25-4:針路
あれはセスヴィナ領の関所を過ぎて、川辺で休憩しながら皆で談話していたときだった。
――通行許可を求める人は今までも何人かいたらしいわ――
東大陸へ通ずる橋の話題となり、ノエルが内部の事情を教えてくれた。
――許可をもらえた人はいないわ。単に東大陸を見てみたい、旅してみたいって人ばかりだもの――
――聖域ともなっている大事な橋です。興味本位で近づくことはゆるされません。族長様でさえも通行されたことはなく、もっといえば、セスヴィナ領の人間があの橋を通行したという記録はないのです――
マヤさんがいった。
――当のセスヴィナ領で皆無だってんなら、だれも渡った人間はいなそうじゃね――
――じゃあなんのための橋なんだろうな。その橋はセスヴィナ領の人たちが造ったんですよね――
ケイがマヤさんに尋ねた。
――現在はセスヴィナ領の民が建設したという説が広く普及していますが、私は鳥人族が造り上げたものだと聞きました。ほかにも、セスヴィナ領が発足される以前の先住民が架設したとか、いいやあの橋は神が架けたのだとか、多数の説が存在し、真偽のほどはわかっていないのです――
――だれが造ったかなんてどうでもいいじゃない。そしてなんのための橋かなんて決まってるわ。あたしたちが通るための橋よ――
カレのいいそうな台詞がユリアの口から出た。おしゃべりは終わるかと思ったが、ここでマヤさんが一石を投じた。
――皆様は、橋の通行許可がおりなかった場合には、どうなさるおつもりですか――
予期していなかった質問に僕たちはすぐには返答できなかった。マヤさんはハッとしたような素振りを見せた。
――あ、いえ。皆様にはれっきとした正当な目的がございますし、まちがいなく許可は出ると思っています。……ですが、気になる点がございまして。というのは、話は戻ってしまいますが私は鳥人族があの橋を架けたと信じておりまして、なぜなら人の手では完成させられないと思うほどあの橋がとても長いからです。橋が長いということは西大陸と東大陸の距離がそれだけあるということです。加えて岩礁帯です。泳いで渡るなんて論外のこと、船でさえも渡るのは難しいでしょう。もし海からゆくのであれば、岩礁帯ではない東大陸の東のほうまでぐるりと回ることになるかと思いますが、それは現実的ではないかと思いますので、皆様には何か良案があるのでは……などと……――
マヤさんは最後のほうは遠慮気味にいった。
――厚かましい話ですが、拒否されたら、というところまで想定したことがありませんでした――
僕の本音に、ケイとユリアとリャムは同調した。
――だめな場合なんて考えないわよ。あたしたちは何がなんでも橋を渡らなきゃならないんだから――
――そうでございますね。いらぬ差し出口を長々と失礼いたしました――
――心配はいらないわ、マヤ。ハヤテたちの要望が通るよう必ずあたしがなんとかするから――
あの時点ではマヤさんのもしもの話が現実になるとは思ってもみなかった。セスヴィナ領の族長に会い、族長側の見解を聞いて、こちらの考えが甘かったことに気づかされた。
「海をぐるっと遠回りしなきゃならないんだぜ」ケイが回想内容を念押ししてきた。「おれたちが想像してるよりずっと大変で難しいことだ、きっと。船を確保することからして難儀だろ。西大陸から東大陸へ就航する定期船なんてもちろんない。自分たちで船を持つにもおれたちの所持金でどうにかできる金額ではない」
「たしかに、そういう問題はあるね」僕は視線を移動した。「リャム」
「はい」絨毯が届いていない端のほうの床であぐらを組んでいた彼は、ぴくりと体を跳ねらせた。
「その辺の事情については僕たちより詳しいはずだ。何かいい案があれば聞かせてほしい」
「いい案……。と、いいますか」リャムは膝をそろえて座り直し、両手を床についた。「兄貴すんません。このごたごたは、元はといえばうらの仲間が翼竜を襲ったのが始まりですけえ。厄介な事態を引き起こしてしまって本当に申しわけありません」
族長との面会からずっと悄然としていたのは、そのことを気に病んでいたからか。
「リャムのしたことじゃないんだ。リャムが頭を下げる必要はないよ」
「同じ福耳団の団員として素知らぬ顔はできません。もし船が必要とあらばうらがなんとかしますけえ。船にかかる費用も福耳団がどうにかして用意します」
「そうね。それくらいはしてもらわないとね」ケイから三席離れた位置に座っているユリアが、テーブルに肘をつきながらいった。
「姫様の直言は気持ちいいけえね」
「なんだよ、みんなすでに気持ちは船旅になってるのか」
ケイがユリアとリャムを交互に見る。
ユリアがしゃべる。「そりゃ橋を渡れるならそれが一番いいわよ。族長の肩を揉んで橋が渡れるなら喜んでしてあげるわ。それくらいであの女が気変わりするわけないでしょうけど。――なんにせよ東大陸にいかなければ先はないわ。これまでの道のりを考えれば、いったんレイル島に戻るってのはバカみたいでしょ。最悪、船での遠征になろうがあたしたちは東大陸を目指すしかないわよ」
「今回は姫さんに全面的に同意じゃ」
「それに船旅ならエデンと一緒にいられる時間が増えるから悪くないわ」
「ユリア。それは無理だよ。エデンは船に乗せることはできない」僕は率直にいった。「エデンについては強制的にでも橋を渡らせなきゃならない。それがエデンのためでもあるんだ。――エデンはここ西大陸で捕獲された。本来は東大陸に棲息する動物なのに。つまりエデンもしくはエデンの母親が過去に橋を通ってこっち側までやってきたってことだよ。実際、龍獣の俊足ならば見張りを振りきって橋を突っきることは可能だよ。近いうちに、夜中に、エデンを橋の近くまで連れていって、突破させて、エデンを故郷に帰らせよう」
ユリアは寂しそうにうつむいた。「わかった……」
「お前らしくない大胆な提案だけど、エデンはそうするしかないだろうな」ケイは開いた手のひらで目元を覆った。「おれたちは強行突破するわけにいかないもんな。海から……か。どのくらいの大きさの船が必要になるんだよ。船員だって必要だろ。マルコスさん、は無理だよな。どこから出発するんだ。東大陸のどこまでいきゃあいいんだ。何日かかるんだ」
次から次に湧き上がる疑問をとうとうと並べ立てている。
「今は話を詰められないね。僕たちはまだ情報に乏しい。まずは船を使うことを一つの選択肢に入れた上で、多くの情報を集めよう」
「……そうだな。いろんな可能性を探っていかなきゃな」
客室の入口の扉が開いた。
「お待たせしました」
扉を押さえるマヤさんの後からしずしずと一人の女性が入ってきた。その変容ぶりにすぐにはノエルとわからなかった。
「ごめんなさい。宮城内では正装しなければならなくて」
カゼル族長が召していたような絹の鮮やかな衣装を身に着けている。外を動き回るには最適という感じでくくられていた髪はきっちりと頭のてっぺんでまとめられ、さらに雅びさを増すような髪飾りや耳飾りが太陽の光に反射して煌めく。
「ノエルさん、めちゃめちゃ美しいけえね。目が眩みそうじゃ」
「ありがとう」紅をさした唇を遠慮気味に横に広げてノエルははにかんだ。
女の人は本当に化粧とか装いとかで雰囲気が変わる。
「ね、兄貴。見惚れますよね」
「うん。……え。何?」
なんて話しかけられたかわからなくなって聞き返したけど、すぐにリャムの言葉がよみがえってきた。
カカカと楽しそうに笑うリャム。面はゆい。
「それにしてもさ、ノエルの母親が族長だったとは驚いたよ」ケイが話題を転じてくれた。「訊いていいかな。お父さん、は?」
「父はすでに病気で亡くなってるわ」
「そうだったのか……」
「なるほどのう。あの二人のどちらかでは釣り合わんと思ったけえ。鎧の男では歳が若すぎるし、馬ヅラのおっさんではおっさんすぎるしの」
側近二人のことか。初老の男性は多少面長ではあったけど……。
ノエルは何もいわずにテーブルの椅子に腰掛けた。僕とリャムも席に着き、話し合いを始める手筈を整えた。
さっそく切り出す。「ノエル。僕たちは海路で東大陸を目指すことを視野に入れてるんだ」
「待って。それは早計よ」
だからこれからいろいろ調べてみる、と僕がつづける前にノエルが異を唱えた。
「今一度母に掛け合ってみるわ」
「大丈夫だよ。カゼル族長が暗に指摘してくれたように、僕たち化体族はもっと想を練って、人まかせにしない方法を見い出すべきだったんだ」
「いいえ。ハヤテたちが人まかせだとは思わないわ。あらゆる方面から考えて至極当然な選択だとだれもが認めるところよ。母だって本当はわかっているわ。――ただ、あたしが連れてきた旅人だから母は意固地になって撥ねつけてるのよ」
「どういうこと?」と、僕とケイの声が重なった。
「母とは今まで何度も何度もぶつかってきたわ。反発の末にあたしは家を飛び出して、かと思えばけろりと戻ってきて、今度は仲よくなった旅人のお願いを聞いてほしいだなんて、あんな頭の固い人が受け入れるはずがなかったんだわ。こういう結果になったのはあたしのせいよ。あたしが関わっていなければ、あなたたちの要望は、せめて橋を渡りたいって要望は、通っていたかもしれない」
「いや、おれたちだけだったらセスヴィナ領に入れたかさえわからないんだ。ノエルが自分を責める理由なんかどこにもないよ」
「今さらいっても仕方ないことをいわないでくれる。そんなことよりこの先のことを考えなきゃならないのよ」
ノエルはやや下に向いていた顔を上げた。そして力強くうなずいた。「そうね。ユリアちゃんのいうとおりだわ」
ユリアはノエルと目を合わせようとはしなかった。
僕は意を伝える。「ノエルには感謝してるよ。セスヴィナ領まで連れてきてもらって、族長に会わせてくれて、十分に助けてもらった。ここからは自分たちでなんとかするよ」
「まだ交渉する余地はあるわ」
「何度いっても同じっちゃね。実の娘を前に失礼を承知でいわせてもらうが、あの族長は煮ても焼いても食えん鉄の女じゃ。動かん」
「あたしが母の要望を飲めば動く可能性はあるわ」
「ノエル様」入口付近に立っていたマヤさんが深刻な顔で呼びかけた。
「要望って?」ケイが訝しげに尋ねた。
彼女は強い眼差しをどこに向けるでもなく口を動かした。「結婚することよ」
「結婚!?」
ケイの大音声がキンと耳を抜けた。
「だれとかえ」
「あたしを見初めてくれた他領の貴人よ。母はその人とあたしの婚姻を望んでいるわ。その縁談を承諾すれば――」
「ちょ、ちょっと待てよ。ノエルは結婚する気はあるのか。要望を飲むなんていい方してるあたり、ないんじゃないのか」
「ないじゃろうね。切り札に用いるくらいじゃ。よっぽど意に反してるんじゃろ。家出した理由もそこにある気がしてならん」リャムが指摘した。
ノエルは何もいい返さなかった。
ケイが深いため息をついた。「おれたちのためにそんな、一生に関わる重大なことを軽く決めないでくれよ」
「軽く決めたんじゃないわ」
「第一、好きでもない男に嫁ぐなんて族長だって喜ばないだろ」
「あたしの母なら喜ぶわ。あたしが幸せになろうがならまいがかまわない。先方との結びつきが欲しいのと、早く厄介払いがしたいだけなんだから」
「そんなこと……。とにかくおれは絶対反対だ。それこそ早計だろ。なあ、ハヤテ」
皆の視線が僕に集まった。ただ、ノエルだけは僕を見なかった。
「望んでいないのに婚姻関係を結ぼうとしているなら、お相手の方に失礼だよ」
自分でもやけに冷静だと思えるほど冷静な意見が出た。
「ごもっとも」リャムが小さくつぶやいた。
ノエルは口をつぐんだ。その後、室内はしばらく静寂に包まれた。




