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16-2:衣服の中の虫

 くっきりとした山道がつづく。ミュズチャの領民は年に一度、祭祀場へ新酒を奉納しにいくと聞いていたが、その伝統を物語るかのように、昔から人の通行があったのだと感じさせる状態の地表になっている。


 神女の妖術はいかほどか? 神女が飼い馴らしている龍獣の攻撃性は? 気になる点はあるっちゃあるけど、大丈夫だろうという気持ちのほうが現時点では強い。こっちにだって同じ龍獣であるエデンがいるし、人数だって多いし、そもそもけんかしにいくんじゃないんだし、実際に会ってみなけりゃ始まらない。祭祀場までの約二時間、草花の観賞にでもきたつもりで登山を楽しんだほうが得だ。


 見たことのない派手な花が目についた。


「リャム。あの赤い花の名前知ってるか」


「道端に生えてるのは大概ブタクサじゃ」


「見て答えろよ。しかも赤い花だっていってんのに」


「やかましいのう。こちとら頭が忙しいんじゃ」


「……急に考え込んでどうしたんだよ」


「なーんか喉に小骨が刺さる感じがしてのう。一番引っかかってるのは神女っちゅう存在じゃ。神女なんて御大層に名乗っておきながら、やってることは人間を威圧してタダ飯をせしめるっちゅう、そこいらのならず者と変わらんはしたなさじゃ。半人種の印象といえば保守的で倫理と誇りを大事にしていて、聡くもあると思っていたから、堂々とツラ汚しできる半人種もいることに軽く驚いたけえ」


「リャムは半人種に知ってる奴でもいるのか」


「あんたら以外ではいないき」


「じゃあその具体的な印象はどこから?」


「福耳団の中に、東大陸の視察にいった経験を持つ奴がおっての。そいつの話をあれこれ聞いてるうちにうらの中で半人種像が形成されたんじゃ」


「その人は半人種と親しくしてたのか?」


「まさか」リャムはけらけらと笑って答えた。「視察は視察でもカネ儲けの種が転がってないかの視察けえ。同じ人間にも歓迎されない輩じゃ。半人種が好意的に迎え入れるわけがないけえ。それでも人間側が悪させん限り襲ってはこなかったし、自分らのシマから追い出そうともせんかった。らしい。だから利口な印象を持ったんじゃ。まあ、そいつはほんの二、三の種族としか出くわしてないからたまたまお上品な奴らに当たった可能性は否定できん。半人種にだって荒々しい種族やはみ出し者がいても不思議ではないっちゃね」


 おれが読んだ参考書には、半人種とは「半ばあるいは半端に人間の性質を持った種」であり、その心も人間の半分、つまり思慮に欠けた短絡的で本能的な種、みたいなことが書かれていた。もちろんおれはそのすべてを信じたわけではない。本で得る知識がいつも正しいとは限らない、と本好きの父さんがかねてから注意喚起していたからだ。著者の勘ちがいや書き誤り等によって本の内容がまちがっていることは珍しくないし、事実をねじ曲げてまで著者の偏った考え方を押しつけようとする危険な本だってある。だからその参考書を妄信はしてないけれど、なんせほかに生きた情報が入ってこないもんだから結局はその参考書の内容が頭に残り、東大陸に住まう生粋の半人種はぎらりとした鋭い野性味を備えているんだというとりあえずの印象を持っていた。リャムの今の話では、ほぼ逆、だよな。どんな人間が書いたかわからない参考書よりも、実際に東大陸にいってきたリャムの知人の話のほうが信憑性が高そうだ。


 ただし、百聞は一見にしかず、だ。


 なんにしても他人から聞いた話を丸飲みしてはいけない。やっぱり、自分で見て感じることでしか自分の中の真実は得られない。ハーメット領だってそうだった。野蛮な領だと決めつけていたけれど、中心部はにぎやかに栄えていて昼間はそれほど治安が悪くなく、娯楽が充実していて楽しい街だった。現地を訪れてみなければわからなかった事実だ。


 だから、自分の足で東大陸に向かうまでは、東大陸はこういう場所だとか、半人種はこういう性質だとか、がちがちに固まった先入観は持たないようにしておこう。


「勘繰りは置いといて、と。ここは素直に、神女様と龍獣様に御目にかかるのを楽しみにしておくけえね」


「実はおれもちょっと興味をそそられてたりする。化体族以外の半人種は遠くから見たことはあるけど、間近で接したり話したりしたことはないからさ」


「同じ半人種なのにないんかえ」


「半人種とはまったく交流がなかったからな。化体族は百年のあいだ、一度も東大陸に足を踏み入れはしなかった。人間側との交流を望んで、実際にいくらかの人間とは親しい関係を築けた。そういう背景があるもんで、おれは人間のほうに親近感を抱いてる。半人種のほうが遥かに異質に感じる。……変かな」


「変ではないき。あんたらの真っ赤な血の中には長い長い人間としての歴史が刻まれとるんじゃろ」


 どこからともなく鳥の鳴き声が聞こえた。さわさわと風が心地よく抜けた。


「自分たちの中では、人間は同士。とまではいかなくも、それに近い気持ちがあった。だけど片思いだったよ。西大陸に上陸してからそれなりの数の人間と出会った。レイル島からきたって知ったらたちまち顔色を変えられた。罵倒されたし、領から追い出されたし、完全に厄介者の扱いだった」


「そりゃそうっちゃね。今を生きる人間からすれば生まれたときから化体族は半人種という認識じゃ。人間の大多数は半人種とは無縁なんじゃ。慣れてないものを排斥したがるのは生き物の習性みたいなもんで、あんたらを追っ払うのも当然と思ってもらいたいけえね」


「そうだな……」


 おれたち化体族だってルツァド先生が初めて島にやってきたときは警戒した。人間だったからまだよかった。これが妖術などの不思議なちからを使える可能性のある見知らぬ半人種だったらさらに神経を尖らせていただろう。やっぱり、初めての種族、初めての生き物には、多少なりとも怖さはあるよな。


「自然なことだと思ったらええ。人間と半人種は仲よくならんほうが自然じゃ。平和じゃ」


「異論はないよ」


 百年前に新しい半人種が生まれてしまったのは、人間と半人種が仲よくなりすぎたのが原因だから。


「でもその割には、お前はおれたちにふつうに接してくれてるよな。それどころか仲間になっちゃってるもんな。奇特な奴だよ」


「うらが特別なんじゃなくてあんたらがそうさせるものを持ってたっちゅうだけじゃ。福耳団を打ち負かし、あろうことかマトモな組織に方向転換させるなんて、そんな大層なことをやってのける連中は、人間だろうが半人種だろうが気に入ってしまうっちゃね」


 物語の主人公が吐くような気の利いた台詞じゃないか。この男、リャムは、知れば知るほど実はいい奴だったって思ってしまうな。おれたちの正体を知った上で真正面から向き合おうとしてくれたのは、この遠征で出会った人間の中ではリャムが初めてだ。


「ぎゃああああ!」


 顔がぴくっと持ち上がった。突然ユリアの声が響いた。


「なんだ」


 あああああと叫びながら、ユリアが駆けおりてきた。必死の形相で、何かを振り払うかのように腕や腰を大きく揺らしてこっちに走ってくる。


「ユリア。どうした」


 ユリアはおれの腕をがっしりとつかんだ。


「虫っ。背中に虫が入ったみたい。ケイ、取って!」


 馬のしっぽのように一つに結わえた赤髪をシャッと鎌のごとく振り回し、おれに背を向けた。


「は? 背中、って」


「服の中! だからあんたに頼んでんのよ」


 えーと。虫が落ちてきたか何かで首まわりから入り込んでしまったんだな。ベルトを衣服の上からしっかりと巻いているために、虫が出ていかずにとどまっていると。自分じゃ取れないから人手を要するも、ほかは男だらけだからおれに助けを求めたってわけか。……おれの本体だって男だってことを忘れてるんじゃないのか。


「早く早く。何ぼけっとしてんのよ」


「うらが取ってあげてもいいが」リャムが手を差し伸べる。


「あんたは絶対に嫌!」


「絶対に嫌。傷つくけえね」


 ハヤテがエデンを連れておりてきた。その背後にはベロックさんとトンピーさん。気がかりな様子で近寄ってくる。


「ユリア。急に悲鳴を上げて走りだしたからびっくりしたよ」


「そんなにあわててどうしましたかな」


「大丈夫ですかぁ」


「あーっと、服の中に虫が入ってしまったみたいなので、皆さんは向こうを向いててもらえますか」


 ユリアが「ぎゃっ」と背中を反り返らせた。虫が動いたようだ。


「なるほど。そういうことでしたら女性だけで解決したほうがよいですな」


 男衆は納得して、おれたち二人を視界に入れないようそれぞれ向きを変えた。


「襟首から手を突っ込んで取ればいいんだな」おれは小声で訊く。


「ううう。早くして」ユリアはじたばたと足踏みをする。


「わかったよ。落ち着けって」


 いきなり妙ちきりんな仕事が舞い込んできたもんだ。まずは虫の居どころを把握するために、首の後ろ部分の衣服を引っ張って中をのぞかなければならないな。……いざ。


 服の中をのぞいた。


 ――はっ。


 父さんの背中をかいてやるときに目にする光景とまったくもってちがう。毛も染みも変な出来物もない、つるりとした滑らかな肌。玉肌の渓谷を下るに連れてたわやかにくびれてゆく白き柳腰、って詩人ぶってる場合じゃない。おれは気が動転してるのか。――いたいた。右腰に黒い甲虫(こうちゅう)がひっついてる。奥のほうだな。深くまで手を差し入れなきゃ届かない。しかも捕らえようとすれば指が肌に触れてしまうのは避けられないが……ええい、ままよ。


 ガッと捕まえサッと手を引いた。よし。取り出し成功。


 手中に収めた虫を草むらへ放ったら、そのまま着地せずに羽音を立てて飛んでいった。


 ユリアは虫が木々のあいだに消えるのを見送り、腹の空気を全部出しきるようにして脱力した。


「ありがとう、ケイ。助かったわ」

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