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14-1:新たに 【月の日/ハヤテ】

- 14 -



 背中の矢傷がずきずきと痛みだしたのは、昨日、福耳団との揉め事が収束した後からだった。張り詰めていた糸が切れたことで痛みを増長させる隙ができたのだろう。


 昨日のこの体のいわば()であったカレは、痛みからくるいらいらを抑えきれていなかった。「なんとかしろ」と福耳団に詰め寄り、福耳団の金瘡医に薬草を調合させた。そして福耳団本部の一室で一日体を休めた。


 どのみち一日とどまる必要があった。福耳団によって失われた僕たちの荷物の代替品を準備してもらわなければならず、福耳団はその準備に一日要していたからだ。


 明けて今日。故郷レイル島の区分でいえば、月の日。この体の()が僕になる日だ。目を覚ましたら背中の痛みはだいぶ引いていた。


 安否が気になっていた団員――全身を強打して気を失っていた褐色肌の団員――が一命を取り留めたと聞いて安堵し、僕たちは気持ちを新たに遠征のつづきを再開する運びとなれた。


 福耳団本部を出発したのち、セスヴィナ領までの主要経路である黄金街道に出て、南の方向へと進んだ。そしてここ、街道沿いの緑野で休憩をとっているのが今だ。


「レンは人を乗せて走るのが得意なのね」ユリアが新しい馬の首筋をなでながら優しく話しかけた。


 福耳団は所有している馬に名前を付けず、一号、二号というふうに呼んでいた。僕らがもらい受けた馬は九号。番号で呼ぶのはかわいそうなのでユリアが「レン」と命名した。


 月の日にはケイとユリアがレンに騎乗する。僕はレンとともに新しく仲間に加わった龍獣の背に乗って道を進む。


 その龍獣を木陰に連れていく。


「エデン。ちょっと窮屈に感じるかもしれないけど、ここで休んで」


 僕は首輪から伸びる引き綱を木の幹にくくりつけた。エデンは上機嫌だった。外を走れる喜びを目一杯噛みしめているようだ。


 エデンという名はカレが名付けた。僕たちの魂の故郷といってもいい()()()レイル領から文字を取った。エデンには首輪と引き綱を着けた。形として、という理由が大きい。野放しにしてたらすれちがう人たちに恐怖をあたえてしまう。人々を安心させるためにも制御している体裁が必要だった。


 小さい岩に腰掛けているケイに近寄った。ケイは口を尖らせていた。


「ちぇっ。月ハヤテには懐かないと思ったけどな」


 僕は微笑して別の岩に座った。「エデンが僕のことも受け入れてくれてよかったよ」


「懐かないと思ってたってより、願ってたってほうが正しいな。仲間を増やしたかったんだ」


「なんの仲間よ」ユリアが声を投げた。


「ユリア。お前もうエデンと和解したんだろ」


 ユリアはつかつかと移動してエデンの肩に手を回した。「このとおり。仲よしよ」


 ふさふさのたてがみにうずもれたユリアの腕には真新しい包帯が巻いてある。エデンにつけられた傷を保護している。


 今朝のことだった。初めての対面も早々に、ユリアが嬉々として真正面から手を伸ばしたら、鞭のようなエデンのひげに弾かれてしまった。相当な威力だった。皮膚が裂けて血まで出たが、ユリアはにこりと微笑み、いきなり頭をなでようとしたことを詫びた。そして声をかけながら徐々に近づき、接触に成功。その後は一気に打ち解けた。


「エデンと溝があるのはおれだけだ。もっと仲間が欲しかったぜ」


「こんなに可愛いのになんで溝を作ちゃうのよ」


「可愛い印象は皆無だからだよ」


「なでてみなさいよ。ほらこんなふうに」ユリアはエデンに抱きついて首回りの毛をまさぐる。「ほらっ。早く立ってっ」


 ケイは渋々腰を上げて、ちょろちょろっとユリアたちのほうへ小股に動いた。エデンはケイに目を据える。そこそこ距離が縮まったらケイは足が重くなってしまった。直立不動でエデンと睨めっこする。ユリアに「大丈夫だから」とけしかけられ、ケイはおっかなびっくり足を踏みだした。するとエデンが一声鳴いた。


「ひいっ」ケイは後ずさった。


「んもー。恐怖感がにじみ出てんのよ。そんなんじゃエデンが信頼するわけないじゃない」


「だめだだめだ。おれには無理だ。頼むからエデンをお前たちで押さえつけといてくれよな」


「押さえつけるなんてひどいいい方ね。エデン。あんな小心者はほっとこ」


 ケイが戻ってきた。疲れたような顔をしている。


「お前たち兄妹は何者なんだよ。相手は野獣の帝王だぞ」


「ケイもそのうち慣れるよ」


「だといいけど」ケイはさっきと同じ岩に座った。「しかし、あれだな。この旅は早くも波乱つづきだな。ハーメットの悪党どもと実際に会っちゃうなんて予想してなかったぜ。その上、拉致、拘束、決闘、ときたもんだ。一歩まちがえればおれたちは太陽の光を浴びられなくなってたかもしれないぜ。暗い牢屋に閉じ込められてさ」


「ケイとユリアのおかげで危機を切り抜けられたよ」


「ほとんどお前の、ハヤテの活躍だ。おれは大した仕事してねえよ」


「そんなことないよ。福耳団から鍵を奪ってくれた。あればかりは鉄柵の中にいたカレにはどうしようもなかったから本当に助かったよ。ありがとう」


 ケイは少し照れたように口元をほころばせた。「太陽ハヤテもお前ぐらい素直だったらいいのに。……なんていったら、明日小突かれるかな」


「ふふ。カレも感謝してるよ」


「だといいけど」


 ケイは喉の皮膚をつまんだ。女性のときはこんなふうに喉を引っ張り、男性のときは喉の骨をさする、という仕草をケイはけっこうする。自分が今男なのか女なのか、わかっているけど無意識に確認しているんだと思う。


 上空から鳥の鳴き声が聞こえた。爽やかな青空に真鳥が悠然と舞う。


「いよいよ宿屋に泊まれなくなったな。あんな猛獣を連れてたらどんな街でもたちまち大混乱だ。ま、龍獣がそばにいればだれも寄ってこないから外で寝たって大丈夫なんだけどさ」


「野宿に必要な道具は福耳団にそろえてもらったし、前より野宿がしやすくなったのは事実だね。新品の服もあたえてもらった。物は、どうにでもなる」物は、と僕はもう一回いった。


「馬たちな……」


「うん」


 レイル島から連れてきたランとリン。二頭を失うという苦い経験をした。


「無事なのを祈って、前に進むしかねえよな」


「そうだね。――レンとエデン。新しい仲間とともに、がんばっていこう」


 ケイは大きく首を縦に振った。「それに今回の件は、エデンに視点を置けば、エデンにとっては、幸運だったと思う。本来は東大陸で生きる動物だからな。西大陸の、しかも檻の中で暮らすなんて苦痛だったにちがいない。自由になれてせいせいしたんじゃないかな」


「西大陸に出没していたところを捕獲したっていってたね。何かの弾みで西大陸にまぎれ込んでしまったのかもしれないね」


「だれかに殺処分されてた可能性も考えれば、一応飼育されてたわけだから、福耳団に捕まったのは必ずしも悪かったとはいえないな。とはいえ、一番いいのは東大陸でのびのび暮らすことだ」


「うん。龍獣は人間社会には適さない。僕たちがエデンを東大陸に帰そう」


「だな。東大陸に連れてくっつうか、おれたちが連れてってもらう側かもしれないけどな。現にこうやって移動の手助けをしてもらってるし。龍獣は瞬発力がある上に馬並の長距離移動も可能だから、仲間にできればそれはそれは頼もしい存在になる。龍獣を引き連れて冒険する物語もあったくらいだ。もちろん架空の話であって、実際にやってのける奴が出てくるとは、その作者でさえ想像してなかったろうけど」ケイは両手を後頭部にくっつけて明るいため息をついた。「これで人懐っこけりゃ最高なんだけどな」


「でもエデンは人馴れしてるほうだと思うよ。龍獣はヒトに懐くことはまずあり得ない動物だって聞くし」


「お前……。太陽ハヤテは、そうわかっててあいつと対峙したのか」


 僕は頭を下に動かす代わりにまぶたを下げて二秒ほど目を閉じた。「賢い動物ってことも、昔ケイに教えてもらってわかってた」


「そうだったっけ」


「あらゆる心の乱れを無にすれば、龍獣とも通じることができる。龍獣は本質を見てくれる。カレはそんなふうに感じてたと思うよ」


 もっとも、カレが口にしていたわけでも、心の中で理屈をこねていたわけでもなく、あのときのカレの精神状態を僕が今思い出して分析しただけに過ぎない。


「心の乱れ、って敵意とか恐怖とかか? 無にすればって、そんなのしようと思ってできるのか」


「カレはできたみたいだね」


「はあ……。なんかそりゃもう敵わねえな。――ん?」


 ケイが遠くの一点に目を留めた。僕も視線を向けた。


 道の真ん中で一人の老人が僕たちのほうをじっと見据えていた。六十代前半か半ばくらいの、「老人」といえば彼のような人を思い浮かべるような、典型的な老人だった。


「あのじいさん、何か用かな」


 僕は立ち上がり、話しかける。「どうかしましたか」


 老人ははにかんで顔の横に手を上げ、こっちに向かって軽快な身のこなしで歩いてきた。白髪と面立ちから老人と判断したけれど、足腰は四、五十歳くらいの人に負けてない。


「不躾に眺めてしまい失礼しました。一つ気になりましての。あちらにおられる陽気な方々はあなたのお知り合いですかな」


 かくしゃくとした老人が手のひらを差し出した方向には、腹這いになっているエデンと、エデンの脇腹を枕にして仰向けに寝そべっているユリアしかいなかった。


「そうです」


「私の目が衰えていなければ、四つ足の動物が龍獣に見えるのですが」


「はい。龍獣です」


 老人の下がり目がぴくりと動いた。「なぜ龍獣がこのような場所で少女と戯れておりますか」


「僕たちは仲間なんです。一緒に旅をしています」


「なんとっ!」老人は目をカッと見開いて叫んだ。「龍獣を連れて歩く人間など初めて見たわい! あなた方は何者なんです」


「僕たちはふつうの旅人です。あの龍獣が少し人に馴れているだけです」


 老人はかぶりを何回も振った。「だとしてもふつうは龍獣と親しくなるなど無理というもの。あなた方はまさに私の求めていた人材。どうか私たちの力になってくだされ!」


 事ありげな様子にユリアが起き上がってきた。僕たちは円を作るように座り、詳しい話を聞くことにした。


「申し遅れました。私はミュズチャ領の長、ベロックと申します」


 領長と聞いてもさほど驚きはしなかったのは、どことなく人徳がにじみ出ていて、そういう地位に就いていても特に違和感はないと感じたからだった。


 僕たちは一人ずつ名前を告げた。


「ミュズチャ領って、たしかもう少し南にある領……、あ、もしかしてもうミュズチャ領に入ってんのかな」ケイが当たりをつけた。


「そのとおり。ここはミュズチャ領の北の外れです。小さな領ですが地酒が有名で、街へいけばおいしい酒と料理を楽しめますぞ」


「イッパシの領長があたしたち旅人になんの用なの?」


 ベロック領長は眉を下げた。「実は大きな声ではいえんのですが、私らの領の中心区に、半人種が住み着いてしまいましてな」


 半人種という言葉が突然出てきたので僕たちは相槌を打てなかった。


「やはり絶句されましたな。半人種と人間の共存……。あってはならない由々しき事態です」


 僕たちは顔を見合わせた。自分たちの出身地をいい出しにくくなってしまった。いう必要に迫られればの話だけど。


「事の始まりは四ヶ月前でした。中心区の外れの山中に、年に一度新酒を奉納しに参る祭祀(さいし)(じょう)があるのですが、ある日その祭祀場に謎の人物が立てこもっていると、たまたま近くを通りかかった領民から報告を受けましてな。私は領の男たち数人を連れて現地を訪れました。祭祀場の中にひそむ人物は自らを神女(しんにょ)と名乗り、ミュズチャ領の守り神として逗留するから毎日の食事と酒を献上せよと、こう要求してきました。我々は断りました。そしたら祭祀場の中から龍獣の猛々しいうなり声が聞こえてきました。神女はいった。自分は龍獣を飼い馴らしている。命令に背くなら領を襲わせるぞと。我々は従うしかありませんでした。祭祀場まで二時間はかかりますため、毎日の往来は大変なんで今は二日に一回、手車を利用して食料を運搬しております。その分運ぶ量が多くて負担が大きい。食料と酒の損失という物質的な問題もあります。神女はミュズチャ領に苦労ばかりをもたらしますので、守り神ではなく疫病神だと批判する領民もおり、私とて否定はできない状況にあるのです。神女には祭祀場を、というよりはっきり申せばミュズチャ領を去ってもらいたいのですが、共棲している龍獣の脅威もあり打診すらできないでおりました。ですが龍獣を連れているあなた方が一緒なら、対等に話し合いもできるでしょう。どうか神女と龍獣がミュズチャ領から引き上げるよう、そういう状況になるよう、協力していただきたいのです」


 僕たち三人はうーんとうなった。ベロック領長が困っているのは十分伝わるし、言葉の端々から憤りを感じているのも読み取れる。


「保安局にはいいつけたんですか」ケイが尋ねた。


「ミュズチャ領にはそのような大層な機関はありません。お隣のハーメット領には当然設置されてますが、あいにくハーメット領との仲は良好とはいえませんでな。今さら告発したところで四ヶ月も半人種と龍獣を逗留させていたことを咎められるだけです。なんとか内輪で解決するしかないのです」


「たしかにひどい話だけど、あたしたちは大事な旅の最中なわけで他人にかまってる場合じゃないのよね」


「そこをなんとか頼みます。もちろん礼は弾みますぞ」


「あら。どんな礼かしら」


「ユリア。厚かましい真似するなよ」


「いいや。その辺はきっちりさせておいたほうがいいですぞ」ベロック領長は僕を見た。「ハヤテは恋人はおるのか」


「えっ」藪から棒な質問に目が躍ってしまった。「いません」


「それはよかった。本件を解決してくれた暁には私の孫娘を授けよう。ミュズチャ領一番のべっぴんじゃぞ」


「ふざけんじゃないわよ! いらないわよ!」


 僕が反応する前にユリアが一蹴した。


「やめようやめようお兄ちゃん。自分の孫を物みたいに差し出すなんてろくな領長じゃないわ」


「お待ちくだされ。龍獣を連れて歩けるような勇敢で強い若者だからこそ大事な孫娘をまかせたいと思ったのじゃ。孫娘もそんな男と結婚するのを望んでおる」


「あんたたちの都合なんかどうでもいいわよ。お兄ちゃんに選ぶ権利があんのよ」


「そうじゃな」


 皆の視線が一斉に僕に向けられた。


「僕はなんといいますか……女性とお付き合いする気はまだありませんので……けっこうです」


「ほら見なさいよ」


「そうなのか。男前がもったいないのう。ではお金のほうがよろしいか。あまりミュズチャ領には余裕はないが出し渋りはしませんぞ」


 ベロック領長は案外たくましい人なのかもしれない。


「いえ。金品を受け取るわけにはいきません。もしやらせていただく場合は無償を条件にしてください」


 ベロック領長の目がまたも大きく開いた。「なんと! なんと殊勝な御方なのじゃ。やはりそなたらに声をかけた私の目に狂いはなかった。今朝散歩しようと思い立ったのも、珍しくこのような辺地に足を向けたのもすべては神のお導きだったのじゃな。ああ、神はミュズチャ領のことを見守ってくださっていた。ありがたやありがたや」


「ちょっとおじいさん。一人で盛り上がんないでよ。こっちは引き受けるなんてまだ一言もいってないわよ」


 ということで、いったん皆落ち着いた。

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