを、私は大切にしたいのです。ハヤテ。祖父の剣を持つあなたとの出会い、私はとてもうれしく思っています。あなたの行く末に神のご加護があらんことを」

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