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59-3:内緒の旅

 三人は西大陸のハーメット領に着いた。三人とは、レイル島の領長のオキノ、ムゲン、そしてハヤテ。予定どおり翼竜を移動の手段にし西大陸に上陸した彼らは、現地人の案内により中心街までやってきた。にぎやかな大通りを歩く。


「兄貴。あのでっかいのはなんだ?」ハヤテは眼下のムゲンに尋ねた。


「競技場らしい」ハヤテを肩車しているムゲンが答えた。「人や動物が戦う場所だ」


「見てえ。見にいこうぜ」ハヤテは興奮している。


 レイル島では目にすることのない種類の建物が並んでいる。祭りの日かのようにたくさんの人が集まって活気づいている。島を初めて出た五歳の少年は気圧されるかもしれないとムゲンは思ったが、太陽の日のハヤテはそんな玉ではないことを改めて思い知らされた。


 ムゲンは自分の肩からぶら下がる二本の日焼けした脚を見た。すり傷の絶えない活発な子供の脚。愛おしみが湧く。


「今日は時間がないんだ。また今度いけたらいこう」


「今日はババアの知り合いのところにいくんだろ」


「そうだ」前を歩いていた領長のオキノが振り返った。


「ハヤテ。その呼び方はやめろと何度も」


「いいのだムゲン。このやんちゃな小坊主は何度注意しても聞かん」


 周囲よりも一段背が高い状態になっているハヤテはふんと鼻を鳴らした。太陽の日のハヤテと領長のオキノは遠慮がいらないという点では気が合っていた。領長をババアと呼ぶ島民などほかにはおらず、それがゆるされてしまうハヤテはやはり大物なのだと、島の皆に印象づけた。


「ハヤテ。よいか。ここにきたことは皆には内緒だ。特別な旅なのだからな」領長のオキノがレイル島を出る前にもいった台詞をまたいった。


「わかってる」


 なぜ特別なのかハヤテは問わない。物心がついたときから周囲に特別視されつづけているハヤテ自身、特別な存在であると自認している証である。


 ハヤテが自分で歩くというので肩からおろした。ムゲンは太い首を曲げて音を鳴らした。


 先頭を歩くオキノは地図を片手に歩を前に進めていく。その地図はどこで手に入れたのか、その準備のよさにムゲンは苦笑したくなった。


 目指すはハーメット領の中心街にある別世界通りと呼ばれる場所。そこでハヤテに術をかけてもらうことは、ハヤテ本人にはもちろん伝えていない。


「お兄さん。そこのたくましいお兄さん」


 ムゲンは露天商の男性に声をかけられた。


「いい剣を持ってるじゃないか。緑の宝石がいいな」


 ムゲンは腰元の剣に触れた。翼竜の眼と同じ色の翡翠の石が、象嵌されている剣。


「その剣もいいが、もっと上等な武器を持ちたいと思わないか。下取りしてやるからうちの品を見ていったらどうだい」


 ムゲンは首を振った。「いや、遠慮する。とても大事な剣だ。手放すつもりはない」


「ムゲン。先を急ぐぞ」オキノが促した。


 露天商の男性は「残念」といって肩をすくめた。そして別の通行人に話しかけ始めた。


「その剣はたしか、前に西()にきたときに買ったといっておったな」オキノは西大陸の隠語として西()といった。


「ええ。一目惚れしました……この剣に」


「なんだよ兄貴。何回もここにきてんのか」


「いや。この街にきたのは初めてだ。そもそも、西()に足をおろしたことがあるのはほんの数回だけだ」


「なんでこないんだ。兄貴なら一日置きにくることだってできるだろ」


 なんせ翼竜の体になって空を飛べるのだから――とは、レイル島以外の場でみだりに口にしてはいけないと、五歳の子供はわきまえている。


「うん」ムゲンは遠くを見つめた。


 きたいという気持ちはある。だが同時にきたくない思いもある。それを説明するのはとても難しかった。


「俺もいろいろとやることがあるんだ」


「ハヤテよ。どこそこかまわずほつき歩けるものではない。知らない地は危険なのだ。特に西()は――」


「なんだよおばさん。ここは全然危険な街じゃないぜ」知らない若者がいきなりオキノに話しかけてきた。


「ああいう不躾な輩がいるから用心せねばならぬのだ」若者から離れてオキノはいった。「だれが聞いているかわからない。会話は慎んだほうがよい」


 ムゲンはうなずいた。化体族だということを周囲に知られてはいけない。それが人間の領地を歩く際の礼儀作法でもある。西大陸ではいろいろと隠さなければならない。自分たちが化体族であるうちは、人間と心から通じ合うことは決してない――。そう思うにつけ、ムゲンは改めて人間になるための遠征の旅への志気が高まるのだった。そしてこんなふうに遠征の旅を見据えるときには、いつからか、十七歳になったハヤテの姿を隣に置く想定からは逃れられなくなっていた。




「この通りだ。まちがいない」オキノは地図と目の前に伸びる小路とを交互に見て断言した。


「ここが……」別世界通りか、と名前を出そうとしてムゲンはやめた。


 何度か迷い、何人かに道を聞いた末に、この小路にいき当たった。活気あふれる大通りとは打って変わってじめっとした暗さがある。並んでいる建物の様子も外にいる人の様子も、健全か不健全かでいったら不健全であると、ムゲンはそんな印象を持った。足を踏み入れるのには踏み入れようとするはっきりとした意思が必要である。


「変な場所だな」ハヤテがはきと感想を述べた。「ババア。だれに会いにいくんだ」


「先生だ。よい方向へと導いてくれる、腕のある先生と評判なのだ」オキノは小路へと入っていった。


 ムゲンとハヤテが後につづいた。看板や貼り紙から何の店なのかは知ることができる。占い、まじない、催眠術、神のお告げ……。目に見えぬ物を提供する店が並んでいる。


「占いか」ムゲンはぽつりとつぶやき、ふと浮かんだ考えを自ら否定するために頭を振った。


 ハヤテの出生地を占ってもらおうかという考えが浮かんだ。占いなどに頼ろうとするとは。どうかしている。それに、その内容が当たっているにしろ外れているにしろ、自分はその領を憎む。ムゲンはそう思った。


 領長のオキノは通行人に紙を見せて「ここにいきたいのだが」と尋ねた。


 あっちだ、とすぐに答えが返ってきた。


 教えてもらった場所の前に着いた。平屋のその家はほかの店とはちがって看板や貼り紙を出していなかった。


「なんだか、独特のにおいがしますね」この家に近づくに連れて感じていたことをムゲンは口に出した。


「香を焚いているのだろう」オキノがいった。


 甘い中にもつんと鼻柱を刺激するものが混じる香りである。出どころはこの平屋の家からでまちがいなかった。もしここが目当ての催眠術師の店でまちがいないのであれば、いかにも神秘的という雰囲気を出すために漂わせている香りなのだろう、とムゲンは推測した。


「あそこにいきてえな」ハヤテは遠くの競技場を眺めていった。香については気にしちゃいない。


 領長のオキノが戸を叩いた。しんとしている。再び叩くも反応はない。


「留守ですかね」


 オキノはさらに強い調子で戸を叩いた。どなたかおらぬか、と家の中へと呼びかける。オキノの大きな声は、あたりを歩いていた人々を振り返らせるほどだった。


 留守でしょうとムゲンが再び声をかけようとしたときだった。家の中から物音がして戸が勢いよく開いた。

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