17-1:噂の神女と龍獣 【月の日/ハヤテ】
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「この上が祭祀場です」
山道に階段が現れたところで、もう少しだと予告していたベロック領長からいよいよの告げ知らせがあった。
木々は急勾配に器用に立つも、人の手でしっかりと造られた階段に覆い被さりたそうに枝葉を寄せている。祭祀場らしき建物はまだ視界に入ってきていない。
「さ、謎の半人種とご対面だ」ケイが独りごちた。
ケイは休憩時に少し疲れてるように見えた。けど、山のぼりも後半になると元気を取り戻し、ベロック領長とトンピーさんとミュズチャ領の風土や風習について楽しそうに会話していた。
「神女の前では『半人種』という呼び方は禁止じゃ。正式名称である『懐生』を用いてくだされ」ベロック領長が説き勧める。
「そういや懐生なんて言葉があったけえね」リャムが懐かしそうにいった。
「ほかに注意する点はありますか」僕はエデンの首輪をかいつかんで尋ねた。
ベロック領長たちは徐々にエデンへの警戒を解いて距離を縮めるようになっていた。人間を襲わないことはもちろん、ほとんど吠えさえしないとわかったからだろう。僕自身、エデンの人馴れ具合には日に日に驚きが増すばかりだ。福耳団に捕獲される前は、もしかして人間に育てられていたんじゃないかな。それも愛情たっぷりに。そう思えるほどエデンはヒトと親和性があって、賢くて、ヒトの機微に聡い。
「とにかく神女と龍獣を刺激せぬよう。とだけいっておこう。敵意が生まれれば互いの不利益になるだけ。冷静に話し合いで解決したい」
ベロック領長の望む方法で事態が収束すれば理想的ではある。ただし、祭祀場の中にいるのがミュズチャ領の困苦を顧みない無慈悲な人物ならば、戦う可能性が出てくる。気を引きしめて当たらなければならない。
「ねえ領長。シンニョだかなんだかと龍獣を追い出すのが目的なんでしょ」ユリアが確認するように問いかけた。
「『追い出す』は不穏当じゃな。去ってもらいたい、が適切じゃ」
「四ヶ月も居座ってる相手よ。今さら話し合いなんかで素直に去るかしらね」
その懐疑はもっともだ。
「うむ。こちらとしては善処するのみじゃ」
そこで話は終わるかと思ったけれど、ベロック領長が地に足を釘づけにしたままだったので、僕たちは動きだそうとした体をその場にとどめた。
「ここに酒飯を届けるようになって以来」ベロック領長の目が階段の上部に向く。「我々は本心を胸の奥にしまいつづけてきた。龍獣に街を襲われぬよう、神女の機嫌を損ねぬよう、恥ずかしながらあちらさん側に迎合しておったわけじゃ。ミュズチャ領の守り神だと自負する神女を表面的には受け入れてきた結果、神女当人も自分は歓迎されていると信じ込んでおることじゃろう。我々が迷惑しているとは知らんのです。しかし今日こそはこちら側の本心を知ってもらうとき。龍獣を仲間にしているたくましい若者たちがついている。おかげで、やっと一歩踏み出せた。こちらの真情をぜひとも神女に理解してもらい、ミュズチャ領の内憂を取り払いますぞ。のう、トンピー」
「はい。領民のためになんとしてでも解決したいですぅ」
自分の領のために有力者に思いと願いを伝えて、最良の形をつかみ取ろうとする。規模はちがえど僕たちが成し遂げようとしていることと同じだ。
「ま、相手が物分かりのいい奴ならいいわね」
「では、いざ」
ベロック領長は階下に設置されている小型の鐘を打ち鳴らした。来訪を知らせる合図とのこと。
階段を上がりきると平屋があった。横に長い四角形。窓と扉以外の外壁には鳥と貝殻の絵が繰り返し描かれている。思いのほか小さい建物ではあるが、祭祀が執りおこなわれる場所だけあって俗っぽくない独特な外装だ。
庭とも通路とも呼べそうな敷地はむさくろしい。雑草が伸び、薪や縄が散らばっている。中央の扉の前には男性をかたどった大きな木彫りの像がある。像のそばに酒瓶と食器が積み重ねられていて、それらに付着する滓が臭気を放っているようだが、食べ物や酒のにおいだけでなくドブ川のにおいが混ざったような不快な空気が鼻を支配する。
建物の扉にさほど近づかないうちにベロック領長は立ち止まった。
「神女様。ミュズチャ領領長ベロックでございます」
「今日は何やら大人数のようだな」
建物の中から聞こえてきたのは低い女性の声だった。二十代でも五十代でも通用する年齢不詳の声だ。扉が固く閉じつつも会話ができるだけの音量が耳に届くのは、一箇所だけ、屋根付近の小窓が開いているおかげか。
「本日は六名です。私とトンピーと、新しい者が四人おります」
「あんたがシンニョね」ユリアが裁ちばさみのごとくざくりと切り込んだ。
しっ、とベロック領長が口の前で人差し指を立てた。
「言葉遣いのなってない娘がいるな。だれだ」
ユリアが名乗る前に僕が割り込む。「僕たちは旅の者です。道中でベロック領長と知り合い、この地に立ち寄らせていただきました」
「巡礼ならばさっさとそこの神像に礼拝して帰るがよい」
ベロック領長と目を合わせた。ベロック領長はうなずき、咳を一つ払った。
「神女様。本日はお願いがあって参りました」
少しの間があってから「なんだ」と返ってきた。
「神女様は懐生であられます。人間と懐生は別々に暮らすのが自然界の構図であります。どうか、神女様が本来居住すべき地にその御身を捧げていただきますよう、お願い申し上げます」
角が立たないように言葉を選んで意見しているのがわかる。
「ほう。立ち退けと申すか」
向こうは落ち着いている。
ベロック領長はまばたきの回数を増やして「はい」と答えた。「率直に申しまして負担が大きいのです。この祭祀場につきましても、以前のように領民と旅人が自由に来訪できるようにしたいのです。二ヶ月後には毎年恒例の新酒の奉納祭がひかえております。我々としては神への感謝の儀式を中止にするわけにはいきません。伝統を守ってきた先祖のためにも、ぜひ祭祀場を明け渡していただきたいのです。ミュズチャ領は我々領民が守りますので、神女様におかれましては、どうぞミュズチャ領をお忘れになってくだされ」
緊張そしていいきった高揚がベロック領長の胸を大きく膨らませては縮めていた。ミュズチャ領の一領民であるトンピーさんは、長の懸命な主張に音を立てない拍手を送っていた。
「ベロック」神女の声がさらに低くなった。「よそ者を連れて気が大きくなっているようだな。急に絶縁を申し出るなど、こんな無礼はないぞ」
「昨日いったって一ヶ月前にいったってあんたにとっちゃ『急に』なんでしょ」
ベロック領長があわててユリアに発言を抑えるよう、手で合図した。
「またうぬか。口のきき方には気をつけよ」
「神女様は懐生とのことですが、種族はなんですか」ケイが場を取り成すように新たな話題を投じた。
「うぬらに教える理合いはない」
「種族ぐらい教えなさいよケチね」
「ええいっ。さっきからうるさい小娘だ。調子に乗ればこいつが黙っておらんぞ。龍獣!」
グァウ、と大きな啼声が建物内から突き抜けてきた。ベロック領長とトンピーさんが身をすくめた。
「アゥルルル」
今度はエデンが声を出した。触発されたみたいだ。喜怒のない、エデンにしてみればなんてことない発声に過ぎないが、やはり隆とした腹と頑丈な喉が織り成す声は大音かつ重厚で迫力がある。耳慣れしてないベロック領長とトンピーさんはびくりと体を震わせていた。
「今の音はなんだ」神女の声がかすれた。
「何って、龍獣よ」
「龍獣、だと」
「僕たちの仲間です。一緒に旅をしています」
「あたしたちは龍獣と仲よくなれちゃうんだから。あんたの龍獣で脅そうったってむだよ」
「……ほう。偽物を連れてくるとは考えたな」
「偽物?」僕とケイとユリアは同時に言葉を発した。
「野獣の帝王たる龍獣がお前たち人間なんぞに心をゆるすはずがない」
僕たちを人間と思い込んでいるようだ。こちらから名乗らなければそう判断するのが自然な成り行きではある。
「偽物ってどういう意味よ。龍獣は龍獣よ。本物も偽物もないわ」
「銅鑼声の男が鳴き真似でもしているのであろう」
「んー?」端に立つリャムが首をかしげた。いつになく静かに情勢を見守っている。
「くっだらない発想ね。だったらその目で確かめてみればいいでしょ」
「確かめるまでもない」
そういえば。エデンの存在を疑うということは、こちらの姿をまだ視認してはいないということか。高くもなく低くもないちょうどいい位置にある四つの窓は、いずれも不透明な硝子と内側のカーテンが閉めきられている。たしかに視界が遮られてる状態のようだけど、実は状況を把握した上でとぼけている可能性も考えられる。
「ベロック領長」僕は声をひそめて訊く。「祭祀場の中から外の様子は見えないのでしょうか。たとえばのぞき穴みたいなものはないんですか」
「あったとは思うが。逆に外から中をのぞけないよう、隙間という隙間をふさいだんじゃろう」
なるほど。かなり用心深くしているようだ。
「シンニョ! 早く出てきて確認しなさいよ」
「その手には乗らん。人間風情がわらわの面容を拝もうなど厚かましいにも程がある」
「もったい振ってんじゃないわよ。あんたのツラなんてどうでもいいわよ」
「龍獣は偽物。それ以外あり得ん。答えが出たので話は終わりだ」
「神女様。疑うのであればぜひ一目だけでもご覧くだされ」
「お願いしますぅ」
「わらわは神女ぞ。人間の指図など受けん!」
頑としてこちらの要求は撥ねのけるつもりだ。
「先ほどの龍獣の声の人間くさかったこと。わらわを一杯食わせるには修行が足りん。出直して参れ」
リャムが一歩前に出た。「ハーメット領の福耳団が所持していた正真正銘の龍獣じゃ。イカサマ扱いされては不愉快じゃ」
一瞬間が空いた、と思ったら、一瞬だけじゃなく数秒の沈黙になった。
「リャムがしゃべり出したら一気に静まったな」ケイが訝しがる。
「もうこっちの相手はしないつもりかしら。だったら腹立つわね」
「――兄貴。これはうらの予想なんですが」
リャムがわずかに目を細めて何かしら語ろうとしたそのとき、「ひっ」と息を吸う声とともに窓を手荒く閉める音がした。左奥の窓だ。カーテンがゆらゆら揺れている。窓をちょっぴり開けて外を確認したようだ。それはいいとして、問題はそれがだれだったかだ。
「何今の。おっさんの声だったような気がしたけど」
「ああ。龍獣ではないよな。かといって女にあんな野太い声は出せないだろうし……」
ユリアやケイにも覚えのない声として耳に届いている。聞きまちがいではない。
「だれか顔を見ましたか」
問いかけてみたが、皆、首を横に振る。
建物内から軽くてせわしい足音が微かに漏れてくる。
「ベロック領長。中にはほかにもどなたかいらっしゃるんですか」
「い、いや。神女様と龍獣だけのはずじゃが」
「僕もほかにだれかいるなんて知らないですぅ」
ベロック領長とトンピーさんは呆気にとられたように左奥の窓を見つめている。
「これでもう確信したけえね」リャムが誇らしげに宣言した。「兄貴。エデンに突っ込ませたらいいですけえ」
「えっ」と皆の驚きの声が飛ぶ。
「中の姉さん。聞こえとるじゃろ。突撃されたくなかったらさっさと降参して建物を明け渡すことじゃね」
「ふざけるな。貴様、なんの権限があってそんな大それたことを申しておる」
「権限なんぞないのはお互い様じゃ」
リャムが一歩二歩と祭祀場へ近づく。わざと靴音を立てながら。
「寄るな! 妖術を食らわすぞ!」
「やれるもんならやってみい」
「リャムよ、神女様を挑発しては――」
突然左奥の窓ががらりと開いた。太い毛むくじゃらの腕が現れ、ツバキの実ほどの大きさの白い丸い物――火がついている――をこっちへ投げつけてきた。地面に落下するのとほぼ同時に、濃い白い煙が、まるで翼竜が起き上がってその翼を広げるかのごとく、むくむくと湧き上がっては拡散していく。
「むむっ。この白煙は例の妖術ですぞ!」
「こいつは単なる煙玉じゃ。深く吸い込んだら呼吸困難になる。下がれ下がれ」
リャムの号令で皆が後ろへ退く。
「領長! 何が妖術よ!」
「すまん!」
どこかで戸が開く音がした。
「あっ。裏口から逃げるつもりですぅ」
「しまった! 龍獣を野に放ってはいかんぞ!」
僕はエデンに飛び乗った。
「エデン、追って」
指を差した方向へと駆けだした。薄くなった煙幕を突き抜けて、建物の脇を通り、裏手へと回る。木立のあいだを走っている二人組を発見。すかさず彼らの前へと躍り出た。
「ぎゃあ!」
僕たちによって退路をふさがれた二人組は両方とも腰を抜かした。




