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3-1:強気なハヤテ

- 3 -



 おれの部屋の窓から「神ノ峰」の頂上が少しだけ見える。神ノ峰はレイル島で一番高い山の主峰。つまりこの島で最も天に近い場所だ。


 窓を開け、背伸びして朝のひんやりした空気を目一杯吸った。そして思いっきり息を吐くと同時に肩の力を一気に抜いた。起きしなにこの動作をするだけで目覚めがちがう。


 神ノ峰を目にすると必然的にハヤテが脳裏に浮かぶ。神ノ峰が位置する東の方角にハヤテの家がある。集落から外れた場所に住んでいるために若干不便そうだけど、ハヤテの両親のたっての希望でハヤテが誕生してすぐに神ノ峰がよく望める原野に家を建てたそうだ。ふつうの人はあまりそんな場所に住まいを求めないけれど、あの一家ならば話は別だ。ハヤテ一家にとって神ノ峰は切っても切れない縁があるのだ。


 おれは胸の前で両手を合わせた。


「ここに懺悔いたします」


 およそ十秒のあいだ、目をつぶって静心を保った。レイル島の民は毎朝、神ノ峰に向かって懺悔の意を示すしきたりがある。平生は個人でおこなうが、月に一度は集落で寄り集まっての、そして年に一度は島全体での合同礼拝を恒例としている。


 おれは寝巻から日常服に着替えた。今日は上半身裸で歩いていたとしても怒られはしないが、「ふだんからきちんとしなさい」と小言はいわれそうだからちゃんと身なりを整えておこう。


 階段を下り、洗面所で顔を洗ってから台所へ入った。母さんが流し台の前に立っていた。


「おはよう母さん」


「おはようケイ。もう少しで朝食ができるから座ってておくれ」


 うん、と返事をする隙をあたえずに母さんがつづけた。


「今日また役所にいくんだろ。お弁当を作っておいたから持っていきな。ハヤテにも渡してやるんだよ」


 まな板の上に置かれていた弁当箱を開けた。中にはサンドイッチが入っていた。焼き目がついた硬めのパンにたっぷりの具がはさんであるのはハヤテ好みだ。このサンドイッチがまたうまいのだ。


 母さんは男っぽい性格に似合わず料理と裁縫が得意だ。手先を使う作業が好きなんだそうな。おれが生まれる前までは役所で働いていた。出産後は家でできる手仕事がしたくてレイル島伝統の絨毯づくりを近所のおばさんから学んだ。すっかり天職になったようで、毎日楽しそうに絨毯を織っている。


 居間のテーブルでは父さんが本を読んでいた。おれは父さんと挨拶を交わして、真向かいの席に座った。


「昨日一日、父さんを見かけなかったから心配してたよ」


 父さんは本を畳んだ。「はっはっは。お前に心配されるなんて三十年先でいい」


 三十年先。現実的な数字だな。


「夜はもしかしてマルコスさんの歓迎会にいってた?」


「はっはっは。正解だ。綱渡りを披露したら好評でな。楽しかったぞ」


 父さんはたいてい会話の頭に爽やかな笑い声を付す。なんてことないふつうの話題でもだ。口癖みたいなものかもしれないが、空笑いの感じはしないので何かしら面白味は感じてるんだろう、たぶん。ちょっと変わってる人だけど、頭はいい。レイル島の子供は五歳から十五歳まで学舎に通って勉学に勤しむ。父さんはその学舎の先生の一人だ。学舎では読み書きや計算、歴史、地理、生物、自然等について学ぶ。ときには外に出て剣術や弓の基礎を教わることもあるし、農具の使い方や歌を習うこともある。先生になるには先生から指名してもらわなければならず、先生方がじっくりと生徒たちを判断した上で選抜されるのだから、名誉ある職なのだ。


 おれも小さい頃は先生になりたいなんてぼんやりと思ってた。けど、先生になれるのは二十歳からだと知って、いつの間にかそんな夢は描かなくなった。二十歳になる三年後には西大陸に自由にいけるようになっているはずで、そうすれば世界中で仕事を探すことができる。ユリアみたいに島の外に強い憧れがあるわけじゃないけれど、一度世界を知ってから将来を決めたっていいと思うんだ。


「ねえ父さん。世界にはどんな職が――」


「んん! アズミさん!」父さんが勢いよく椅子から立ち上がった。


 おれは話を中断してあわてて後ろを振り返った。母さんが食器棚の一番上の段から大きな皿を取ろうとしているところだった。わずかばかり皿に届いている手は伸ばしすぎているために細かく震えている。


「危険じゃないか。私にまかせるといい」


 素早く母さんのもとへ近寄り、ひょいっと目的の皿を取ってあげた。父さんは背が高いのでそれこそ朝飯前の仕事だ。


「ありがとうケイゴ」


 父さんは母さんの両肩に手を置いた。「はっはっは。君の美しい顔と体にけがをさせてはいけなからね」


「何いってんのさ。でも気をつけるよ」


「はっはっは。いつでも私に頼ってくれればいい」


「子供の前で恋人ごっこすんなよ。気色悪い」


 二人は見つめ合ったままだ。奴らの耳には子の声はもはや届いてないみたいだ。さっさと朝食を済ませて外出することにした。




 おれの家から港付近へつづく道は二通りある。今日は裏道でいってみることにする。昨日ハヤテたちと役所へ向かった道を「いつもの道」と呼び、もう一つを「裏道」と呼んでいる。同じくらいの距離なんだけど、裏道は畑と畑のあいだに作られた細い道を通らなければらない箇所があって多少歩きにくい。どっちを歩行するかはその日の気分次第だ。


 裏道の途中で鍛冶屋のサスケさん家から(つち)を打つ音が聞こえてきた。律動的で力強い音、乱調子な音、複数の響きが重なる。二十歳の長男と十九歳の次男と十五歳の三男が父親であるサスケさんから鍛冶の手ほどきを受けている。ここの家族のように学舎での学業が修了したら親の仕事の手伝いをするのが、この島では一般的だ。農作業、畜産業、絨毯づくりあたりが従事者が多い。季節によって海の仕事に転換する人もいる。ハヤテとおれは特定の仕事には携わらないで勉学と心身の鍛練に力を注ぐよう領長からいい渡されている。すべては遠征のためだ。


 土のにおいよりも風に運ばれる潮の香りが強くなるあたりで「裏道」が「いつもの道」と交わる。いつもの道に出て役所の方向を向いたとき、一頭の馬を連れた黒髪の男の後ろ姿が見えた。


「ハヤテじゃないかー」


 ハヤテが居合わせている地点の脇道から、おれより早くハヤテを呼ぶ声がかかった。語尾を伸ばすしゃべり方の持ち主は容易に想像がつく。脇道からマルコスさんがひょっこりと現れてハヤテの横で立ち止まった。


「マルコスのオヤジか。散歩か」ハヤテは髪をかき上げていった。


「そうだー」


「ゆうべ宴会だった割には早起きじゃねえか」


「どんなに寝るのが遅くとも決まった時間に起きて太陽の下で散歩するのが日課なんだー。健康的だろー」


「その割には腹が出てるじゃねえか」


 ハヤテはマルコスさんの丸っとしたお腹を叩いた。


「この腹を引っ込めるために始めた日課なんだー」


「なるほどな」


「ハヤテは役所にいくんだろー」


 そういってマルコスさんは〝姫〟をなでた。ハヤテが連れてる馬なら〝姫〟でまちがいない。


「こいつもいくってきかなくてな」


「呼び方があるんだったな。えーと、じゃじゃ馬だったかー」


 赤褐色の馬体が興奮気味に動いた。


「冗談だー。姫だろー」


「正しく呼ばないとこいつに蹴られるぜ」


 マルコスさんが「ひえー」と笑いながらおびえる真似をした。マルコスさんの朗らかで大らかな人柄は和む。


 つとハヤテがおれのほうに顔を向けた。


「いたのか。何にやけてんだよ」


「なんでもないよ」


 おれはコホンと空咳を吐いてハヤテたちのそばへ駆け寄った。するとマルコスさんが出てきた脇道から「おや」と声がした。


「ケイも一緒かい。ちょうどよかった」


 ちょいと太めの中年がこちらに向かって歩いてくるところだった。


「女将さん」


 脇道を入ったすぐ先にマルコスさん一行が宿泊しているシロハゴロモ亭がある。そこの女将であるチズルさんだ。


「窓から姫ちゃんの姿が見えたもんだから一言お礼にと思ってね。ケイとユリアには感謝だよ。おかげで昨日は助かったよ」


「いえ。おれたち素人が手を出して、逆に迷惑をかけませんでしたか」


「とんでもない。うちの亭主よりよっぽどいい仕事をしてくれたさ」


 こちらのご主人はひかえめな人で、女将さんのほうがシロハゴロモ亭での勤務歴が圧倒的に長いのもあって女将さんの尻に敷かれっ放しだ。それでも仕事は丁寧にするご主人なので、女将さんの発言は、まあ、冗談含みのお愛想といったところか。


「遠征に出発する前に暇があったらうちに寄っておくれ。ご馳走してあげるからさ。それじゃあね」


 女将さんはマルコスさんにぺこりと頭を下げた。マルコスさんも目礼で返した。女将さんはそのまま真っすぐシロハゴロモ亭の白い建物へと去っていった。


「マルコスさん。昨日の宴会の料理、おれとユリアが手伝ったんだ。どうだった?」おれは尋ねた。


「おおー。うまかったぞー。腹がパンパンになるまで食べさせてもらったー」


 マルコスさんは太鼓を打ち鳴らすかのようにお腹を叩いた。おれは吹き出した。


「五年前に先代のご主人が亡くなってどうなることやと思ったがー、シロハゴロモ亭はちゃんと先代の味を守ってるなー」


 先代のご主人のことはおれも知っている。腰が曲がってもなお亡くなる直前まで厨房に立っていた生粋の職人だ。先代の女将はおれが生まれた年に病没しているのでどんな人だったかは知らない。二人には子供がいなかったので、長くシロハゴロモ亭で働いていたチズルさんを新しい女将にし、店を譲ったらしい。


 ハヤテが姫の手綱を引いて歩きだした。


「あ、ハヤテ」


「先に役所にいく」


「待てよ。おれも一緒にいくよ」


 マルコスさんは自身の船を見がてら港の周囲を散歩するという。マルコスさんとはその場でお別れとなった。


 おれは遠慮なしに進むハヤテの後を追った。急に歩きだして、シロハゴロモ亭絡みの話を避けたかったんだろうな。チズルさんがハヤテの父さんを好きだったっていう事実、長年レイル島と交流のあるマルコスさんなら知ってるかもしれないもんな。その話題がマルコスさんの口から発せられることを回避したかったんだと思う。




 会話がほぼないままに役所に着いた。昨日と同じく裏口から領長を訪ねた。昨日と変わらず領長は長椅子に腰掛けていた。


「こんにちは領長」


「うむ、よくきた」領長は立ち上がり、おれたちのほうへ歩を進めた。「なんだ、今日も呼んでいない者が一人、いや、一頭おるな」


 疲れているのか領長の声は抑揚も力もなかった。とりあえずおれはその点を指摘せずに会話をつなげた。


「ハヤテについていくってきかなかったみたいで」


「そうか」領長は返事はしたものの心ここにあらずという感じだった。様子がおかしい。顔色もよくない。


「今日は会合を開くんだろうな」さっそくハヤテが本題を切り出した。


 領長は眉をしかめた。「すまん。今日も中止だ」


 おれが「え」と口を広げるより早く、ハヤテが領長に食ってかかった。


「おいババア。どうなってんだ一体」


「悪いの。明日になれば……。明日こそは会合を開ける」


「しけたツラしやがって、もう何か事が起きてんだろ。今すぐ説明しやがれ」


「いや。再び〝月の日〟を迎えんことにははっきりせんのだ。〝太陽の日〟である今日に不確定な事情を述べて混乱させたくはない」


 ハヤテは不満そうだったが反論はせず、大きく深呼吸をした。そして気を取り直すように腕を組んだ。「兄貴はどうしたんだよ」


 これには領長より先におれが言葉を発した。「そういえば昨日もムゲンさんの姿は見なかったな。そろそろ戻ってきてもおかしくない頃なのに」


「ババア。まさか兄貴に何かあったんじゃねえだろうな」


「俺なら大丈夫だ」


 野太くて低い声が後ろからした。振り向くと今まさに話題になっていた人物が裏口の外から姿を現した。


「ムゲンさん」


 おれは胸をなでおろした。ハヤテに感化されて一瞬ムゲンさんに災難が振りかかったのを想像してしまっていたからだ。大丈夫だという本人の言葉どおり、がっしりとして頼もしい、いつもの泰然たる雰囲気をムゲンさんは放っていた。


「兄貴。帰ってきてたのか」


「昨夜戻った。夜も更けていたので皆には挨拶をせずにすまなかったな。予定どおり大公の書状はもらってきた」


 ムゲンさんは懐から巻物を取り出した。金色の打ち緒でくくられた雁皮紙(がんぴし)には白波と巻貝を模した紋章が刷られている。大公の御紋だ。


「ありがとうございます。立派な巻物ですね」実際に大公の書状を目にしたのは初めてだったのでおれは見入ってしまった。「ムゲンさんが無事に戻ってきてくれて安堵しました。会合が中止って聞いて一瞬悪い想像をしちゃってたから。会合の中止とムゲンさんが関係なくてよかった」


 ムゲンさんはかぶりを振った。「いや、関係している」


「え?」


「どういうことだ」ハヤテの声は尖っていた。


「領長。今話してもよろしいですね」


 大人二人は顔を見合わせた。黙り込んでいた領長は声を発さずにうなずいた。ムゲンさんはゆっくりと目玉を移動させ、おれとハヤテの中間くらいに視線を置いた。


「ちょっと油断してな。この体は大丈夫なんだが……」

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