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12-3:拘留

 頭に血がのぼった。


「やめろ! ユリアには手を出すな!」おれは眼鏡男の脛を力一杯蹴り上げた。


「――っ! ってえな、このヘンタイ族!」


 眼鏡男は両手でおれを突き飛ばした。椅子にくくりつけられているおれはなす術なく椅子ごと横転した。その弾みで頭を床に打ちつけた。人の姿を見失い、目に映るはこの部屋の簡素なドア。本来ならすぐに眼鏡男を捉えにかかるところだが、そうせずに視線を同じ場所にとどめていたのは、突としてドアが開いたからだった。


「うるさいけえ。何を騒いで――」


 入ってきたのははちまき男だった。おれを見るなり言葉を切って表情を凍らせた。しかし一秒にも満たないうちに目をむき口をひん曲げ、烈火のごとき怒気を這わせた形相に変貌した。


「何やらかしとんじゃ!」


 はちまき男は広くない室内を駆けた。ダンッ、と思いっきり踏みきり、眼鏡男に容赦ない飛び蹴りを食らわした。眼鏡男は勢いよく倒れ込んだ。おれの体に響く振動がはちまき男の本気さを物語っていた。


「こいつらを手ごめにしたらハーメット領がどうなるかわかっとんのか! お前らは半人種になりたいんかえ!」


「ち、ちがいます。リャムさん。手ごめなど、そのようなつもりは、毛頭、いっさい、ありませんっ」


「ああん?」はちまき男が眼鏡男に詰め寄った。「服を破って、半裸にさせて、床に倒して。一体なんのつもりだったんじゃ」


「それはっ、見るだけの、単なる退屈しのぎで……」


 はちまき男は膝で相手の腹を突き上げた。うっ、とうめいて眼鏡男は床にくずおれた。


「反吐が出るほどしょうもないの」


「う、ううっ……」


「溜まっとるからそんな発想になるんじゃ。抜いとけや」


 奴に制裁を加えてくれて胸がすっとしたけど、ユリアの前でそういう言葉を使わないでほしい。


「お前は傍観してたんか」


 もう一方に矛先が向けられたが、当の本人はおどおどして返事ができないでいる。


「止めん時点で同罪じゃ」


 はちまき男は特徴のない男の横っツラを殴りつけた。殴られる前から「ひぃ」とおびえていた男は、まるで他人から初めて殴られるかのように無様に無防備に殴られていた。


 すっかりおとなしくなった二人を見下ろし、はちまき男が口を開いた。


 「毒矢食らいの男が起きたけえ。こいつらを解放しろ」


 ハヤテが起きた。殺伐とした雰囲気の中での朗報だ。素直にうれしかった。


 はちまき男の命令どおり、下っ端二人がおれたちの縄をあくせくと解いた。体が自由になるなり、ユリアは眼鏡男の顔を拳でぶん殴った。うわ、やった。


 眼鏡男が反撃を試みるもはちまき男が制止した。そのまま眼鏡男の襟首をつかんで奥まで引っ張っていき、窓を全開にして眼鏡男を外へほっぽり出した。


 どすんと地面に落ちる音がした。一階だから大丈夫か。


「頭を冷やしとけ」


 ついてこい。と指示されたので、固まっている特徴のない男の横を通り、おれたちは部屋を出た。


 ところどころ燭台が据え置かれている薄暗い通路を、はちまき男、おれ、ユリアの順で進む。いつもは騒がしい印象のはちまき男だが、今は押し黙っている。不機嫌なのは背中からひしひしと伝わってくる。部下の悪ふざけが相当頭にきたんだな。最悪の事態がちらつく一場面だったんだ、そりゃ憤るのもわかる。おれから見てもあの眼鏡男の振る舞いは度が過ぎていたと思う。


 はちまき男は舌打ちし、黒いマントを肩から外した。そして前方を向いたままおれにバサッと投げてきた。


「まとっとけ」


「……どうも」


 マントを羽織って襟元で交差する。衣服の損傷が隠せる。情けをかけてくれるとはな。部下の尻拭いだろうか。




 牢獄らしき区画へと抜けた。檻と檻のあいだの通路に団員が固まっている。近づくうちに、団員たちが体を向けている檻の中にハヤテが収容されているのが見えた。


「ハヤテ」


「お兄ちゃん」


 おれとユリアはほぼ同時に呼び声を上げた。


「二人とも」


 やや強張った面持ちながらも、いつもどおりのハヤテだ。意識はしっかりしているようだ。ふつうに二本足で立てている。矢は抜かれている。手足を縛られたりなんかもしていない。無事に再会できて何よりだ。


「同じ監房に入ってもらうけえ」はちまき男がおれとユリアにいった。


 鉄格子に沿って福耳団の前を通る。総裁、変な方言の総髪男、ごつい眼帯男、これまたごつい褐色肌の男、その他数名。全部で十人ばかりの団員が集結している。通路が狭いからこれくらいの人数しか見学できないんだろう。さっきの食事のときのように大部隊を築かれるより少しはマシだな。少しはな。


 はちまき男が檻の入口を開けた。十人くらいは寝泊まりできる程度の広さの監房に、おれたちは足を踏み入れた。


「二人とも、けがはしてない?」


「あたしは平気」


「おれも大丈夫だ」


 ハヤテの顔からふっと力が抜け、穏やかな微笑みが垣間見られた。


「なんでマントをくれてやってんだ、リャム」鉄格子の向こう側で総裁が問いただす。


「実は」と、はちまき男がさっきの出来事について語りだした。


「書状がない」団員たちがはちまき男の報告に集中しているのに乗じて、ハヤテがおれとユリアにだけ聞こえるようにささやいた。


「おれが持ってる」


 小声で答えると、ハヤテは納得したようにうなずいた。


「ハヤテ、無事で本当によかったよ。背中は大丈夫なのか」


 おれとユリアは背後に回ってハヤテの上衣をまくった。矢が刺さったあたりに包帯が巻かれている。


「ちゃんと手当てされてるな」おれはハヤテの上衣をそっと戻した。


「気づいたらすでにこういう状態だったんだ。処置を施してくれた点に関しては福耳団に感謝しないとね」


「感謝なんてもったいないわ。こいつらのせいなんだもの、お兄ちゃんの手当てに力を尽くすのは当然だわ」


 ユリアの歯に衣着せぬ発言に福耳団の数人がじろりと無言の圧力をかけてきた。その視線が膠着しないためにも、おれは話の方向を切り替える必要がある。


「ハヤテ。もうわかってると思うけど、お前が毒矢で撃たれた後、おれたちは荷馬車でこの福耳団の本部に連行されてきたんだ。化体族が変身する瞬間が見たいってんでこうやって檻の中に収監されている。変身後におれたちは自由になるのかは、まだ決まってない状態だ」


「うん。それよりケイ。服……」


 目線を下にずらしてハッとした。現状の説明に傾注するあまり、マントを交差する手がなおざりになり、胸元が半開きになってしまっていた。服がずたぼろなのを見られた。乳房が丸見えになってるのも。


「なんでもない。大丈夫だ」おれは改めてマントを重ねて上半身を隠した。


 ハヤテは、太陽の日のハヤテとはちがう種の険しい眼を総裁に向けた。ちょうど福耳団でも一区切りついたところだったようで、団員全員がハヤテに目を留めた。


「話のつづきですが」ハヤテが切り出した。「この組織の活動目的はなんですか」


「悪党と害獣のお掃除屋。それが福耳団の業務だ」総裁が即答した。


「だから悪党はあんたたちのほうだっての!」ユリアが吠えた。


「僕たちは掃除される覚えはありませんが」


「覚えがなくて当然だ。客として迎え入れてやってるんだからな」


 よくもぬけぬけという。


「客に対するもてなしがなってないわ」


「うちの団員どもがめったに口にできねえご馳走を出してやったってのに、残念ないい草だ。まあ、先ほど下っ端が粗相をやらかしたようだがな。それなりの罰をあたえておくからあんたらは機嫌を直してくんな」


 総裁が指で何事かの合図をした。隣にいた総髪男が懐から懐中時計を取り出して総裁に文字盤を見せた。


「さて。0時まであと二十分だ。ゆっくり待つとしよう」総裁は近場に置いてあった椅子にどっかりと腰を下ろした。


「妹さんよ」眼帯男がユリアに話しかけた。「馬になっても暴れるんじゃねえぞ。ちょっとでも目につく動きをしたらすぐに毒矢が飛ぶからな」


 端っこでぬうっと突っ立っている褐色肌の男は弓も矢筒も背負ったままだ。


「わかったわよ」


 おれたち三人は冷たい石の床に尻を据えた。肘あたりをユリアがくいくいと引っ張ってきた。


「ちょうどよかったわ。このマント貸して。あんたは後ろを向いてれば大丈夫でしょ」


「……お前、やっぱり脱がなきゃならないのか」


「当たり前よ。このまま馬になったら服が破れちゃうもの。ここからいつ出られるかわからないのに着る服がなくなるなんて最低だわ」


「ああ。そうだな」


 おれは福耳団に背を向けてマントを取り去り、ユリアに渡した。ユリアも壁のほうを向き、マントを体全体に覆ってもぞもぞと動きだした。おれはユリアを見ないよう顔の位置だけ変えた。視覚は防御したが、しかし聴覚のほうはどうにもならない。服を脱ぐ音が耳を抜ける。耳をふさぐのはいかにも意識してるみたいで不格好だし、このまま平然とやり過ごすしかない。


 脱いだ服を鞄の中に押し込める音まで明瞭に聞こえたそのとき、ぴゅうっと背後から口笛が鳴り響いた。福耳団のだれかが吹いた。それを受けて団員たちが笑う。クソッ。冷やかしやがって。だからユリアが服を脱ぐのはひかえさせたかったんだ。ていうかマントで隠れてるとはいえ脱衣してるところを堂々と見てんじゃねえよ。胃がむかむかする。早く0時になればいいのに。


 おれはハヤテに視線を向けた。ハヤテは膝を立ててしゃがみ込んでいる。軽く開いた膝の上で両手を重ね、手の甲で垂れたこうべを支えている。日をまたぐ時間には寝ていることのほうが圧倒的に多いけど、起きている状態で0時を迎えるときには、それが太陽の日でも月の日でも、ハヤテは0時の数分前にはこういう具合になる。「こういう具合」とはしゃがみ込んでいる姿勢を指しているのではない。ときに寝転んだり別の体勢をとったりしている。「こういう具合」とは、ほとんど動かず、しゃべらず、顔を見せず、の状態に至ることだ。本人曰くそういう気分になるからやっているだけらしい。もちろんハヤテの人格が交替するのは0時になってから。「こういう具合」は人格交替の前段階みたいなものなんだと思う。みたいなもの、と曖昧に表現したのは、「こういう具合」になるのは絶対ではなく、必要があればしゃべったり顔を見せたりすることもあるからだ。


 ともあれハヤテがこういう具合になるのは0時目前の証。もう少しで太陽ハヤテが表に出る。悍馬にも引けを取らない気の強い太陽ハヤテはどう動くのか、また、太陽ハヤテと相対して福耳団はどう動くのか。


 わからない。どうなるんだろう。おれの取り越し苦労であればいいんだけど、何か、嫌な予感が、してきている気がする。

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