13-1:挑発 【太陽の日/ケイ(男)】
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0時。体が変化した。おれは化体である女の体から、本体である男の体になった。
背後で喚声を上げる福耳団を顧みる。
ある者は目を皿にし、ある者は顎が外れたように口をあんぐりと開けている。おととい会ってる変な方言の二人組も姿形が変わる瞬間を目の当たりにして衝撃を受けている様子。涼しげな顔をしてる奴は一人もいない。全員の度肝を抜いたようだ。
「本当に馬に変わりやがった」
「信じらんねえ……」
変化が大きいものから順番に注目を浴びるのは世の習いだ。まずは姫。その次はおれ。
「見ろ。あの女、いや、男の胸がなくなってるぜ」
「すっかり男じゃねえか」
そして好奇の目はハヤテのほうへと流れた。
「一人だけそのままだな」
「だからあいつは中身が変わるって話だろ」
「本当に変わってんのか」
「じろじろ見てんじゃねえ」ハヤテが口を開いた。
色めき立っていた福耳団はぴたりと止まった。さっきまで慇懃だった男の口から乱暴な言葉が出て、そのあまりの差に皆ぽかんとしている感じだ。すでにこっちのハヤテを知っている変な方言の二人組は除いて。
「てめえら、人に毒矢なんぞかましやがって、こんなチンケな場所に引っ張ってきやがって。ただじゃおかねえ」
「おいおいおいおい、さっきと全然ちがうぜ」
「あの目つき、ぞんざいな口ぶり、傲慢な態度。あいつが戻ってきたけえね」はちまき男が意気揚々といい放つ。
総裁が拍手をした。うれしそうだ。「これはこれは。まるで二重人格者だな」
そうですね、まさしく、などと数人の団員が同意した。
二重人格か。初めてハヤテに接する人間はそう思ってしまうんだな。無理もない。おれだってこの世に人格が解離する障害があるって知った日は、「これは」と思って詳しく調べずにはいられなくなったから。ちょうど、ハヤテが化体族以外の何者かかもしれない、とむだに憶測してた時期だったのもあって、心に引っかかったんだ。
家の本棚に多重人格障害についての本が置いてあった。父さんは雑多な分野の本を手当たり次第に購読するもんで、もしかしたらあるかなと探してみたらあった。おれは内容を咀嚼するまで何度も繰り返し読んだ。
多重人格は心因によって起こる後天性障害であると記されていた。耐えがたい精神的苦痛や懊悩などから逃れるために別の人格が現れ、客観視あるいは忘却することで己を救おうとするのだという。発症のきっかけは自分の心を守るためであるのだから、そもそも「心」がなければ、つまりある程度物事を理解・判断できる能力がなければ人格解離は生じ得ないといえる。ハヤテの場合は、「心」が形成される前から、具体的にはハヤテが言葉をしゃべれるようになる前から、太陽の日と月の日とで個性のちがいがあったと大人たちは証言している。振る舞いなどに表れていたらしい。ハヤテの性格の入れ替わりは生まれついてのものなのだ。多重人格障害は、心因による「後天性」の障害なので、ハヤテをそれだと当てはめようとしても辻褄が合わないのだ。
また、一般的に多重人格者は別の人格の記憶を持たないらしい。ハヤテは互いの記憶を完全に共有している。これならわざわざ別人格を作り出す意味がない。以上の点から、ハヤテは多重人格障害とは関係ないと結論づける。
とまあ、こんな理詰めで追及しなくても、ハヤテを知れば知るほど、その性質は天からあたえられたものだということに疑いの余地がなくなってくる。なんせ神からお告げがあって生まれた奴だし、既存の枠にはまらない特別な奴だ。レイル島ではもはやハヤテを二重人格だなんて思ってる人はいない。ハヤテ本人だってそんな可能性は考えたこともないんじゃないかな。
「これはおもしろい」総裁ははちまき男のほうを見た。「お前たち。実におもしろい輩を発掘してきたな」
「ありがたいお言葉ですけえ」
ハヤテは進み出て、総裁の目の前の鉄格子を片手でつかんだ。「てめえのハゲ頭のほうがよっぽどおもしれえぜ」
ハヤテの暴言に、団員の奴らは皆真顔を作った。空気が重苦しい。総裁の頭のことは禁句っぽいな。
「化体する瞬間は見せた。さっさとここから出せ」
「まあ待て。せっかく知り合えたんだから歓談しようじゃねえか」総裁は半笑いでいい、急く相手を鷹揚に宥めるゆとりのある私、みたいな構図を作り出した。相手より上に立ちたい奴がよくやる立ち回りだ。「なぜあんたらは、半人種のくせに西大陸の土を踏んでいるんだ」
歓談なんて気乗りしないが、その質問は答えたくなる質問だ。というより、答えておきたい質問だ。
ハヤテは側面の壁に片腕を押しつけて「百年懺悔の遠征だ」と教えてやった。背中をあずけないあたりに矢傷の影響が出ている。
「百年懺悔。なるほど。人間に戻ろうってわけか。ヘンタイ族でいるのは恥ずかしいからか」
「そうじゃない!」
思わず声を張り上げていた。総裁はおれが噛みつくのが意外だったからか一瞬警戒したような表情を浮かべたが、すぐににたりと笑んだ。
「そっちの兄さんは見かけによらず自尊心が強いみたいだな。しかしムキになるのは図星の証でもある。正直になれ。本当に恥ずかしくないのか。肩身が狭いと感じたことはないのか。半人種で得することはあったか。人間のままだったらあんたらはヘンタイ族と蔑まれはしなかった。こんな場所に立ち入る必要はなかった。自分たちの境遇が呪わしいだろ。百年前に神の怒りを買った先人が怨めしいんだろ」
ちがう。過ぎたことを執念深く並べ立てる無意味さ、滑稽さ、的外れ感を集約して、おれは「ちがう」と言明した。詳細を省いた短い返しは意地を張ってるだけと取られたかもしれない。と、口に出した後で思った。
「俺はあんたらの先人を尊敬している」総裁は俺はを強調していった。「いくら天人族が人間に近い見た目だったからって、半人種を愛でる豊かな感性は常人の持たざるところだからな」
完全なる皮肉だな。
姫はいいつけどおりに静かにしている。毒矢の脅威さえなければ、前掻きの一つでもして不快感を示していたところだろう。
「詳しいな」ハヤテは感情を乗せずにさらりと返した。
「下衆な話ほど酒場では盛り上がるのさ」
化体族の起源が酒の肴にされてるってことか。いい気はしない。
「で、俺たちを貶めててめえが得することがあるのか」
「なに。化体族はそれだけ独自の存在感を放ってるということだ。人間になるのはけっこう。その他大勢になる気楽さはわかるからな。しかしせっかくの異彩を失う前に一儲けしたらどうかと思ってな。どうだ。見世物小屋を紹介するぜ」
見世物小屋? それって。
「見物人に愛想振り撒いて変身するところ見せてりゃあカネが入ってくる。かなり稼げるぜえ。素っ裸をさらす度胸があればさらに倍はいけるな。こんなおいしい商売が成り立つのは今だけだ」
胸のあたりがカッと熱くなった。侮辱しやがって。おれたちを人じゃないと思ってるんじゃないのか?
「見世物小屋のオーナーと俺がいくらか分け前をもらう。それでもあんたらの取り分は悪くないと約束しよう。どうだ」
「てめえの頭でも見せとけハゲ」
ハヤテはまたしても福耳団の連中を固まらせた。
そうだ。だれがそんな話に乗るかってんだ。
「化体族は昔から遥か先を見据えて歩んできた。過去の出来事をうだうだいう暇もなければ、てめえらのような目先の損得しか考えてねえ奴らの相手をしている暇もねえ。わかったら早くここから出しやがれ」
総裁は眠そうな顔をしながら、耳たぶをさらに引き伸ばすかのように触った。「リャム。お前がこの男を気に入る気持ちがわかった」
「別に気に入ってはないですき」はちまき男が否定した。
「気に入ると気に食わないは似ている。自分でもこの男に抱いている感情がどちらなのかはっきりせん。ただ俺は、この男が吠えヅラをかく姿が見たい」
総裁は顎を引いてハヤテを斜め上に見上げた。目の白い部分が多くなり、すると見てるほうは親しみとは逆の感情が湧く。
「どうだ。力試しをしてみるか」
ハヤテは冷然と総裁を睨み返す。
「ある者と一対一で戦ってもらう。勝てばすぐに解放してやろう。その代わり負ければどうなるかは知らん」
「総裁。もしや……」はちまき男がもったい振ったいい方をする。
おれは訊かずにはいられない。「相手はだれなんだ」
「それを明かしてしまえば力試しにはならん。力の中には度胸も含まれる」
「相手がわからないうちは返事のしようがないじゃないか」
「あんたに申し入れてるんじゃないんだ。黙ってな」総裁はおれに勧告して再度ハヤテに目を向けた。「やるかやらないか、返事は二つに一つだ。ここでのんびりくつろいでいたいなら断ってもいいんだぞ」
「やるに決まってんだろ」
おれは口をわずかに開けた。言葉は出なかった。
ハヤテの迷いない返事に総裁は唇の両端を上げた。「そうこなくてはな」
横一列に並んでいる団員たちは、総裁と同じくにやついている奴もいれば、胃液が逆流したような顔をしてる奴、ひそひそと語り合ってる奴らもいて、反応は様々だった。
「決闘場は別館だ。移動する」
総裁の指示によって檻が開けられた。
「ケイ。お前の服を破ったのはそいつか」おれを檻の外へ引き連れようとするはちまき男に視線を向けて、ハヤテはいった。
「いや、ちがう。この人はむしろ助けてくれた側だ」
ハヤテははちまき男を鋭い眼でじっと見つめる。はちまき男も応酬する。姫が二人のあいだを横切ったことによって睨み合いが過熱せずに済んだ。
別館と呼ばれる建物の入口の前までやってきた。さっきまでいた場所を本館とすると、本館と別館は屋内通路でつながっている。
入口の扉を開けて中へと進む。総裁、団員十一人、ハヤテ、おれ、姫。なかなかの大所帯で暗い廊下を歩く。たいまつの明かりが頼りだ。壁には木製の開き戸が等間隔で設えられている。人けはない。しめやかだ。
一対一での戦い。どんな奴となんだろう。ハヤテは強い。たいていの相手には負けないって信じてる。でも、相手がどんな奴なのかいっさいわからない不安が存在している。きっとハヤテ本人は感じていないであろう怖さが、おれの胸にたなびいている。
ふと、遠くで重い鉄扉を動かすような音が響いた。二、三秒してまた聞こえた。一回目とは微妙にちがう。どうやら鉄扉の音ではなさそうだと推測したのは、終尾にまるでいびきをかいたときの喉が振動するような調子が混じっていたからだった。
「へっ。興奮してらあ」
「人の、気配、感じてる」
眼帯男と褐色肌の男の会話に胸がふわりと浮いた。たった今聞こえた音について言及しているのは明らかだった。二人の発言から、生き物の存在が窺える。二度聞こえた音がその生き物の鳴き声とするなら、その鳴き方や声の大きさや低さから考えて、なんかの獣であると判断できる。
三たび生じたその音はなるほどたしかに獣の鳴き声に聞こえた。歩を進めるに連れてはっきりしてゆく音におれの不安も顕在化する。
「対戦相手はこの奥にいる」
総裁が足を止めたのは、うっすら明かりの漏れる格子戸の前だった。ほかとはおもむきの異なる堅固な入口を目にしておれの顔は強張る。
団員が戸を引き開けた。狭い通路を十歩ほど進み、広がりのある場所に抜けた。前を歩いていた眼帯男が横にずれたことで場内が一望できた。
たとえばここで百人は乗れる大型船を作れる。それくらいの広さを持った空間だった。奥のほうに大きな檻があり、その中に、いた。いたのは気配で察知したが、その生き物まで火光が届いておらず、正体を突き止められない。
たいまつを手にしている団員たちは四方八方に散らばり、あらゆる燭台に火を灯して、場内を明るくした。視界が良好になり、檻のように見えてたのは正しくは檻ではなく天井まで届いている鉄柵だとわかり、そして何より鉄柵の向こう側の一画を占有するそいつの全貌が明らかになり、おれは驚きから手で口を覆った。




