31-2:無常の風
宮城内は重く沈んでいる。すれちがう陰々滅々とした人を見るにつけ胸中に黒雲が立ち込める。
マヤさんの話によれば経緯はこうだ。夜が明ける前にノエルが宮城を抜け出すのを見張りが目撃した。見張り二人は後を追った。ノエルがいき着いた先は、セスヴィナ領北部の海を眺望できる岬、といえば情緒があるが、別のいい方をすれば険しく切り立つ崖の上だった。一抹の不安を覚えた見張りが近づくも、ノエルは躊躇することなくふわりと舞うようにして高い崖から飛びおりた――。
ノエルの部屋からは遺書が見つかっている。内容からして今日の未明に書かれたものであり、ノエルの直筆でまちがいないという。自ら命を絶つ明確な意思があったということだ。とはいえ、おれはまだ信じられないでいる。信じたくない。昨日は明るい笑顔を見せてくれていたのに。この話は全部、タチの悪い、悪趣味な冗談であってほしい。
こちらです、とマヤさんが真鍮の取っ手のついた扉を開けた。大広間だった。
中央の高座に大きな棺が置かれ、大勢の人間が取り囲んでいる。すすり泣きと嗚咽が飛び交う。族長の姿もある。この上なく湿っぽい場景に触れ、おれは高所で耳がキンとなる感覚を思い出した。現に少しばかりその症状が出ているかもしれない。
「ノエル様の親しいご友人がお見えになられた。皆、しばしのあいだ席を外してくれぬか」
初老の左大臣が声をかけると、棺に向かって祈るようにしていた人たちは聞き分けよくぞろぞろと移動し始めた。自力では歩けずに引っ張られてく人もいる。その大人数たるや、まるで蟻の集団を見ているみたいだ。
やがて集団は消えた。広い空間におれたちと族長と側近ら十人ほどが残った。静かになった。それぞれ、だれかが話し始めるのを待ってる感じだ。ハヤテは宿を出てからずっと押し黙っている。ハヤテらしからぬ生気のないその目には、今何が見えてるのか。
このたびはご愁傷様です。お悔やみ申し上げます。そんな挨拶なんてする気はない。
「顔を、見ても?」おれはだれにともなく訊いた。
ゆるしが出た。
遺体を発見し宮城へ持ち帰ってきたことは聞いていた。だれの遺体なのか。本当にノエルの遺体なのか。自分で確認しなければ、事実として受け止めることはできない。
おれは高座に上がった。棺をのぞき込む。
「ふっ!!」
手で口をふさいだ。胃が痙攣し、それに合わせて、ふ、ふ、ふ、と息が漏れた。おれはたまらず視線をそらすも追いかけてくるように何かが込み上げ、カハッとえずいた。じわりと涙が浮かぶ。荒い呼吸が出る。
――こんなむごたらしい人体の損傷を、いまだかつて見たことがない。
大部分が削れた顔。頭部とつながってるように置かれてはいるが、ぶつりと離れた首から下の体。ちぎれた片腕。
残った顔の一部、髪、服、体格からして、まちがいなくノエルだ。ああ、岩に落下してしまったのか。なんて、なんて、むごたらしい。
ハヤテとリャムも遺体をのぞき込んだ。あわてず、うろたえず、無言で正視する二人。自分の軟弱さが浮き彫りになった。
ユリアは棺に近づこうとはしなかった。それがいい。
「以前より、この領には暗黙の掟がございました」
高座から少し離れたところに立つ族長が粛々と語りだした。ノエルとそっくりの瞳はハヤテに向けられている。
「人間となった我々。もし半人種を愛してしまったのなら、ゆるされる道はただ一つ。邪な想いとともに邪な魂を自らの手で葬り、不幸を未然に防ぎなさい、と。――この子は、自ら命を絶つことで、あなたへの愛が本物であると証明したかったのかもしれませんね」
そういう背景があったのか……。きれいな話だけど、きつすぎる。
「ハヤテ。ご自身を責めたりなさいませぬよう。すべては娘の意思。あなたに責任などございません」
ハヤテは棺の中に目を落としたままだ。返す言葉なんてないだろう。
「あなた方には感謝しています。このあいだの、ノエルが家出をした、その前日のことです。私とノエルは縁辺に関して激しく口論いたしました。翌朝ノエルは書き置きを残して消えていました。『私の意思を、私の行動によって示します』と。どこか遠くへ落ちのびて戻ってこないつもりだったのでしょう。世間知らずな娘のことです。死、どころか場合によっては死よりも残酷な目に遭っていたかもしれません。その娘を連れ戻してくれた。宮城に亡骸を納めることができる。あなた方のおかげです」
「何をぬけぬけと抜かしてんのよ」ユリアが水を浴びせるような一言を投げかけた。
空気が固まる。
「何を冷静に語ってんの。なんでそんな頭でばっかり考えてんの? なんで嫌がっている結婚を押しつけたの!? そうよ、お兄ちゃんに責任なんてあるわけないわよ。あんたが追い詰めたんだもの。こうなった原因はあんたよ!」
「族長に対してなんたる無礼! 取り押さえよ!」
鎧の男の指示で数人の男が動きだしたが、族長が「やめなさい」と命じた。
ユリアをじっと見つめる族長。「あなたは本当にノエルに似ていますね。まるでノエルに非難されているみたいです」
あ、とおれは声を出さずにいった。初めて鉄の女に対して哀れみの念を抱いた。一匹の虫さえ通さぬような族長という仮面の下に、一人の人間としての不器用さや母性が透けて見えた気がした。この人は自分の娘を亡くしたんだと、今になってきちんと理解した。この人だって、つらくないわけがないんだ。
ユリアもほだされてしまったのか何もいい返さない。
族長は低く咳払いをした。再び仮面をきつくつけ直した感じがした。
「これからの予定をお話しします。明日より三日間、ノエルの葬儀を執りおこないます。あなた方に参列いただければ娘も喜びます。宿と食事はこちらで用意いたします。そして現在進行中の事柄についてお知らせします。鳥人族の長へ正式に協力要請をいたしました。先方が承諾すれば――私はまちがいなく承諾すると踏んでいますが、四日後に、鳥人族の使者があなた方を迎えに上がります」
「え」
鳥人族? 協力要請? セスヴィナ領が認めたのは橋の通行のみで、そっちに関してはまるで非協力的だったのに。
「どうして急に」
「つぐないのつもり?」
おれとユリアが同時に尋ねた。
「それがノエルの遺言でしたので」族長が告げた。
体がぐらりと後ろに倒れそうになった。引っ張られるようにして振り返る。高座に置かれた棺。優美な細工が施された立派な棺だ。美しくて気品のあるノエルにふさわしい。
ノエル。最後まで君はなんて……。これ以上のやるせない死ってあるだろうか。せめて……、せめて、棺のように、生前のノエル自身のように、遺体もきれいであってほしかった。
「葬儀の準備を進めます。客間でお待ちください」
もはや族長が族長としての務めでしっかりとまわりに指示を告げる以外、だれも何もいえなくなっていた。
おれたちは退室した。
柱廊へと出たとたん、だった。ハヤテは膝からくずおれて獣のような咆哮を上げた。そして何度も何度も地面を叩いた。ときに、叫びながら。
おれとユリアとリャムはただその場に立ち尽くすしかなかった。
月ハヤテはひかえめで冷静な男だ。こんなにも感情を表に出している姿はいまだかつて見たことがない。
昨日の、太陽ハヤテが族長の前でひざまずいて頭を下げている場面がよみがえった。あれも衝撃的だったが、月ハヤテが似たような体勢になってる今、あのとき以上に胸に迫るものがある。
ふと、柱の陰に酒瓶が転がっているのを見つけた。そういえばこの庭は、と思い至る。ここの庭で、昨夜、おれたちのために宴が開かれたのだった。ノエルの呼びかけによって、盛大に祝してもらった場所だ。




