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61-1:裁き 【月の日/ケイ(女)】

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 なんていうことだ。


 空中に浮いている大きな球体〝マナ〟に、すべてが映し出された。ハヤテの出生の秘密、そして過去が。


 自分がまるで過去のその場にいたかのようにありありと情景が見えた。それだけでなく、まるで、自分が神にでもなったかのように、登場人物、といっていいのか、それぞれの人物の心情が、手に取るようにわかった。


「以上が、まぎれもない真実だ」天王が虎の顔の表情を変えずにいった。


 マナは何も映さなくなった。元の、泡のような水晶玉のような透明な球体に戻った。


「ひどいわ……」


 ユリア。声が震えている。どうにかその言葉だけを絞り出したという感じだ。


 リャムは口の前に手を添えて立っている。いつもふざけてて口数の多い奴だけど、今はさすがに、難しい顔をして何も発せられないでいる。


 もう一人のおれたちの仲間、ハヤテは、球体に過去の出来事が映し出されているあいだも、何も映らなくなった今も、ずっとおれたちに背を向けている。そういう位置に立っている。自分の顔を見せたくないし、おれたちの顔も見られない、そんなあいつの気持ちが痛いほどに伝わってくる。


「……ちょっと、知った情報を整理する時間が、ほしいけえ」リャムがいった。


「いいだろう」天王が応じた。


 知った情報。そうだ。おれも、整理しよう。


 ハヤテは、ロキサーヌ領で生まれた、人間だ。おれたちはハヤテの本当の母親と父親の両方の顔を見ることができた。どちらも見事に今のハヤテを彷彿とさせた。近衛兵団の団長である父親の尖った耳なんかは、まさにハヤテと同じ耳だった。単に姿形だけでなく全体から醸し出す雰囲気などもハヤテに似ているところがあった。ハヤテが彼らの子供であることは、おれからすれば、疑いようがない。


 ハヤテは生後間もなく、故郷で起きたいざこざからレイル島まで連れてこられた。神ノ峰の頂上に置かれているところをムゲンさんに見つけてもらった。健康な人間の男児ならば毎日同じ体で鍛えることができる。将来百年懺悔の遠征に出る有望な人材になれる――そんな希望を抱いたおれたちの領長によって、ハヤテはレイル島で育てられる運びとなった。ハヤテが人間であると知っていたのは、領長、ムゲンさん、ハヤテの新しい両親となったサユリおばさんとハルキおじさんの四人だけ。ほかの島民には絶対の秘密となった。島民皆が知っているハヤテの出生に関するあれこれ、たとえばサユリおばさんが妊娠してるあいだに神のお告げがあったとか、神ノ峰の頂上でハヤテを産んだとか、そういうのは全部嘘だったんだ。領長が皆を信じさせるために考え出した作り話だったんだ。


 化体しない特別な化体族として育てられ始めたハヤテはしかし、ほかの化体族を真似てか、一日ごとに性格を入れ替えるようになっていた。物心ついていたときにはそうなっていたのだから、もう本能レベルの反応といってもいいくらいのものだろう。


 そんなハヤテは五歳のときに西大陸のハーメット領に連れていかれた。催眠術よりも強力な術――妖精族の妖術だとおれは確信した――を生業にしてる人がいる場所に向かった。領長はハヤテに三つの術をかけさせた。


 一つ、化体族には欲情しないよう。


 一つ、一日ごとに性格を入れ替える癖をさらに強化させるよう。


 一つ、ハーメット領に出向いた記憶を忘れさせるよう。


 三つの依頼をし、そうしてハヤテにしっかりと術がかけられた。ハヤテが術をかけられた場所は、この遠征でおれたちが奇しくも通りかかった場所だ。あの通りを歩いたとき、外まで漂っていた香りを吸って、ハヤテは急に具合を悪くしていた。それもこれも、こんな過去があったからだったんだ。ときを経て、術をかけられたときの香の香りを再び鼻に入れたことによって、忘れていた記憶の一片、いや、おそらく一片未満のとてもぼんやりとしているけどそれでもとても強烈な感覚を、呼び起こされたんだろう。


 これはひどいことだ。ハヤテの心的外傷を作ったってことじゃないか。そればかりか、ハヤテの記憶や人格形成にまで、外から力を加えている。


 オキノ領長。おれたち化体族の長。ここまで情け容赦なくやる人だとは思わなかった。サユリおばさんのことだって何十年も地下牢に閉じ込めようとしていた。おばさんはハヤテの母親として選ばれたから半年後に外に出られたけど、もうずっと閉じ込められてる人たちもいた。レイル島に地下牢があるなんてまったく知らなかった。こんなふうに、知らないところで、力は働いているんだな。おれも、知らずしらずに、大きな何かに動かされているのかもしれない。こうやっておれが今こんな性格でこの天王の宮殿にいるのも、だれかがこうなるように仕組んだ結果なのかもしれない。そんなことを想像しただけでも薄気味悪いってのに、ハヤテは――。残酷にも、ハヤテは、ずっと夢見ていた場で、忌むべき()()を頭からがんと落とされたんだ。


 映し出された内容の最後のほうには、小さい頃のおれも出てきた。五歳頃に家の庭で図鑑を眺めてたらムゲンさんが父さんに会いにきたこと、あったかもしれない。取り立てて目立つ出来事じゃないから、「あのときのことか」みたいにピンとはこないけれど、でも、実際にあったことだってのは断言できる。それは、たとえば映し出されていた空の色、木々の形、草花の揺れ方、人の息遣い、鳥や虫の鳴き声、など、いつかどこかでこの身が覚えた感覚が、理屈じゃなく、現実だと教えてくれているんだ。元より真実でないものを見せられることはないと理解しているけど、天王がいったように、映し出されたことがまぎれもない真実であるのは、疑う余地はない。


 ハヤテ。こんな真実が待っていたなんて、おれはただただ、悲しい。おれはお前に、なんて声をかければいい。


 ハヤテは、レイル島で化体族として成長して、今、神のところまで遠征にやってきた。化体族を人間に戻すためだ。そうすれば本当の自分がわかると信じていたからだ。それを信じて、ここまでやってきたんだ。


 背を向けたまま立ち尽くしているハヤテ。おれも、ユリアも、リャムも、その背に声をかけられない。


〈百年の懺悔を終えし化体族よ〉


 神の声。マナと呼ばれる球体が再び輝いている。


 そうか。真実が明らかになった今、化体族に対する裁きのときが、きたってわけか……。


〈懺悔なるは赦免に値す。されど人間を化体族に育てし背理は看過するに(あた)わず〉


 化体族が百年のあいだおこなってきた懺悔自体は、ゆるされるに値するということか。けれど、人間を化体族として育てたこと――ハヤテに関すること――は、見過ごすことはできないと。


 不安や恐れなどではなく、ただ純粋な緊張が今ある。最終的に、神は、どんな判断を下すんだろう。


〈今ここに答えを示さん〉


 おれは光る球体を見つめる。


〈化体族に裁きをあたえるはハヤテにあり〉


 その神の言葉を聞いて、おれは思わず「あっ」と声を出していた。


 ほぼ同時にユリアがはっきりとは声になってない息を吐いた。


「ちゅうと、化体族が人間になれるかどうかは……」リャムが驚きを含んだ声でいった。


〈ハヤテのゆるしを得れば人間に。得ずば十七年後まで化体族のままに〉


 おれの口から大きな息が漏れた。ユリアもリャムも同じだった。


 空中に浮く大きな球体のマナ。ただの丸い形。ただの球形。恐ろしく尊い。


 十七年。ハヤテがレイル島で過ごした年数か。


 十七年。すでに老人の域に達しているおれたちの領長は、十七年後まで生きてるのか。大望を叶えられないまま命尽きてしまう可能性はある。でも、たとえそうだとしても。


「賛同します。ハヤテに裁きの権利があってしかるべきです」


 このまま化体族が人間になったところでおれは素直に喜べなかった。これ以上ないいい案を、神は示してくださった。


 十七年前にレイル島の大人たちがハヤテを保護したのは事実だ。おかげで小さな赤子の命は救われた。ムゲンさんはいつもハヤテを想っていたし、ハヤテの両親もハヤテに愛情を注ぎ、自分たちの子供として懸命にハヤテを育てた。それは島一番の権力者のオキノ領長の思いきった決断があってこそだった。しかし、別の面では、事実として、ハヤテは人間なのに化体族として育てられた。領長の意向によって、ハヤテの記憶や自己の認識が変わってしまうことになった。本当は人間なのに化体族として育てられたということは、人間としての個性を奪われたということでもあり、それはある意味、その分の人生を奪われたのと同じことなんじゃないだろうか。だから、その奪われたに等しい人生の分の清算を、ハヤテがしていいと思う。というより、すべきだ。


「あたしももちろん賛成だわ」


 おれはユリアと目を合わせた。互いにうなずいた。


〈時間をあたえん。ハヤテよ。己とじっくり対話をせよ〉


 ハヤテは皆に背を向けてじっと立ったままだ。無理もない。おれもハヤテの立場だったら、複雑すぎて何も反応できなくなってしまってただろう。


〈天王エミアス。手引きせよ〉


 神の気配が消えた。()()()()()()感覚は、肌でわかる。まるで空気の質がちがうように、ちがうから。


「すぐには決着はつかぬもの。ハヤテには時間が必要だ」


 天王の声と表情はとても落ち着いている。もっとも、天王が落ち着いていない状態なんて見たためしはない。


「そうですね」おれは同意した。


 天王の顔がおれに向いた。どきりとした。虎の顔は本能的に恐れを感じてしまう。


 その虎の顔は、真顔以外の表情をおれたちに見せない。まるで喜怒哀楽のような俗っぽい感情は持っていないかのようだ。いずれにせよ、こうやって俗っぽい感情が表に出ないところが、下界に生きる者たちとのちがいなのかもしれない。


 天王が口を動かす。「レイル島のオキノと交信できる状態にある」


 領長と? おれの中に緊張が走った。


「交信を望むか」


「望むわ。あたしが領長と話す」ユリアが一歩前に出た。


「では話すがよい」


 マナと呼ばれる球体に領長の姿が映し出された。

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