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8-1:0時を迎えた化体族 【月の日/ケイ(女)】

- 8 -



 体に異変が生じ始めた。0時になった。


 今頃レイル島では鐘の音が響いている。正午に鳴る鐘はゴーンと一回だけだが、0時にはゴンゴンゴンと三回鳴る。このレイル島独自の風習は、ちょうどおれが生まれたあたり、つまり十七年前頃から始まり、今もつづいている。0時に特別な意味を持たない西大陸では絶対に定着することはない風習だろう。ただの深夜の騒音になってしまうだけだからな。


 あの鐘が鳴り終わる頃には、ハヤテと人間であるルツァド先生を除いたすべての島民の肉体の切り替わりが完了する。変更にかかる時間は、体の大きさによって個人差があるが、たいてい二秒から五秒程度。おれなんかはヒトからヒトへの交替だからちゃちゃっと済んじゃうほうだ。


 おれが女に化体する際には、まず当然ながら股間そして胸に著しい変化が見られ、全体的に丸みを帯びて肌が柔らかくなる。体毛が薄くなるところや声が高くなるところも女になったと実感する部分だ。男の体のときに負った膝の古傷は女の体になればきれいさっぱり消えるし、ほくろの数と位置はまったく一致しなくなる。こういう細かい相違点によって、改めて本体と化体はまるっきり別物の体なのだと思い知らされる。


 ヒトの化体を持つ場合、男の姿のときと女の姿のときを比べてみると、顔や体格の特徴が同系になることが圧倒的に多い。おれも髪色とか、二重の目とか、高くも低くもない平均的な身長とか、共通してる箇所がけっこうある。おれに女のきょうだいでもいようものならこんな感じの容姿をしているだろう、って見た目だ。同じく異性に変身する領長も本体と化体が双子のようによく似ている。だが、母さんはまったく類似点がない。本体の女のときには見た目に関してそれなりに褒められることもあるようだけど、男のときにはお世辞の一つももらえないようなごついおっさんになる。


「ヒトの化体って楽よね。そのまま寝てられるもん」


 少し離れた場所からユリアが話しかけてきた。微かに聞こえる布のすれる音から衣服を身につけている最中だと窺える。


 おれは仰向けのままでいう。「お前は本体と化体で体の大きさがちがうから大変そうだな」


「大変よ。小屋と部屋の移動がまず面倒。それに馬になる前には服を脱いでおかなきゃならないし、本体に戻ったらこうやって服を着なきゃなんないし、眠いときはめんどくさくて仕方ない」


「馬や牛はヒトと同じ場所で眠れないもんな。その点うちの父さんは寝場所や寝巻で苦労してない分マシだな。猿から本体になっても素っ裸のままベッドで寝てることがしょっちゅうだ。寝具に猿の毛が絡んじゃうけど父さんは掃除が大好きだから喜んで自分で片付けるしさ」


 なるべくユリアの着衣する音をかき消すためにどうでもいい話を連ねた。女の体をしてる奴が女の着替えにどぎまぎするなんて変だけど、でもおれは心が男なんだから仕方ないよな。


 おれはなんとなくハヤテを見た。ハヤテは気持ちよさそうに寝ている。


 ユリアがおれの隣に布団を敷いてごろんと寝転んだ。


「ここに寝るのかよ」


「むさ苦しい船員たちと一緒に寝ろっての?」


「そうじゃなくて。ハヤテの隣で寝るもんだと……」


「何照れてんのよ。女同士なんだからいいじゃない」


「そりゃ今はそうだけどさ。って、別に照れてないけどな」


 ユリアは両腕を横に広げて「くぁー」っと大きなあくびをした。


「じゃじゃ馬だな」


 ぽそりとささやいたつもりがユリアにもしっかり聞こえたようで威勢のいい蹴りが飛んできた。やっぱりじゃじゃ馬、暴れ馬だ。


「ユリア。おばさんが最後までゆるさなかったらどうしてたんだ」おれは蹴られた(すね)をさすりながら訊いた。


「こっそり船に乗り込んでたわ。でなければ一人で舟を漕いで追いかけてたわね」


「そうか。お前ならやりかねないな」


「どんな手段を使ってでも島から出るって決心してたの。ママにもそう宣言した。結局それが決め手となって今この船に堂々と乗れてるわ。単独で暴走されるよりお兄ちゃんと一緒に行動してもらったほうが安心なんだって」


 親としてはそう選択せざるを得ないよな。ユリアの場合は駆け引きやはったりではなくて本当に実行に移してしまうから。


「何がなんでも外に出てやるっていうユリアの執念が勝ったんだな」


「まあね。島で留守番なんて腐っちゃうもの」


 怖がらずに突き進む性格はハヤテにそっくりだ。


「おばさんは心配で仕方ないだろうな」


「子離れしてもらわなきゃならないんだからいいのよ」


「はは。子離れね」


「あんたの親って遠征いきに関してまったく反対しなかったわよね。一人っ子なのに。半分女なのに」


「ああ、奴らは二人きりの時間がほしいだけだ」


「手を離して外を歩かせることが子供のためになるってわかってるのね。そしてあんたを信頼してるんだわ。正直、あんたん家の親子関係が羨ましい」


 胸を突かれた。こっちは適当に言葉を返したのにユリアは殊のほか真剣だった。掘り下げればどこまでも沈み込んでしまう根の深い話題は今ここでは扱うべきではないと判断し、話頭を転じることにした。


「こうやって三人で船で揺られてるのって不思議だよな。ガキの頃は遠征はムゲンさんとハヤテがいくもんだと決め込んでたからさ、まさかおれとユリアが加わるなんて思ってもみなかったよ」


「あたしは小っちゃい頃から自分が遠征に出る想像をしていたわ」


「へえ。夢を叶えたってわけか」


「夢じゃなくて現実的に考えてたの。ムゲンさんとお兄ちゃんは絶対に選ばれるでしょ、そしたら空から王宮を目指すでしょ、翼竜の背中には二人乗れるからもう一人遠征に出られるでしょ、って予想できてた。馬だったら翼竜の背に乗るのは無理だけど、運がいいことにムゲンさんとあたしは化体になる日がちがう。あたしは同行できる。これはあたしが遠征に出るさだめになってる。としか思えなかったわ」


 さだめという表現を太陽ハヤテも使うときがある。俺は神に会いにいくさだめになっている、ってな具合に使う。ほかの奴がいえば思い上がりでしかないけれども、神のお告げによって生まれてきたハヤテがいうのであればゆるせるどころか納得すらしてしまう。ハヤテは特別なんだ。ユリアはそんな特別な男の妹。自分にも特別な血が流れていると思うことだろう。だから「あたしが遠征に出る()()()になってる」みたいな強気な発言が飛び出したんだ。兄から影響を受けやすいタチだから、兄が口にする「さだめ」って言葉を使いたいのもあったんだろう。


「あたしは三人目の席を狙ってた。でもその席に座るのはケイだって一年前に発表があって、島中を叫びながら駆けずり回りたい気分だったわよ。悔しかった。歳も体力もそう変わらないあんたってのがすごく悔しかったわ。やる気の面では上回ってるあたしのほうが選ばれるべきって思った。だから、正直、この一年はどうやってあんたの席を奪うかに頭を働かせていたわ」


「その戦意みたいな熱意は伝わってきてたよ。おれに対抗心をむき出しにしてたもんな。ま、昔からお前はおれに対してそんな感じはあったけどさ」


 もっともガキの頃のユリアを勇み立たせていた原因は遠征や能力うんぬんではなくハヤテだった。大好きなお兄ちゃんと仲よくしているおれに嫉妬して、おれにハヤテを奪われないようメラメラと心の炎を燃やしているうちに今日のような勝ち気さが培われたんだと思う。


「あたしが遠征にいくべきだって領長に訴えたこともあったわ。ケイに決定したからどうにもならん、って突っ撥ねられちゃったけどね。領長ってなんだかんだでケイに期待してるわよね」


「うーん。そうなのかな」


「ムゲンさんとお兄ちゃんは絶対外せないのと同じように、ケイじゃなきゃだめだって考えてるみたいだったもの」


「二人とはまた求められてるものがちがうけどな。おれは剣術や体力以外の部分に期待してもらってるのかもしれない」


「たとえば?」


「化体が人間なところとか、あと、勉学が好きなところとか」


「その二点に関してはあたしは負けを認めるわ」


 ユリアは運動は得意だけど勉強は嫌いだ。計算問題を見ると頭痛がし、長ったらしい文章を読むと眠くなるらしい。


「それともう一つほかの島民とはちがうところがある。――ハヤテ、寝てるよな」


 そっと起き上がって顔をのぞいた。小揺るぎもせずにぴたりと閉じているまぶた、全身に空気を巡らせているかのような深い呼吸。すっかり眠りの世界に入っているようだ。


「お兄ちゃんは寝ちゃったら朝まで起きないわよ」


「そうだったな」


 ハヤテは日中によく体を動かすから熟睡できるんだろう。そして良質の睡眠で疲れを完全に取り除くから翌日もよく動ける。いい循環だ。


「もう一つ、何?」


「うん。ほら。太陽ハヤテって、扱いやすくはないだろ。太陽ハヤテとふつうに接するのが難しいって島民も多いんだ。その点おれは気心の知れた仲だからさ、そういう相性ってのもおれが選ばれた一つの要因かな、って思うんだ」


「……あんたって、いい立場にいるわよね」


「そうか? どこが?」


 返事がなかった。


「ユリア」


「お兄ちゃんてさ」


「うん?」


「人間になったら、どうなるのかしら」


 ユリアらしからぬ弱々しい声だった。最後のほうは海面に浮かぶ泡のように儚く消え入りそうだった。


「どうなるって、どっちの人格が残るかって話か?」


「……やっぱり、片方はいなくなっちゃうのかな」


「だと思うぜ。化体族である以上、一方が本体でもう一方が化体なんだから」


 ユリアは低くうなった。「最初からはっきりしていれば覚悟もできたのに。どうしてお兄ちゃんだけ本体と化体の区別がついてないんだろう」


「仕方ないさ。ちょうど日をまたぐときに生まれたんだ」


「生まれた、ってどの瞬間を指すのかしら。頭が出てきたら? 体が全部外に出たら? 産声を上げたら?」


「強いていうなら二番目じゃないのか」


 ユリアは閉口した。突き詰めたところで何も解決しないって悟ったんだろう。


 数秒の沈黙があってからユリアは「あたしね」と切り出した。「たまに思うの。本当はママとかパパとか領長は、お兄ちゃんの本体がどっちなのか知ってるんじゃないかって」


「え!?」


 それまた突飛な発想だ。


「お兄ちゃんが誕生したときのことを詳しく教えてくれないんだもの。神聖なことだから気軽に話せないなんていってるけど、何か隠してるような気がしてならない。お兄ちゃんの出生に関して明らかになってないのは、生まれた日が太陽の日なのか月の日なのかってことだけ。隠してるのはそこなのよ。どっちつかずにするために0時に生まれたって嘘をついてるんだわ」


「仮にそうだとして、生まれた日をうやむやにしておく理由は?」


「明らかにすれば化体のほうが傷つくからじゃないの」


 なるほどね。「本体」と呼ぶ存在の対を成している以上、「化体」はどうしても贋物のような位置づけになってしまう。贋物扱いされていい気がする奴なんていない。大人たちが気を回して重要な箇所を偽った、って考えたのか。あながちこじつけとはいいきれないけれども。


「それで、おばさんたちが嘘をついてるって証拠はつかめたのか」


「……いいえ」


「だったら妄想でしかないな」


「妄想。そう片付けるのね。あんたなら乗ってくれると思ったのに」


「そりゃ悪かった」


「あんたは0時に生まれたって信じてるの?」


「おれはあり得ると思うよ。なんたってこいつは特別な男なんだからさ」


 首をハヤテのほうに傾けた。安らかな寝顔だ。自分に関する重要な話がすぐ横で繰り広げられてるなんて、夢にさえ見てないだろう。

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