10-1:街道を突き進む 【太陽の日/ケイ(男)】
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「諸君。百年懺悔の遠征がとうとう一年後に差し迫った。エデンレイル領そしてレイル島の歴史において最も重大な転換点であり、世界に大いなる影響をあたえる一大革命である。我々が人間に戻らない未来など何一つ存在意義はない」
役所の広場に集った数多の観衆を前に、オキノ領長は熱弁を振るう。
「遠征を成功に導くには何が必要となる。一人一人の懺悔の心。もちろんそれが一番大事だが、その中からしかるべき人物を的確に選び抜くことが必要になる。しかるべき人物に遠征に出てもらわなければ我々の望む結果は得られない。そのことは諸君らも重々承知しているであろう。心身ともに強き者であることはいわずもがな、求める資質は多岐にわたり、それは画一的であってはならず、また一行として調和がとれていなければならない。わしは長いあいだ島民一人一人を見てきた。あらゆる観点から考慮し、我々の願いを託すにふさわしい人物を選定し、今、胸を張ってその名を告げるときを迎えた。――一年後に遠征に出てもらう面々を発表する」
ついに発表の瞬間がきた。おれは唾を飲み込んだ。自分じゃないのはわかっていても緊張する。まわりの皆も決して聞き漏らすまいと息を凝らして領長の一挙一動に神経を注いでいる。
「まず。ムゲン」
ムゲンさん。当然だ。
「そして。ハヤテ」
ハヤテ。そりゃそうだろう。
「最後に。ケイ」
ケイ。えっ。おれ!?
「以上三名だ」
ちょ、ちょっと待ってくれ! どうしておれなんだ。ムゲンさんとハヤテの後におれって落差がありすぎるだろ。おれよりも適任者がいるって。それかとことん選りすぐって二人にしたほうが効率が――。
「うるせえな。選ばれたんだから腹を固めろ」
ハヤテ。おれが遠征に同行したら二人の邪魔になっちまうよ。
「卑下するな。お前ならできる。よろしく頼むぞ」
ムゲンさん。なんの根拠があっておれならできると思ってくれてるんだ。
「ケイ、すごいわ。同じ歳の太陽グループから二人も選ばれるなんて誇らしいわ」
「僕の名前が呼ばれるのを期待していたんだけどな。僕の分までがんばってきてくれよ」
ミミ、ルイ。いや、おれは引き受ける気はないよ。
「はっはっは。うちの子供とは、これまた大胆な起用だな」
「ケイ。指名されたからにはしっかり自分の役目を果たしてくるんだよ」
父さん母さん。なんで乗り気なんだよ。うちの息子では力不足ですって領長に抗議しないのか。
「抗議してくるわ。納得いかないもの。なんであたしじゃないのよ」
ユリア……? あれ。今日は馬になってるはずなのに。今日って月の日だったっけ? まあいいや。お前がその気なら協力するぜ。おれは辞退する。
「辞退する必要なんかないよ。一年間、僕と一緒に自主稽古しよう」
んんっ? 月ハヤテ? 今さっき太陽ハヤテに会ったばっかりだぞ。
「何変なこといってんだてめえは」
うわっ太陽ハヤテ! お前自由自在に入れ替えできるのか!
「ケイ。落ち着きなさい」
あ、この声は領ちょ……ええええええ!?
「ケイ。ハヤテまかせにしてはいかんぞ」
領長! どうしたんですか! 顔の左半分が男で右半分が女になってますよ! うわっ、近づかないでください。なぜだって怖いからですよ。半分だけひげヅラでもう半分が厚化粧って気色がわ……迫力があるんですよ。わかりました、ハヤテまかせにしませんから、遠征に出るから、その顔を近づけないでくれーーー!
――夢か。
朝の光を目に沁み込ませておれは上半身を起こした。
隣のベッドではハヤテが掛け布団を乱して眠っている。ふだんは髪の毛で隠れている耳を丸出しにして安らかな寝顔を見せている。ふだんの太陽ハヤテからは想像できないほどに無防備だ。夜に部屋を出ていったのはぼんやりと覚えているけど、いつ戻ってきてたんだろう。
おれはベッドからおりた。喉骨をさすって窓のほうへと歩く。
一年前の遠征パーティーの発表式。あのときの驚きがときおりこうやって夢となってよみがえる。現実では戸惑いつつもその場で受諾したわけだけど、というかたくさんの島民が拍手と歓声で盛り上げるもんで引き受けるしかなかったわけだけど、なんでおれなんだろう、おれでいいのかなって疑念は長いことまとわりついていた。そういやルイは名前を呼ばれたかったって実際にいってたっけ。遠征に出たくても出られなかった人たちがいるんだもんな。そういう人たちの思いを背負っておれは今ここにいる、って胸を張らなきゃ。
部屋の窓を開けて両手を合わせた。目をつぶる。島を離れてもレイル島民としての日課は欠かせない。
「ここに懺悔いたします」
それにしても。最後のほうはでたらめな夢だったな。領長は女性の姿のときも化粧なんてしないし、自由自在に本体と化体を入れ替えられる奴なんていない。いくら特異な性質のハヤテでも一日単位の入れ替わりの点はほかの島民と一緒だ。ま、夢なんてほとんどいい加減だし、夢に整合性を求めるのは野生の動物に礼儀を求めるのと同じくらいに滑稽ってもんだ。
靴下を取り出そうと鞄の中をまさぐっていたら、布のすれる音とともにハヤテの体が動いた。目を覚ましたか。
「ハヤテ。おはよう」
ハヤテは寝惚け眼でおれの顔を数秒間見つめ、おう、とくぐもった声で返事をした。まだ頭は働いてなさそうだ。寝つきがよくても寝起きまでいいとは限らないんだよな。ハヤテは太陽の日も月の日も起きてすぐは大概ぼうっとしている。
「足音の一つでも立てりゃいいのによ」
「えっ? 何?」ハヤテが出し抜けに意味不明な発言をしたからびっくりした。
「なんでもねえ」
夢でも見てたのかな。ハヤテは枕元に置いてあった懐中時計を手に取り、竜頭を巻いた。そして気だるそうに起き上がって服を着替え始めた。
「朝の懺悔は?」
「心の中で思ってりゃいいんだよ」
本当に心の中で思ってんのかな。ここに懺悔いたします。ハヤテの分までもう一度心の中で懺悔しておいた。
身支度を終えたおれたちは一階の居間へとおりていった。マルコスさんはテーブルの椅子に座って葉巻を吸い、奥さんは隣の台所で朝食の準備をしているところだった。奥さんはおれを見て驚きを隠せずにいた。本当に変わるのね。そんな顔をしていた。ハヤテの見た目に違和感を覚えてるような様子はなかったのでマルコスさんから事情は聞いていたんだろう。ハヤテは化体しない特別な化体族だって。化体族にまったく縁のない奥さんからしてみれば、姿形を変えないハヤテのほうがかえってふつうの人のように感じるんだろうな。
「馬小屋の掃除をしてくる」朝の挨拶も早々にハヤテはマルコスさんにいい放った。
許可を求めるんじゃなく断言するのが太陽ハヤテらしいや。
「うちで雇ってる厩務員がやるから大丈夫だぞー。地面に敷いてるおが粉の均し方があるみたいでなー。勝手にいじるといい顔しないんだー」
「姫の馬房だけは片付けたい。自分と俺以外に掃除をされるのを嫌がる」
「なるほどー。じゃあいいぞー。一箇所だけならゆるしてくれるだろー」
二人で作業したほうが早いな。
「おれも手伝うよ」
「嫌がるっつってんだろ」
そうハヤテは一蹴して、すたすたといってしまった。切れ味のいい奴だよ本当。
マルコスさんが笑いながら椅子に座るよう勧めてきたので、おれはマルコスさんの正面に腰掛けた。
「年頃の女の子だからなー」
「年頃の女の子?」
「ユリアがだー」
ユリア? ――あ、なるほど。「嫌がる」ってそういう意味か。あの跳ねっ返り娘の胸の内に、野生の動物なら持ち得ぬ「羞恥心」が存在しているらしいと今初めて気づいた。別に姫の排泄物を見たところで馬のそれとしか思わないし、ユリアの体から出たわけじゃないんだから恥ずかしがることでもないと思うけどな。そこを気にするのが年頃の女の子ってことなのかな。だとすればやっぱりおれの中には女心の要素なんてないや。
奥さんが料理の載った皿を運んできてくれた。
「昨日の夕食とてもおいしかったです」おれは笑顔で話しかけた。
「恐れ入ります」
目が合わないまま奥さんは台所へと引っ込んでしまった。静かな人だな。何も質問してこない。化体族と話す機会なんてめったにないんだし、少しくらい踏み込んできてもかまわないのに。まあ、化体族の歴史は特殊だから触れるのは失礼だと思ってるのかな。それとも単に興味がないのか。
そんなことを考えてるうちに奥さんが再び居間に現れた。おれに視線を向けていたから一瞬おれと会話をしに出てきてくれたのかなと思ったけど、その意思がないのはすぐに悟った。他人と、それも客人と言葉をやり取りして交流を図ろうとするには表情が暗かったのだ。
「私は本調子ではございませんので失礼します」
「そうだったんですね」
なのに起きて朝食を作ってくれたのか。
「すみません」おれは頭を下げた。
向こうも黙礼してどこか別の部屋へと移っていった。
掃除を終えたハヤテが戻ってきてから男三人で朝食をとった。
その後、荷物をまとめ、出発する時間となった。奥さんとは玄関先で当たり障りのない別れの挨拶を交わした。マルコスさんが散歩がてら途中まで一緒に歩いてくれることになった。
家を出てから三十分ほどで開けた街道に出た。ここでマルコスさんとはお別れとなる。おれたち二人と姫をはじめとする馬三頭は道の傍らでマルコスさんと向かい合った。
「この領はまだ大丈夫だが、西大陸の東部は概して治安がよくないー。これから先の地域は物騒な連中も多いー。見かけても関わらないようにするんだぞー」
「はい。マルコスさん、いろいろとありがとうございました」
「マルコスのオヤジには世話になったからみやげを買ってきてやる。何がいい」ハヤテなりに感謝の気持ちを表しているようだ。
マルコスさんは相好を崩した。「お前さんたちが使命を果たして、また笑顔で会えれば、それでいいー」
心が癒されるなあ。マルコスさん大好きだ。
「欲がねえな」
「じゃあみやげ話をたんと持ってきてくれー。東大陸はどんなところなのか、旅の話を楽しみにしてるぞー」
姫が尾を振り回して頭を上下させた。姫も東大陸が楽しみなんだろう。微笑ましくて唇が横に広がった。
「お前さんたちならできるー。応援してるぞー」
マルコスさんと固い握手をして別れた。ハヤテはランに、おれはリンに乗り、姫に背嚢を背負ってもらって、いざ出発だ!
蹄鉄を存分に浴びるは南北に突き抜ける「黄金街道」。なんとも縁起のよさそうな名称には二つの由来がある。
一つはこの街道沿いには多くの麦畑が存在し、夏になれば「こがね色の麦穂」を観望できることから。
もう一つは、古くから旅人や商人が頻繁に利用してきたこの道上では「輝かしい夢」や「金銭」がいき交うことから。
大公も通行したことがあるという、その名に恥じぬ西大陸の主要な街道の一つだ。当面の目的地であるセスヴィナ領の近くまで道が伸びているから、この街道さえ見失わなければ迷わずに到達できるはずだ。
澄みきった青空を仰ぐ。気っ持ちいいな。黄金街道を馬で進むのは理屈抜きに壮快だぜ。
いやっほー。
叫んでたら道外れの野原で遊んでいた子供たちが手を振ってきた。おれも手を振り返した。へへっ。英雄になった気分だな。
休憩となった。
昼飯も兼ねる。草っぱらに座ってマルコスさんが持たせてくれたパンとリンゴを切り分けた。
「飯の不味くなる話をする」飯を終えた後にハヤテが切り出した。
たしかに物を食べてたら味が半分落ちるような内容だった。昨晩、マルコスさん夫婦の会話を偶然耳にしたハヤテが、一部始終を淡々と説明してくれた。
「そっか。化体族を二度と連れてこないと約束して……か」
奥さんはなんとなくおれたちを避けている気はしていた。それでも今この話を聞くまでおれの思い過ごしかなと思っていたのは、マルコスさんの奥さんになる人ならば差別なんてしないだろうと勝手に決めつけていたからだ。
「化体族を歓迎しない人間だっている。それは少数派ではない」
「うん……。そうだな」
近くで草を食んでいた姫がいつの間にか耳を立てておれたちのほうを見据えていた。その背後でランとリンが互いのたてがみのあたりを甘噛みしている。
「もしかしてさ……」
もしかして奥さんは仮病を使っていたんだろうか。そう口に出そうとして途中でやめた。今さら確認できるわけでもなし、第一この手の憶測は芳しくない。本当に体調を崩していたら失礼な話だ。
ハヤテはおれが何をいおうとしたのか悟ったようで、つづきを求めはしなかった。
「あれだけ豪勢な飯を作ってくれたんだから感謝しなきゃな」おれは自分にいい聞かせた。
たとえ奥さんの心の中にあったのは完全なる義務感のみで歓迎の心はなかったとしても、おれたちの腹はおいしい料理で満たされたんだから。
「よし」と膝をはたいておれは立ち上がった。「じゃあそろそろ出発するか」
「ケイ。ハーメット領に寄っていかねえか」
「ハーメット領?」
嫌な予感がした。黄金街道から外れている領だ。わざわざ遠回りしてまでそんなところに用事があるとすれば。




