25-2:セスヴィナ領の宮城
ユリアが鋭い舌鋒を向けた――相手はリャムだった。
「こりゃどえらいとばっちりじゃあ」
「他人のお金を奪うのはあんたたち福耳団の得意技でしょ」
「福耳団は改心したと一万回いったはずだったがのう。なんなら全身をくまなく調べてもらってもかまわないけえ」
リャムが大手を広げてユリアに差し寄る。ユリアは顔をしかめて後ずさる。
「だれかを疑うのはよくないよ」僕はあいだに入った。「ユリアが落としたのかもしれない。ほら、このあいだマルコスさんの船からおりるとき、櫛と手鏡を船の中に置き忘れてたってこともあったしね。幸いなことに銀貨一枚。大きな金額じゃない。こういうことは忘れてしまおう」
ユリア本人の過失以外の線を見込むとなると、ノエルだって居心地悪く感じるだろうし。
「さっすが兄貴は大人ですけえ」
リャムをはじめ皆、僕の意見に同調してくれた。僕は小さくうなずいただけのケイが気になった。こういうもやもやした空気が漂っているとき、率先して払拭に努めようとするのに今回は消極的だ。表情も晴れない。気にかかることでもあるんだろうか。仮にそうだとしても、ケイ自身から何か語られるまで余計な詮索をしてはいけない。
野営場を後にして狭い野道を通る。リャムが先に立ち、次いでケイとユリア。仲間たちが馬を引いて歩く後ろ姿を眺める。
鳥人族の里まではこうやって自分自身の足とそして馬と龍獣の足を働かせての移動になるけれど、鳥人族の協力が得られれば、山も谷も関係ない空の旅に切り替わる。それは前代未聞の冒険だ。
鳥人族との旅はどんなふうになるんだろう。背中に乗せてもらって大空を飛ぶんだろうか。抱えてもらって飛ぶんだろうか。鳥人族や東大陸についてわかっていないことは多い。それでも不安は感じていない。
「セスヴィナ領に入ったら、絶対にエデンの引き綱を放さないでね」
その引き綱を手にして歩く僕の横でノエルが母親のようにいった。
「セスヴィナ領のあちこちに見張りが立てられているの。野放しの龍獣が街を闊歩してたら、武器を装備した守衛が即座に襲いかかるわ」
「気をつけるよ」
自然と手に力が加わる。エデンに装着した首輪と引き綱。人間が住む西大陸では不可欠な拘束具となる。着けられてるほうは窮屈で仕方ないだろう。東大陸へ抜けるまでの辛抱だ、エデン。もう少しで君は、何にも縛られず、自由に大地を駆け回ることができるようになる。
突然、ザッと草葉が動く音がした。同時に、先頭のリャムが「うおっ」と驚きの声を上げた。僕は首を伸ばして状況を確かめた。前方の脇道から馬を連れた女性が倒れ込むかのように飛び出してきたのだ。
「もし……。人探しを……」
若い女の人だ。ふらつく体同様、声にも力が入っていない。
「マヤ」ノエルが息を強く吐くようにしていった。
すかさずノエルは前へ躍り出ていった。
「ノエル様!」女性が叫んだ。
この声は。昨日、崖崩れが起きた森でノエルの名前を呼んでいたのはこの女性だ。
ノエルと女性は手を取り合った。
「ああ、ノエル様。よくぞご無事で……」
「マヤ。ずいぶん疲弊してるわ。靴も服もこんなに汚れて。もしかして一晩中探していたの?」
女性は微笑みながらこくりとうなずいた。
「なぜそんな無茶を」
「当然じゃ……ございませんか……」
女性は額に手を持っていった。と、その瞬間、彼女は靴を踏み鳴らして斜め後ろへよろけ、地面に吸い寄せられるようにしてくずおれた。
「マヤ!」
マヤさんが倒れたのは疲労からだと判断した。根を詰めてノエルを探していたんだろう。休息はおろか水分も栄養もろくにとっていないと見える。彼女の体を木陰に移動させて回復を待った。貝のように閉じていた両眼が開いたのは彼女を寝かせてから数分後だった。
「ノエル様っ」
上半身を起こす様子からいくぶんか元気になったことが窺える。彼女はすぐそばで見守っていたノエルの手を取った。
「よかった。夢ではなかったのですね」
「マヤ。あなた倒れていたのよ。覚えてる?」
「あっ……。はい。申しわけございません……。しかし、ノエル様。本当によかったです。お体は大丈夫ですか」
「あたしは大丈夫よ。自分の体のほうを心配しなさい。さ、水を飲んで」ノエルはあらかじめ水を注いでいたコップを差し出した。
「私なんかのためにもったいな――」
「そういうことはいわないでっていってるでしょ。飲みなさい」
もはやマヤさんから遠慮は出なかった。
水を飲み終わってから彼女は背後にいる僕たちの存在に気づいた。
「龍獣!?」
彼女が真っ先に目を向けたのはエデンだった。ふつうは目にするはずのない動物だから当然だ。
「――もしや、あの日の龍獣ですか」
「そうよ。クルーノよ」
「クルーノ。そうです、クルーノというお名前でした。ああ、あの物々しい男たちに捕まった子供の龍獣。無事だったのですね」
エデンが連れ去られるとき、ノエルは福耳団に飛びかかろうとしたが友達に押さえつけられたといっていた。その友達とはマヤさんだったのか。
「今はエデンという名前よ。そちらにいるハヤテたちが保護してくれたの」
マヤさんと目が合った。
「お体は大丈夫ですか」僕は容態を尋ねた。
「あっ、はい」
マヤさんはせかせかと立ち上がった。衣服を軽く整えて彼女は姿勢を正した。
「ご挨拶が遅れて失礼いたしました。私はセスヴィナ領のマヤと申します」
「ノエルさんの家で女中として働いとるんじゃろ。倒れているあいだに聞いたけえ」リャムがいった。
マヤさんの丸っこい目がぱちぱちと開閉した。「皆様は西南部からお越しですか」
「彼だけよ。ほかの三名はレイル島から足を運んでいる化体族の方々よ」
化体族という言葉は多くの人間を驚倒させる響きが含まれているんだろうか。そう思えるほどに、丸っこい目がさらに円やかになった。
「神に会いにいくために西大陸を縦断しているのよ。この方たちと出会ったのは、そんな果断に富んだ旅の途中で、偶然だったわ」
「……したか」
マヤさんはきっと「そうでしたか」とささやいた。遠慮という行為など忘れたかのように僕たちを凝視している。
「彼らは東大陸へ渡らなければならない。だから、あたしがセスヴィノア区まで案内するのよ」
マヤさんの瞠目の対象がノエルに移り変わった。「それでは、宮城に」
「戻るしかないわよね」
「ああ! 族長様もお喜びになります!」
「ん? ノエルさん家は宮城なんかいな」
ノエルは黙ってうつむいた。
マヤさんは不思議そうにノエルとリャムを交互に見る。「ご存知ないのですか。ノエル様はセスヴィナ領族長カゼル様の第二姫君でございますよ」
「ええっ!」
驚きの声が上がった中でケイの声が一番大きかった。
「良家のお嬢さんだとは思ってたが。セスヴィナ領で一番権力を持ってるところの娘とはの」
「家のことは忘れてみんなと楽しい時間を過ごしたかったの。いい出せなくてごめんなさい」
「謝ることではないですけえ。ノエルさんの風格からすれば納得じゃ。しかし。姫が二人とはややこしいこっちゃの」リャムは後方に立つユリアに目を向けた。
ユリアは腕を組んだままさっきから何もしゃべらないでいる。
「あたしは姫とは呼ばれてないから安心して」ノエルがいった。
「ノエル様。今回の件はまだ公になっておりません。族長様より内密にとのお達しです」
「そう。恥ずかしいからでしょう」
「……それから、先ほどから気になってはいたのですが、ファテレアはご一緒ではないのですか」
「はぐれてしまったの」
「だれ?」ケイが尋ねた。
「あたしの馬よ」
僕は目を大きくした。「いってくれれば探したのに」
昨日、カレが初めて出会ったときにはすでにノエル一人だけだった。てっきり身一つでの家出だと思っていた。
「賢い子だから安全な場所に辿り着いてるわ」
僕は隣に立つケイと顔を見合わせた。ノエルが妙に淡々としていてよそよそしささえ感じた。マヤさんと再会してから顕著になったあたり、セスヴィナ領の族長の娘としての顔が出てきた、ということだろうか。とにもかくにも僕たちは出発した。
セスヴィナ領に入って間もなく、関所へといき当たった。厳めしい男たちが数人の人間の身体検査などをしているところだったが、ノエルの姿を目で捉えるなり立ちどころに集合して一斉にひざまずいた。ノエルは慣れた様子で彼らの前を颯爽と通り過ぎた。
そういった光景は関所を抜けてからもしばしば見受けられた。とある集落の大通りでは、一人の領民がノエルに気づいたとたん、驚きの声が波紋のごとく広がり、そこにいた全領民が一様に拝跪してはノエルの通行を目を輝かせて見送っていた。セスヴィナ領ではノエルは、というよりもおそらく長とその一族は、かなり貴い存在として尊重されているようだ。
農園と牧場が広がる地帯をしばし走り、セスヴィノア区に着いた。
セスヴィノア区では景色ががらりと変わった。整備された道に格調高い建造物が並ぶ。水路に沿って視線を滑らせた先には、瀟灑な塔を有する雄大な土地が待ちかまえている。族長の所有地だとマヤさんが教えてくれた。
「すげえな。めちゃくちゃ広いな」族長の所有地の敷地内に入るや否やケイがぐるりを見渡していった。
たしかにうなってしまうほどに規模が大きい。
「ハーメット領の領長の家もかなりデカいが、ここには負けるけえね」
「皆様。これより先の門は龍獣は通れません。エデン様は畜舎にておあずかりいたします」
マヤさんに従った。畜舎というから馬や牛を飼う木造の小屋を想像していたけれども、実際には石造りで、中には鉄格子があって、見張りが付いていて、ほぼ牢獄だった。なんせ龍獣だ。厳重な管理下に置かれるのは仕方ない。
敬礼する門衛に一礼して大きな石門をくぐった。門の脇には、ここにくるまでずっと目にしていた例の塔が建っている。てっきり族長が御座すと思っていたこの立派な塔は、監視所兼詰め所に過ぎなかった。宮城と呼ばれる建物はさらに奥にあると聞いて驚いた。族長の所有地は一体どのくらいの広さがあるんだろう。
急ぎのときには馬が必要だな。そう思いながら広大な庭の道を歩き、いき着いたのは荘厳として雅びやかさも併せ持つ建物。高さは塔に負けるが横幅と奥行がある。ここが宮城だ。
「ノエル様。お帰りなさいませ」
扉を開けると十人ほどの女性が一糸乱れぬ深いお辞儀でノエルを迎えた。彼女たちの万全さからノエルの帰着についてすでに情報が入っていたことが窺える。
「族長様がお待ちでございます」女性の中の一人がいった。
「奥の間ね?」
「はい」
「いきましょう」ノエルは僕たちに語りかけた。「族長に会わせるわ」
回廊を歩く。ノエルの後に僕たち四人がつづき、マヤさんが後ろから付き添う形だ。
宮城内いっぱいにおごそかな雰囲気が漂いつつも、ところどころに女性的なたおやかさを感じる。等間隔に立つ円柱の隙間からは色鮮やかな花園が望める。
「ハヤテ。手紙、ちゃんと持ってるよな?」ケイが小声で尋ねてきた。
レイル島の領長から託されたセスヴィナ領長宛の手紙のことだ。
「もちろん」
「こんなに格式張ったところとは知らなかったな。緊張するぜ」
「あら」
曲がり角で一人の女性と鉢合わせした。えらが少々目立つ若い女性。ノエルに笑みを向けて言葉を発した。
「これはこれは。大層な書き置きを残した割にお早いお帰りですこと」
「……お騒がせしました」
「自由に旅行ができる身分で羨ましいわ」
女性はふっと鼻で笑ってしゃなりしゃなりと通り過ぎていった。僕たちにはいっさい目を呉れなかった。
「嫌みな女じゃの」リャムがいう。
「姉よ」
「姉!? ……似てないですけえ」
程なくして扉のない大部屋の前に着いた。
「ノエルです」
「入りなさい」
ノエルに指示が出るあたり、どう考えてもこの先にノエルより権力を持つ人がいる。セスヴィナ領の長。いよいよ対面するときがきた。




