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65(最終話):0《ゼロ》

- 65(最終話) -



「ああー? ふざけてんのかリャム。お前また福耳団の活動そっちのけで遊びに出かけようってのか」


 低い鼻声が部屋に響く。福耳団の本部の総裁の部屋にはおよそ十人の人間が集っている。皆、お決まりの黒いマントを着用している。


「こいつの見送りをするだけですけえ、総裁」リャムはマントを軽く払っておれの肩に手を置いた。「半日で戻ってきますき」


 福耳団の最高権力者である総裁は机に足をどっかと乗せて椅子に座っている。「まったく。やっと帰ってきたと思ったら今度は奉仕活動の真似事か? 飯とベッドをタダでくれてやった上にお見送り付きたあ、とんだ上客だなそいつは」


「すみません。お世話になりました」


 ふん、と総裁は不機嫌顔を横に向けておれを見ない。金色の指輪をはめた指で大きな耳たぶを触っているのは、いらいらを少しでも落ち着かせるためか。


「まあまあ。利益にならない活動もそれはそれで得るものはありますけえ」


「知るか。お前のむだな面倒見のよさにはげんなりだ」


「むだな面倒見のよさで神に会ってきた男です。同郷の欲目かもしれませんが、リャムは大物かもしれません」部屋の端に立っている男――ふだんはリャムと同じ方言を話す総髪の男――が、いった。


「さすがソドキ。うらのよき理解者じゃ」


「調子に乗るな。我が福耳団の威厳を忘れるな。関係ねえお遊びは今回のみだ。下がれ」


「ということは、こいつの見送りに出かけても?」


「さっさと済ましてきやがれ」


「さっすが総裁。了解しましたあ」


 部屋から出る前に総裁がリャムを呼び止めた。


「そういえばな。お前が連れてきた芸人。龍獣の声真似の男と、役者の女。ようやく今度ショーをする場所が決まった。特に男の声帯模写は早くも待ち望んでる客がけっこういるらしい。あいつらで稼がせるぞ」


 ミュズチャ領の山中で偽龍獣と偽神女の騒ぎを起こしたあの二人のことだ。


「おお。それはいい話ですけえ」


 おれは自分しかわからない程度に顎を引いた。ここでも変化が生まれている。いったんは悪事に手を染めるも、今は新しい方向を見据えて歩んでいる。


 おれもこれから、新たな道を歩く。


 総裁の部屋を出、宿泊させてもらっていた部屋で荷物をまとめ、外に出た。集落を見渡せる丘に心地いい風が吹いている。空は青く、いい天気だ。


「まずはどこにいくんじゃ」リャムが赤いはちまきを手の腹でぐいっと上げながら訊いてきた。


「決めてない。いきたいところはたくさんあるんだ。気の向くままに旅をするよ。――なんせ世界はまだまだ広いらしい」


「世界は東大陸と西大陸を合わせた広さよりも五十倍広いっちゅう、昨晩いってたあれか。本当なんかいな。うらは実際に東大陸も見てきたが、そりゃもう十分に広かったけえ」


 福耳団本部の建物から人が出てきた。さっき総裁の部屋にいたソドキという名の総髪の男性だ。


「もう出発するんかいね」


「はい。お世話になりました」


 ソドキさんは自身の頬に手をあてた。「気に障ったら申しわけない。あんさんの耳、ずいぶんと尖っとるの」


 伸びっ放しだった髪を昨日切った。耳の上部まで見える短さになった。


「父親譲りなもので」おれは答えた。


「あんさん。名前は、なんだったかね」


「――エディルです」


「あん? そうだったかえ?」リャムが怪訝な顔を向けてきた。「お前、ハヤトだかなんだかと名乗ってなかったかえ」


「ああ、それはつい、以前の名前が出てしまったんだ」


「以前の名前。案外お前にも複雑な事情がありそうじゃの」


 おれは口を開けずに息だけで笑った。


「あんさん、故郷は?」


「生まれは、ロキサーヌ領です」


「ロキサーヌ……」


「なんじゃ、ソドキ。狐につままれたような顔して」


「いや。ちょいと思うところがあったんじゃ。というのは、つい先日、酒場で見知らぬ奴らと話すことがあっての。なんでそんな話になったのかは自分でもわからんが、耳が尖ってることについての話で盛り上がったんじゃ」


「ほう」


「その場にはロキサーヌ領出身の奴もいての、ロキサーヌ領周辺には神族に関する伝説があることを聞いた。神族が人間になったという伝説じゃ。今でもその子孫がいると信じられとる。その子孫が耳が尖ってるって話なんじゃ。なぜなら神族は耳が尖っていて、神族の中でも上の者になるほど耳が尖ってるといい伝えられとるらしい」


「たしかに王の耳は尖ってたけえ。というより頭部は虎じゃ」


 おれはすんと鼻から空気を吸った。


「その人間になった神族は剣に達者で、だからその子孫も剣の腕に優れているといわれとるらしいが」


 リャムがカカカと笑った。「ならばこいつはおあいにく様じゃ。なんせ世界を回る旅に出るっちゅうのに剣の一つも持ってなかったからの。うらの剣を一つ譲ってやったけえ」


「ああ、よく見ればそうじゃの」ソドキさんがおれの腰元の剣を見ていった。


「まあ伝説はしょせん伝説に過ぎんが、しかし神族の伝説と同じ特徴を持ってるとは、悪い気はせんじゃろ」リャムが口の端を上げていってきた。


 おれは一つ息を吸った。「自分は自分だ。どんな家系で生まれようと、どんな種族として生まれようと、おれはおれだ」


 リャムがしらけた顔をした。


「はは。こりゃあリャムとは人間がちがうようじゃの」


「うるさいけえ」


 ソドキ、と少し離れた場所から仲間を呼ぶ声がした。眼帯の男と褐色肌の男だった。


「今いくけえ」ソドキさんが彼らに返事を投げた。「時間を取ってすまなかった。気いつけていきんさい、エディル」


「どうも。皆さんもお元気で」


 福耳団の荷馬車に乗せてもらった。


 揺れながら流れる景色を、おれは、記憶の中にある景色と重ね合わせながら眺めた。


 荷馬車をおりたおれとリャムは、林道を歩きだした。


「ところで二日前に初めて会ったときから思ってたが、お前、たまーに変な口調になるのう」リャムが歩きながら唐突にいってきた。


 おれは少し笑けた。「このしゃべり方に慣れてないんだ」


「おかしな奴じゃの。でも通常のしゃべり方はうらの仲間に似とるけえ。ほれ、ゆうべ散々話した、レイル島のケイじゃ」


 おれは木漏れ日が漏れる木々を見上げた。


 ケイを真似てる。あいつは、太陽の日のハヤテと月の日のハヤテのあいだを取ったようなしゃべり方だから。


「ケイとユリア。化体族だったあの二人の仲間に加わって、三人で旅をしたのは、本当に本当に特別な経験になったけえ。一生の大事な思い出っちゅうやつかもしれんの」


 おれは微笑んだ。鳥の鳴き声が耳を抜ける。


 ――二日前、天王の遣いによって、下界、西大陸のハーメット領まで送り届けてもらった。空を飛んだわけではなく瞬間的に移動させてもらえたのだから、やっぱり神族のちからには驚かされる。おれは気持ち新たに出発したつもりが街でリャムに見つかってしまった。たちまち絡んできては打ち解けて福耳団の本部までの招待となった。総裁も言及していた、リャムの面倒見のよさ。すぐに人の中に入っていける、一つの才能だ。そうしておれは福耳団の宴会に参加し、寝泊まりさせてもらい、新たに旅に出る支度をしっかりとさせてもらうことができた。いろいろと、確認もできた。()()でなく、()()なことの確認、など。


 広く大きな道に出た。リャムとはここでお別れだ。


「お気をつけ……あ。なんでお前にかしこまらなきゃならないんじゃ」リャムは下げかけていた頭を上げた。「ま、大きな旅に出るんじゃ。気をつけるに越したことはないけえ」


 おれはうなずいた。「おれはまだ見ぬ大陸や島、生物が存在していると信じている。いつかそれらを見つけるのが、おれの役目だと、おれが一生を懸けてしたいことだと、思ってる」


「――これをやるけえ」リャムが額に巻いていた赤いはちまきを解いた。「開けばバンダナみたいにも使えるけえ。いずれにしてもその耳は隠したほうが無難じゃ。ロキサーヌ領あたりでは伝説の子孫だと騒がれるかもしれんし、逆にそういう耳は悪魔の耳だと腐す地域もあるけえ、面倒くさいじゃろ」


 おれは布を広げて頭に巻いた。赤いバンダナ、真紅のバンダナといってもいいそれは、おれの身を静かに引き締めた。リャムは強い笑顔を見せた。


「リャム。お前に会えて本当によかった」


「エディル。また遊びにきんさい」


「ああ。またな」


 春の柔かな風が吹く中、おれたちは握手をして別れた。


 おれは一人、新たな道を歩きだした。






 おれが、ハヤテが、自分の答えを神に伝えにいったあのとき――。


 球体のマナの下に仲間の三人が立っていた。リャムはすっと二人の後ろに下がり、深くうなずいた。


 ――あたし、人間になるかならないかなんて、今は重要に思ってない。重要なのはただ、お兄ちゃんが心から望む選択をしてほしいって、それだけ。血なんかつながってなくても、種族なんかちがってても、あたしにとってはいつだって大切な家族で、憧れのお兄ちゃんだから――


 ――ハヤテ。お前がどんな選択をしようと、おれは絶対にその意志を尊重する。当たり前すぎてわざわざ口に出していうことでもないけど伝えておくぜ。何が起きても、どんな未来になっても、おれたちはずっと親友だ――


 彼らを見て微笑んだ。そんな言葉をもらえて、そんな気持ちをくれる大切な人たちに出会えて、心から感謝している。レイル島で育って本当によかった。


 神に向かってこう願った。


 化体族を人間に戻してほしい。そして、化体族が解放されるよう、人々からハヤテに関する記憶を消し去ってほしい、と。


 かくして、この存在は0に戻された。






(完)

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