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29-1:頭低 【太陽の日/ケイ(男)】

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「おとなしく留守番してろよ」ハヤテが姫の首筋を軽く叩いていって聞かせる。「いわなくても今日は元気がねえか。橋を渡る許可は必ず取ってくるから心配すんな。――つうことで出るぞ、ボンクラども」


 厩舎の隅に立つおれとリャムに視線を投げてきた。ぞんざいな呼びかけだな。姫には優しいのに。


 出口へ向かうハヤテを見送る姫。その眼は切なそうに見える。が、元々馬はそんな眼をしてるっちゃしてる。おれが姫の心境を深読みしてるだけだろうか。じゃあな、とだけ声をかけておれは厩舎を後にした。


 じりじりした日差しが肌を射る。水路沿いの道を歩く。


()()()()も橋の通行に賛成でよかったですけえ」リャムが()()()()()みたいにいう。


「賛成も何もそれしかねえだろ。船旅なんてしちめんどくせえ手段に心が揺れる気が知れねえ。俺だったら昨日の面会の時点で話をつけてたっつうのに、あの野郎、翌日までうだうだ持ち越しやがって」


 月ハヤテを批判しながらもその足は月ハヤテが見込んでいたとおり宮城を目指して進んでいる。今朝起きたときから宮城へ向かう気満々だった。本人が表明したわけじゃないけれど、太陽ハヤテも一ヶ月以内の遠征の完遂を望んでいるのは明らかだ。


 なぜハヤテは急に一ヶ月という期限を設けたのか。昨晩ベッドの中でじっくり考えてみた。ノエルの婚儀が一ヶ月後におこなわれるから。動機になり得るのはそれだけだ。昨日はノエルと二人で博士のところまで出かけてたみたいだし、ノエルから婚儀について知らされる機会はあったと思う。


 ノエルの婚儀が一ヶ月後だというのは、昨日吹き溜まりで出会ったどこぞの背の高い女性の情報が正しいという条件があってこそなのだが、あの女性の話しぶりや、ノエルと母親の関係性、家出の件などを考慮すれば、情報はほぼまちがいないと判断していいだろう。


「鉄の女に手みやげでも持っていきますかえ」リャムが揉み手をしながら提案した。


「バカ野郎。小細工なんざ通用しねえって、てめえがいってただろうが」


「いざとなれば手みやげより己を捧げるべきですかね。族長も女。こっちは三人いるんで一人くらい好みの男がいるはずですけえ」


「ケイ。こいつは捨てていったほうがいいな」


 こんな調子で大丈夫なんだろうか。冗談こそ族長には通用しないぞ。




 広大な敷地の前まできた。険しい顔つきの見張りが立っている。昨日は族長の娘であるノエルと女中のマヤさんが一緒だったからすんなりと入れたけど、今日はそうはいかないだろう。


「何しにきた」


「族長に会いにきた」


「面会の約束は」


「ない」


「ならば通せん」


 ハヤテと見張り。両方とも簡潔すぎる。


「そんならノエルさんを呼んできてくれるかえ。ノエルさんとマヤさんを助けた友人がお待ちですっていやあ、すぐに駆けつけてくれるけえ」恩着せがましいリャム。


 しかし見張りの顔色が変わった。「通れ」


 あれま。攻めてみるもんだな。


「当然だがここを通過できたからといって族長と面会できるわけではない。まずは左大臣に話を通せ」


「その方はどこにいらっしゃるんですか」おれは訊いた。


「宮城内にいる女中に取り次いでもらえ」


「左大臣ってのは族長のそばにいる馬ヅラのおっさんかえ」リャムが問う。


「無礼な物いいはよせ」


「当たりじゃね。お世話さん」


 その後二箇所で見張りに尋問されたが、てこずることなく先へ進めた。


 宮城に到着した。入口にいた女中らしき女の人に取り次ぎを頼んだ。


 五分ほど待った。馬ヅ……面長の初老の男性が入口までやってきた。


「これはレイル島の。再び相まみえるとは」


 初老の男性は自分が左大臣であると名乗った。いい声をしている。顔立ちはどちらかといえばひょうきんな部類だけどしゃべると渋みが出る。


「はてさて。女中から用件は聞いたが。昨日のうちに決着はついているはずだが?」


「不服っつうことだ。双方の納得なしに決着もクソもねえ」ハヤテが左大臣に荒い言葉で抗議した。


 左大臣は目を見開いた。驚き顔も束の間、思案顔に打って変わった。化体族なのに姿が変わっていないおかしさに気づいたか。


 つと、ハヤテに夢中だった怪訝な視線がおれに移ってきた。こっちのほうはちゃんと化体してるよな、とでも確認しているんだろう。


 目が合ったからにはしゃべりかけずにはいられない。「私たちはこのままあきらめるわけにはいかないのです。どうかもう一度族長に談判する機会をください」


「うらはレイル島とは無関係じゃが、この人らに惚れてお供をしとるけえ。なぜ惚れたのかその目で確かめて、そんで判断を下したほうが今後のセスヴィナ領のためになると思うがの」


 リャムの誘い文句の直後にぱたぱたと軽快な足音が聞こえてきた。ノエルだった。きらびやかな衣装が乱れるのもおかまいなしに走ってくる。


「みんな! お母様に……族長に会いにきたのね」


 おれたちの前で足を止めたノエルから、ふわりと甘い香りが流れてきた。端麗な容姿、美しく不思議な色をした瞳、澄んだ声。あっという間にその場を華やいだ雰囲気に変えてしまう人だ。


「ということは、海路ではなくて陸路に決めたのね。賛成だわ。――左大臣。お願いよ。彼らを族長に会わせてあげて」


「ノエル。これは俺たちの問題。手出しは無用だ」ハヤテが鋭い語調で遮った。


 圧倒されたのかノエルの表情が固まった。


「ふむ」左大臣はわずかに顎を上げ、そして引いた。「なるほど。生半可な気持ちではなさそうだ。――挑んでみるがよい」


「お。つまり?」リャムがただす。


「族長に思いの丈を伝えるがよい」


 やった!


「ありがとうございます!」


「物分かりのいい側近じゃ」


「左大臣。ありがとう」


 ノエルの満面の笑みを受けて左大臣は恐縮そうにかぶりを振った。


「どういう事情なのか、個人的に興味がありますので」


 そういってハヤテを流し目に見た。


 化体族と名乗っていたのに姿形が変わらない男。だれだって不思議に思うところだ。この場で詮索しないのはあえてだろうか。「待つ」余裕や冷静さみたいなのが感じられる。そういう要素は大臣というえらい身分と無関係ではないだろうと思った。


 おれたち三人は左大臣に連れられて昨日と同じ大部屋へと入った。


 族長は昨日と同じくデカい椅子に腰掛けていた。おれたちを見るなり、肘掛けに肘をついて目尻のあたりを指で支えた。


「またノエルの肩入れですか」


「ノエル様は関与しておりません。この者らは直接交渉に参りました。私の判断にて今この場へ通しております」


 族長のそばに立っている鎧の男はじめ、室内にいる人間たちはぽかんとして左大臣を見つめる。


「むだな時間でしたら左大臣としての腕が疑われます」


「心得ております」


 族長の圧に臆することなくさらりと返答する馬ヅラのおっさん。かっこいいな。


「来意を伺いましょう」


 独特の色を持った瞳がおれたちに向けられた。あの瞳はノエルの親なんだと一番実感させる部分だ。


 ハヤテはおもむろに片膝をついた。


「橋の通行の許可。ただそれを望むのみ」


 いいきり、ハヤテは膝をついているほうの手を床に置いて頭を下げた。


 ぞくりとした。


 なんて美しい姿勢をするんだ。ぞんざいの欠けらもない。セスヴィナ領の女族長にまるで身も心も捧げる覚悟ができてるような、誠意を尽くさなければ作り上げられないような礼儀にかなった完璧な姿勢だ。こんな美しい敬礼ができるなんて。ハヤテが突然膝を折った瞬間は驚いたけど、すぐに忘れ、感動に近い感情だけが残った。


 太陽ハヤテは言葉遣いが悪い。お世辞や社交辞令の類はいえない。熱く語る奴でもない。だから心の内にある思いを精一杯行動で示したんだ。太陽ハヤテは太陽ハヤテなりにできる限りの誠意を見せたんだ。


「お願いします!」おれは膝頭を床につけた。顔も床に近づけた。


 ほぼ同時にリャムも平身低頭してくれた。


 ハヤテの心意気に触れて何もしないわけがない。土下座がなんだってんだ。何分だって、何時間だって、頭を下げつづけてやる。


 広い室内が不気味なほどに静まり返った。相手側の人間がたとえば泡のようにぱっと消えたとしても今のおれは気づかないだろう。磨き上げられた冷たくて硬い床はこの空間にぴったりだった。


「もっともらしい(そぞ)(ごと)をのべつ幕なしにいい立てるのかと思いきや、案外簡潔にまとめましたね」


 こうべを垂れたまま女傑の見解に耳を傾ける。本人は力みも怒鳴りもしてないってのに、なぜこんなにも迫力があるんだろう。


「右大臣。あなたはこういう場合どうしますか」


 族長の近くから「はっ」という威勢のいい応答とともにカシャンと金属の揺れ動く音が聞こえた。鎧の男が「右大臣」の役職のようだ。


「このような情に訴えかける手法は好まざるところです」右大臣はいかにも血気盛んで好戦的といった声だ。「すでに決着はついている。さあ、くさい芝居をしてないで帰れ帰れ」


「だれが追い払えといいました」


 近づいてきていた金属音がぴたりと止んだ。


「私はあなたならどうするのか訊いただけです。下がりなさい」


 カシャン、カシャン、カシャン。心なしか決まりの悪そうな音を出して右大臣は離れていった。

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