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26-2:雨降って地固まる

「これといった収穫はなかったわね」銭湯の入口を出がてらユリアがため息混じりにいった。


 番頭の太ったおばさんは同じくらいの年齢のおばさんとおしゃべりに夢中だ。こっちの会話は聞こえてない。よってユリアの話を遮らなくても大丈夫だ。


「あんたと離れた後に二人の女の人と話したわ。だけどだれも本音をいわない。族長と子供たちを褒める言葉ばっかり」


「それが本音ってことなんだろ」おれは表向きなまとめ方をした。


「建前に決まってるでしょ。あの族長よ」


 返す言葉はなかった。


 右にも左にも通りが広がる。どこへいくか決まっていないおれたち二人の足は止まったままだ。


「さて。これからどうする」


「あっ。あの店見たい」


 ユリアが駆けだしていった先には菓子が並んでいる店があった。相変わらず甘い物には目がないな。ま、ああやってはしゃいでいる姿を見ると安心は安心だ。ここ数日は元気のないときが多かったからな。いろんな出会いや別れがある中で、仲間の龍獣であるエデンと近々離れることになるのはあいつの今の物憂いの種の一つだろう。エデンを可愛がってるユリアにはつらいにちがいない。


 ユリアの後を追って歩く。どれ。さらに機嫌をよくしてもらうためにクッキーの一つでも買ってやるか。それくらいのお金なら持ってるし。


「――っ!?」


 急に体の自由がきかなくなった。


 しまったと思うと同時に不意打ち中の不意打ちともいえる奇襲に見舞われたことをおれの頭が認識した。おれは薄暗い路地に引きずり込まれた。


 何者かがおれの口を手でふさぎ、胴部に腕を回してどこかへ連れていこうとしている。あっという間に自由を奪われて声を上げることができなかった。今も声を出せないよう何者かの手はおれの口に密着して隙がない。


 後ろへ後ろへ強引に進んでいく。揺れながら離れゆく大通りの一画の風景は先ほどまでと変わりなく穏やかな時間が流れている。ユリアも通行人もだれもこっちの異変に気づいていないようだ。


 クソッ。振り解けない。相手は力が強い。思いっきり油断していた。人けがまったくない狭い汚い小路にこうやって女の見た目のおれを連れ込んでるあたり、きっと目的は強淫だ。手頃な女が近くを通るのを狙ってたんだろう。よりにもよって化体族を引き当てるなんざ、どんなバカな野郎なんだ。


 ――――!?


 一瞬、首だけ後方に向けることができた。そこで目に入ってきた相手。おれを拘束している相手は、リャムだった。


 体が強張る。ふわっとした頼りない砂のようなものが胸中で舞う。


 冷たい目だった。いつものおちゃらけたリャムじゃない。出会った当初の、福耳団として敵対していた時分を彷彿とさせる面構えだった。


 おれの口元を押さえる手がわずかにゆるんだ。声を出せる。


「リャム。おれだよ」


「もちろんわかっとる」


 再びぎゅっと力を入れられてしゃべれなくなった。おれを狙った? なんで? 急にどうしたってんだよ。昨夜の不審な行動と関係があるのか。


 十分に路地の奥まで入り込んだところで投げるように体を放された。おれは地面に尻から倒れた。リャムが冷ややかな表情でおれを見下ろす。


「どうしたんだよ……」


 心臓がとくとくと早鐘を打っている。日の当たらない陰鬱な環境が余計に不安を煽る。


「ケイ。自分が何をしたかわかっとるんか」


「……え?」


「堂々と女風呂に入るとは羨ま、けしからん。保安局に突き出しちゃろか」


「は? ……はあ」


 ばたばたと走る音が響いてきた。ユリアだ。


「はちまき男! あんた何やってんのよ」


 ユリアは地面に尻をついたままのおれとリャムのあいだに割って入った。おれは立ち上がった。


「ケイが突然消えたと思ったらあんたの仕業だったのね。これは一体なんの真似よ」


 リャムがこきっと首の骨を鳴らした。「銭湯からケイが出てくるのが見えたけえ。髪が濡れてたから現行犯で逮捕じゃ。お仕置きとして背筋がひやりとするひとときをあたえてやったんじゃ」


 お仕置き、って可愛い感じでいってる割には目が本気だったぞ。……本気で羨ましかったんだろうな。


「現行犯って、なんの罪よ」


「女の体になるのをいいことに女湯に侵入する罪に決まっとるけえ」


「あんたみたいに下心があるわけじゃないからいいのよ」


「ほう?」


 リャムが疑うような目つきで見てきた。


「本当だよ」どもりそうになった。


「ケイは嫌がってたわ。あたしが無理やり連れてったのよ」


「そこをきちんと説明してくれて助かるぜ、ユリア」


 鼓動が落ち着いてきた。危ぶむような事態ではないとわかったからだ。


「まあ、考えてみればそうじゃのう。こんな生息子……純朴な田舎少年に、女湯を楽しむ度胸はないけえ」


 いい直したつもりだろうけど生息子ってはっきり口にしてるぞ。


「ケイ、同情するけえ。苦しかったじゃろ」


「どういう意味よ」ユリアが理解に苦しんでいる。


 リャムは耳打ちしてきた。「よりによって一番刺激の強い裸を拝むことになるとはの。明日の朝は寝巻を汚すかもしれんの」


 リャムを押しのけた。やっぱり最低だなこいつは。


「何ごにょごにょやってんのよ」


「少年特有の苦悩に苛まれているケイを励ましたんじゃ」


「意味がわからないわ」


 この話題については広げなくていい。


「リャム。じゃあお前はふざけておれに手荒な真似をしたんだな」


「そうじゃが。怒っとるんか」


「怒ってない。お前が望むようにひやりとしたんだよ。一時は本当に何が起こるかわからなくてドキドキしたし」


「おお。役者もいけるかもしれんの」リャムが調子よくいう。


「この男がふざけるのなんていつものことじゃない。本気にするなんて、らしくないわね」


「今回は前兆っぽいのがあったからさ」


「前兆?」


 ちょうどいい。このまま例のことに触れてしまおう。


「隠さずいうと、今朝、ユリアの銀貨がなくなる騒動があっただろ」


「見つかったわよ」


「えっ!」


 ユリアのあっけらかんとした告白に、自分でもうるさかったと思うほどの驚きの声が出た。


「さっき出かける前に見つけたの。鞄の内側に穴ができて変なところに入り込んでいたのよ」


「お前、早くいえよ」


「お兄ちゃんにはいってきたわ」


 開いた口がふさがらなかった。お前はお兄ちゃんに知らせればすべて完結するのか。


「仲間全員に報告しろよな」


「とりあえず見つかってよかったのう。――で、その銀貨がどうしたんじゃ」


「いや……。実はリャムが盗ったんじゃないかって疑ってしまってたんだ」


「ほう。そりゃ隠さずいったもんじゃ」


「ふつうはそう思うわよね」


「理由があるんだ。昨夜、みんなが寝静まった後、お前一人で起きてて何かごそごそやってただろ。明かりを灯して。おれ、偶然見てしまったんだよ」


 リャムはぶはっと吹き出した。「なるほどのう。目撃してたんか」


 愉快そうに大口を開けて笑っている。この様子なら、やましいことはないみたいだが。


「あんた、起きてたなんていってなかったじゃない。何やってたのよ」


 リャムは鎖骨のあたりに手を持っていき、マントを留めているボタンをつかんだ。「ボタンが取れかかってたから補修してたんじゃ。ちくちくっとの」


 針仕事をしてたってことか。いわれてみればそんな細かい手作業をしてたっぽい様子だった。明かりが必要だったのも納得できる。それにしても。


「夜中に?」


「男が縫いものなんぞ人前でできるかい。深夜にこっそりやりたいといういじらしい男心じゃ」


 そういうことか。


「なるほど。針仕事してたってバレたくなかったから、お前もぐっすり寝てた(てい)をとってたわけか」


「起きてたと明かせば話がこじれるだけかと思ったけえ。ややこしくならんよう黙ってたんじゃが、かえって誤解を生む結果になってしまったのう」


 おれの体の力が抜けた。「いや。お前はまさか目撃者がいるとは知らなかったんだ。仕方ないさ。おれが変に邪推せずに今朝のうちに問いただしてればよかったんだ」


「だからあんたは考えすぎだってのよ」ユリアがきっぱりいった。


 ぐうの音も出ない。


「実際むだに頭を働かせてたよ。もしかしたらノエルが、ってのもちょっと思ってしまったし。そんなことする人じゃないってわかってても出会ったばかりに起きた出来事だったからさ」


「ああ、そうね。あの女を疑うことを忘れてたわ」


 ユリアは疑ってなかったのか。ノエルに素っ気ない態度をとってはいるけど、不信感の類は抱いてないんだな。真っすぐなユリアらしいや。


「うらは正直にいえば姫さんのでっち上げかと思ったけえ。ノエルさんに疑いの目を向けさせて仲間外れにするための」


「はあ!? そんなこすい真似するわけないでしょ!」


「仮の話じゃ。落としたのでなければ、っていう。一つの可能性じゃ」


「そんなことふつう思いつきさえしないわよ。失礼ねまったく」ユリアが目くじらを立てて息巻く。


「まあ、リャムはユリアとは付き合いが短いからな。長く知ってるおれからすればそんなことする奴じゃないってわかってるからそう興奮するなよ。それにユリアだってリャムを怪しんでたんだからおあいこだ」


 膨れっ面ではあるものの、いい返してはこないから、頭ではわかってるんだろう、ユリアも。


「な、ユリア。自分の身の潔白のためにも素早くみんなに報告すべきなんだよ。カネに関しては、特に」


「わかったわよ」


「何はともあれ互いの疑いが晴れてよかったけえ。これでいっそう絆が深まったっちゅうもんじゃ」


 リャムは破顔して片腕を前方に伸ばした。その意味を悟ったおれは、リャムの手の甲に自分の手を乗せた。傍らに突っ立つユリアに目で催促したら、ユリアも渋々ながら手を差し出し、一番上に置いた。


「よっしゃ。これからもよろしくうっ」リャムが手を勢いよく押し上げた。


 重なっていた三人の手が空中で散った。


「力が強いな」


「肩が外れるじゃない」


 おれとユリアの口から軽くいちゃもんが出たのは、照れ隠しという動機があったから。なんだと思う。リャムは歯を見せて微笑んだ。


 なんか、いいな。前より結束が固まったような気がする。今回のちょっとしたごたごたは結果的にはよかったのかもしれないな。


「それよりあんたなんでこの辺にいたの」ユリアがリャムに問いかけた。


「たまたまじゃ。街をうろついてたら二人を見かけたんじゃ」


「お兄ちゃんは?」


「兄貴()()は博士だかだれだかに船のことを訊きに出かけたけえ。ついていくのは無粋と思ってうらは一人寂しく散歩してたんじゃ」


「バカ! なんで二人っきりにするのよ」


 今の文句には照れ隠しの要素はないな。ユリアの目が本気だ。


「待った待った。女中のマヤさんも一緒じゃ」


「あっそう」


 ノエルと二人きりじゃないと知ったとたんにけろりと機嫌が直った。ユリアの思考は単純明快だ。


「ならいいわ。それにしてもここ、暗くてじめじめしてて嫌ね。さっきの大通りに戻りましょ」


 ユリアは踵を返した。馬のしっぽのように一つに結わえた赤毛を揺らしてすたすたと歩を進める。


 そんなユリアを背景にしてリャムがこっそりと話しかけてきた。


「ていうことにしなければならないっちゃね」


 ……ハヤテとノエルは二人きりということか。そうか。


 ……まあ、おれが今何かをいえるとすれば、リャムは冗談が激しい奴だけど、機転を利かせる奴でもある。ということくらいか。

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