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32:沈思 【月の日/ハヤテ】

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 今頃、大規模な葬儀が執りおこなわれているんだろう。本来であれば東大陸に上陸して大地を駆け抜けている頃だったはずだ。そうなってくれてたらどれだけよかったか。


 外はそろそろ日が傾く。のが、天井の大穴から確認できる。天井の大穴がなければ、この洞窟は足元さえも見えぬほどに真っ暗だったろう。


 ノエルの遺体と対面した後、族長から宮城の客間で待機するよういわれた。しかし僕は宮城を離れ、セスヴィノア区からも離れて、ノエルと初めて会った森に入り、ノエルとカレが前に訪れた洞窟へとやってきた。一人になりたかった。部屋に一人にしてもらうとか一人で庭を歩くとかではなく、本当にだれもいない静かなところに身を置きたかった。自然と僕はこの場所を目指していた。


 仲間たちにはちょっと出かけるとだけいってある。いき先もいつ戻るかも伝えていない。いつ戻るかに関しては自分自身わかっていない。とりあえず今日は帰るつもりはない。この「とりあえず今日は帰らない」が今日だけのものなのか、はたまたつづくのか、つづくとしたら何日つづくのか、今の僕には難問のごとく見当がつかない。


 冷たく固い地面に寝そべって思うがままに思考を巡らせる。様々な後悔が渦巻く。


 カレは受け入れなかった。遠征に同行したいという、ノエルの申し出を。


 どうしようもなかった。僕でも断っていた。ノエルと昼夜問わず行動をともにするのは考えられなかった。旅慣れていない彼女の健康面や体力の不安もあるが、ノエルと一緒にいれば、自身を抑えることができなくなりそうで怖かった。神のもとへ辿り着く前に禁忌を犯してしまうのではないか。そんな恥ずべき恐れがあったんだ。


 カレと僕は、ハヤテという男は、ノエルに魅かれてしまっていた。


 自分でもまったく想像していなかった。どうしてこんなことになってしまったんだ。人間と交わってはいけないということは、人間の異性を特別な目で見てはいけないということ。十分わかっていたつもりだった。今まで人間はもちろん、同族である化体族の女性にさえ浮ついた感情を持ったりはしなかった。ノエルには、恋をしたことは「あまり」ないと語ったけれど、本当は生まれてこの方一度もなかった。決して自慢にはならないが、自分の中の情熱を百年懺悔の遠征に注いでいる点では密かなる誇りのようでもあった。なのに、ここへきてどうして、人間の女性に好意を抱いてしまったんだろう。結局それは初めて想いを寄せた人を不幸にするだけだったのに。


 ――この子は、自ら命を絶つことで、あなたへの愛が本物であると証明したかったのかもしれませんね――


 族長がいっていた言葉がよみがえる。


 半人種と人間が親しくなろうとすれば災いを招くだけなのだろうか。近づかないほうがお互いのためなんだろうか。ハヤテという男と出会わなければ、ノエルは今も生きていたんだろうか。彼女の望みどおりに彼女を遠征の仲間に加えていれば、彼女はこの瞬間も、生き生きと瞳を輝かせていたんだろうか。


 まるで悪魔との契約で持っていかれたかのように、あのきれいな瞳をはじめ顔面のほとんどが削れてなくなり、内側がむき出しになっていた。一部の損傷が激しい一方、おそらく宮城の女中が身繕いしたのだろう、長い栗色の髪は整っていて、高貴な衣装を着用していて、あまりに対照的だった。ノエルの人生とは常にそういった対照の中にあったのかもしれないと、彼女の死に様から勝手に彼女の生き様を思い描いた。


 何かのまちがいだ。大丈夫。ノエルは生きている。訃報を受けてから宮城に到着するまで、僕はそう信じていた。だから棺の中の遺体を見て、一目でノエルであると認識したときには、ひどく裏切られた気分になった。おこがましくも自分の絶対的味方だと思い込んでいた神に、裏切られた気分だった。


 大穴から差し込む光が眩しくないのに眩しい。遮るように手をかざした。


 ――さようなら――


 ――幸運を祈ってるわ――


 昨晩、ノエルがカレに告げた別れの言葉。あのときすでに永遠の別れを意識していたんだろうか。いつ、思い立ったのか。最後の一線を越えるに至ったきっかけはなんだったのか。答えを求めたところで意味がないのはわかっているけれど、放っておくとそれらの疑問が餌を欲しがる(ひな)のように顔を出す。なぜだろう。なぜ答えが欲しいんだろう。ハヤテという男への愛が本物であると、族長が語った筋書きを、下書きに過ぎないその一説を、この手で清書したいのだろうか。


 百年前に罪を犯したダイモンと天人族の女性。彼らが身投げしたとされている岬で、ノエルは短い人生に幕を閉じた。あの場所に案内してもらったときに、岬の先端に立つノエルの体がふわりと宙に舞ったような幻覚を見た。あれは本当に幻覚だったか。彼女は実際に宙に舞ってはいなかったか。飛びおりようとはしていなかったか。彼女の最期を幾度か想像したせいで、どこまでが肉眼で捉えたもので、どこからが僕が作り出した虚構なのか、考えれば考えるほどに区切りがぼんやりとしてわからなくなっていた。


 ノエルと出会ってからは人間になりたい思いがより強まっていた。ノエルが亡くなった今、まるで最初からノエルありきで遠征に出ていたかのように、目標をぽっかりと喪失してしまったような虚無感に襲われている。今まで揺らぐことのなかった確信が揺らいでいる。死んでいないと信じていても僕の大切な人が死んでいたように、化体族が人間になれると信じていても、百年ひたすらに懺悔をしてきたと自負していても、神の判断一つで化体族の切なる願いが叶わない事態だって起こり得る。ノエルが亡くなったことで、神はどんな人物でも容赦なく切り捨てることがあるとわかった。


 四日後、鳥人族が僕たち一行を迎えにくるという。遠征を進めるにはこれ以上ない助け船となる。まさかその船に乗らないなんてことは……真っすぐ目標だけに向かって突き進んでいた頃にはまったくもって考えられなかったことだ。


 四日後、果たして目標や意欲がどの程度僕の中に存在しているんだろう。四日後、僕の心はどこに向かってるんだろう。今はまだ、わからない。

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