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7-2:船員たちとの交流

「とはいえ、エデンレイル領に完全に移住するのは難しいのではないかな」クオグリスさんが掘り下げる。「かつて無人島だったレイル島は今や立派に開拓されました。それでいて美しい自然に囲まれたのどかで素晴らしいところです。島で築いた財産や思い出だってあることですし、島を離れがたく感じる方は少なくないと思います」


「そうですね」おれは同意した。「レイル島にとどまりたいって人も出てくるでしょうね。ルツァド先生なんかは絶対に島内で暮らしつづけるだろうし」


 なんせルツァド先生は人間社会に嫌気が差して移住してきたんだから。


「ああ、あの獣医のじいさんか。レイル島で唯一の人間だってのに一度もしゃべったことがないぜ。宴会にも参加してこねえしな」甲板長は理解に苦しむという表情をわかりやすく作った。逆にそれは理解しているあらわれな気がした。


「人間に興味がなさそうっすもんね。変わった老人っすよね」太っちょが軽い感じでいった。


「そんな人だからきっと島に住むのがゆるされたんだな。あの慎重なオキノ領長が人間の移住を許可したって聞いたときゃあ、もう四年くらい前の話だが、たまげたもんだったぜ」


「獣医という職業も大きかったんです。本格的に動物を診られる人はレイル島にはいなかったので」


「そうだろうな。俺たち船乗りだったら無理だな。ボスでもだめだぜ、きっと。親しい相手にもぴしゃりと門を閉ざせるのがオキノ領長だからよ」


「オキノ領長さんはお堅い人っすよね。上に立つなら厳しさは必要なんでしょうけど、もっと肩の力を抜いておちゃらけてくれてもいいんすけどね」


「あの手の男が隙を見せないのはお定まりよ」オカマの船員が頬に手をあてがって自論を打ち立てた。


「あの手の男って、どういう男ですか」おれは尋ねた。


「男前でいたい男よ」


「男前でいたい? 領長がですか」


「実際男前じゃない。見た目も。そりゃ頭は白いし皺も染みも目立つけど、顔の造作は立派なもんよ。若い頃はモテたでしょうね」


「オキノ領長の青春時代のことはもちろん知らねえけど、二十年前は今のクオグリスみたいに小洒落たハンサム中年って感じだったぜ」


 おれは思わず「へえー」と語尾をたくさん伸ばしていた。


 意外だった。領長が男前かどうかなんて考えたことすらなかった。引き合いに出されたクオグリスさんは反応に困っている様子だ。謙虚な人っぽいから自分へのハンサムって評価に同意できないんだろう。否定すれば領長と一緒にされるのを嫌がってるように見えちゃうし。ま、いい人だってわかる。


「男前は男前で苦労があるのよ。恥をかいたり他人より劣る部分を認めることに慣れてないから、そうならないためにどんどん壁を高くする。息苦しいわよね。元から崩れてるなら壁を築く必要もないんだけどねえ」


 そういってオカマの船員は甲板長と太っちょを交互に見た。


 甲板長が顔面を力ませた。「うるせえ。てめえ人のこといえねえだろ。ひからびた魚みたいなツラしやがって」


「どんなツラよ」


 二人のやり取りに太っちょがぶひゃひゃと誘うような笑いを振り撒いた。おれはつられてはいけない。奥歯を噛みしめてこらえた。


「オキノ領長は志が高いんだ」クオグリスさんがごく自然に会話に入る。表情と声に少しの乱れも感じない。さすがだ。


「そういう見方もできるわね」


「オキノ領長が『なんとなく』で生きてないのは明らかだろう。多くを考え、また多くを知っているのが証拠だ」


「まあな」甲板長は歌うように相槌を打った。


 クオグリスさんはおれとハヤテに顔を向けた。「私たちは恥ずかしながら化体族の歴史をよく知りませんでした。オキノ領長に惜しみなく知識をあたえていただいて理解を深めることができたのです」


「そうだったんですか」


 化体族の歴史はてっきり世界中で語り継がれていると思っていた。学のありそうなクオグリスさんが知らなかったとなると、案外有名ではないのかもしれない。


「まあつまりは、だ。早い話が、兄ちゃんらの長は俺たちに一から十まで語ることで島の女には手を出すなよって釘を刺してたんだ。気持ちはわかる。同じ過ちを繰り返してしまったら果たして今度はどんな罰が下されるのか、想像するだけでも恐ろしいからな。でも、なあ」


 甲板長は向かいの席の船員二人に視線を投げた。そして三人で苦々しく笑った。


「そんな神経質にならなくても俺たちが島の女人に手を出すわけがねえっての」


「化体族の女にはさすがに欲情しないっす」


「まったくそそられないわね」


 おれはなんて返したらいいかわからなかった。


「気を悪くすんなよ。それは健全な考えだろ」甲板長がいった。


「……ええ」


 おれたち化体族は半人種だ。人間と半人種は交わってはいけないという自然界の掟からすれば彼らの思考は正常といえる。結果として化体族を守ってくれてるようなものなので、ありがたいとは思うけど、複雑な感情もにわかに湧き上がったのは否めなかった。


 クオグリスさんがこの件に関して無反応だったのが救いだった。この人が同調していたら傷ついていた。


「なあに、化体族はもうすぐ人間に戻るんだろ。そうすれば島以外の女との接触もゆるされるし、交流の幅が大きく広がるってもんよ」


「そうっす。世界が広がるっすね」


「――そんな単純じゃねえよ」


 無言だったハヤテが遠慮なしに切り込んだ。全員が霧雨でも浴びたように少しだけ気分が転換したのがわかった。 


「というのは、兄ちゃん?」甲板長は器用に眉毛を浮かせた。


「マルコスのオヤジから聞いた。セスヴィナ領は西大陸の中で孤立気味だってな。元が半人種だからだろ。人間はいっときでもちがう色に染まった者を色眼鏡で見る。俺たちだって人間になったところで、元半人種だからと敬遠されるだろうな」


「おい。ハヤテ」人間批判にも聞こえるからおれはちょっと焦った。


「ははは。兄ちゃんは鋭いところを突く」


「え。……てことは、ハヤテのいったことが当たってると?」


 甲板長の隣のクオグリスさんがくすくすと笑った。嫌みのなさからバカにしているわけではないのは伝わってきた。


「孤立するもしないも君たち次第だね」


「そういうこった」


 おれは、異なる雰囲気を放ちながらも息が合っている二人を見て、静かに顎を引いた。


 きっとそれは限りなく模範に近い回答であり、それ以上いいようがないのは頭では理解できた。が、心は満たされなかった。本音としては否定してほしかった。




 食堂を後にして風に当たる。


 姫も海を見たがってるだろう。そういってハヤテが簡易厩舎から姫を連れてきた。走行中の船の上の散歩をゆるされる馬は、人間の知能を持った姫ぐらいなものだろうな。


 姫はハヤテに顔をすり寄せている。馬のその行為は汗を拭う目的があり軽視の表れだからよくない、と見る人もいるが、姫の場合は単にじゃれているだけだ。動物になったのをいいことにハヤテに甘えるのは日常茶飯事なのだ。


「姫。レイル島の領長は昔かっこよかったらしいぞ」おれは報告せずにはいられなかった。


 姫は耳をピンと立てて鼻の穴を大きく膨らませた。なんですって、とでも心の中で叫んでそうだ。


「船員さんの話では二十年前は今のクオグリスさんみたいな感じだったってさ。クオグリスさん、わかるか? 一人だけ雰囲気のちがう紳士っぽい人」


 姫は頭を上下させた。クオグリスさんを認知してるようだ。話したことはまったくないはずなのに。あの人は存在感があるんだな。


 食堂で聞いた話を姫に教えていたら、マルコスさんがおれたちのところにやってきた。


「船酔いしてないかー」


 おれは自然に笑顔になる。「大丈夫です。マルコスさんは夕飯を食べたんですか」


「船長室で船長と食べたぞー。どうだー、夕飯はうまかったかー?」


「はい。とてもうまかったです。な、ハヤテ」


 ハヤテは無言でうなずいた。


「そうかー。うれしいぞー」


「マルコスのオヤジはなんで化体族に協力的なんだ」


 ハヤテの突然の質問だった。マルコスさんは一瞬目を丸くし、しかしすぐに笑顔になった。


「レイル島民が好きだからだー」


 ハッとさせられた。単純だけどこっちが予想してなかった理由だった。そしてまちがいなくレイル島民にとっては一番うれしい回答だ。


「レイル島の人たちは親切で心優しいー。協力するのは当たり前だろー」


「そうか」


 納得したようにハヤテが会話を切り上げた。ぶっきらぼうな奴だけど、今、おれと同じように心が温かくなっているはずだ。


 マルコスさんは本当に、四十近くも年上の人に失礼かもしれないけれど、可愛いおじさんだ。マルコスさんだったらだれとでも親しくなれるし、たとえばマルコスさんが半人種だとしても人間の友達はたくさんできるにちがいない。困っていたらまわりが助けてしまう人徳がある。


 さっきクオグリスさんがいっていた「孤立するもしないも君たち次第」って、つまりはこういう意味だよな。おれたちが人間になったら、ほかの領の人間に受け入れてもらえるよう心を開いて、マルコスさんみたいに好かれるよう努力をしろってことだよな。


 そんな考えに沈んでいると、クオグリスさんたち四人組が雑談をしながら甲板に出てくるのが見えた。手には食堂に置いてあった椅子と、何やら楽器を持っている。彼らは空いているところに座った。


 クオグリスさんがギター、オカマ船員が鈴、太っちょが木樽を太鼓のように打ち鳴らす。音合わせをしていたらほかの船員たちがわらわらと集いだした。


「ボスー! 兄ちゃんらも! 一緒に歌おうぜ」甲板長のワムクンさんが頭上で右手を大きく振り回して誘いかけてきた。


「よーし」マルコスさんは腹を叩き、のっしのっしと歩を進める。


 姫も軽快な足取りでついていく。その流れでおれも足を動かし始めた。ハヤテはその場に突っ立ったままなので乗り気はしていないようだ。そっとしておこう。おれはハヤテに声をかけずに船員たちの輪の中に入っていった。


 本格的な演奏が開始した。クオグリスさんのギターの腕は相当なもんで、脚を組んで弦を爪弾く姿が様になっていた。かっこいい。この人はモテると確信した。姫は音楽に合わせてヒヒンヒヒンといななき、それが船員たちに大ウケだった。ふつうの馬だったらできない芸当だもんな。海の男たちは酒を片手に実に楽しそうだ。


 場が活気づいたところでマルコスさんが昔の流行り歌を披露した。上手だった。おれも甲板長らにせつかれて一曲挑戦した。出だしはそれなりに好調だったが一番盛り上がる高音部で声が見事にひっくり返ってしまった。船員たちは腹を抱えて笑った。ちょっと恥ずかしいけど場が盛り上がったからよしとしよう。


「てめえは相変わらず下手クソだな」


 ハヤテが乱入し、「我が故郷への凱旋」の演奏を求めた。船乗りなどたくましい男たちが好む歌だけあって彼らは迷いなく序奏を奏でる。ハヤテが歌いだす。


 ほう、と皆が耳を傾ける。ハヤテは声がよく通る上に高音も低音も安定して出るから聴いてて気持ちがいい。


 歌い終えた後には拍手と口笛と賛辞に包まれた。一躍今夜の主役みたいになりやがって、やっぱりニクい奴だと思うのと同時に、同じレイル島民としてうれしかった。飄然と端のほうへ引っ込もうとするハヤテをクオグリスさんが引き止めて、「潮騒輪舞曲(ロンド)は歌えるかい」と尋ねた。その曲は学舎で習うからレイル島民であればほぼ全員口ずさめる。ということで再びハヤテの出番だ。船上は最高潮に盛り上がり、音楽に合わせてみんなで思い思いに踊った。楽しい時間はあっという間に過ぎていった。




 0時も近くなったので解散した。落ち着いた夜へと移り変わった。


 おれたちの寝間は、航海用具や対海賊用の武器が置いてある場所の一画だ。そばに簡易厩舎がある。姫とレイル島から連れてきた二頭の乗用馬を見守れてちょうどいい。ベッドはないので船の備品の毛布を床に敷いて眠りに就くことになる。


 自身の寝床を作る前に、ハヤテはユリアの荷物からブランケットを取り出して姫の背に被せた。人間に戻ったときに裸を隠すためだ。生まれたままの姿は、特に女の子は抵抗があるからな。


 おれは適当に配置した毛布を整えつつハヤテの後ろ姿に話しかける。「楽しい夜だったな」


「まあな」


「甲板長もいってくれてたな」おれは喉元に力を込める。「兄ちゃんたち、楽しかったぜ」甲板長のダミ声を真似た。


 ふっと息を吐く音が聞こえた。


「あっ。今お前もしかして笑った? 兄ちゃん、おもしろかったか」


 ハヤテの顔を見ようと肩に手をかけたら振り向きざまにひょいとかつがれてしまった。そして毛布の上にどさりと落とされた。


「鬱陶しい野郎だな。早く寝やがれ」


 しつこくやると本気で怒るからやめておこう。


 ハヤテも寝床をこしらえて横になった。


「なあハヤテ。セスヴィナ領も天人族に戻してもらうのかな」


「さあな」


 簡潔な返事だった。


「どっちだっていいだろ。俺たちには関係ねえ」


「まあ、そうだけどさ」


 十秒くらい経ってすうすうと深い息が聞こえてきた。


「ハヤテ。寝たのか」


 返事がない。寝てる。相変わらず寝つきのいい奴だ。今日は朝から忙しかったから疲れたってのもあるかもしれないな。


 さて、そろそろ日付が変わる。化体族にとっては、変わるのは日付だけではない。おれはもうすぐ、女の体だ。

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