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6-3:遠征出発

「そろそろ出るぞー。忘れ物や心残りはないかー」マルコスのオヤジがそばにきて尋ねた。


「いつでも出航してかまわないぜ」おれはいう。


「準備万端です」ケイが答える。


 姫がいなないた。群衆の中から「おっ、いよいよか」というどっかのおっさんの声がすると、島民たちがよりいっそうざわめいた。


 親父もお袋も負けじと鳴き声を上げている。「気をつけて」とか「がんばってこい」とか声援を送ってるっぽいな。


 最前列のど真ん中で船を静観しているババアとその隣に立つムゲンの兄貴は周囲とは対照的に貝にでもなったみたいに口を閉じている。二人はすでにいうべきことはいい尽くしたんだろう。特にババアはさっきまでとうとうと言葉を連ねていたから舌を休ませてるくらいでちょうどいい。







 港へ移動してくる前に役所の一室で出発式が開かれた。五年前に勉強会とやらで入ったことのあった部屋だった。


 式に参加したのは三十人ほど。領長であるババア、ムゲンの兄貴、レイル島でなんらかの地位に就いてる奴らと役所の事務員たち。そしてもちろん俺、ケイ、姫。


 俺たち三人は横一列に並ばされた。正面にはババア、その数歩後ろに兄貴はじめ残りの参加者たちが立ち並ぶ形で式が始まった。神への懺悔そして祈りをし、いくつかの形式的な手順を経て、ババアが語りだした。


 ――長年待ちつづけていた日をついに迎えた――


 自分が三十歳若ければ一緒にいきたかった、などの取るに足らない話をした後でババアは核心に触れた。


 ――よいか。遠征の経路の最終確認をする。マルコスの船によって西大陸のカルターポ港に到着した後は、馬で南下し、セスヴィナ領を目指すのだ。セスヴィナ領でなすべきことは二つ。一つは鳥人族との仲立ちの依頼。もう一つは東大陸へとつづく橋を渡らせてもらうこと。セスヴィナ領の長にはわしが一筆したためた。この文を渡せば話は早いだろう――


 ババアから手渡された封書を俺はベルトポーチの中にしまった。


 ――東大陸へ抜けたら、大公の御殿を訪れよ。王との面会の許可を記した書状を大公から頂戴するのだ。すでに入手済みの西大陸の大公の書状と二巻そろえて初めて効力を発する。どちらの書状もなくさんようにな。ムゲン、それでは先日おぬしが体を張って持ち帰った西大陸の大公の書状をハヤテへ授けるのだ――


 兄貴が俺の前まで歩いてきて、紋章入りの巻物を差し出した。俺は受け取り、同じくベルトポーチに納めた。兄貴が元の位置に戻ったところでババアが再開した。


 ――その書状と東大陸の大公の書状をそろえたらば、鳥人族に王宮へ連れていってもらうのだ。双子である天王と地王、どちらを訪れてもかまわんが、空から向かうのだから天王に会いにいくほうが早道かもしれぬな。天王の認可を経て晴れて神との謁見となる。後は神に思いの丈をぶつけるのみ。化体族は百年のあいだ真摯に懺悔しつづけてきたと。人間への回帰を望んでいると。余すことなく神に伝えるのだ。そして我々は人間にかえる。こういう寸法だ――


 ババアは俺、ケイ、姫を順に瞥見してからいった。


 ――神に我々の思いを言上する役目はケイに任ずる――


 ――えっ。おれですか!?――


 ケイは驚きを隠せずにデカい声で聞き直した。


 ――この兄妹ときたら神に対しても不躾な物いいをしそうだからの。おぬしは目上の者への態度ができておるし、父譲りの読書家なだけあってなかなか弁が立つ。適役ではないか――


 ケイは勢いよく頭を横に振った。


 ――月ハヤテならおれ以上に丁寧で礼儀正しいじゃないですか。太陽ハヤテのような押しの強さはないけれど、それでもやるべきときはしっかりやる男です。おれなんかよりハヤテがふさわしいですよ――


 ――神との対面が月の日となるかはわからんではないか。まさか太陽の日に当たりそうだったら一日待つというのか――


 ――いや、そのときは太陽ハヤテが……。さすがに神の前では礼節をわきまえるよなあ――


 語尾を上げて俺の同調を求めた。


 ――神がえらぶってたり生意気だったりしたら食ってかかってやる――


 横からケイが


 ――おい――


と、肘で突いてきた。ババアの後ろではムゲンの兄貴がうつむいて肩を小刻みに揺らしていた。笑いをこらえていた。


 ――ケイ。嫌なのか――


 ババアは眉間の縦皺を深くして訊いた。


 ――嫌ではないんですけど、おれだとしっくりこないんじゃないかなって。ハヤテのほうが発言力があるだろうし――


 ――卑下するでない。レイル島で生まれ育った生粋の化体族が心の内をひた向きに吐露すれば、必ずやその意念は神に伝わる――


 はあ、とケイは返事と取れるような取れないような曖昧な息を吐いた。気持ちの問題ならそれこそだれでもいいじゃねえか、とでも思ったんだろう。俺がそう感じたように。


 ――そもそも今の段階で決めておく必要があんのかよ。そんなもん流れにまかせりゃいいじゃねえか――


 ババアはそう指摘されるのをあらかじめ想定していたのか、俺がいい終わった直後にすらりと口を開いた。


 ――最終的にはその場の状況に応じて臨機応変に対応してくれればよい。わしがケイに役割を振ったのは、一つ重大な任を背負うことによって志気が高まると思ったからだ。自分がやるんだという気概と責任感を一人一人が常に持っていなければならない。ハヤテが主柱となって一路邁進するのはまちがいないが、ハヤテまかせにしていてはいかんということだ――


 ケイはいくぶんしおれた声で、つまりババアの煩わしい説教をきちんと咀嚼した上で、


 ――そうですね――


と、返した。


 ――追い込んでいるみたいで悪いが、レイル島民の百年の思いが三人の肩にかかっているのだ。遠征を成功させるには、ケイ、おぬしが鍵になるとわしは思っておる。こんな話を聞いたことがあるかの。人は心にそれぞれ水瓶を持っていてな。瓶の大きさは一人一人ちがう。瓶の中の水は何でできているか――勇気だ。水は生命のみなもとであり、水を蓄えている者ほど前へ進める。おぬしの水は不足してはいないか。瓶が縮んでしまってはいないか。ケイ、おぬしがもっと器を大きく広げ、たっぷりの勇気で満たしてやれば、より前へ前へと進むことができるのだ。より遠征が成功に近づくということだ。そういった意味で、まだまだ水瓶を大きくできるケイが鍵になるとわしは信じている――


 水だの瓶だのめんどくせえ話だった。


 少しの沈黙ののち、ケイがうやうやしく


 ――はい――


と、返事をした。


 ――神への言上の役目、おれがやります。やらせてもらいます――


 迷いのない声で答えていた。すっかり乗せられてんじゃねえか。バカに素直な奴だ。


 ――よろしい。よくぞいってくれた――


 ケイを説き伏せたババアはしたり顔になっていた。


 ――ある者はこの遠征を冒険と換言する。冒険は危険が伴うもの。何が起こるかわからないのが冒険であり、その点ではたしかに遠征は冒険である。西大陸はこの島とはちがう。我々には馴染みのない生活様式や決まり事、不文律が存在し、様々な人間が雑居している。そのような中で問題や困難が生じるのは当たり前のことなのだ。大事なのは不測の事態に陥った際にどう対処するかだ。譲れる部分は譲り、譲れない部分は譲らなくてけっこう。そういった見極めは経験が物をいう。おぬしらは若い。ときに惑うこともあるかもしれん。だが、三人で力を合わせれば必ずや乗り越えられる。仲間を信じ、助け合い、進んでゆけ――


 ケイが大きく首を上下させた。ババアの後方で話を聞いていた参会者の何人かもうなずいていた。


 ――最後に。改めておぬしらの決意のほどを聞かせてくれぬか――


 姫がその場で足踏みをし、鼻息をより荒くした。


 ――おぬしの意気込みは十分にわかっておる――


 大人たちから笑いが漏れた。


 ――ケイ――


 ――はい。島のみんなのためにも精一杯がんばってきます――


 ――みんなのためか。ケイ自身はどうなのだ。人間になりたいのか――


 ――もちろんです。おれは完全な男になりたいです――


 ケイは昔は人間に戻っても戻らなくてもどっちでもかまわないみたいなところがあったが、二、三年ぐらい前から明確な意志を持つようになった。日に日にその思いが強くなっているように見える。


 ――ふむ。ときにだれかのために動くのが有効な場合もあるが、この遠征に関しては自分自身が強く望むことが最大の原動力となるだろう。完全な男になりたい。いい心意気だ――


 ここぞとばかりに大人たちが手を叩いた。まあそれが参加者の役割ってもんだからな。黙ってババアの話を聞いてるだけじゃ退屈だろうし。


 ――ハヤテはどうだ――


 ――別に意気込むことなんてねえよ――


 ――それは、遠征は成功して当然という自信があるからか――


 ――でなきゃなんのためにいくんだ――


 ババアはうなずいた。


 ――ハヤテには揺るぎない未来が見えているのだな。心強い限りよ――


 再度拍手が起こった。


 おれは拍手が鳴り止んだ隙を突いて


 ――ババアに質問がある――


といって出た。


 ババアは柄にもなく緊張あるいは動揺といった心の動きを、簡単にいえばびびりを、顔ににじませた。意思疎通の一要素として自発的にそれに似た表情を「作る」ことはあったとしても、他人の言動によって反射的に「作らされる」のは、ババアにしては珍しいことだった。


 ――なんだ――


 歓迎とは異なる種の声音だった。俺の胸中を探るように目つきが陰気なものに変わった。やはり何かにひるんでいるようだが俺には関係のないこと。俺はただ質問するのみ。


 ――なぜそこまで熱が入ってるんだ――


 ババアは陰りの差した目の玉を横に滑らせた。二秒ほどして戻ってきた。


 ――それは、人間になりたいと願うわけ、を訊いているのか――


 ――それでもいい――


 室内がしんと静まり返った。ほかの奴らも興味を持っているのが感じ取れる。


 ――わしはレイル島の長として――


 ――ババア個人としてだ――


 ババアは途中まで出ていた意見をいったん捨てるかのようにふっと息を吐いた。そして、答えた。


 ――そうだな。結論を先に述べれば、我々は元々人間だったからだ――


 結論を先に、といったとおり、詳細が後につづいた。


 ――わしの祖父は人間から化体族に転化した日を体験している世代でな、十六歳までエデンレイル領に住んでいた。祖父から故郷の話をたくさん聞いた。あの激動の時代を生きたすべての島民がそうであったように、祖父は遠き故郷に思いを馳せていたが、二度とその懐かしい地を踏めはしなかった。祖父の無念を間近で感じたわしは、人間として再びエデンレイル領に帰還すると決意した。祖父のためと聞こえるかもしれんが、そうしなければ気が済まない時点でもはやわし個人の願望になっているといえよう。わしは一度も訪ねたことがないエデンレイル領が恋しい。自我が確立するほどに己の本来の故郷に執心するのを実感している。これは人の性なのかもしれぬ。だから、人間への回帰を望む理由を問われれば、我々は元々人間だったのだからと、最終的にはその答えに尽きる――


 姫が顔をこっちのほうへ動かした。それがきっかけとなったかは知らねえが、ババアは付け加えた。


 ――誤解せんようにな。化体族として生まれ育ったわしには化体族としての矜持(きょうじ)がある。レイル島に愛着を持っている。それらを永久に保持したく、だからこそ、我々は本来あるべき姿にかえらねばならん――


 化体族の誇りを持ちつづけるために化体族を捨てるのか。矛盾しているようだがいわんとすることはわかる。つまりは心の余裕だ。人間になってしまえばすべてを受け入れる余裕が生まれる。過去から今日までの歴史を含めた、化体族にまつわるすべてを。


 ――納得したかハヤテよ――


 ――ああ――


 ――ほかに訊きたいことはあるか――


 ――ない――


 ババアの顔がゆるんだ。


 ――おぬしら勇敢な若者を授けてくれた神に感謝せねばならん――


 一祈りして解散となった。


 ――これにて出発式を終了する。さあ、島民たちの待つ港へと移動しよう――







 船が動きだした。群衆がいっそう騒がしくなる。


「ハヤテ、ケイ、ユリアよ」むだに声が通るのはババアだ。「レイル島から無事と成功を祈っておる。おぬしらに神のご加護があらんことを」


「がんばってきなよー!」


 ケイの母親が豚の姿のお袋に寄り添いながら手を振っている。その隣でケイの父親が猫の姿の親父を抱いて前足を横に振っていた。


 神のゆるしを得た場合、化体族は人間に戻る。化体は封印され、本体でその後の人生を過ごすことになる。ババアの姿も親父とお袋の動物の姿も今日で見納めだ。間もなくレイル島民全員が「もう一つ」の姿を失う。あのじいさん以外はな、と高台に目を向けたが獣医はすでにいなくなっていた。


「みんなありがとう。いってきます」ケイが両手を高く挙げて挨拶した。


 大歓声の中、マルコスのオヤジの船はゆっくりと陸を離れていく。ルイや島のガキどもが小走りで船を追いかける。皆が舞い上がっているからシケた雰囲気を醸し出していると目立つ。まるで白服の血痕みたいに。ムゲンの兄貴がそうだ。


 兄貴は最後まで押し黙ったままだった。表情も冴えない。何を憂いてんだ。俺たちなら心配はいらない。遠征は必ず成功する。神が俺のことを「やがてレイル島の民を救う」といっていたんだ。それはもう、遠征の成功を示唆しているようなもんだろ。レイル島は救われる。レイル島は島民が百年のあいだずっと望んできた未来を手に入れる。そう決まってんだ。


 不確定なことは、遠征を終えたら俺はどうなっているのか、それだけだ。


 俺とヤツ。片方が消えて片方が残るが、どちら側の立場になるのかは不明だ。


 恐れたりはしていない。俺もヤツも、己が消えてしまう怖さなんてない。それよりも一体どっちが本体なのか。本来の「ハヤテ」とはどういう男なのか。知りたい。確かめずにはいられない。


 だから俺は、必ずや神のもとへ辿り着き、人間になってみせる。

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