10-3:罵倒
「お伺いします。レイル島からお越しになられた方々ですね」
男性の数歩後ろには杖をついた老婆と、老婆に付き添うようにして最初の宿屋で見かけた狐顔の少年もいた。あの少年がおれたちのことを教えたんだな。レイル島出身ってのは父親から聞いたんだろう。
偽るわけにもいかず「はい」と返した。
「私は、マユウ領コペデカ村の長であるザナトと申します」
この村で一番えらい人か。わざわざどうしたんだ。
「率直にお頼み申し上げます。今すぐコペデカ村を去っていただけますか」
その折目高な言辞がおれの胃に落ちてくる前に、杖をついた老婆が男の隣に並んだ。気難しそうな面貌をしている。一部の通行人が立ち止まり、なんだろうというふうにこちらへ目を向ける。
「私の母です。どうも申し上げたいことがあるようです」
ようやく今さっきの言辞が悪い予感として消化された。
老婆は杖の先をおれたちに向けた。「あんたらは悪魔だ! 死神だ!」
初めは声の大きさに、そして次に発言内容に目を丸くした。ただならぬ気配にそこらにいた全員が足を止めてこちらに注目する。
「もしあんたらがこの村の女を一人でも手ごめにすりゃあ、たちまちマユウ領の皆が半人種になっちまうんだ。あんたらのようにな」
人々がどよめく。おれは、目で音を聞いて耳で物を見ているような不調和な感覚になって、とっさにはいうべき言葉が浮かばなかった。口だけでなく体も固まってしまっていた。
「あんたらはそれが目的で西大陸をうろついてるんじゃないのか。自分らの惨めな境遇にむしゃくしゃしたから、ほかの領の人間を不幸のどん底に引きずり込もうとしてる。え? そうだろ」
「ちがいます」問いかけられてやっと声が出た。「でたらめにも程がある」
「私はずっと前から懸念していた。気が触れた半人種が村を襲いにくるんじゃないかとね」
ちがうといってるのに。こっちの答えなんか無視か。こんな独断的な人を放っておけば混乱を招くだけなのに村長は止めようともせずただ傍観している。老婆に自分の気持ちを代弁させているようにも思える。
「不安は的中した。外交も商いもかじったことさえなさそうな若造がこの村になんの用があるってんだ。宿屋を訪ねたそうだな。もはやいい逃れはできん。夜中になったら村の女を捕らえに出るつもりだったな、野蛮人め!」
「だからちがうと――」
ハヤテが一歩前に出た。「てめえらは俺たちに腐れきった偏見を持っている。なら俺たちがてめえらをどう見ようが文句はいえねえな」
泰然としてよく通る声は見物人の耳目を集めた。しんと静まる。眼前のほこりぐらいしか見えていなさそうだった老婆も人の意見を聞く意志を感じ取れる顔つきとなってハヤテに視点を定めている。
「俺の目にどう映ってるか教えてやるよ。てめえらは膨らみすぎた妄想に支配されて視野と度量が狭くなってる。滑稽な人間だ」
「なんだと?」
「ババア。頭を絞りやがれ。てめえが熱弁したような目的を俺が持ってるとすれば、わざわざ化体族だと名乗りはしねえ。ふつうの人間のふりをして村に入り込む。ちがうか」
「む」老婆は杖をかつ、と鳴らした。「ババアだと。無礼な半人種め」
無礼な半人種。反論できないから議論の対象をずらしたな。
「先走って事実を誤認してりゃ世話ねえな。邪推する暇があるなら相手と向かい合ってみりゃいいだけの話だ」
「あなた方はご自分の立場がわかってらっしゃらない」村長が重い口を開いた。「それではあえて問いましょう。あなた方がコペデカ村を訪れた目的はなんですか」
「神に会いにいく途中でこの村に立ち寄った」
観衆がざわついた。神だって? 神だとよ。と、口々にいう。
「そうですか。理由を拝聴した上でもう一度申し上げます。コペデカ村から、いいえ、マユウ領から一刻も早く出ていってください」
無機的だった。たとえば村長の目の前に透明な本があって、そこに綴られてある文章を朗読しているかのような単調ないいぶりだった。
「あなた方の事情は我々の知ったことではないのです。半人種が我々の領地に足を踏み入れようとすれば拒む。それがこの領の掟であり、いかなる場合にも我々マユウ領の民が取るべき行為はそれだけです」
「そうだそうだ、そのとおりだ!」老婆は腹の底から絞り上げるように賛同の声を上げた。
老婆の後ろで隠れるようにして立っていた狐顔の少年が「そうだ」と小声で追随した。
「すべてはマユウ領を守るため。防除対策です。今回はあなた方には残念な結果となりましたが、現実を知れただけむだ足ではなかったとお思いください」
「つまりてめえらは、相手のいい分は聞く耳を持たずに、てめえらの都合だけで押し進めるってことだな」
「ここは我々の領土です。こちらの裁量が物をいうのは当然です」
「そうだ当然だ。ったく」老婆が吐き捨てるようにいった。「これでわかっただろう、こうやって話してたって時間がむだになるだけだとな。さっさと立ち去れ。人間の領域に入ってくるなヘンタイ族が!」
姫が喉を切り裂くような高い声を張り上げた。と同時に、赤褐色の前脚が地面を激しく引っかく。
おおっ、と人々が吃驚した。
姫は耳を後ろに倒して頸部を弓なりに曲げている。明らかに怒りを顕示するために威嚇している。決して褒められた行為ではないが、仕方ない。ユリアだってこの場に居合わせてたら憤慨していたはずだ。
ランとリンの二頭が気遣わしげに見守る中、ハヤテが物慣れた様子で姫を宥めた。即座に、とはいかなかったが、姫はどうにか興奮を鎮めてくれた。
「野放しにしておくなんざなんて非常識なんだ!」老婆が村長の腕にしがみつきながら非難した。
姫は頭絡も馬銜も手綱も着けてない。ヒトの知能があり、ヒトの言葉を理解できるから必要ないのだ。外見はどこにでもいそうなこの赤毛の馬こそが化体族だって、気づいている人間はこの群衆の中にいるんだろうか。
「興奮しすぎんなよババア。望みどおり去ってやるからよ」
ハヤテは踵をひねって歩きだした。ハヤテが引くラン、そして姫も同じ方向へ動きだす。だがおれと、おれに手綱を握られているリンはその場にとどまったままだ。
おれは納得なんてできない。このまま引き下がったらおれたちに非があるみたいじゃないか。おれたちはただ寝床を求めてただけなのに。愚かなたくらみなどいっさいなく、ただ純粋に人間になりたいだけなのに。化体族の潔白を証明したい。
けれど、何をどう説明すればこの人らが化体族を理解してくれるのか。感情的な老婆、逆に感情のなさそうな村長、否応なしの排他的な掟。こんな不都合な状況下では、説明も何もこっちがムキになってしまうだけな気がする。そしたら化体族の印象をもっと悪くしてしまう。
「いくぞ」
ハヤテに促されてようやく重い足が動いた。割れる人垣からたくさんの白い目、好奇の眼差し、おびえた目顔を向けられる。ひそひそと漏れる観衆の息が痛い。
――何もいい返さないよ。図星だったんだろ。厚顔無恥な連中だな。おお怖い――
聞こえてもない言葉が脳裏をかすめる。妄想をたくましくするな。あの婆さんと同等になってしまう。
――私はずっと前から懸念していた。気が触れた半人種が村を襲いにくるんじゃないかとね――
婆さんの発言を回顧しなくていい。そんなことより、今日これからのことを考えるんだ。
――もしあんたらがこの村の女を一人でも手ごめにすりゃあ、たちまちマユウ領の皆が半人種になっちまうんだ。あんたらのようにな――
だから思い出すなってば。
――あんたらはそれが目的で西大陸をうろついてるんじゃないのか。自分らの惨めな境遇にむしゃくしゃしたから、ほかの領の人間を不幸のどん底に引きずり込もうとしてる。え? そうだろ――
やめろ。見当ちがいも甚だしい。
――夜中になったら村の女を捕らえに出るつもりだったな、野蛮人め――
――さっさと立ち去れ。人間の領域に入ってくるなヘンタイ族が!――
――あんたらは悪魔だ! 死神だ!――
「いつまで腐ってんだ」
ハヤテがぶっきらぼうに言葉を投げかけてきた。
おれは顔を伏せたまま唇を軽く噛んだ。
コペデカ村を出た後、おれたちは黄金街道から少し外れた山裾の一画に移動してきた。火をおこして濾過した川の水を煮立たせて……と、一仕事したけれどおれの気分はまぎれず、木の根方にしゃがみ込んでハヤテのいうように一人くさくさしていた。もうずっと、コペデカ村での一連の出来事が頭の中をぐるぐる回っている。
「……あそこまで邪険にされるとは思わなかった」膝を抱える手に力が入った。
「あいつらはおびえてんだよ。弱い人間なだけだ」
「にしたってひどい。ひどすぎる」
「思い返しても癪に障るだけだから忘れろ」
当分忘れられない。一生記憶に残るかもしれない。
三年前、冷夏に喘いだレイル島は物資を調達するために数十人の男たちを西大陸に送り出した。同年代でただ一人同行したルイは、島に帰ってきてから急に人間になりたいといい出すようになった。それまで化体族のままでもかまわないと公言していたのに、だ。西大陸で何か嫌なことがあったのかなと思ってはいたけれど、もしかしたらおれたちと似たような経験をしていたのかもしれない。だとすれば急な心変わりも納得できる。悪魔だの死神だの罵られ、屈辱的な差別を受けて、それでも平気でいられる奴なんていない。
おれは顔を上げて火明かりのほうを見た。ハヤテは、と思った。
ハヤテは平気なんだろうか。なんで淡々としていられるんだろう。我慢なんてする奴じゃないから怒りや悔しさがそもそも湧き起こっていないってことなんだよな。けんかっ早い奴と決めつけていたけど、それはハヤテの怒りに火がついたらの話で、案外発火点は人より届きにくいところにあるのかもしれない。
ハヤテが斜め後ろのおれの視線に気づいた。「やっとツラを上げたか」
「ああ」ついでにおれは腰を上げた。
細めの樹幹につながれたランとリンは、おとなしく草を食んでいる。おれも何か口にしておかなきゃと、ハヤテの近くに座って余っていたリンゴを丸かじりした。島から持ってきた乾パンもあるがさして食欲があるわけじゃなく、また、食べたら水が欲しくなるから手をつけなかった。煮沸した川の水は飲み水用ではない。腹を壊す危険性があるから緊急でない限り川の水は飲まないよう領長にいわれている。飲料水については、今日はマルコスさん家で水筒に補給させてもらったから間に合った。明日以降は湧き水が見つからなければ街へ出て水を汲む必要がある。でも、コペデカ村でのことがあったから……人間の集落に立ち寄りづらくなったのが正直な今の気持ちだ。
なんか憂鬱だ。はあ、と大きな息が出た。
ハヤテがおれに顔を向けた。「人間に嫌気が差したか」
「……いや。別にそこまでは……。マルコスさんみたいな優しい人間もいるし」
船員さんたちやルツァド先生もいるし。あの人たちに出会えてなきゃ悪感情を覚えてただろうな。
「ケイ。お前は人間になりたいか」
目の覚めるような問いかけだった。火光によって顔面の明暗が強調されているせいでハヤテの面差しに微妙な変化が加えられ、どちらかといえば月ハヤテがそこにいるように見えた。
周囲をうろうろしていた姫がいつの間にか脚を止めていた。




