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57-2:傀儡師

「ネイト。お前、アラン団長の行方について本当に何も知らないのか」先ほどまでネイトの腕をつかんでいた兵士が沈黙を避けるために訊いた。


「知らねえよ! 俺は()()()()()だけだ!」


 大声で堂々と主張することではない。兵士たちは呆れた。


 ネイトは荒い呼吸で胸を上下させる。爽やかな面を着けた傀儡師のモルゼリクが現れてから脇の汗が止まらない。


 わけがわからない。この展開はなんだ。なぜアラン団長がいなくなっている。アラン団長は今どこで何をしているのか。自分がモルゼリクと殺し屋を引き合わせたことと関係があるのか。この爽やかな君主一族の青年モルゼリクが殺し屋の居場所をつかんだのは本当に殺し屋を掃討するためだったのだろうか。もし、殺し屋とつながるのが真の目的だったとすれば? ――だとすれば、すでに殺し屋とは会ってるはずだ。そこでどんなやり取りがあった。


 わからない。仮にモルゼリクが殺し屋を使()()()として、だ。これでたとえば君主や君主の息子たちの身に何かが起きたのであれば筋が立つが、アラン団長がいなくなるという事態は説明がつかない。モルゼリクとアラン団長。二人に関わりがあったようには思えない。両者をつなぐものがない。アラン団長が消えることで君主一族のモルゼリクの利益になることは何もない。アラン団長の謎の失踪はモルゼリクとは無関係なのだろうか。わからない。わからないからとても不安だ。もしアラン団長に何かあって、それはすべてこのネイトのせいであるといいがかりをつけられたらどうする。近衛兵団の規則に反する交際を暴露されでもしたら。退団は逃れられない。せっかく幹部の位にまでのぼったというのに。


 ちくしょう。モルゼリクに近づかなければよかった。近づけば近づくほど、穏健そうに見えた目の奥に深い闇があるような気がしてくる。単なる爽やかな貴公子という器ではない。


「さて」この場で最も身分の高いモルゼリクが、権威を行使するかのごとく場の空気の舵を切った。「アラン団長ならば問題はないと信じたいが、それはそれとして、この件は大臣に報告すべきだ」


「はい。この男への聞き取りが済み次第、報告に上がるつもりでいました」副団長は指を差す代わりにネイトに目を向けた。


「私がこの件の責任を持つ。本日はあらゆる訓練を中止して、アラン団長を探しにいくがよい」


「ありがとうございます」


 ネイト以外の兵士は臨機に対応してくれるモルゼリクに感謝の意を表した。ネイトだけはまずい料理が並ぶテーブルに目を落としているような、振るわない雰囲気を発している。


 そんなネイトにモルゼリクが話しかける。「ネイトといったな」


 ネイトの腹の中の臓器が跳ねるようだった。


 モルゼリクは目を合わせぬネイトに軽蔑の眼差しを向けていった。「父親の顔に泥を塗らんようにな」




 城に入ったモルゼリクは大臣に会いにいった。大臣はモルゼリクに気づくなり駆け寄ってきた。


「戻られておったのですね」


「今しがた」


「よかった。モルゼリク様にお話ししたいことがありました」


 こっちの用件を訊く前に自分がしゃべりたがるとは。そわそわとして余裕が感じられない。


「なんだ」


 大臣はきょろきょろとあたりを見回してからこっそりといった。「あの。息子の、ネイトの、不届きの件なのですが……」


 そんな話だろうと思っていた。


 モルゼリクは数日前に大臣を呼び出し、彼の息子のネイトが善からぬ輩と交際していることを伝えていた。大臣は声を上げて驚いていた。一方でまったく心当たりがないともいいきれぬ様子で頭を抱えもしていた。


「息子とは最近会えてなくてまだ話せていないのですが……アラン団長には相談しました」


 アラン団長に相談するよう仕向けたのはモルゼリクだった。直接的には勧めなかったものの、アラン団長であればきっと助けてくれるというようなことを言外ににじませ、そうして大臣が自らの意志で相談しにいくところまで導いたのだった。のちの展開のために、アラン団長にはネイトの黒い交際を把握させておきたかった。


「アラン団長は慎重に調べて対処すると申してくれました。それでその、今の時点ではと申しますか、近衛兵団のほうから正式な報告が入るまでは、息子の疑惑について、内密にしていただければと……」


 やましさから細い目を下にずらす様は父子で同じである。体面を重んじる家系なのだな、とモルゼリクはいってみたくなる。もっとも、こういう親子だから駒として扱いやすい。


「当然だ」今のところはな、とモルゼリクは心の中でつぶやいた。


 モルゼリクの心の声など聞こえない大臣は「ありがとうございます」と声を明るくしていった。大きな顔に安堵の笑みが浮かんでいる。


 息子に厳しくできぬからあんな卑しい兵士に仕上がったのだ。だがそんなことはどうでもいい。


「大臣。それよりも不穏な事態が起こっている」モルゼリクはアラン団長が行方不明になっていることを告げた。




 モルゼリクは城の階段を駆け上がった。騒ぎになる前に動いておく。今日はまだまだ忙しくなる。


 襟を正して廊下を歩き、妻のセイラの寝室に入った。


「モルゼリク様」女中が一人、椅子に座って子守をしていた。


 妻が不在なのは知っていた。妻が母親の部屋へ見舞いにいくのをモルゼリクは外の物陰から見ていた。頻繁に咳を吐く母親の部屋には赤子を連れていかないことは把握している。


「お、お帰りなさいませ」このところずっと留守にしていたモルゼリクが突然戻ってきて若い女中はまごついた。「すみません、私一人だけでして。セイラ様はただ今――」


「エディルを抱かせてくれぬか」モルゼリクは女中の言葉を遮った。


「あっ。はいっ。申しわけございません」


 いつもはモルゼリクから赤子を抱きたがることはない。だから赤子を渡すということには思い至らなかった女中であった。


 エディルを渡すときに女中とモルゼリクの手やら腕やらが触れた。ふだんは触れることなどゆるされぬ身に密着して女中は緊張し顔を赤くした。


 モルゼリクの腕にずしりと重みをあたえているエディルは、モルゼリクの顔をじっと見ている。


 この男児は生まれつき腹ができているようだ、とモルゼリクは思う。おおよそだれに抱っこされようが嫌がらない。人怖じせぬどころか、赤子のくせに何か悟っているような、精神の鋭さを感じさせる目で見てくる。先の尖った耳が野生の動物を想起させ、余計に鋭さなどを感じさせるのかもしれなかった。


「エディル様は本当に、美しくて賢くて、モルゼリク様とセイラ様に似ておられますね」


 女中はモルゼリクを喜ばせるためにそんなことをいった。子の父親がモルゼリクではないことに露ほども気づいていない。


「そうか」


「はい。特にお優しい目が、モルゼリク様と似ておられます」女中は頬を染めていった。


 モルゼリクは鼻で笑ってしまいそうになった。


 私の目に似ているというのであれば、垂れ目の特徴があるのが妥当だ。この赤子の目は垂れていなければ、優しいというより勝ち気そうな目ではないか。


 女中らの個性は様々だ。頭のよい者もいれば、悪い者もいる。疑い深い者もいれば、そうでない者もいる。この女中ならば早々と赤子を連れ出しても大丈夫だ、とモルゼリクは判断した。エディルを抱いたまま戸へと近づいた。


「どちらへ?」


「男同士の交流を深めに」モルゼリクは一度そういい、柄にもないことをいったというような作り顔をしてから、はにかんでいい直した。「散歩に」


 女中は丸めた手を口元に持っていってくすくすと笑った。


 部屋を出た。マントで赤子を覆い隠して廊下を足早に歩く。


 はにかんで女性に好感を抱かれる。一つの才能である。自分の父親は能無しであり、権力ある妻の飾りでしかなかった。その分、容姿だけは優れていた。その容姿を受け継いだことだけはよかったと思っている。


 大臣とネイトの細い目そして大きな顔。アラン団長と赤子の尖った耳。父と息子で似る部分は様々である。その善し悪しも様々である。


 モルゼリクは馬を走らせた。背中に赤子を帯でくくりつけ、マントで覆い隠して、ぐんぐんと風を切る。赤子はときおり声を出すものの、いっさい泣きわめきはしない。


「ふん。見上げた根性だ。アラン団長の血か」

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