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64-3:面影

 あくびが出た。こがね色に染まった空に腕を伸ばす。頭の後ろで手を組んで道を歩く。


 さっきまでぐっすり寝ていた。ふだんならこんな時間まで寝てようものなら母さんに怒られるけど、今日は「ケイ、特別だ」って笑ってた。


 おれは道端の石ころを蹴った。夕日の光を吸収した自分の手を見る。節くれだった男の手。もう柔かさを帯びた女の体にならない。本当に、おれたちレイル島の民は化体族ではなくなったんだ。もう半人種じゃないんだ。人間に生まれ変わったんだ。


 昨晩の宴会は明け方までつづいた。0時の瞬間は役所の広場で大勢で迎えた。だれも動物に変わらなかった。だれも異性に変わらなかった。それを皆で確認して、泣いて、喜びにひたって、おれはそんな皆の様子をかつぎ上げられた高い台の上から見ていた。


 おれはお開きになるまで宴会に参加していた。もう一人の主役のユリアはいつの間にか家に帰っていた。おれは寝て起きたらユリアを訪ねようと決めた。


 というのも、天王の宮殿を後にしてから別々に鳥人族に運んでもらって、島に到着した後は宴会だなんだでそれぞれ取り囲まれて、ユリアとはほとんど会話できてない。これまで遠征をともにしてきて、積もる話もある。ユリアと会ってゆっくり話をしたい。ユリアの家まで向かう。


 近所のおじさんに会った。ユリアを海辺で見かけたと教えてくれた。おれはおじさんが教えてくれた場所に向かった。


 ユリアの後ろ姿を発見した。海辺に一人立って海を眺めている。金色の光がユリアに落ちている。


 おれの全身の皮膚がざわざわと騒ぐようだった。こんな情景を前に見たことがある。胸が高鳴る。おれは潮風を飲み込んだ。


 ユリアが振り返った。一つに結わえている赤い髪がなびいた。ユリアの力のある目がおれを捕らえた。


「あれ?」


 波打ち際がザザッといった。


 今でもはっきり覚えてる。数年前におれが初めてユリアを一人の女性として意識した、あの日あのときのことを。あのときもこんなこがね色に染まった夕暮れの海で、今のような感じでユリアが振り向いたんだ。あのときをありありと想起させる、ほぼ同じ、本当にそっくりな状況だ。


 でも、何かがちがう。


 いや、ちがうというより……。なんだろう。なんていえばいいんだろう。わからないけど、ちがう。


 ――おれがユリアに恋をした瞬間、ユリアが美しいと感じた瞬間に、もう一つの存在がそこにあったはずなんだ。だれかの面影と重ねていたんだ。だれだったのか。


 ついさっき「あれ?」と自分が発した瞬間にその面影の断片を垣間見たような気がしたが、流星のごとく散っていってしまった。まるでおれから逃げるかのようだった。もはやその断片に形や色があったのかさえ思い出せない。


「ケイ」


 どきりとした。ユリアの声が神妙だ。夕日に染まった肌の色がまた重い雰囲気を作るかのようだ。


「ノエルさんて、どうして亡くなったんだっけ」


「ノエル?」


 ちょっと力が抜ける心地だった。神妙な様子で開口一番に何をいうのかと思ったら。なんでいきなりセスヴィナ領のノエルの話題なんだ。ま、いいけど。


「好きでもない相手と無理やり結婚させられそうになって、族長へ反抗の意を示すためだろ」


「そうよね……」ユリアは顎に手をあてて少し沈黙した。「気の毒だった。でも、あたし、ノエルさんに憎い……ような気持ちがあった気がする。ノエルさんのおかげで鳥人族の力を借りることができたってのに。なんでなんだろ」


「性格が合わなかったのか?」


「そういうのじゃない」


「どちらかといえばノエルって、家出したり母親に楯突いたり、お前と気が合いそうだったもんな」


「……好き嫌いの単純な話じゃなくて、もっと深い何かがあったと思う」


「深い何かっていわれてもなあ。お前、ノエルと深く関わってなかっただろ」


「そうよ。話したのだって少しだけよ。だからわからないのよ」


 わざわざおれに訊くってことは本当にわからないんだろうし気になってるんだろう。


 憎いって、ノエルの何にだ? ノエルは容姿も家柄も申し分ないお嬢様。それを気に食わないと思う人もいるかもしれないけれど、ユリアは美しさや富に嫉妬する奴じゃない。当人同士の性格が合わないってわけじゃないなら、しかも深いってんなら、一般的に恋愛のいざこざなんかが浮かぶけど、ま、その線はないよな。おれとリャムは別にノエルと必要以上に親しくしてない。第一ユリアがおれやリャムに嫉妬みたいな感情を抱くはずがない。でもほかに男の影なんて――――。


 あれ?


 ……まただ。


 また、何かが見えかけてするりと消えた。


 夢ならこういった忘却はしょっちゅうある。けど、夢ではない。こんなに引っかかりを感じることって前はなかったのに、なんで突然。


「頭で考えたってわからない」ユリアが独り言のようにいった。


 ユリア。なんで今さらノエルに関して疑問に思ったんだろう。そりゃ遠征中は遠征に集中してて余計なことを考える暇がなかったといえばそれまでではあるが。急にノエルの話題。ノエル、か。


 寄せる波は毎度音を変える。優しく岸に放たれたかと思えばぴしゃりと吐かれるときもある。


「ケイ。話は変わるんだけど」


「なんだ?」


「返事を」


「ん?」


「あんたの告白への返事をする」


「えっ!」おれは咳き込んでしまった。「なんだよ。急に話が変わったな」


 うわっ。咳の直後だからちょっと変な声になった。動揺してるみたいになった。たしかに動揺はしてる。かっこ悪い。


「答えなくちゃいけないと思って」ユリアは落ち着いている。


「……うん」おれは背筋を伸ばした。「そっ、か」


 急に、きたな。心の準備ができてなかった。おれ、なんで一丁前にドキドキしちゃってるんだろ。落ち着け。ユリアはおれを男として見てない。


 こがねの空と光り輝く海とがこれ以上ないくらいに幻想的な雰囲気だ。――期待するな。


「あたし一人っ子で、あんたのことお姉ちゃんのように見てきたから……男の人として考えたことなかった」


 あ、やっぱり。


「はは……。だよな」


 わかってたさ。でも胸にこたえるよな。


「だから、これから考える」


 作り笑いをしていたおれは真顔になった。かゆくもないのに後頭部を掻いてた手を下ろした。


 ユリアの言葉を頭の中で繰り返す。ええと。えっと。これって。希望は0じゃないってこと、だよな。これからおれを男として見て、考えてくれるって。


「だって、もうあんたはあたしの前では男の姿なんだし」


「そう……だな。そうだよな」


「そうよ」


 おれは踊ってしまいそうになる自分を抑えた。「ありがとう」


 ありがとう、ユリア。十分だ。今のおれには十分すぎる答えだ。


「待ってる。おれ、もっと自分に自信を持って、強くなって、かっこいい男になってみせる」


 ユリアはおれを真っすぐに見ている。ふっとおれは動きが止まった。あまりにも真っすぐに見られておれは逆に照れなかった。吸い込まれるようにしてユリアと真正面に向かい合う。


 精悍な目、凛としたたたずまい。波の音に包まれてユリアしか見えなくなる。


 おれは顔を近づけた。ユリアはよけなかった。


 唇が重なった。唇が離れた。


 そっとユリアを抱きしめた。


 ――やっぱり、そうだ。確信した。さっきユリアの振り向きざまに感じた断片、流星のように消えた断片は、たとえばたまたま別の記憶が入ってきたとか何かの勘ちがいだったとかでは、やっぱりない。おれが感じた断片は、そこにあるのが正解で、ユリアの精神やたたずまいに深く影響を落としているものなんだ。


 おれはユリアにだれの面影を投影させていたんだろう。それはなんだか、胸の中でずっと憧れていたような、理想と現実のはざまにあるような尊い存在、だったような気がするんだ。初恋相手のミミではない。ミミよりも、もっと近くにいた人のような感じがするが、だったらなぜ、こんなに()()


「ケイ」ユリアが静かにおれの名前を呼んだ。「あんたも感じてんの」


「……ユリアもか」


「欠けてる感じがするの」ユリアのしゃべる振動がおれの肩に伝わる。


「うん……」

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