10-4:方言をしゃべる二人組
「もちろんだ」おれは断言した。嘘偽りのない気持ちだ。
「その意志さえありゃ、お前が人間をどう思おうが勝手だ」
ハヤテがそういいきった真意について少しのあいだ考えた。人間になりたいという意志さえあれば人間をどう思おうが勝手。逆にいえば、人間をどう思ってもいいから、人間になりたいという意志だけは持っていろ。つまり、何があっても目的だけは見失うな、ってことだと思った。
おれたちの目的は人間の友達を作ることなんかじゃない。たとえ人間に冷たくあしらわれようが、村から叩き出されようが、目的のために足を前に出しつづけなきゃならないんだ。遠征をしていれば、集落に分け入って旅の調整をする必要も出てくるだろう。西大陸にいる以上、人間と関わらないなんてのは無理で、だったらいちいちくじけてなんていられないんだ。……って思い至ったのと同時に、だからか、と腹落ちした。だからハヤテは今も泰然自若としているのか。
ハヤテは常に目的を強く意識しているから、つまらないことに心を捕らわれたりしないんだ。人間になりたい強堅な意志がハヤテの中に常にあるんだ。
しょげてる場合じゃないな。おれたちは集団で行動している。だれか一人でもくすぶれば遠征が滞る。遠征を円滑に進めることが、遠征パーティーに選ばれた者としての当然の務めだ。
「わかったよ、ハヤテ」
「あ?」
「お前のおかげで初歩的なことに気づかさ――」
ぱきぱき。
小枝が踏み潰される音がした。生き物の気配がする。
「なんだ」
後ろを振り返る。木々のあいだから明かりが漏れている。――人間だ。
おれとハヤテは立ち上がった。徐々に近づく足音の正体が現れるのを待つ。こんな遅い時間にこんな山間の地で人間と遭遇するなんて予想していなかった。胃がじんわりと不快な温熱を帯びる。馬たちも一方向に視線を注いで身構えている。
姿を現したのは二人組の男だった。どちらもおれたちより少し年上なぐらいだろうか。ランタンを持ってる男は金色の髪に赤い太いはちまきを巻きつけていて全体的に色が多くて派手な印象。もう一方は長い黒髪を頭のてっぺんで結んでいて、全身を暗い色の服装で統一していて顔しか目につかないぐらいの質朴さだった。雰囲気の異なる二人だが、やや短めのマントを羽織っている点は共通していた。
「兄さんら。こんな場所で何しとるけえ」
話しかけてきたのは、はちまきをしている派手なほうだった。その表情と声の調子から、おれたちに不審感を抱いているのがわかった。
保安局の人かも、とおれは思った。人間社会には領内の治安を守る保安局がほとんどの領に設けられている。夜に局員が見回りに出て怪しい者の身柄を拘束することもあると聞く。彼らは剣を装備しているし締まった体つきだし、局員である可能性を想像するに無理がない。だとすれば、怪しまれないようにしなきゃ。
「あの。ここで夜を明かしたいと思ってるんですが……」おれはこの場にいる理由を告げた。
彼らは顔を見合わせた。無言で何事かの話をつけ、こっちに視線を戻したときにはいくぶんか頬の力がゆるんでいるようだった。
「この辺の人間ではなさそうっちゃね。旅人かえ」
「はい」
聞き覚えのない方言だ。どこの領の人たちなんだろう。おれたちに対して若干警戒を解いたのか、彼らは割と近くまで間合いを詰めてきた。
「野宿の理由は?」
「宿が取れなかったもので」
相手は眉をひそめた。「こんななんでもないときに宿が混んでるわけないじゃろ。もしかしてカネがないんかえ」
「いえ、お金はあるんです」
「ははっ。見栄を張らなくていいっちゃね」
しゃべっているのははちまきをした男のほうだけだ。どうやらもう一人の総髪の男は寡黙な性格っぽい。
「安全面でも体調の面でも宿での休息が大事じゃ」はちまきの男がランタンを地面に置いてベルトポーチに手を突っ込んだ。「なんならうらがちょいとばかし施してもいいけえ。いくら必要じゃ」
おれは即座に頭を横に振って断った。「本当にお金に困ってるわけではないので、大丈夫です」
「そうかえ」
相手の口元がゆがんだ直後、急に視界がふさがれた。ハヤテの後頭がふさいだのだ。
「なんだその手は」突如おれの前に躍り出たハヤテが低い声で威圧した。
手? しかもハヤテははちまき男ではなく総髪男のほうを向いている。おれは上半身をずらして何が起きているのか確かめた。
――息をのんだ。
総髪男が腰元の剣の柄に手をかけているのが見えた。剣を抜こうとしていたんだ。
「チッ」
はちまき男は噛み合わせた歯の隙間から息を吐くなり、ハヤテにつかみかかろうと全身を勢いづかせた。ハヤテは体をねじって攻撃をいなした。と同時に、腕でおれを強く押した。
おれはどうっと後ろに倒れた。倒れ様に、ハヤテはおれを庇うために押してくれたんだとわかった。ハヤテがただよけていただけだったら、おれがはちまき男に捕まってしまっていた。
おれは急いで体を起こして数歩退いた。各人各様、体勢を立て直す。馬たちの鼻息が荒くなっているのに気づく。
「カネが目的か」ハヤテがただす。
「そういうことじゃ。あんさんのほうは冷徹な目をしとるの」総髪の男が初めて口を開いた。
相棒であるはちまき男よりは落ち着いているものの、声や素振りなど総合的に判断して寡黙な気質とは思いがたい。寡黙に見えるように演じていたんだろう。相棒にだけしゃべらせて自分から注目をそらすために。
「で、不意打ちが失敗に終わった今、どうしようってんだ」
「おとなしくそっちの坊ちゃんのカネをよこしんさい」はちまき男がおれの胴部を指差した。「そしたら見逃してやるけえね」
なんでおれが内ポケットに財布を入れてるのを知ってるんだ? ……ああ、そうか。ついさっき「お金に困ってるわけではない」と拒んだときに無意識に服の上から触ってしまっていたんだ。カネの施しという親切すぎる申し出はカネの在処を炙り出すための上手ごかしだったわけか。こいつら、手慣れている。
「ゴロツキに恵んでやるカネなんざねえ」ハヤテが一蹴した。
「ほーん。いうけえね。この模様を見てもそんな大口が叩けるかの」
はちまき男は焚き火に寄り、おれたちに背を向けた。黒い生地のマントにでかでかと耳の絵が描かれている。ひょうたんの形みたいに耳たぶが異様に大きく誇張されてはいるが、耳の穴とか管っぽいのとかは写実的に表現されている。
「それがどうした」
「我らは福耳団じゃ」
「知らねえ。聞いたこともねえよ」
はちまき男はくるりと反転した。「はっ。こりゃあ生粋の田舎者っちゃね。今やハーメットでも屈指の一大強豪組織を知らんとはの」
「ハーメット!?」おれとハヤテの声が重なった。
「さすがにハーメット領の名前は覚えがあるようじゃ」
「とおーぜんじゃ。知らん奴なぞおるかい」
「勘ちがいすんな。評判の悪い領だから耳に入っていただけだ。それに――」ハヤテは剣を抜いて奴らに差し向けた。「個人的に恨みがあって覚えていた。ちょうどいい。戦え」
「恨み? ハーメットのだれかに盾突いて痛い目でも見たんかいね」
奴らは愉快そうに抜剣した。
これは、一戦を交える流れ、だよな。制止しなきゃ。いや、そんな鈍重な真似をしてたら立ちどころに斬られて終わりだ。だったらおれも加勢しなきゃ。
――いよいよ、本物の剣を使ってやり合うときが、きたか。
おれはだれにも気づかれないように深呼吸をした。
落ち着け。心臓の高鳴りよ静まれ。ムゲンさんから習ってきたことを実践するだけだ。ついこのあいだムゲンさんがいってたじゃないか。おれぐらいの実力だったら善からぬ輩に遭遇してもくぐり抜けられるって。ムゲンさんやハヤテの域までは達してないにしても、おれだってやれるはずだ。勇気を出せ。
「ケイ」
肩が跳ねた。
「てめえは手を出すなよ」ハヤテはおれに背を向けたままでいった。
「出せんじゃろ。味方に呼ばれてびくついてたけえ」
「そっちの兄さんはお漏らしせんよう、離れときんさい」はちまき男がせせら笑いながら剣先でおれのほうをつんつんと突く仕草をした。
クソッ。なんて情けないんだおれは。いい返せないし足は小刻みに震えてるし、動悸が治まらない。
「とんだ腰抜けじゃ」総髪男が冷ややかにいい捨てた。
おちょくられるのも不愉快だが軽蔑されるのも同じくらい嫌な気分になる。
「てめえらとちがって善人なだけだ」
「あ?」
ハヤテ。そんな擁護の言葉を、おれにかけてくれるとは。
「そんなら平気で剣をかまえているあんさんも悪人か」総髪男が訊いた。
「バカか。あいつとちがって勇敢なだけだ」
ハヤテ……。羨ましい性格だ。
「こいつあ洒落くさいけえの!」はちまき男が声を張り上げる。「生意気な口を利けんように伸してやるけえ!」
いななきが轟いた。姫が前脚を上げて奴らに襲いかかった。味方でもたじろぐその奇襲に敵二人は驚き、あわてて身をかわした。特に姫ははちまき男のほうに体を寄せていたため、姿勢を大きく崩したはちまき男は剣を落とした。
「姫。邪魔すんな」ハヤテがおざなりにいう。
興奮さめやらぬ姫。その姫から逃げようと、はちまき男は後方を顧みつつ走っていた。が、突然ひゅっと影を消した。うあああああああと尻すぼまりな叫びをおれたちの耳に残して。
暗くて見えないがあの辺は大人二人分くらいの高さのちょっとした崖になっている。はちまき男は崖に気づかずに落ちたんだ。
「リャム!」総髪男が、おそらくは相棒の名前を、険呑さをにじませて口にした。「リャム! 大丈夫か」
今だ。ごたついている隙に動いてやる。戦線に背を向けて駆けだした。
おれがランとリンのもとへ移動しているあいだに「よそ見してんじゃねえよ」というハヤテの啖呵が耳を抜けた。その声の大きさと声が向かっている方向から総髪男にいい放ったんだと判断できた。
――早く。本格的な戦闘になってしまう前に、皆でこの場から立ち退くんだ。
足を止め、馬体に手を伸ばす。ハヤテが総髪男を組み伏せる様を視界の端に捉えながら、まずはランの手綱に手をかけた。結び目からだらりと垂れている先っぽを引っ張るだけでするりと外れるようになっている。この結び方を習得しておいて大正解だった。
速やかにラン、そしてリンの手綱を木から解いた。おびえている二頭をあやすかのように姫が寄ってきた。
おれは振り向きざまに叫ぶ。「ハヤテ! ランに乗ってくれ! ここから離れよう!」
ハヤテは地面に打っ伏す総髪男の背中にまたがり、片手に剣を持って、もう片方の手で首根っこを押さえつけている状況だった。
「まだ勝負の途中だ」
こだわってる場合か。説得しなきゃ、とハヤテが聞き入れてくれそうな言葉を選ぶためにいったん意識を内側に引いたそのとき、新たに気に留めなければならない情報をおれの耳が引っ捕らえた。ゆっくりといたぶるように草木を踏み散らす音とときおり漏れる踏ん張るような声。はちまき男が傾斜面をのぼってきている。戻ってくる――。
「ハヤテ早く! お願いだ!」
ハヤテは剣を頭上高く垂直にかまえ、勢いよく振り下ろした。ぶすりと刃が沈む。
ぎくっとしたが人体ではなく地面にめり込ませただけだとわかって安堵と不可解とが交錯した。
――あの至近距離で外れた? 外した?
ハヤテはさらにもう一本の剣をこれまた総髪男にほど近い地面にぶっ刺した。
「とんだ腰抜けに感謝するんだな」ハヤテは腰をもたげて、こちらに進み始めた。
なるほど、状況を把握した。うつぶせになっている敵の両腕の横にマントの上から剣を突き立て、動きを封じ込めたわけだ。起きるにしても剣を引き抜くにしても腕を動かした時点で鋭利な刃の餌食になってしまうので腕はおとなしくさせておくしかない。ピンと張ったマントがさらに身じろぎを妨げる。
素晴らしい機転だが剣をくれてやるのは代償が大きいんじゃないか、とハヤテに視線を向けたら、自身の剣はしっかり鞘に収まっていた。するとあの二本はあいつらの物。いつの間にか手中に収めていたのか。さすがとしかいいようがない。
おれはリンに、ハヤテはランに騎乗した。ほぼ同時にはちまき男が崖から這い上がってきた。
「ソドキ!」
総髪男の名だろうか。一見すると総髪男は地面に磔にされているようにも見える。相棒の身を案じて引きつれた叫び声を上げるのも当然だ。
「心配いらん。マントが一枚だめになっただけじゃ」総髪男が自らの状況を説明する。
「えっ? あっ! ナメた真似を」
「これに懲りたらゆすりなんぞやめることだな」ハヤテが荒くれた人間たちに鞭を入れた。
それをきっかけにおれたちの馬は走りだした。早く、早く、離れるんだ。
「田舎もんが! ただで済むと思うな!」
はちまき男の怒号を背中で撥ね返すごとくおれたちはほとんど見えぬ前だけを見て、どこへつづくかわからない道をやみくもに突き進んだ。




