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58-3:誕生

 ムゲンの内臓を見えぬ鈍器が深くえぐった。その衝撃にムゲンはめまいがした。「何をおっしゃってるんです」


「確実な方法だ」


「我々化体族の都合のためにこの子の体を傷つけるのですか」ムゲンの声が怒りで震えた。「去勢をすればこの子は男としての象徴を失う。子供を作れなくなる。未来を奪ってしまうも同然だ。そんな非道なおこないは断じてゆるされない! 私が断じてゆるさない!」


 ムゲンの呼吸が荒くなった。自分より二十以上も歳が上で島一番の権力者でもあるオキノに向かって大声を出すなど初めてのことだった。


 寝ていた赤子が泣きだした。


 オキノは深く一呼吸をした。「性行為を知るまでに数年かかる。様子を見よう」


 なんたる冷血漢。我が領長がここまで残酷な心の持ち主だったとは。この子を守ってやれるのは自分しかいない。なんとしても自分がそばにいて守る。ムゲンは誓った。


 やっとのことで赤子が泣き止んだ。


「母親が必要だ」領長のオキノは新たな話題を提示した。「化体族として生を受けるには母親も化体族でなければならず、これに例外はない」


「……そうですね」


 たしかに母親役は不可欠だった。レイル島はむだに広いと述べる島民もいるが、しょせんは絶海の孤島に過ぎない。島内で捨て子が発見されたとなれば噂はすぐに島全体に広がる。島民は母親がだれであるか血眼になって探る。妊娠していた者を調べ上げる。そして該当する女性がいなければ、化体しないその孤児はどこかの人間の子だ、と結論づけてしまう。


 オキノは「適任者がいる」と述べた。「この者しかおらぬ。サユリだ」


 少し間を空けてからムゲンはうなずいた。サユリが地下牢に入って半年が経過した。地下牢の存在は一般の島民には知られておらず、サユリは島民のあいだでは行方不明の扱いになっている。つまり半年のあいだにだれの目にも触れていないことになり、地下牢にいる事実も、またその期間も、すべては今回の件につながるべくしてつながったのではないかと思えるほど適合している。


「サユリはこの半年のあいだは大変な出産に備えて徹底的に人目のつかぬ場所で安静にしていたのだ。何せ神よりお告げがあったからだ。その腹の子はレイル島の民を救う特別な子であると。その子に祝福をあたえるのでわたしの傍らで産め、とな。そして、神がときおり降臨なさると伝えらえる神ノ峰の頂上で、サユリはこの男児を出産したのだ。なるほど、そうであればこの男児は化体しない特別な化体族なのも納得がいく」


 よくも次から次にそれらしき設定が出てくるものだとムゲンは感心した。


「サユリは釈放されるのだ。サユリにとってもこれ以上のいい話はない」


「父親は、どうしますか」ムゲンが尋ねた。


 オキノは腕を組み、上目遣いになった。「おぬしがなるか」


 ムゲンは返答に窮した。


「冗談だ。サユリは月グループ。おぬしは太陽グループ。ヒトの体になる日がちがうのにどうしてサユリがおぬしの子を妊娠できよう」


「ああ……。そうですね」


「おぬしはあまり異性のことには興味がないようだ」


 領長のオキノの推察は妥当性のあるものだった。たしかに常に異性を意識していれば、グループのちがいには敏感になるはずだった。


「私は女性が好きです」ムゲンは誤解を避けるために明言した。


「おぬしにはちっとも浮いた話がない。まだ恋愛自体に興味がないのだろう」


 そう思うならそれでいい、と口達者ではないムゲンは心の中で決まりをつけた。


「それはさておき。父親役は当てがある。おぬしは坊への気持ちが強すぎる。おぬしは父親ではなく剣術の師匠として、一定の距離から見守るのがよい」


 ムゲンは承知した。家族の関係にならなくとも彼を守ることはできる。


「領長。この子の名前を私が命名してもよろしいですか」


「そうだな。おぬしが拾ったのだ。その権利はあるだろう」


「……ありがとうございます」


 ムゲンは赤子を胸に抱いた。彼の尖った耳は親から受け継がれたのだろうか。ムゲンがそう思った瞬間、外で疾風が吹いて窓が揺れた。


「ハヤテ。この子の名前は、ハヤテだ」


 かくして西大陸のロキサーヌ領で生まれた人間の男児、エディルという名前だったその赤子は、化体族のムゲンによってハヤテと名付けられ、レイル島で育てられることとなった。

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