64-1:帰還
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「ケイ!」
地上から多くの島民の歓声がこの耳に届く。一番大きく響いてるのは母さんの声だ。
シロハゴロモの白い花が見える。帰ってきた。青空を飛びながら、故郷の風景を眺め、皆の喜んでいる声を聞く。これ以上に爽快で胸が晴れやかになる状況って、きっとない。
島民たちは上を見上げて飛び跳ねたり大きく手を振ったりしている。なんていうか、えらそうだけど、皆いい表情だ。
島民たちの拍手が鳴り響く中、役所の広場の空いている一画に降り立った。
「ありがとうございました」
シトヘウムスさんはおれの礼を受けて静かにうなずいた。天王の宮殿からここレイル島まで送ってくれる役目を、鳥人族が買って出てくれた。
「今日は月の日だけどっ、このとおり、島のみーんな本体だっ。あんたたちがやらかしたんだね!?」母さんが興奮状態でいってきた。
今日はおれは女になる日。でも、今おれは男の姿。本来の姿になっている。おれだけでなく、島の皆、化体族の全員が今、本来の姿だ。すなわちそれはヒトの肉体であり、生まれたときの性別の肉体であることを意味する。そしておれたちはもう、ヒトといういい方でなく、人間といういい方で自分たちを表すことだってできる。
「化体族の百年の懺悔は神にゆるされた。おれたち化体族は、人間になったんだ」おれは声高らかに告げた。
広場に寄り集まっているたくさんの島民が大歓声を上げた。抱き合う人もいれば、笑いながら泣いている人もいる。
「はっはっは。ケイ。みやげは何かな」父さんが声をかけてきた。
「父さん。第一声がそれか。相変わらずだな」
人垣をかき分けて一人の女性が前に出てきた。
「ケイ……」
青白い顔をしている。サユリおばさん。相変わらず心配性だ。
「ちょっと遅れてます。すぐきますよ」
うちの息子だよー、とうちの母さんがはしゃいでいる。同じ母親でも性格がまるでちがう。
あっ、とだれかが叫んだ。皆が空を見上げた。当人のお出ましだ。
「ユリア!」
鳥人族のチコリナットと手をつないだユリアがこっちに向かって飛翔してくる。皆がユリアの名を叫ぶ。
おれの近くにユリアと白き鳥人族が着地した。サユリおばさんが真っ先に走ってユリアを抱きしめた。
「ユリア。無事でよかった、本当に」
ユリアの父親のハルキおじさんも駆け寄った。「ユリア。お帰り」
「ただいま」ユリアが両親と皆に向けていった。
歓声と拍手が止まない。
おれたちをレイル島まで運んでくれたシトヘウムスさんとチコリナットに感謝を伝える。「鳥人族の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました」
彼らは一礼し、そのまま黙して語らず空へと飛び立っていった。人間となったおれたちとはこの先深く関わることはないのだろう。寂しさはあるけれど、受け入れなければならない自然のあり方だ。おれたちは変わった。だからおれたちのまわりにも変化が生じる。当然のことだ。
「領長。ケイとユリア、任務を果たして無事に戻りました」
広場の中心で一人喜びを噛みしめるようにたたずんでいたレイル島の領長、オキノ。これまで化体族を人間にするために徹底的に統制と政務をおこなってきた。化体の女性のときも、そしてこの本体の男性のときも、いつも険しさを帯びていたようなその顔が今、少しばかり安堵の安らぎに包まれているように見える。
「ケイ、ユリア。十七と、十五の、若き精鋭よ。よくぞ偉業を成し遂げてくれた。よくぞ、我々と祖先の百年の大望を実現してくれた。お前たち二人の勇気と活躍は、ここレイル島に、かつてない喜びと希望をもたらしている。誠に大儀であった」
まわりの島民たちから拍手が起こった。
ありがたい言葉だけど、二人といわれたことに違和感がある。二人だけでは当然ながら遠征をやり遂げることはできなかった。――あいつはもちろんのこと、あいつ以外にも、行動をともにしたり協力してくれたり、そんな人や動物がたくさんいたのだから。
神のゆるしを自分のことのように喜んでくれた、おれたちの仲間、リャム。あいつとは天王の宮殿の庭にて別れた。リャムは天王の遣いによって特別にハーメット領付近まで送ってもらえることになった。今頃は福耳団の根城に帰って仲間たちに武勇伝を語っている頃かな。リャムとはまたの再会を誓った。後で会いにいく。なんてったって、もうおれたちは、気兼ねなく西大陸にいけるようになったのだから。
西大陸で再会したい人たちはほかにもいる。遠征の初めに西大陸まで船に乗せてくれたマルコスさんや船員さんたち。旅の途中で偽の龍獣と神女に悩まされていたミュズチャ領のベロック領長と、トンピーさん。東大陸への橋を渡ることを許可してくれたセスヴィナ領のカゼル族長、ノエルの女中をしていたマヤさん。ノエルの墓参りにもいこう。また会って感謝や現況を伝えたい人たちがいるのが、おれにとってうれしくもある。この遠征で多くの人間と心を通わせることができたのは大きな財産だ。
「神は、我々をゆるしてくだすった」領長が厳粛にいった。「今一度、神へ心からの祈りを捧げるのだ」
目を閉じ、手を合わせる。広場に静寂が広がった。
「さて。今晩は宴会を開催する! さあ、さっそく準備に取りかかるのだ!」
領長の宣言によってわあっと再び盛り上がる人の群れ。大人も子供も陽気に騒いで早くも宴会が始まったかのようだ。喜びと熱気があふれる。
おれとユリアは顔を合わせた。頬を少しだけゆるませ、互いに何度かうなずいた。シロハゴロモの白い花びらがおれたちのあいだに舞い落ちた。
日が暮れてますます宴会は盛り上がっていく。役所の広場のほうからも港のほうからも愉快な音が聞こえてくる。笛や太鼓の音、人々の歌声や笑い声。木陰に座って目を閉じ、皆が楽しくしている様子を耳で味わう。
やっと一息つくことができた。大勢の前で挨拶をさせられ、いろんな人から握手や会話を求められた。ひっきりなしに称賛の声を浴びせられた。慣れてないからちょっと疲れた。おれなんて遠征に出る前は決して注目されるような奴じゃなかった。遠征から帰ってきた今も、特に何かで目立つわけでもなく、持てはやされる存在なんかではないと、自分の中じゃそんな感覚だ。
草を踏みしめる音がした。足音が近づいてくる。一人になれる場所だと思ったのに、だれかきてしまった。
「ケイ、ここにいたのね」
「ようやく英雄と話ができるぞ」
「ミミ。ルイ」おれは立ち上がった。
同い年のミミとルイ。気心の知れた相手だ。昔から大人びていたミミと、ミミと一緒にいることで大人になったルイの夫婦。引っ張り出されたり酒を強要されたりする心配のない相手だからほっとした。
「休んでいたところ悪いな」ルイは赤ちゃんを抱っこしている。
「大丈夫だ。それより、生まれたんだな」
「ああ。女の子だ」
「おめでとう」おれは夫婦の顔を順番に見た。
「ありがとう。化体族として誕生した最後の子よ」
「あ。そうなるのか」
「この子の化体はなんと龍獣だったんだ。動物界の帝王。なのにすぐに人間になったのはちょっともったいなかった。なんてな」
「龍獣か」
なんだか龍獣とは縁があるな。遠征でもそうだった。おれたちの旅の仲間だった、龍獣のエデン。東大陸に渡るときに別れた。エデンは今も元気に大地を走り回ってるんだろうな。そして別口として、おれとユリアが東大陸で迷子になったときには野生の龍獣と対戦もした。今となっちゃ、まるで自分の身に起きたこととは思えないような、とんでもない出来事だったと思う。
「ケイは龍獣をやっつけたんだろ」
「え? 知ってるのか」
「さっきユリアから聞いたんだ」
「耳が早いな。……ユリアの口が早いのか」
「ケイ。いや、本当に見直した。正直にいえばケイはちょっと頼りないかなって思ってたんだ。体は大きくないし、体力や運動能力が特に優れてるわけでもなかったし。遠征の途中でへたばってしまうんじゃないかなって心配してたんだ。でも、感服したよ。ケイはすごい男だったんだな」
「正直にいいすぎだ」おれは苦笑した。
「ケイ、本当にありがとう。あたしたち島民はあなたとユリアを誇りに思うわ。きっと二人の名前は、この子の子供にも、その孫にも、ずっとずっと語り継がれるわ」
「二人だけの力じゃないけどな。でも」おれはだれもいない方向に視線を向けて頬をかいた。「ミミにそういわれると照れるな。ミミは、おれの初恋の人だったから」
「あら」
照れ隠しとはいえこんな台詞を本人の前でさらりといえる日がくるとはな。島民たちにおだてられて気が大きくなってるのかもしれない。
「ケイはずっとユリア一筋だと思ってたわ」
「えっ!」予想外の返しにおれの声が上ずってしまった。
「えっ? そうなの?」ルイがミミとおれを交互に見た。
「あっ……」おれはばか正直な反応をしたことを後悔した。
「ははは。なーんだ、そうなのか。前から二人は仲がよかったもんな。いや、今ケイはこの島で一番かっこいい男だ。なんてったって龍獣をやっつけてしまった強きたくましき男だ。何も心配せず好きだと告げるんだ、ケイ」
「ルイ。相変わらず暑苦しい奴だな」
赤ちゃんがきゃっきゃっと声を上げた。ルイが満面の笑みで娘に顔を近づける。
「ケイに直接お礼を伝えたかったの。今度また、ゆっくり旅の話を聞かせてね」
小さい娘をあやしながらミミたちは去っていった。赤ちゃんの可愛さに頬がゆるみながらも、おれはゆがむ下唇をきゅっと噛んだ。
好きだと告げるんだ、か。もう告げたよ。龍獣と戦って死にそうになってたときに告げた。そのときのことをユリアとのあいだで蒸し返すことはない。ユリアの中じゃなかったことになってるかもしれないな。それならそれで変に関係がこじれるよりはいいんだ。あいつがおれを男として見てないのは、前からわかっていたことだし。何より、おれにとっては、自分の気持ちを伝えられたことが大きな進化だったんだから。




