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30-1:宴の夜 【太陽の日/ハヤテ】

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 宮城(きゅうじょう)の庭の八方に散らばるテーブルに料理と酒が次から次へと運ばれる。椅子はない。決まった席もない。多くの足が気軽に移動し、多くの口が開放的に動く。結果として盛況に結びついている。


 俺は小さな石像の土台に座って人だかりを眺める。薄青く暮れた空が地上にもその色を落としている。


 今日の今日でこれだけの饗宴を開けるとは。一体何人参加してやがるんだ。百人くらいいるんじゃねえのか。セスヴィナ領の規模の大きさをまざまざと見せつけられた気分だ。


 グラスを手に取り酒を仰いだ。蜂蜜の香りの奥に酸味とほのかな甘みがある。飲みやすいが浴びるほど飲む類いの酒ではない。理性を保ちながら打ち解けることが要求される場にはふさわしい飲み物だ。空になったグラスを一段高い台座に置いた。


 たかが橋を渡るために身を低くして頭を下げることになるとはな。レイル島の領長であるババアにもムゲンの兄貴にも親にもひざまずいたことなどなかった。セスヴィナ領と関わってから初めての経験がつづいている。


 まあ、神に懺悔する練習だったと思やいい。確固たる決意の下では低頭という行為に恥も抵抗も生じないものだと知って儲け物だと思っときゃいい。


 だれかが近づく気配がする。ノエル。それからマヤという名の女中か。


「主役なのに隅にいちゃだめじゃない」ノエルが口元に笑みを浮かべていう。白い肌は夕闇でこそなお映えるのか、その表情がよく見える。


「あいつらが相手してるから十分だろ」俺は親指で指し示した。


 ひときわ目立つ会衆の輪。中心にいるのは姫だ。人間の言葉を理解し、馬らしからぬ振る舞いをするのをおもしろがられて、会の始まりから常に多くの人間に取り囲まれている。別の群れでははちまき野郎が女中らを相手に手品やら話芸やらで戯れ、その付近でケイがいかにも本の虫みてえな連中と何か熱心に語り合っていた。


「みんな本当はハヤテとも交流したいのよ。なのにこんな端っこでそんなしかめっツラしてたら怖くて人が寄りつかないわ」


「しかめツラしてるつもりはない」


 ノエルはとたんに吹き出して抱腹した。遠慮なく大笑いしやがる。


「不思議よね。昨日のあなたなら絶対にしない顔なのに」


「どんなひでえツラしてるってんだ」


「ひどいとまではいってないわ。すごくよくいえば勇ましい」


 歓声と拍手が起きた。一番の人山からだ。はっきりとは確認できないがどうやら姫が踊りか何かを披露しているようだな。ここにくるのは気乗りしていなかったがきたらきたで楽しんでいる様子だ。


「とっても神秘的な存在ね。化体族って」ノエルは盛り上がってる方向に視線を向けていった。


「当事者は神秘なんて感じたことがねえけどな」


 ノエルは小さな声で「うん」といった。


「私はこれで」静かにしていた女中が一礼して足早に去っていった。


「ふふ。マヤったら、気を回しちゃって。ここにいるハヤテを発見したのはあの子だったのよ。ノエル様、今ゆかれるべきです、って半ば強引に連れてこられちゃった」


「あの女中と仲がいいようだな」


「気が合うのよ。女中という身分の前にあたしにとっては一番大切な友達だし、本当の家族よりも家族に近い存在だと思ってる」


「そうか」


 ノエルより少し幼く見える女中の姿はもうない。


「ハヤテと出会ってから、考えたわ。ハヤテみたいに、あたしにもう一つ別の人格があったらどうだったのかしらって」


 急に神妙な口調になった。


「あたしと正反対の人格って、おとなしくて、聞き分けがよくて、慎み深くて、って感じかしら。そんなのあたしじゃないって思うけど、でも、そんなあたしだったら少しはセスヴィナ領に貢献できていたかもしれないわね。族長や姉たちとうまくやれてたかもしれないわ」


 いき着く先は族長との関係性なんだな。


 その族長と側近の奴らは顔を出していない。


 俺は群衆を見回してからノエルと目を合わせた。ノエルはまじめな顔つきで待っていた。


「ハヤテ。あなたともっと話がしたいわ。静かな場所にいきましょう」


 ノエルの誘いを受け入れた。俺も今夜のうちに伝えておかなければならないことがある。




 宮城の二階に上がり、人のいない教会の露台へと出た。下には薄闇に色を失った花園が広がる。


「ここならだれもこないわ」ノエルは手摺りに両手を置いて腕を伸ばした。「みんな楽しんでくれててよかったわ。正直にいって、あなたたちに不心得な態度をとる人間が出てくるかとちょっぴり不安に思ってたけど、そういう人はあの場にはいなくてよかった」


「どういうことだ」


「この領には、残念ながらレイル島のことを、化体族のことを悪く思っている人がいるの。百年前のことについて、エデンレイル領の人間の男が、何も知らない無垢な天人族をたぶらかしたんじゃないかって、強引に純潔を奪ったんじゃないかって、本気で思い込んでる人がいるわ」


「なるほどな」


 天人族は雲の上に住んでいたといわれている。それは神族を彷彿とさせ、清廉潔白な印象を持たせる。自分たちの祖先が無垢で非がなかったと信じたい気持ちもまあわかる。


「そんなことあり得ないのにね」


 ノエルがそう断言をする根拠に興味が湧いた。


「なぜ」


「両方とも罰を受けたからよ。どちらかが虐げられたのであれば、神が両者に罰をあたえるはずがないわ」


「一理ある」


「百年前のあの二人には愛があったのよ。愛し合うことが一番の罪だなんて、こんな悲しいことはないよね」


 しんみりとした空気がノエルを取り巻いた。


 昨日ヤツがこの体と頭で感じたように、セスヴィナ領では百年前の出来事を美談として捉えている節がある。あるいはセスヴィナ領というよりは、化体族を神秘的だといい表したノエル個人の感性なのかもしれないが。いずれにせよレイル島民とは感覚がちがう。たとえレイル島の中にノエルと同じような捉え方をしている奴がいたとしても、決して表に出すことはないだろう。島で語り継がれてるのはエデンレイル領の人間の男と天人族の女が交わった事実だけ。そこにどんな思いや物語があったかなど、糸くず並に不要なものだ。


「ねえ、ハヤテ」


 ノエルは体をこちらへ向けた。小暗い中に浮かぶノエルの形よい輪郭は、まるで潔癖な絵描きが描いた精妙な絵画のようだった。


「どこからが罪なのかしら。人間と半人種の恋って。好きだという気持ちを伝えるだけでも、罪深いことなのかな」


 試すような質問だな。そんなものは俺に訊いたところで答えが出るわけではない。


「神に訊けばいい」俺は軽くあしらった。


「そうするわ」


 向こうは本気っぽいいい方だった。


「あたしも神に目通りするわ。あたし、ハヤテたちと一緒に旅に出たい。あたしを遠征の仲間に加えてほしい」


 やや緊張が混じった意志の強い声だった。


 願い出るきっかけを窺っていたのか。真剣だろうと思いつきだろうと俺の答えは一つだ。


「認められない」


「どうして? リャムも人間なのに。彼は仲間に加わってるわ」


「あいつとお前とでは体力も経験も大きな差がある」


「そりゃ男性に比べたら力はないかもしれないけれど、でもあたしはついていく自信があるわ。馬術だって護身術だって習った。剣も振れる。迷惑はかけないようにする。だから――」


「お前を連れていくことはできない」

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