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25-3:セスヴィナ領の族長

 白を基調とした洗練された室内には、二十人は下らない人間の姿があった。奥の大きな椅子には、(あで)やかな絹の衣装に身を包んだ中年の女性が座っている。顔立ち、特に目元がノエルと似ている。ほかの人は全員起立しているし、どう考えてもあの女性が一番えらい。セスヴィナ領の族長はノエルの父親ではなく母親だったのか。


 ノエルが御座の前まで進んだ。僕たちはマヤさんが手で指示するとおりにノエルの背後に横一列に並んだ。マヤさんは後ろに下がっていった。


「このたびはお騒がせいたしました」


「無事に帰ってきて何より」


 ノエルの母でまちがいないであろう女性は、ノエルの謝辞に対して淡々と答えた。家出したことを怒っているとか、帰ってきたことを喜んでいるとか、感情らしき感情は見当たらなかった。そのふくよかな体は優しさよりも威厳を感じさせる。


「僻遠の地に迷い込んでいたところ、こちらの旅の方たちに助けていただきました。体調を崩したマヤの救護にもご尽力くださいました。訊けばセスヴィナ領の族長に用事がおありとのこと。私がお連れいたしました」


 大層な働きをしたかのように紹介してくれている。実際には、救護に尽力したといっても、倒れたマヤさんを木陰に運んだのと、水を飲むためのコップを貸したのと、その程度だ。


 ノエルと同じ薄茶色の瞳を持つ女性はじっと僕たち四人を見据えている。一点の隙さえ感じさせない表情だ。笑顔などは見せてくれそうにない。


「旅の御方。娘と女中を救ってくださりありがとうございました。私はセスヴィナ領の族長をしているカゼルです」


「ハヤテと申します」


 ケイ、ユリア、リャムと、僕たちは一人ずつ名乗った。


「セスヴィナ領をお訪ねくださるとは珍しい。どのような御用でいらしたのですか」


「この方たちはレイル島の民です」


 ノエルの発言は場内をどよめかせた。リャムが「一人ちがう者もいるけえね」とぼそっと発したがかき消されたようだった。


「静粛に」カゼル族長は眉一つ動かさなかった。「レイル島。つまりあなた方三名は化体族なのですね」


 三名。リャムのつぶやきは届いていた。


「はい。僕たちは今、百年懺悔の遠征の途中です。本日は要請したいことがありセスヴィナ領に参りました。我が化体族の長から文をあずかっております。お受け取りください」


 ベルトポーチから取り出した封書を渡そうと進み出たら、「待て」と声がかかった。カゼル族長の右隣に立つ初老の男性が喚起した。彼は僕に近づいて封書を手に取り、丁重に開封してからカゼル族長に引き渡した。


 カゼル族長が手紙を読んでいるあいだ、両隣の側近らしき男性二人は僕たちが変な動きをしないか目を光らせているように見えた。右隣は今やり取りのあった初老の男性。左隣には高価そうな金属の鎧をまとった三十歳くらいの男性が凝立している。こちらの男性は剣を装備しているあたり、護衛の役割を担っていると推測する。年齢的には、どちらの男性もノエルの父親という感じではない。


「つまり」カゼル族長が顔を上げた。「橋の通行。鳥人族の援助。この二点を望んでいるわけですね」


「はい」


「たしかに私どもは人間となった今でも鳥人族とつながりがあります。しかし――」


 ばさり、と目の覚めるような音が鳴った。指ではさんだ手紙を勢いよく初老の男性に押しつけたのだ。


「私は化体族との面識はいっさいございません。私の代どころか、百年のあいだ一度も交流はなかったはずです。それを人間に戻りたいからとて突如押しかけ、鳥人族に口利きしてほしい、橋を通らせてほしいなど、いささか不躾ではございませんか」


 物音一つしないほどにしんと静まり返った。


「セスヴィナ領とレイル島は同じ(とが)を背負った同士。過度な願いでも斟酌してくれる。そのようなお心積もりだったのでしょう。他領への敬いに欠けておられますね。ご依頼はお断りいたします」


「またそんな頭が固いことをおっしゃる」


 僕が頭の中で考えを整理するより早く、ノエルが応酬していた。


「ノエル様」


 マヤさんの心配そうな声が後方から生じたが、ノエルは顧みなかった。


「この方たちのどこに過度な願いがありましたか。鳥人族に話を通すことと橋の通行許可をあたえることになんの苦心が要りましょうか。後は鳥人族がどう判断するかであり、化体族の皆様のがんばり次第です。ほんの少しの協力さえ惜しむとはセスヴィナ領はなんと狭量なのだと笑われてしまいますよ」


 ノエルがくるりと振り返った。カゼル族長とよく似た厳然とした顔つきだった。


「私は鳥人族のチコリナット様と面識があります。鳥人族には私からお願いしてみます」


「ノエル。あなたはいつから政務を司る立場になったのです」


 ノエルがぴたりと止まった。


「族長は私です。あなたは私の娘ではありますが、族長に代わって判断を下す権利などないと知りなさい」


 カゼル族長は決して声を荒らげない。声質は女性らしいまろやかさがあって、言葉遣いだって丁寧だ。が、威圧感のようなものはある。力尽くではない静かなる支配力を持っている。それが族長としての器なのかもしれない。


 ノエルは強張った表情のまま前を向き直した。


「申しわけございませんでした」


 いい返しそうな雰囲気もあったけど、彼女は腰を折って謝った。


 当人以外の皆がほっと胸をなでおろした。そんな気がした。


「百年懺悔には百年の歳月を要します。人間に戻りたいという意志は昨日今日発生したものではないでしょう。事前にもっと準備ができたのではないですか」


 セスヴィナ領に頼らずに遠征をする方法を考えなかったのか、ということか。


「レイル島には翼竜を化体に持つ者がいます。当初は翼竜の背に乗って王宮まで向かう予定でした。しかし二十日ばかり前に、不慮の出来事が起きて翼竜は重傷を負ってしまいました。空からの遠征は断念せざるを得なくなり、急遽陸路での遠征に変更した次第です」


「災難でしたね」


 僕の説明に対し、カゼル族長からはその一言で尽きた。


「事前に書簡の一つも送らずにすみませんでした」ケイがおそるおそるといった感じで切り出した。「ハヤテの話のとおり、不測の事態に陥ってしまい、このような突然の訪問とお願いになってしまいました。失礼いたしました。一介の旅人に過ぎない私たちですので今はできることが限られています。現状はセスヴィナ領の協力を得なければ前に進めません。百年懺悔の遠征を終えた際には必ずやお礼をさせていただきます。必ず誠意を尽くします。私たちの要請について、再考願えませんでしょうか」


「お礼うんぬんの問題ではないのです」


 僕のときもそうだったけど、相手の話の長さや熱意にかかずらうことなくばっさりと一蹴する。


 気づけば初老の男性の手からは文が消えていた。どこに片付けたのかはわからない。


「どうすれば……」ケイは途中で言葉を切った。


「あなた方の道が絶たれたわけではありません。海を渡って東大陸に上陸なさればよいでしょう」


「そういう意味じゃないわ」


 場ちがいなくらいの勇ましい声量に皆の視線が集まった。ユリアが声を上げたのだ。


「どうすれば東大陸にいけるかじゃなくて、どうすれば族長が首を縦に振ってくれるか尋ねたかったのよ。ねえ族長。意地悪されてるようにしか感じないんだけど、それはあたしたちが化体族だからなの? 一体何が気に入らないわけ?」


 初老の男性が何かいおうとしたが、カゼル族長が手で制した。


「ノエルに似たお嬢様がいらっしゃるようですね」


 そうか。と僕は思った。ユリアとノエルは似た部分があるのかもしれない。


「その若さと可愛らしいたたずまいで、はすっぱな言動も持てはやされてきたのでしょう。見る者が見れば恥ずかしい振る舞いでしかないと、知るのがよいでしょう」


「なんですって」


「ユリア」


 突っかかろうとするユリアを僕とケイが同時に抑えとどめた。


 鎧姿の側近が一歩前に出てじろりと睨む。不穏な空気が漂っている。もう向こう側の考えが覆ることはない。


「旅人の宿泊は通常お断りしておりますが、遠路はるばるレイル島からお越しになったお客様を追放するほど薄情ではありません。あなた方には娘と女中を救っていただいたご恩もございます。三日間であればセスヴィナ領での滞在を許可いたしましょう」


 族長との面会の時間は終わった。




 宮城内の客室に通された。案内してくれた当のノエルは、泥で汚れた服を着替えるために別室へと移っていった。


 僕たち四人だけの空間はそれぞれが熟考するのにはうってつけだった。客室内で思い思いの場所に散って、沈黙の時間を共有する。


 窓の外は明るい陽光に包まれている。うららかとした気持ちよさに、自然も建築物も最も美しい色を発色しているように見える。澄み渡る空の向こうに、故郷のレイル島の景色を思い描いた。


「まさかこうなるとはな」


 テーブルに両肘をついて手の甲に顎を乗せて口だけを動かしている。そんな感じのしゃべり方でケイがいった。


 僕は後ろを振り向いた。ケイは想像どおりの姿勢をとっていた。


「厳しい族長だよな」ケイは僕を見ていった。


「カゼル族長のいってることはまちがってないんだ。僕たちはセスヴィナ領の力を借りることしか頭になかった。そういう図々しさが癇に障ったんだと思う」


「まあ、な」


「神様からの試練だと考えれば、こういう状況になったのも無理からぬことと捉えられるよ。これはレイル島の課題。自分たちの力で道を切り開いていかなければならないってことじゃないかな」


 ケイはうなる。「それは正論だけどさ……自分たちの力だけでどうにかしたいけどさ、現実的に厳しいだろ。今朝のマヤさんの話、お前だって忘れたわけじゃないよな」


「もちろん覚えてるよ」

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