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18-2:ユリアの主張

 こちらからすればようやく落ち着いて事の成り行きを話せる。


「僕が用足しのために宴席を立ったところから説明します。用事が済み、厠から出ましたら、ちょうどアモンネさんがここを通りかかりました。僕たちは話をしました。いきがかり上、僕は化体族であることを告げました。直後にベロック領長の奥様がいらっしゃり、僕たちの親睦を望むような発言をされたのです。アモンネさんは嫌忌し、拒絶の意を強く表しました。それが先ほどの叫び声、というわけです」


 目と鼻の先でイブンさんがじろりと睨む。「そんなことであれだけの悲鳴が出るか?」


 そうだよなあ、と観衆からは釈然としない声が漏れる。


「あんたたちって鈍いのね。あの女に恥をかかせないために地味な話にしてくれたとは思わないの? ひょっとしたらおばあさんへの配慮もあったかもしれないわね。考えてみなさいよ。お兄ちゃんがあの女に化体族だって名乗ったわけを。なんで半人種だって教えなきゃならなかったのかを」


 領民たちの顔つきに何かしらの変化が生じた。やっぱりユリアは勘が鋭い。


「どういう意味だ。人間を侮辱するのも大概にしろ半人種めが! この男が自分の都合のいいようにねじ曲げてるだけかもしれんだろ。ああ、そうにちがいない」


 僕の服を引っ張る手にさらに力が込められる。


 ユリアはイブンさんの挑発をぷいとかわした。「領長はどう思うのよ。今日一日一緒にいて、お兄ちゃんがそういうことをする人に見えた?」


「ハヤテさんはっ、乱暴を働くような御人じゃないですぅ」ベロック領長よりも早くトンピーさんが所見を述べた。


 イブンさんは馬のように荒い息を吐いてトンピーさんをねめつけた。


「そうじゃ。トンピーのいうとおり」ベロック領長が一歩前ヘ出た。「ハヤテは誠実な青年だ。ハヤテたちのおかげでミュズチャ領が平穏を取り戻せたのは真実ではないか。変ないいがかりをつけるでない。イブン、手を離すのじゃ」


 そのとき、人垣から一人の女性が躍り出た。たしか役人のその女性はベロック領長のそばまで寄ってひそひそと耳打ちした。ベロック領長はこくりとうなずき、こちらを正視した。


「アモンネは何もなかったと申しておるそうじゃ。アモンネのためにもこれ以上の協議は不要。イブン。さあハヤテを放しなさい」


 イブンさんは口の中で強風が舞うような音を作り出し、どうにも腑に落ちない表情でいたが、結局「けっ」と吐き捨てると同時に僕を突き放した。どすどすと引き返していく。僕は乱れた着衣を直す。


「だからいったのよ。あたしたちはミュズチャ領をすぐに去るって。それを引き止めておいて嫌な気分にさせられるなんてたまったもんじゃないわ」


「何をえらそうにいうか!」


「これ。やめんか」


 イブンさんがまたしても激昂した。ベロック領長が注意するも止まらない。


「好きに飲み食いしておきながらぬけぬけと文句を垂れやがって。こっちだって半人種と知っていれば招き入れたりしなかった。貴様らが嘘をついたのが元凶だ。なぜ領長にレイル島出身だと明かさなかった!」


「すみませんでした」僕は腰を折り曲げた。「最初にいきちがいがあってから、つい、訂正する機会を逸したまま、今に至ってしまいました」


「ミュズチャ領の人間を騙してたということだぞ。神女だ龍獣だと偽っていた流れ者と変わらんではないか。恥を知れ恥を! それとも汚辱にまみれた化体族には恥という概念が存在しないのか」


「イブン!」


「イブンさん。その辺にしときましょうや」


 中年の領民がイブンさんの腕をそっと引いた。しかしイブンさんは振り払った。


「ハーメット領出身だと(かた)るあたりが浅ましくて笑えるな。野蛮であくどいハーメット領ならその名を失敬しても良心は痛まないってか」


「イブン。いい加減に……」


「ハーメット領が一部野蛮なのは否定しないわ」ユリアが毅然といい放った。「あくどい奴も実際いる。でもね、あんたより筋が通っていて、あんたより潔くて、あんたより行動力がある奴らばっかりよ。ていうかあんたの頭ん中腐ってるわね」


「なにい」


「やめろ、ユリア」ケイが引き止める。


「今までニセ龍獣と神女の存在におびえて何もしなかったくせによくも大きな声を出せてるもんだわ。部外者に助けてもらってそっちこそえらそうに抜かしてんじゃないわよ!」


「なんだと!?」


「化体族に名誉も糞もないなら、あんたらには根性もへったくれもないわ! あんたたちは四ヶ月のあいだ何をやってたの! 領長とトンピーさんだけにまかせっきりにして、山にのぼろうとさえしなかったじゃないのよ。祭祀場に不審者が現れた時点で領民が集って押しかけてれば一日で解決できた問題よ! たった一日なんて、百年待たなければならなかったあたしたちの島に比べればあっけないくらいの短さよ!」


 しんと無音になった。


「百年のあいだどうしようもなくて、ずっと耐え忍んで、ようやく動きだせるときがきたのよ。あたしは女だからって遠征を反対されていたけど頼んで頼んでやっと仲間に加えてもらった。何もしないで待ってるだけなんて嫌だったからよ。他人まかせになんてしたくなかったからよ。あたしは自分がやらなければならないと思ったから行動したのよ」


 皆が口を閉じ、身動きせずに、舌鋒鋭く眼光炯々と主張する一人の女の子に意識を傾けている。


「遠征は生易しいものじゃないけど、あたしたちは前進する意志があったから今ここにいるわ。どんなに謂れのない差別を受けようと、拉致されようと、剣を突きつけられようと、あたしたちは進みつづけたから今ここにいるのよ。すべては島の未来のためよ。島に住むみんなのためよ。あたしたちは故郷に愛情と誇りを持って生きてんのよ! 何が手ごめよ! 何が乱暴よ! レイル島の百年の懺悔を自ら台無しにするわけがないわ! 何も知らない奴らが好き勝手に化体族を侮辱してんじゃないわよ! ふざけんじゃないわ!」


 ユリアは呼吸に合わせて肩と胸部を上下に揺らす。ユリアに目を据えている人、うつむいている人、二種類に大別されるも、いずれも観衆は最後まで彼女の熱弁に耳を傾けていた。


「ぇらそうに、半人種が」


 イブンさんが立ち向かおうとしたが、男性数人に取り押さえられた。


「連れていってくれ」


 ベロック領長の指示に従い、男性たちはイブンさんを宥めながら通路の奥へと引っ張っていった。荒い足音とともに最後までイブンさんの不満そうな声が響いていた。


 観衆と化していた領民たちもぞろぞろと移動し、後には僕たち三人とベロック領長だけが残った。


「……そうか。百年目だったか」ベロック領長がしんみりとつぶやいた。


「はい」僕は答えた。


 ユリアは背を向けて拳を握りしめている。ケイは床を見据えている。ここから先の自分たちのとるべき行動は一つだ。


「ベロック領長。僕たちはミュズチャ領を出ます。すみませんでした」


「謝らなければならないのはこちらのほうじゃ。申しわけなかった」


 ここを離れる前にいっておかなければならない。もう一名について。


「ベロック領長。リャムは本当の人間です」


 そうか、とベロック領長は静かな口調で受け止めた。多くの人々が集っているのが嘘かのように客亭は閑散とした雰囲気に包まれている。ギッ、と床を鳴らして僕は足を前へ進めた。




 厩舎の入口を開ける。ケイとユリアを中に通して戸を閉めた。


「エデン。迎えにきたよ」


 グルル、と柵の向こう側で寝そべっているエデンが喉を鳴らした。


「ユリア」ケイが重くなっていた口を開いた。厩舎に入ったら話しかけると決めていたんだろう。「あのオヤジは腹が立つけど、危険だからああいうときは」


 僕はケイの肩に手を置いた。ケイはわずかに驚きを見せるも、舞いおりた新雪が解けるごとくふっと顔の色を消し、いおうとしていたことを腹の底に落としてくれた。


 僕は歩を移した。そして、硬い顔で黙り込んだままのユリアの頭に手を添えた。


「化体族の名誉を守ってくれてありがとう、ユリア」


 薄い唇が小さく震え、次に唇が横にゆがんだ瞬間、大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。ユリアは僕の胸に飛び込み、喉がはち切れんばかりの声を上げた。厩舎内に嗚咽が響く。


 小舟を揺らす湖水のような波動を感じる。ユリアも感じていることだろう。


 彼女のやるせない思いを胸に受け止めて、僕は彼女の頭を何度もなでた。




「あいつが泣くなんて思わなかった」


 うん、と返した。


 石灯籠が並ぶ庭をユリアとエデンが先に歩く。もうすっかり元気を取り戻している。妹の切り替えの早さは見習うべきところだ。


「おれ、ユリアに小言ばかりだな。お前のように広い心で受け止められるようにならないとな」


「ユリアを心配していってくれてるのはみんながわかってることだよ。これからもよろしく」


 ケイは慎ましやかに微笑んだ。


 ベロック領長とトンピーさんが門先で待っててくれていた。


「エデン。おぬしにも世話になったのう」ベロック領長がエデンに優しく声をかけた。


「ねえ。この領の長って決められた一族で引き継がれてるの?」ユリアが出し抜けに質問した。


「いや、世襲制ではない。どの領民も領長になれる可能性が等しくあらねばならん。というのがミュズチャ領の昔からの考え方じゃ」


「それはよかったわ。あの息子が次期領長だったとしたらこの領は破滅の一途を辿るもの」


「ユリア。肉親の前でいいすぎだ」ケイが止める。


「よい。先ほどのあれは目に余る無作法ぶりだった。私が息子を甘やかしていたのが悪いんじゃ。あやつのことは、これから身内でなんとかしてゆく」


「どうでもいいわ。それよりミュズチャ領をよくすることに打ち込めば?」


「むろんそれは常に心を砕いていることじゃ。のう、トンピー」


 トンピーさんは「はい」と力強く肯定した。


 ユリアが腕を組んで小首をかしげる。「領長とトンピーさんの関係ってなんなの?」


「私にとって弟子みたいな存在かのう。実はトンピーはミュズチャ領の長になりたいという夢を持っておるんじゃよ」


 へえ、と僕たち三人の息が合った。


「りょ、領長。それは内緒にしておいてほしかったですぅ」


「しょっちゅう私を訪ねてはいろいろと手伝ってくれているんじゃ。今日の神女への突撃に関しても、本人からぜひとも同行したいと要望があったのだ」


 トンピーさんは恥ずかしそうに背を丸めている。


「トンピーさんなら立派な領長になれますよ」


「お兄ちゃん、正直にいってあげなくちゃだめよ。しゃんと胸を張って強くならない限り無理よって」


「はは。つまりユリアはがんばってっていいたいんですよ。おれたちは応援しています」


「あ、ありがとうございますぅ。がんばりますぅ」


 トンピーさんの柔らかな笑顔で場が和んだ。


「ハヤテ、ケイ、ユリア。全領民を代表して謝意を表す。本当にすまなかった。そしてありがとう」


 ベロック領長とトンピーさんは深々と頭を下げた。


「こちらこそ最後までレイル島出身だといい出せなくてすみませんでした」


「いや、思えばハヤテは伝えようとしてくれていた。私が勝手にハーメット領の者だと決めつけていたのだ」


「そうね。早とちりする癖があるから直したほうがいいわね」


 ベロック領長は「まいった」と頭をかいた。「まだまだ発展途中の未熟な領じゃが……旅を終えた暁には……また訪れてくれんかの」


「嫌よ」


「おい、ユリア」


「胸糞悪い思い出ができちゃった領だもの。あたしはきたいと思わないわ」


「そうじゃな……」


「だから領長とトンピーさんがレイル島に遊びにくればいいじゃない。そのときにはあたしたちは人間になってるし」


 悄然としていたベロック領長とトンピーさんの表情がきょとんとしたものに変わった。


「何よ。嫌なの?」


 二人はあわてたように首を振って否定した。


「いっておくけどミュズチャ領が嫌いなんじゃないからね。今はただ領長の息子に向かっ腹を立ててるだけよ」


「だから肉親の前でいうなって」


 ベロック領長は咳を吐くように一笑した。そして柔和でありながら小気味よく笑いだした。トンピーさんもつられるようにして頬をゆるめた。彼らの表情がみるみる明るくなる。


「そうじゃな。強くて勇ましくてなんとも気持ちのいいおぬしたちの故郷、見逃すわけにはいかんな」ベロック領長が洒落っ気を持たせていった。「しょっちゅう山をのぼりおりしていたおかげで足腰は丈夫じゃ。トンピー。立派な領長になるには外の世界を見ておかねばならんぞ。いつかレイル島に足を運ぼうではないか」


「はい! ぜひ訪れたいですぅ」


 僕たちは皆笑顔になった。


「神のもとを、目指してるんじゃな」


「はい」


「いやはや。やはりとてつもない若者たちだったんじゃのう。おぬしたちなら必ずや望む結果になると信じておる」


「ミュズチャ領から毎日お祈りしていますぅ」


「ありがとうございます。僕たちもミュズチャ領がさらに魅力あふれる領になると、信じています」


 再会を約束してベロック領長とトンピーさんと別れた。


 空を見上げる。星はほとんど出ていない。何個かぼうっとがんばっている程度だ。


 人間の中にも半人種と対等に接する人はいる。心を通わせようとしてくれる人はいる。そんな人たちと久しぶりに出会えただけでも、今ここにいる意義はあったと思っている。


 僕ではなくカレがミュズチャ領に関わっていたら、またちがう結果になっていただろう。太陽の日――カレ、月の日――僕。逆の組み合わせだったら、いろんなことの結果がちがっていて、それらが積もり重なって、今頃はまったく異なる道を歩いていただろう。そう考えると、太陽の日に表に出るのがカレでよかったし、月の日に関しても同様のことがいえる。


 ちがう道でもそれなりの道はあるのだろう。それでも、今この道でよかったと思うことがきっと、重要なんだ。

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