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18-1:悶着 【月の日/ハヤテ】

- 18 -



「――というわけだったのじゃ」


 ベロック領長が事の顛末を話し終えた。神女と龍獣の正体が人間だったとの発表時には荒磯波のような驚きの声が上がったが、すぐ引き、広い宴会場の隅に立っていた女中にまでしっかりと全容が伝わるほど場内は静かになっていた。それだけ皆が熱心に耳を傾けていた。


 五、六十人ほどが一堂に会している。ベロック領長の家族親戚、ミュズチャ領の役人や権力者、この客亭の給仕係など。真実を知っての動揺がまだ顔から消えてない人がほとんどだ。


「流れ者の男女の身柄はハーメット領の福耳団があずかってくれることになった。皆の者、感謝の気持ちを忘れんようにな」


 僕は柱の時計を見る。そろそろリャムが福耳団の本部に着く頃だろうか。大変な仕事を買って出てくれて、リャムには本当に感謝している。


「ハーメット領の奴なんかに頼んで大丈夫か。後で手間賃を請求されるんじゃないのか」


 蜂の巣に棒を突き刺すような乱暴な発言に、皆の視線が奥のテーブルに集まった。口にしたのはベロック領長の息子さんだ。たしか、名前はイブンさん。


「イブン。危険を顧みず同行くださり、さらに厚意で流れ者の面倒まで見てくださる親切な御心に対して、なんていい方をする」


 ふん、とイブンさんはソッポを向いた。ベロック領長は肩でため息をつき、唇を固く結んだまま喉の奥の痰をすくうようなくぐもった咳を二、三度、した。


「一般の領民には明日説明する。今宵は盛大に祝おうではないか。難事解決の立役者であるハーメット領の皆様に心ゆくまで楽しんでもらおう」


 乾杯するなり、温かい料理が次々と運ばれてきた。宴会場はたちまち活気を帯びた。


 郷土料理と地酒をいただく。いずれも初めての物ばかりで、味わうというよりは新しい発見をさせてもらっているような、そんな心持ちだ。


 ミュズチャの領民たちは皆笑顔で上機嫌だ。早くも出来上がっている人たちもいる。宴席は六つの長いテーブルで構成されている。僕たち三人が案内されたテーブルは、同席者がベロック領長や年配の役人なだけあって、比較的落ち着きがある。最もにぎやかなのはミュズチャ領の男衆が座を占める奥のテーブルだ。


「トンピー、ほら、一杯やれってんだ」


「目が回ってしまうのでけっこうですぅ」


 わはは、と男たちの威勢のいい笑い声が飛ぶ。トンピーさんはかまわれやすいようだ。


「ミュズチャ領の男のくせに酒に弱いとは情けない」奥のテーブルの中心人物であるイブンさんがそしった。酒をぐいとあおる。「しかし、奴らが人間だったんならやっぱり小火(ぼや)でも起こしてびびらせときゃよかったな。俺は前から提案してたんだ。それを、領長が祭祀場を燃やすことはできんって反対したんだ」


 僕の横に座るケイが顔を向けてきたのがわかったので僕も少し振り向いて目を合わせた。ケイは苦笑いしていた。その隣に座るユリアの顔つきが怖かった。小声で「ユリア、顔」とささやくと、彼女は眉間の皺を指で伸ばした。


「お隣失礼します」


 声をかけられたので反対側を振り返る。ベロック領長の孫娘、アモンネさんだ。彼女はベロック領長の席に腰を下ろした。


「ハヤテさんたちがきてくれて本当に助かりました。ありがとうございました」


 僕は黙礼した。


「突然現れてたちまちミュズチャ領を救ってくださるんですもの。すごいですわ」


「ベロック領長が……お祖父様が、ミュズチャ領をなんとかしたいとがんばりつづけてきた結果ですよ」


 アモンネさんは首をくねらせて笑った。「私、ハーメット領を誤解していましたわ。ハヤテさんのような素敵な方もいらっしゃるんですのね」


 んふっ、げほげほっ、とケイが咳き込んだ。「すみません」と謝るケイの顔が赤い。


「ケイさん、でしたわね。私、何か下手なことをいいましたかしら」


「いえ。酒にむせただけです。すみません」


 アモンネさんは沈黙した。その間がなんだか恐ろしく感じた。


「ハヤテさんとは幼馴染と聞いていますが、ケイさん。ご一緒に旅に出られるなんてとても仲がよろしいんですのね」


「ええ、まあ。ハヤテとは歳が同じですし、家も近かったですし。きょうだいみたいに育ちました」


「ごきょうだいのような間柄ですのね。安心しました」


 そのとき、ベロック領長の奥様がアモンネさんを呼んだ。アモンネさんは「失礼します」といって席を立った。


 安心しました、か。これは、うーん……。気を持たれてるって思っても、うぬぼれではない、だろう。


「まあ、あれだよな」ケイが声を落として話しかけてきた。「目のやり場がな」


 何を指しているかすぐにわかった。うん。そうなんだ。目がいかないようにはしてたけれど、胸元がずいぶんと開いた服を着ていた。僕はテーブルの上の自分の皿に視線を落としてケイのほうは見ないようにした。ケイの隣のユリアの顔を見るのが怖かったからだ。


「しとやかなお嬢さんかと思ったけど、案外気が強そうだな。酒に酔ってたみたいだし、お前、押されないように気をつけろよ――っと」


 ケイが居住まいを正した。アモンネさんが戻ってきた。


「ハヤテさん。こちらのお酒もいかがかと、祖母が」


「あ。じゃあ、少しいただきます」


 (さかずき)を傾けているあいだ、アモンネさんに見つめられてこそばゆかった。


「外へ散歩しに参りませんか」と小声で誘われたのは、酒を飲み干した直後だった。


 押されないように気をつけろよ。ケイの言葉が頭の中で繰り返される。


「外は冷えるでしょう」だからいけない、と僕は暗に示した。


「上着を羽織れば大丈夫ですわ。男性用の上着をお貸ししますわ」


「……僕たちは先を急ぐので、もうそろそろおいとまします。散歩をしている時間はないかと」


「あら。せっかくなんでゆっくりなさってください」


 びくっと身が震えた。アモンネさんの手が僕の太ももに触れたからだ。彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべている。これはだめだ。


「ちょっと失礼します」




 僕は(かわや)へ逃げ込んだ。


 落ち着く。


 女性からこんなに積極的にこられるのは初めてだから戸惑ってしまう。どう対処すればいいのか。相手は人間なんだから拒絶するのはもちろんとして、問題はうまい拒み方がわからないことだ。父さんやムゲンさん、まわりの大人はどちらかといえば女性に不器用な人たちばかりだから、女性のあしらい方のお手本がない。……早いところ切り上げてここから去るのが一番いい。


 厠を後にした。――ぎくりとした。


 今度は体は跳ねなかったけど心は動揺した。行灯(あんどん)が灯る薄明るい廊下に、アモンネさんがつくねんと立っていた。


「驚かせたならごめんなさい」彼女はくすくすと笑った。


「ちょっと、驚きました」


 宴会場の笑い声が漏れてくる。あのさんざめく空間とは切り離されたように、静やかで硬質な空気がこの場に流れている。


「外が暗くなりましたわね」


「そうですね」


 彼女がこつこつと近づいてきた。体に力が入る。


「これから出発なさるなんて、危険ですわ」


「慣れてます。まったく問題ありません」


「今日ぐらい泊まっていかれたらどうかしら」


「けっこうです」


 はっきり断っておかなければという思いが予想外に語勢を強めていた。


 アモンネさんの顔がにわかに曇った。「あたし、なんだか気分が優れないんです。二階の部屋まで連れてってくださらない」


「すみませんが、僕では失礼に当たりますので、ほかの方を呼んできます」


 彼女の横を通り過ぎようとしたとき、腕を内側から引っ張られた。


「あなたがいいの」


「呼んできます」


 肘を上げて彼女の束縛を解くも、再び腕を捕まえられた。


「具合が悪いのなんて嘘に決まってるでしょ」アモンネさんが体を寄せてきた。「一目見たときからあなたが気になってたの」


 僕は彼女の両肩に手を置いて引き離した。


「なんでよ!」


「困ります」


「困るですって!? ひどい!」彼女の眉目そして口が怒りの形相に変化した。「やっぱりあの女と何かあるの!?」


 ケイのことか。


「だれとも何もありません」


「じゃあ気兼ねすること、ないわっ」


 ぐいと腕を持っていかれそうになるも力んで耐えた。彼女はつんのめって二、三度足踏みをした。


「何よっ。なんで抵抗するのよ! 女にここまでさせといて逃げるの!?」彼女は興奮しながら僕の腕を揺さぶる。「据え膳食わぬは男の恥って知らないわけ、いくじなし!」


 ただでは収まりそうにない。仕方ない。


「アモンネさん。僕は」


「あたしのどこがいけないっていうの!」


「僕は化体族です」


「何よケタイゾクって! ――え?」アモンネさんがぴたりと止まった。


「ハーメット領ではなく、レイル島の出身なんです」


 振り乱した髪で彼女の顔の半分が隠れていたが、見えてないほうの分までがんばったんじゃないかっていうほど、見えてるほうの目が大きく開かれていた。


「僕は半人種なんです」


 ふわっと僕の手から彼女が離れた。そのままよたよたと彼女は後ろへ下がる。


「嘘……」


「本当です」


 アモンネさんは首を左右に振って、さらに一歩、また一歩と後ずさる。


「嘘よ……。そんな嘘……信じな……」


 今ここで示せる証拠は何一つない。化体族だと信じてもらうには、僕が真剣な表情をしつづけるくらいしかやり様がないだろう。彼女はあるいは僕が相好を崩すのを待っているのか、廊下の四つ角で棒立ちになってなお僕から視線をそらさずにいる。


 ふと、こちらへ向かってゆっくりと歩く足音が聞こえてきた。右側の通路からだ。


「アモンネ」


 近づいてくるその人物がアモンネさんを発見して名前を呼んだようだ。年配の女性の声だった。


「こんなところで突っ立ってどうしたんだい。早くハヤテさんのところに戻りなさい」


「……やめて」


「いいかい、こういうのは女のほうからだね」


 しゃべりながら四つ角に立ち現れたのは、鼻の横にいぼのある老女だった。予想したとおりだ。ベロック領長の奥様。アモンネさんのお祖母様だ。


「あ、あら。まあまあ。ハヤテさん。いらしたんですのね。これはこれはお恥ずかしいところをお見せしまして。いえね、老婆心といいますか、ハヤテさんみたいな素敵な方と孫娘がうまくいけばなん――」


「やめてえーーーー!!」アモンネさんは絹を裂くような叫声を上げ、膝からくずおれた。


「アモンネ! どうしたんだい!」


 彼女は腕を交差して上腕部を激しくこする。何度もする。不浄な物でも祓い落としているかのようだ。


「ア、アモンネ」


 ドタバタとあわただしく通路を走る多数の音が響いてきた。間もなく四つ角へと到着したのは、ベロック領長、トンピーさん、アモンネさんの父親であるイブンさんなどミュズチャ領の男性たち。


「どうしたんだ。なんの騒ぎだ」


 次々と領民が駆けつける。アモンネさんの左右と後ろに通路が伸びているが、その三方の通路をふさぐようにしてあっという間に人垣ができた。


 アモンネさんは真っすぐ僕を指差した。その指先が震えていた。


「この人っ……、レイル島出身者よ。化体族っ……半人種なのよ!」


 吃驚の(たけ)りが領民たちから発せられた。肺腑の底から沸き起こる衝撃を体外に放出せねば圧死してしまう。そんな背景がありそうなほどの並外れた大音声だった。


「ほ、本当か。ハヤテ」ベロック領長が目を皿にして問う。


「本当です」


 領民たちはざわめいた。ベロック領長の奥様がアモンネさんの肩を抱いて立たせ、無言で右側の通路へ連れ去った。彼女らの足音が遠くへ消えていった。


「貴様っ!」


 イブンさんが床を踏み鳴らして接近してくる。太い腕を伸ばして僕の胸ぐらを取った。


「アモンネがやめてと叫んでいたのはどういうことだ。貴様、乱暴を働こうとしていたな!」


「ちがいます」


「状況から判断してそれしか考えられんだろ」


「化体族の名誉のためにはっきりと否定します。ちがいます」


「はっ! 何が名誉だ。化体族に名誉も糞もあるか」


 耳を疑う暴言に閉口した。


「貴様の先祖は人間でありながら半人種に手を出したケダモノだ。ケダモノの子孫が名誉だなんだと語るなどちゃんちゃらおかしい。白状しろ! 娘を手ごめにするつもりだったな」


「ハヤテはそんなことしません」


 人垣をかき分けてケイとユリアが前へと出てきた。


「どう考えても逆でしょ。あの女、お兄ちゃんが迷惑してるにもかかわらず色目使ってたじゃない。大方、勝手に盛り上がって勝手に失望して半狂乱になったってところかしらね」


「なんだと!」僕の胸ぐらをつかんだままイブンさんが斜め後ろに怒気をぶつけた。「貴様、よくも人の娘にそんないい草ができるな。――そうか。貴様らも半人種か。だから人の心というものがわからんのだな。だから平気で虚言妄言が吐けるのだな」


「おい。結局何が起きたんだ。場合によってはこれは大変な事態だぞ」


 人垣から上がった声に、まわりの領民たちがそうだそうだと同調した。だれかが甲高く「説明しろ!」と叫んだのをきっかけにざわめきが止み、皆の目が僕を捉えた。

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